信子さまお誕生日企画後編 トモさんの著書から見る信子さまのエピソード

じゃあ後編行くぞー!!

1999年に主婦の友社から発売されたトモさんの著書『癌を語る』に出ていた素敵なエピソード

この本はトモさんが主に書いて、補足で当時の主治医団だったドクターたちがコメントを書くというスタイルを取ってます。

トモさんの主治医団の一人だった国立がんセンターの山口健医師の話です。


「ご家族の努力」 山口健
妃殿下のお父上は食道癌で亡くなられています。確かお嫁入された直後と伺いました。父上がそうだったのに、今度はまた、夫たる殿下が同じ癌になられた。妃殿下は食道癌が難しい癌であることをよくご存じのはずですから、普通のご家族に比べればはるかにプレッシャーが大きかったと思います。悪い体験、強烈にネガティブな体験だったと思います。妃殿下、大丈夫かなと心配しました。
ところが、妃殿下は非常にファイティング・スピリットがおありになる。いつも自然に明るく振る舞われ、逆にこちらが励まされるほどでした。それから、お食事の問題。いろいろと工夫なさっていらっしゃいました。あのあと、妃殿下のお料理のご本が刊行されたのですが、殿下は、「君様が大層頑張った。従って、本にすることを許した」とおっしゃってられました。あのときの殿下は本当にうれしそうでした。
お子様方へのご配慮も見事でした。新聞発表の当日、お子様方は、お父様が癌だということをお友達に言われ、悲しげに学校から帰って来られたそうです(殿下注・癌と判明し、入院手術が決まったとき、私は娘二人を散歩に連れ出し、分かってくれるのかどうか不明でしたが、きちんと説明をしています。妻も、その補足説明を十分してありました。その上での出来事です)。
そのお二人を、ある日、妃殿下はお見舞いの帰りに銀座のマクドナルドショップにお連れになり、初めてハンバーガーを買っておあげになったのです。お二人は、それまでマクドナルドにいらしたことがなかったそうで、大変喜ばれたと伺いました。これなどは、ご入院中のエピソードのほんの一つにすぎません。妃殿下は、ほかにもいろいろなことをなされたと思います。
殿下の病室にも毎日お見えになりました。殿下に代わってのご公務もおありで、あるときは、お一人で、オーストラリアへ、一泊二日の厳しい日程でのお出かけになられたこともありました。当然、かなりお疲れだったと思います。殿下の病室の向かい側に警備のための部屋が一つあるのですが、そこでちょっと横になったりもしておられましたから・・・。

(『癌を語る』132ー133ページからの引用)

マックへ連れて行くという所がちょっと我々とは違う。

生まれて初めてのマックは二人の幼い女王さまにとって楽しかったのでしょう。

上記本にはこんなことも書いてあります。

トモさんが書いた文章です
退院するにあたって、その六回食が、今度はカミさんの担当になるわけです。入院中に、彼女は、がんセンターの栄養士や、消化器の医長先生、あるいは厨房の板さんたちからあらゆる情報をとって、どういうものを作って食べさせればいいのか真剣に研究していたようです。
退院した日の十時から彼女の奮闘が始まりました。「天下のがんセンでも六回食と言いながら三食×二の六にしていたのだから無理しなさんな。我が家でも(がんセンターと)同じで俺は平気だよ。ご承知の通り山屋だから」と言いましたが、答えは「とにかく一週間やってみるわ」でした。そして驚いたことに、それから四週間にわたり六回食、五回食が一か月、四回食が四か月と続いて、半年を経て三回食に戻るまで見事に違うメニューでやり遠しました。
カミさんには、もし自分が同じ状態になったとき、同じメニューだったらたまらないという思いがあったのだと思います。
このことは、正直なところ私も仰天しました。彼女は、プロであるべきがんセンターの厨房よりも凄いことを成したわけですから、以後、専門家として認めようと思いました。丁度その年、私が主宰する柏朋会という福祉団体の料理教室(妃がチーフを務めている)が十年目を迎えました。それまでも降るように様々な出版社から料理の本を出したいという希望があっても許可を出しませんでしたが、二つの事実を認めて初めてOKを出しました(『四季の家庭料理』という本です)。


ちなみにトモさんは平成3年に食道癌の手術を行ってから『癌を語る』が出版される平成11年までの間6回も癌の手術をされてます。

その後もアルコール依存症や癌で入退院を繰り返されました。

平成3年1月から薨去された平成24年(2012年)までの21年間で合計16回も手術や治療を受けてます。

彬子さまは成年を迎えての記者会見にてこのようにお母さまについて話していらっしゃいます

私がお料理が好きになったのは,多分母の影響が随分強いと思うのですけれども,母が料理をいたしますので,私はどちらかといえばデザート担当と申しますか,誕生日のケーキを作ったりですとかいろいろいたしましたし,やはり母は礼儀作法ですとか言葉遣いですとか,やはり皇族としての古き良き伝統を守るというようなことに関してはよく申しますので,自然に随分身についたかなと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/05/press06-h13.html

瑤子さまは成人を迎えての記者会見でこのように話されてます

私は余り料理とかができませんので,母のように料理がすごくうまいというのはとても自慢でございますし,とても母は洋服のセンスというものが良いと思いますので,やはりどこかに行く時には私も一応考えるのですけれども,最終的に「これで良いと思う。」と聞いて母に判断をしていただいてからいろいろな旅行先に着ていく洋服などを決定したりしております。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/05/press06-h15.html

信子さまと彬子さま瑤子さま姉妹が昔のように仲が良い家族になれますように



≪ヘカテー注≫
前記事とこの記事では非常に誤変換が多くお見苦しい文章になって申し訳ありません。
数名の読者さまより「ここ間違ってるよ」とご指摘されましたので訂正させていただきました。
あとトモさんが「俺は山屋だから」と仰っている箇所をとある読者さまが「これは“山屋”じゃなくて“山師”じゃないか」というご指摘がありました。
これは「山屋」で合ってます。
登山用語で「山が好きな人」「登山家」という意味です。
トモさんは大学時代スキー部に在籍していたこともあり、「山小屋の粗末な食事に慣れてるから料理の味には気にしない」という意味で「俺は山屋だから」と仰ってます。
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信子さまお誕生日企画前編 96年7月の読売新聞の記事を振り返る

本日4月9日は寛仁親王妃信子さまのお誕生日です

↓3月31日に放送された『皇室アルバム』では4分15秒から信子さまのご公務が紹介されてます。


1955年東京でお生まれになりました。

というわけで今日は信子さまが1996年に読売新聞のインタビューを受けられた記事をご紹介します。

『読売新聞』では96年に「私のパートナー」という各方面で活躍する著名人に夫&妻についてインタビューするという記事を掲載してました。

7月22日の「私のパートナー」では信子さまが寛仁さまについてのインタビューに答えられています。

インタビュアーは猪熊律子氏

トモさんはこの前年95年秋に内視鏡検査の結果食道ガンと診断されました。

ガンが発見されるのはこれで6回目

最初にガンが見つかった時同様、

退院後の食事作りは全て信子さまが担当されました。

一遍に多くの量を召し上がれないトモさんの為に信子さまは一日6回食を作られました。

それも6回の食事全てが違うメニューです。

病院では一食を2回に分けて出してます。
(ヘカテーもそうするな。だって面倒くさいもん)

信子さまの趣味は料理。

A4の紙に表を作り一週間分42種類の献立を書き込み、メニューはトモさんの好みに加えて三食は当時小学校5年生の彬子さまと3年生だった瑤子さまと一緒に召し上がれるように工夫されました

信子さまはこのように話されています
「娘たちは入院前、宮様が直接『おとーまは癌で長い間、病院にいなければならない』と説明され、子供たちもそれなりに心配しておりましたから、退院後、宮様が自分たちと同じものを召し上がっているのを見ることで安心できるかなと思ったのです」

茶碗蒸しが余った際には次の日にあんをかけて器を変えて出すという細かい気配りをされました。

トモさんは最初は黙々と全部召し上がるだけでしたが、徐々に「君様、これとってもうまいじゃないか」と感想を仰るようになりました。

信子さまは祖母から受け継いだぬか床でぬか味噌を漬けられたり、ジャムを手作りするほどの料理好きです

寛仁親王邸には畳四畳ほどの小さな菜園がありました

キュウリ、ナス、ダイコンなどが植えられていたこの菜園を作るきっかけは幼稚園生だったお子様方が「トマトがなるのは冬」と仰ったからです。

「カチン!ときた」信子さまは教育の為に菜園を始められました。

またトモさんは障害者福祉に力を入れられており、「柏朋会」という福祉サークルを主宰されています。

信子さまも結婚後、会員から希望者を集めて宮邸で料理教室を開からその先生役を務められています。

トモさんと共に福祉にかかわるようになられた信子さま

「視察先の特別養護老人ホームで『すてきな色合いの編み物ね』と声をかけた人が目が不自由だったことも。わたくしの失敗に宮様は『最初から障害の種類を素直に聞いてしまえばいいんだよ」って」
「宮様ぐらい福祉を離乳食のようにやさしくかみ砕いてお話しなされる方はいらっしゃらないと思います」


二人だけの時は「ノンチ」「トモさん」と呼び合う間柄だったお二人。

この記事はこんな言葉で終わっています。

>四時間半の取材中。「宮様」「宮様」と言葉を重ねられた妃殿下が、最後に「実際に会ってごらんになったら?とてもいい方よ!」とサラリと言われたのが印象だった。

本当にアツアツカップルだった信子さまとトモさん

なんでこうなっちゃったんだろうとシミジミ思います

トモさんが薨去されるまで色々あった信子さまとトモさんですが、

今年の歌会始の儀で信子さまが詠まれた歌にはかつての仲が良かった頃の姿が浮かんできます。

我が君と夢で語りてなつかしきそのおもひでにほほぬれし

「女帝でも構いませんし、皇室典範変えてもOK」 BY寛仁親王

鎌倉市の図書館を経由して横浜市図書館から1996年5月30日号の『週刊文春』を借りました。

鎌倉市だと3年くらいしか週刊文春のバックナンバーを保存してくれないんだよね。

まったく別のことを調べてて取り寄せたら、

目次にこんなことが書いてあった。

「阿川佐和子のこの人に会いたい 寛仁親王(皇族)」

ちょっと読んでおこうと軽い気持ちで読んでみるとこんなことが書いてあった。

(阿川)話は少し変わりますが、もし男のお世継ぎができなければ、女帝が復活してもいいんじゃないかという議論が今、出てきていますね。殿下はこの件に関して、どのようにお考えですか。

(殿下)それは、これからの問題ですけれど、女帝でも構わないのは当然でしょう。今までも、百二十五代の中で八人の女帝で十代お務めになっているわけですから。戦後に制定された皇室典範にはそういう条文がないから、どこかで変えなければなりませんがね。


はーい、男系男子派の後ろ盾のお髭の殿下も女帝OK派でしたよ~

嘘だと思うなら『週刊文春平成8年5月20日号』の54ページを読んでみようねー。

女帝でも構わないのは当然で、皇室典範も変えてもOKと仰ってますよー

えー、ちなみにこんな風に考えてたトモさんが考えを変えたのは

竹田某から

「男系男子じゃないとダメなんですよ。神武天皇のY遺伝子を継げるのは男系男子じゃないとダメなんです。この危機を救えるのは寛仁さましかいないんです。皇室の救世主になってください。ねっ、ねっ!トモさんしかできないんですよ」

とヨイショされたからです。

おだてられて考え変えるってところが男のダメさを表してるわ。

まあトモさんも才色兼備でスポーツ万能で聡明なお姉さま(近衛甯子さん)と比べられたというキンジョーヘーカと同じ人ですからね。

ちなみに阿川佐和子さんのお父上は以前に列外派で紹介した通り女帝OK派です。

過去記事を読んでみてね。

Y遺伝子と言い出したのは八木だが、正確にはY染色体だ。

これに対して物理学者として怒ってたのが大阪大学の菊池誠教授です。

ブログにこう書いていらっしゃる。

2005年6月9日 
タイトル 天皇制と科学
天皇制の是非はここには書かないけど(書くなら、大学のサーバーではないところに)、今日の新聞記事で気になったこと。
争点は男系堅持か女性天皇も認めるか。これについても個人的に意見はあるけど、ここには書かない。

気になったのは、男系堅持を主張する高崎経済大学助教授・八木秀次氏がその理由のひとつとして、男系でなければ神武天皇のY染色体が維持できないという問題を挙げたこと。

要するに天皇家の「Y染色体アダム」問題がとりあげられたわけだが、ここで科学を持ち出すのはルール違反。

天皇制支持者も反対者も「天皇は万世一系」という言葉が「物語」にすぎないことくらい、暗黙のうちに了解しているはずだ。天皇制そのものが物語の上に成立しているわけで、その共通了解の上で、国の象徴としてその物語を維持するかどうかが支持と反対を分けるのではないか。

ところが、Y染色体説を持ち出されてしまうと、物語の土俵から科学の土俵に問題が移されたことになる。科学の土俵に来てしまえば、「科学的事実」を議論しなくてはならない。「科学的事実」は、現代の天皇家は神武天皇のY染色体を受け継いでいるとは言えない、だろう。そもそも神武天皇自体が物語上の人物であるし、途中に女性天皇がいたことは歴史的事実なので、そこでY染色体は途絶えている。あるいは、100歩譲って神武天皇が実在したとすると、今度はそのY染色体を受け継ぐ人間は膨大にいるはずなので、男なら誰でもいいという言い方も可能かもしれない。もっとも、この最後の話は付けたし。

この話は「創造論対進化論」と似ている。

大学の助教授ともあろうものが、そのようにして物語を科学扱いしてはならないと思う。いずれにしても、Y染色体を持ち出すなら、問題は科学の議論になるので、万世一系・男系堅持の論理は即座に破綻する。科学の濫用例として、取り上げてみた。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/200506.html#1118274305

そりゃそうだろう。

神話という物語にY染色体という科学を持ち出したのだから。

男系男子派の胸糞悪いところは

男女関係ない直系長子継承支持派を

「物を知らんからそんなこと言えるんだ」

と無知扱いしてくるところです。

あんたらよりもはるかに天皇関係の書物読んどるわ!!!

本棚一つ全部皇室関係の本で、なおかつそれじゃ足りなくなってるわよ!

一番古い本は大正時代に発売されたものだぞ!

鎌倉市のみならず他の市の図書館の本まで読んでるわよ!!

インターネットの知識だけで自分は物知りと思ってるあんたたちよりも遥かに勉強してるわよ!

男じゃなきゃ意味がないというなら川崎市の金山神社のお祭りみたいに男性器を祀ってれば?

ども様が突っ込んでましたが、

敬宮さまを始めとした女性皇族方の配偶者の家系図を遡って

「〇〇さんは何と神武天皇の子孫の方です。95世孫のお方です!」

と報じればまるーく収まるじゃん。

旧皇族の伏見宮家だって本当に今の天皇と血がつながってるか微妙なところがあるしな。

一度途絶えたと思ったら都合よく鍛冶屋さんが「わて、ご落胤やで」と出てくるなんておかしいわ。

三笠宮家が如何に大変だったかシリーズ―百合子さまの心の叫び―

今週発売の週刊新潮最新号でキーコさまが相変わらず

「うちには金がない。もっと金を寄越すべきだ」「うちは職員が少ない。もっと職員を増やせよ」

とブーブー文句を言い、

しかもパワハラしまくってる職員さん達に

「うちで働けて幸せでしょ?」とわざわざ質問した上に「ありがたいと思いなさいよ」と言ってるとさ。

正直に答える職員さんなんていないわ!

さらには皇后の位まで狙ってるとか!

定番の雅子さまバッシングを最初にした後にメインのキーコさまの暴露話

記事の発注元はミテコさまじゃないの(笑)

「あいつ最近調子に乗っ取るからここらで絞めなアカン」という感じにちょっと怒ってるんじゃないの。


さてさて、列外派では何度も何度も

三笠宮家は秋篠宮家なんかよりも遥かに大変だったが、それでも一度たりとも『うちには男が四人もいるんだから常陸宮家と秩父宮家と高松宮家の分の金寄越せー!!』なんて仰らなかった

と触れてきました。

今回は具体的なエピソードをご紹介します。

読売新聞社から発行された『高円宮憲仁親王』に書かれていたエピソードです。

三笠宮妃百合子さまは五人のお子様方の育児日記をそれぞれが成人するまで毎日書かれてました。

高円宮さまの育児日記の題名は『暁乃柊』

高円宮さまのお印である柊と生まれた時刻が暁だったことからこの名がつけられました。

昭和29年12月29日から成年式後の昭和50年1月14日まで綴られた日記にはこのようなことが書かれてます。

昭和30年2月25日
「久々百合子、あつ(山下敦子)と昼間、銀座に買い物に。憲仁のベビー服松屋で目星つけておいたのに、今日はもうそんなトリコットのは一つもなし。あとデシンのものは千八百円もするし、ネルのは品の悪い色だし、メリンスみたいな化繊らしいのもぱっとしない。(中略)又今度三越へでも行って探してみる事にする」

(引用は『高円宮憲仁親王』より)

「あつ」という名前が出てきてますが、この方は山下敦子さんという三笠宮家の老女(侍女のトップ)です。百合子さまよりも6歳上の女性で昭和18年から三笠宮家へ仕え、平成11年に引退するまで56年間宮家に仕えました。山下さんは宮家の職員として最初は「侍女」で昭和27年6月から「老女」になられました。昭和47年5月に国家公務員の「侍女長」に任ぜられました。

つまり山下さんのお給料も国家公務員になられるまで三笠宮家が出してたんですね。

高円宮さまは赤ちゃん時代結構手がかかるお子様でした。

腸粘膜過敏症でお乳がお腹に入ると腸が痛くなって大声で泣くので体重が中々増えない。

お乳を飲み終わるまで小一時間掛かる上に、母親が抱っこすると気配で「お腹が痛くなるから飲みたくない!」と大泣きしてしまう。

ただでさえ宮妃としての務めと、三笠宮さまと他の四人のお子様方のお世話もありますから睡眠不足気味でした。

『暁乃柊』で唯一百合子さまがご自分の感情を露わにした日が一日だけあります。

昭和30年4月24日
「夜中四時間おきに起きてしまう。(中略)左右と続けて(お乳を)一気に上がるのは、朝の第一回と夜最終回位のもの。今朝はまちがって二時、六時、十時と(これは失敗、あとに延びる)嫌な時間になった。午後二時前にやっと好調子に上り出し残念な所で宮様御出門と仰せなので、中止して大至急、着がえして二時二十分頃出門。東おどり見にゆく。『御乳があると全く駄目だね』と仕度のおそいのでいらいらしてらっしゃる宮様のお言葉に悲しくなる。」
「授乳は赤ちゃんにとって絶対的なもの重大なものと一生懸命しているが、(中略)周囲の理解あってこそ十分なことが出来るのだ。(中略)夜になると、全く自分の用事がまだしてない事に気付き、あと十分でも時計の止まっていてくれればいいなあと思うが公務、授乳、子供の勉強、学校参観―を始めとして細々としためんどうな家事―何しろ昔四十人からの職員を擁していた仕事が少しも減るどころか増える一方なのに、何と職員は十人足らず。交渉ごと、被下(下され物)、吉凶に関する事、それらをどんどん現金で右から左に片づけられるのなら又易いが、この経済状態では中々それがむずかしく、到来物をそれぞれにふりあてたり、何とか有合わせのもので間にあわせようとその苦心たるや凄いもの」
「誰も助けてくれないので、すべての事に亙って自分から思いつき、しなくてはならない。心身共に疲れたという感じ。あと四年もこの状態でがんばったら、上三人はもうかなりの年齢になる大分手もぬけて楽になるかとおもうが・・・・・・。」


三笠宮さまは多忙で戦後の父親型でしたから、育児には余り協力して下さらなかった。

だから百合子さまお一人で育児と家事と三笠宮家の職員の統制をする必要がありました。

宮家には皇族として恥ずかしくないような生活をすることを目的とした皇族費が支給されてます。

昭和29年当時の三笠宮家は以下の通り支給されてます。

三笠宮さま→190万円
百合子さま→95万円
五人のお子様→19万円×5=95万円

計380万円


これ以外に所得して
13社の株の配当が36万円
原稿料8万円

がありました。

皇族費380万円プラス雑収入44万円=合計424万円

424万円で一年間やりくりする必要がありました。

「当時の424万円がどのくらいの価値があるのか分からない」と思ったヘーセー育ちのヘカテーは調べてみた。

昭和29年の大卒の国家公務員の初任給が8700円でした。

平成27年で大卒の国家公務員総合職の初任給が18万1200円。

現在の価値にしたら昭和29年の424万円は平成27年の8480万円ですね。

(経済学を学んでる方からしたらすごく怒られそうな計算方法ですみません)

「結構貰ってるじゃん」と一瞬思うが、

当時の皇族はヘーセーよりも外出公務が少なかったから外出公務でお車代をゲットしたり、総裁職も今よりも少なかったから総裁職でジャンジャン稼ぐという方法も得られなかった。

目黒の三笠宮邸のローンも返さなければならない。

職員のお給料を始めとした、三笠宮家7人分の生活費、交際費、営繕費、三笠宮様の研究の費用、その他諸々を賄わなければならない。

三笠宮家には少ない時でも事務官、運転手、老女、侍女二人の5人の職員が働いてました。

三笠宮家の大変さは国会でも取り上げられて昭和33年2月13日の衆議院予算委員会で

「三笠宮家の運転手が月7千円の給料では食べていけないと辞めてしまい、宮さまは電車で大学に通勤されているというが」という質問が出るほどでした。

それに対して当時の宮内庁長官だった宇佐美氏は

「最低五名の職員の給与に(支出の)多くがかかっている」と答弁しました。

他の宮家を見ると

秩父宮家は昭和3年に設立されて終戦の昭和20年までの間に戦前戦中の豊かな皇室の中で経済的な基盤をしっかり立てられた。

また勢津子さまのご実家も裕福だったので援助してもらえた。

高松宮家は有栖川宮家を継承するという意味合いで設立された宮家なので有栖川宮家の財産をそのまま高松宮家にスライドされました。

だから裕福でした。

三笠宮家の不幸な点は設立が昭和16年と言う皇室にも余裕がなくなっていた時代での設立で経済的な基盤を立てられず、

しかも東京大空襲で宮邸が全焼してしまったので本当に裸一貫で生活しなければならなくなった。

(蔵は残りました)

皇室は基本的に古代から貧乏だったので、皇族妃はリッチな方が選ばれます。

なぜなら実家が助けてくれるからです。

しかし百合子さまのご実家高木子爵家は戦後の動乱で没落。

百合子さまのお父上は昆虫学者として有名な方でしたが、昆虫標本や貴重な蔵書が全部空襲で焼けてしまった上に、戦後のインフレで買い戻すことは困難で研究を諦めなければならなくなりました。

そして百合子さまのお父上は失踪。一年後に枝にロープが掛けられてる木の下で白骨遺体で発見されたという悲劇が起きたほどです。

これだけマイナス要素があったのに子沢山ですからそりゃ大変です。

育児日記を書いた理由について百合子さまは『高円宮憲仁親王』でこのように話されてます。

「この日誌はそもそも門外不出のもので、憲仁に読んでもらうためのものでございました。私の死後に一人ひとりに渡すつもりで一冊ずつ書いておりました。他人さまがお読みになれば、親馬鹿としか思えない内容でして。高円宮の幼いころの記録がないと久子が言うもので、ではご参考までにと渡したものです」

他人には見せないつもりのものだったから「こんなに辛い」と感情を表せることが出来た

キーコさまよ、「金がない」「人手が足りない」と騒ぐ前に三笠宮家の歴史を振り返りなさい。

坊や誕生以降、宮邸もドンドン広くなってるし、職員の数も尋常じゃない位増えている。

「うちにはショーライノテンニョ―がー!!」と喚くが、

三笠宮家には3人も男の子がいたけど三人ともちゃんと育てられた。

(ただしトモさんは微妙だが)

二人の内親王さまも一人は近衛家(ご結婚された時は細川家の方だったが近衛家が途絶えたので御夫君が近衛家の跡取りになられた)、もう一人は茶道で一番のお弟子さんを抱える裏千家の跡取りとご結婚された。

予算も上げたし、坊やの為に育児棟を作ってあげたし、職員の数も増やしてあげた。

じゃあどうなったのかというと、

坊やはズルして入った学校に行ってないし、

眞子丼は海の王子を連れて来た。

結局は両親、特に母親がどういう心持ちで生活してるかだな。

信子さまの講演

信子さま「趣味で健康長寿に」 起雲閣で特別講演会―熱海
12/15(金) 10:55配信  伊豆新聞
熱海市のNPO法人あたみオアシス21(中島美江理事長)は14日、三笠宮家の寛仁親王妃信子さまを起雲閣に迎えて特別講演会を開いた。市民ら約140人が集まり、「耳を傾けて」と題した信子さまのお話に聴き入った。
.信子さまは更年期障害などに苦しんだ自身の体験を交え、女性の健康の問題や子どもたちを取り巻く食の問題に言及された。熊本地震などの被災地支援や電話相談といった社会貢献活動にも触れ、思いや言葉を“キャッチボール”して伝え合うことの大切さを語り「健康、長寿であることが望ましい。皆さんも新しい趣味や楽しみ方を見つけてほしい」と思いを伝えられた。
同施設で演奏会を重ねる歌手の大庭照子さん(NPO日本国際童謡館館長)が、かつて故寛仁さまと同じ青年国際交流事業に参加した縁で、信子さまとも親交があり、起雲閣での講演会を希望し実現したという。講演後には、大庭さんの音頭で来場者とともに「ふるさと」を歌われた。
信子さまは昭和30年代に起雲閣が旅館だったころ、宿泊されたことがあるという。同施設の館長も務める中島理事長は「起雲閣にお見えいただいたことは管理している者としてとてもうれしい」と感謝を述べた。
参加者から寄せられた支援金は信子さまが関わる奉仕団体に寄付される。
【写説】ボランティア活動への思いなどを語られる信子さま=熱海市起雲閣

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171215-00000005-izu-l22

お元気になられてなによりです。

信子さまがお元気になられてうれしい反面、

三笠宮さま薨去後の儀式に一切信子さまがお見えにならないことがちょっと気になります。

昭和の皇室ならトップである昭和天皇が家族間の争いもまとまるようにして下さっただろう。

トモさんが「皇族辞めたい」と言った時には思いっきり叱って考えを改めさせたが、その後皇族の集まりにトモさんが行きにくくなってると知ったら「トモも呼んでやれ」と仰った昭和天皇だもん。

ヘーセーのトップのキンジョーヘーカは「しめしめ。もっともっと喧嘩しろ!そうすれば国民は『あんな宮家いらない』と言い出すぞ。聡明で人望があるから大嫌いな三笠宮家と高円宮家を追い出して、生前退位を恒久法にして聡明で人望がある徳仁天皇を無理矢理退位させれば僕朕の大好きな坊やが天皇になれる」と悪だくみをしてる。

本当に残って欲しい宮家は残らず、「皇族と言うか人間としてどうなの?」と思う人間がそのまま残るなんて嫌だ!

あと質問が来たからお答えします。

ヘカテーがブログをやってる理由をもう一度ご説明します。

「皇太子ご夫妻やその周りの方々は高貴高齢者コンビやマスコミの仕打ちを黙って耐えてらっしゃるのだから私たちも黙って耐えよう」

と黙っていたさ。

しかーーーーーし!

それ以降もマスコミはうそを垂れ流し続け、下郎下女は金をチラつかされてデマをネットにばらまき続け、高貴高齢者コンビと秋篠さんちはやりたい放題し続けた。

10年経ったがまーーーったく収まらない。

それどころかエスカレートしてる。

立憲民主党じゃないが、

「黙っていたら舐められる」

と思って立ち上がったのだ。

何の権力とも繋がりのない、休みの前の日は仕事終わりにブックオフに行ってストレス発散し、毎週火曜日に「月曜から夜ふかし」の録画を夕食食べながら見て、12月に入ると箱根駅伝が始まるとワクワクする超普通の国民が

「納得がいかねえ!」

とブチ切れたのだ。

皇太子ご一家だけじゃない。

意地悪姑扱いされてる良子さま、意地悪小姑扱いされてる秩父宮妃勢津子さま高松宮妃喜久子さま、人望がある上に皇太子ご一家と親しくしてるが故にデマをまかれてる高円宮家の本当の姿を知って欲しい。

多くの国民が忘れてしまってるもしくは知らない昭和の皇室のことを知って欲しい。

昭和天皇の娘である内親王さま方や息子である常陸宮さまのことを知って欲しい。

今の皇室をこんな無様にした人間が誰なのかを知って欲しい。

そんな思いでやってるのだ。

生半可な思いでやってるなら丸々本棚一つ使う位に皇室関係の本を集めたりしないわよ!

本棚一つじゃ足りなくて既に新しい本棚にも皇室関係の本が入ってるわよ!

プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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