秩父宮ご夫妻の愛情物語

秩父宮さまが御殿場で療養中の時

落語がお好きでよくラジオで聞いていました。

その話を聞いた落語家たちが宮様を励ますために御殿場までかわるがわるやってきました。

三遊亭金馬師匠、春風亭柳橋師匠、桂文楽師匠、柳家金吾楼師匠など。

後世、伝説となる名噺家ばかりですね。

宮さまはお腹の底からお笑いになるためメガネが曇ります。

それを拭き拭き笑いながら、後ろをチラチラと見ていました。

勢津子さまや職員が笑っているのかを確かめるためです。

ある日、金馬師匠とお茶を飲んでいた時のことです。

金馬師匠が「宮さま、お加減はいかがですか」と尋ねると

秩父宮さまはこう答えられました。

「もう大丈夫だね。私の体はこの人でもっているんですよ」と勢津子さまを指さしながら言いました。

そう仰っていた秩父宮さまでしたが、1953年1月に藤沢市で薨去されました。


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今日はあまりこのブログで取り挙げてない秩父宮妃勢津子さまを取り上げたいと思います。

無題



秩父宮妃勢津子さまのお父上は外交官。

勢津子さまは15歳で渡米されました。

日本を離れることは寂しいことでしたが、

親友の樺山正子がアメリカに留学していたため

会えることを楽しみにしていました。

樺山正子は結婚して白洲正子となります。

そうです、エッセイストの白洲正子です。

(勢津子さまは「節子」でしたが、貞明皇后が「節子(さだこ)」だったため、伊勢の勢に会津の津で勢津子に変えました)



勢津子さまはアメリカのハイスクールに入学されました。

この時はまだ節子でした。

フレンドスクールでは日本人だからといじめられることもなく

楽しい生活を送っていました。

驚くことが多い生活

そんなある日節子さまが友だちを驚かしたことがありました。

日本の女の子ならだれでもできるお手玉

練習に行ったテニスクラブでテニスボールでお手玉をしました。

それを見て

「節子はジャグラーだ!」

と驚き、友だちは遠くにいる人まで集めて

「節子、やってやって!」

と大騒ぎ。

「日本の女の子ならみんなできるわよ」

と説明すると

「OH,日本の女の子はみんなジャグラーなのね!子どもでも出来るなんてすごい」

とまた大騒ぎ



そんな青春時代から何十年も経った頃

もうその時は節子さまは秩父宮妃勢津子さまでした。

当時の同級生に会った勢津子さまは

「あなた、今でもオテダマできますか?」と聞かれました。

これには勢津子さまびっくり。

まだ覚えていたのか!

「大人になったからしばらくやっていませんが、一応出来ると思います」

と答えました。



このアメリカ生活で培った英語は戦後の皇室外交に大きな役割を果たしました。

チャールズ皇太子は勢津子さまを「日本のおばあさま」と慕っていました。

秩父宮さまのお姿

昭和の那須をご存知の高久甲 さまよりコメントを戴きました。

戦後まもなくの那須にて、毎年の如く田代小学校校門前の奉迎場に子供達は並んでおりました。
昭和天皇は、なんと、お車の窓を開け身を乗り出されて、満面の笑みで子供達に手を振って応えられたそうです。
子供達は「陛下は人間になったんだと」と訛って話してたのですが、現人神なんて嫌だ!と一番強く思われていたのは、陛下ご自身だったかも。
また、後続の黒塗り(皇族専用)自動車には大人の男性が乗っておられ、お顔も見えぬほど深く奉迎の人達に頭を下げておられたそうです。
当時、子供だった身内は誰だかわからなかった。
昭和天皇の弟宮としか考えられません。
ご病気の秩父宮だとしたら、おいたわしいです。早くに結核となり、何の社会貢献も出来ないのに最高の治療を受けているとはかなんでおられたから。
病気ですもの。仕方ないよ。軍事教練で無理されて、悪化したんだもの。宮様、お顔を上げてください。


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コメントありがとうございます。

スポーツの宮様として有名でした。

秩父宮さまは鎌倉市の隣の藤沢市で薨去されました。

後に秩父宮記念体育館という秩父宮さまを記念して体育館が建てられました。

(今もあります。体育館の隣にある図書館へ高校生の時に私は通っていました)

残っている映像を拝見するにこんなに元気な方が肺結核で若くして亡くなられたことが残念でなりません。

勢津子さまとの間にお子さまはいらっしゃいません。

一度ご懐妊されましたが、流産されました。

その時、勢津子さまは「宮様の子を流した」と陰口をされてお辛い思いをされました。

「弟」なのにどうしてこんなに違うのかとため息が出ます。

プリンス秩父の花嫁SETSUKO

典子さまご結婚記念



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1928年に撮影された勢津子さまの映像です。

1928年9月28日にご結婚されました。
当時、「世紀の大恋愛」と大きく報道されました。
(日本人って「世紀の」ってつけるの好きですね)

松平節子さんは平民出身の外交官令嬢で帰国子女。

結婚にあたり、貞明皇后の「節子(さだこ)」を避けて「勢津子」に名前を変えました。

秩父宮さまの映像はけっこう残っているので、

時間があるときにアップしていきます。



プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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