武蔵野陵参拝

トバモリ―>伊勢の前に昭和天皇と香淳皇后の陵にもお見えになったでしょ。

サキ>うん。あれも、うれしかったなー。アンチに因縁つけられてたから。「武蔵野陵に行っていない」って。

トバモリ―>その日の映像がこれ↓

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サキ>心なしか皇太子殿下が嬉しそうだわ。

トバモリ―>ちなみにね。この時敬宮さまが手を前で合わせていなかったことをアンチが叩いているんだ。

サキ>まあ、そんな小さなことを?そういえば秋篠宮家の方たちは皆さんしているわね。

トバモリ―>でもね、これを見て欲しい。

御陵をご参拝された孝宮和子内親王、順宮厚子内親王、清宮貴子内親王

(昭和25年4月、奈良県高市郡畝傍町で)1950年4月撮影。孝宮和子内親王は12歳、順宮厚子内親王は20歳の時のお写)


サキ>手を前にしていない!そしてかっこいい。

トバモリ―>どうも「手は前」ルールをやり始めたのは美智子さまみたいなんだよね。ほらサーヤの写真見てよ。

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トバモリ―>考えてみてよ。生まれながらの皇族の良子皇后のお嬢様が手を前で合わせていないんだから。

サキ>どちらが正しいかは言わなくてもわかるわね。

皇太子ご一家の伊勢神宮参拝

サキ>とうとう、この日がやってまいりました。いよいよです。

トバモリ―>アンチ―、息してるー?

サキ>トバモリ―、ものすごくにやけているわよ。

トバモリ―>だって、この賑わいだよ。

↓東京駅
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東京駅の歓迎

↓名古屋駅
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名古屋駅の歓迎

↓宇治吉田駅
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宇治山田駅での歓迎

サキ>すごい人だね。マスコミはバッシングしてばかりだから、皇太子ご一家は人気がないとばかり思っていたわ。

トバモリ―>さらに天気にも恵まれてね。昨日の27日の三重県は雷雨を伴う激しい雨で高校野球の決勝が28日に延長されたんだ。

サキ>太陽神であり、皇祖神の天照大御神にも守られているなんてさすがね。

トバモリ―>アンチは武蔵野陵に行かない、伊勢神宮に行っていないとケチつけまくっていたけど、叩くネタが無くなったね。

雅子さまの小学校入学前―ソビエト時代 上―

サキ>どんなお子さんだったの?

トバモリ―>虎の門病院でお生まれになりました。住んでいた場所は世田谷区桜上水。本籍地は新潟県村上市本町380だよ。(注1)母方の祖母にあたる江頭寿々子さんは「大きな赤ちゃん(注2)」だったとお話になっているね。またこうも仰っているよ

===引用はじめ===
雅子は幼時から利発でお茶目さんでいつも「おいた」の種をみつけようといきいきと丸い目を輝かせておりました。二歳七か月で下のかわいいそ双生児の妹が生まれましたときは、ジェネーヴで私が約一か月間、雅子のお守りをし、つづいてモスクワでも一か月近く、楽しく一緒に過ごしました。(注2)
===引用終わり===

サキ>モスクワに住んでいたの?

トバモリ―>お父様の小和田恒さんがモスクワの日本大使館一等書記官として任ぜられたことでね。65年の8月、雅子さまは、1歳8か月だった。家族3人とお手伝いの井上さんの4人でモスクワ市のクツゾフスキー通り7の外国人専用アパートの11階に住んでいた。

サキ>ソビエトの空気を吸っていたんだ。それは日本人では珍しいね。ソビエトと言えば短気な人間には買い物すら大変と聞いたけど。

トバモリ―>そう、小和田家と同じ時期にモスクワに住んでいた方はその生活の大変さをこう語っているよ。

===引用はじめ===
とにかく、物が不足していました。特に食品。よい物を手に入れようと、情報を伝えあう日本人同士のネットワークができあがったほどでした。掘り出し物、たとえば、3月にきゅうりが出たなんていうのは、もう大ニュースで、夫に頼んで車を飛ばして買ってきてもらったこともありました。日本から来る人に頼むおみやげは、大根とか生の野菜(笑い)。薩摩揚げも、さんまのみりん干しも家庭で手づくりした覚えがあります。小さいお子さんがいらっしゃれば、病気、教育と、もっと大変でしょうね」
===引用終わり===

トバモリ―>旅行好きで知られる漫画家の神坂智子先生はソ連時代に旅行した時のエピソードを紹介しているけど、冬のソ連は本当に野菜がなくて、ホテルのレストランの夕飯で出てくるスープの具はキャベツの切れ端と玉ねぎのかけらがプカプカ浮いているだけだった。何日もそれが続くので「野菜を食べたい!」とガイドさんに言った次の日に、引きちぎられた少量のネギがそのまま白い大きなお皿に盛られていたということがあった。コップ1個買うだけで1時間半かかることが普通だった。それだけ厳しい環境で子育てをしなければいけなかった。(注3)

サキ>そりゃ、大変だわ。

トバモリ―>そんな中でも、優美子お母様は躾をきちんとなさっていていね。こんなエピソードがある。ある外交官夫人が小和田家を訪ねた時のことだった。応接間に通されてソファーに座ると3歳になったばかりの雅子さまが「おばちゃま、お紅茶になさいます、それとも日本茶になさいます」と礼儀正しく、正しい日本語でご挨拶をした。これには外交官夫人も感心した。(注4)

サキ>さすが、雅子さま。そこいらの子供とは違う。

トバモリ―>だね。どっかの三児の母や二児の母に聞かせてやりたいわ。お前たちのガキとは違うとね。

サキ>まあ、トバモリー、喧嘩のもとになるからそれまでにして。  

トバモリ―>ロシア語もソ連の子ども達と遊ぶことを通してロシア語を覚えていった。ロシアに住み始めて3か月目には現地の子どもたちと不自由なく会話ができるようになった。物怖じしない人懐っこい性格でみんなから愛されていたんだ。(注5) 

サキ>ご結婚後のサミットでロシアのエリツィン大統領と通訳なしで会話されていたのはこの幼時体験が大きかったんだね。

トバモリ―>66年7月、妹の礼子さんと節子さんが生まれている。モスクワの医療設備が貧しいものだったこともあってスイスのジュネーブにご一家で移り住みました。ご出産後、お父様と雅子さまが先にモスクワに戻られて、しばらくしてからお母様と礼子さんと節子さんが帰ってきました。雅子さまは初めてお母様と離れた生活をしたけど、わがまま言わずにいい子で待っていた。 外交官夫人として優美子さんもパーティーに出席したりと家を留守にすることも多かった。さびしくて泣く妹たちを慰めるいいお姉さまだった。

雅子さま幼少期の映像
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引用文献
注1:『毎日グラフ臨時増刊 皇太子さま雅子さま <ご結婚記念特別号>』 毎日新聞社 1993年6月発行
注2:江頭寿々子著 「こころの往き来」『アサヒグラフ 臨時増刊 皇太子さま雅子さまご成婚』 朝日新聞社 1993年6月発行
注3:神坂智子著『エジプシャン・バクシーシ』 潮出版1991年9月発行  
注4:永井雄一著『小和田雅子さん 素顔の29年』 株式会社データハウス 1993年発行月不明
注5:友納尚子著 『雅子妃 悲運と中傷の中で』 文藝春秋社 2008年7月発行

雅子さまってどんな人?―略歴編―

強調文1963年12月9日  御誕生 東京都港区虎の門病院
体重3870グラム 身長51センチ と平均よりも大きめの健康な身体でした。

・父小和田恒氏の駐モスクワ大使館赴任によりソビエト連邦へ移住(1歳8か月)

・1966年9月  ソ連モスクワ市立保育園入園

・1968年夏  小和田氏国連代表部勤務辞令を受けて米国ニューヨークに移住

・1968年9月  米ニューヨーク市立第81キンダーガーデン入園

・1969年9月  米ニューヨーク市立第81パブリックスクール入学

・1971年3月  東京都目黒区立原町小学校1年に編入

・1971年4月  東京都新宿区立富久小学校2年に編入

・1972年4月  田園調布雙葉小学校3年に編入
      
・1976年3月  同小学校卒業

・1976年4月  田園調布雙葉中学校入学

・1979年3月  同中学校卒業

・1979年4月  田園調布雙葉高等学校入学

・1979年9月  米マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクール2年に編入
小和田氏ハーバード大学客員教授就任によりマサチューセッツ州に移住

・1981年6月  米ベルモント・ハイスクール卒業
         
High Honer student(最優等学生)と認められ、アメリカ政府が優秀な学生に贈る「National Honer Society」受賞。 
在学中、地元紙が年に数回掲載する『成績優秀者』の欄に常に登場していた。
ドイツ語科でドイツ総領事賞及びゲーテ・インスティテュート賞受賞

・1981年9月  米ハーバード大学経済学部に入学
         スタンフォード、スミス両大学も合格していた

・1985/06 米 ハーバード大学経済学部卒業

専攻は数理経済学
卒業論文『External Adjsutment to Inport Price Shocks : Oil in Japanese Trade』   
(『輸入価格ショックに対する外的調節:日本の貿易における石油』) 

成績優秀な学生に贈られる「Magne Cum Laude(優等賞)」受賞
1985年の卒業生は、大学全体で1681人。このとき『マグナ・クム・ラウデ』を受賞した学生は、全学年を合 わせて55人、雅子さまのいた経済学部では3名だった。 

卒業論文の指導教官だったジェフリー・サックス氏の評価(世界的に有名な理論経済学者)

「卒論のテーマは、70年代と80年代のオイルショック後の日本の貿易政策で、輸出を増やして石油を輸入した日本のやり方を分析した。彼女のコンピューター分析は、特に学部生としては高度なものだった。夜遅くまでコンピューターにかかりきりだった姿は忘れません。」       

指導したエズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル教授の評価(『ジャパン アズ ナンバー ワン』の著者)       
「彼女は非常にプロフェッショナルな意識が 強い女性で、よく勉強しました。」

・1986年4月 東京大学法学部三年生学士編入 
        受験者総数約150人中合格者は3名

・1986年6月 外交官試験(外務公務員採用試験Ⅰ種)受験
         この年の競争倍率約40倍だった。合格者は28人

・1986年10月 外交官試験(外務公務員採用I種試験Ⅰ種)合格 

・1986年10月 皇太子殿下(当時浩宮)と出会う エレナ王女の歓迎お茶会にて

・1987年3月 東京大学を中退

・1987年4月 外務省入省
        北米局北米第二課配属 日米構造協議などの経済問題を担当

・1988年9月 オックスフォード大学ベリオールカレッジ留学
        
        外務省在学研修のため 修士課程で国際関係論を学ぶ。
      
・1990年6月 帰国 外務省北米局北米第二課に配属 

 
・1992年8月 皇太子殿下と再会

・1992年12月 プロポーズを受諾

・1993年1月 皇太子妃に内定と報じられる

・1993年1月 外務省退職

・1993年4月 納采の儀

・1993年4月 告期の儀

・1993年6月9日 ご成婚

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n283991より



     

         







はじめに

「平成の皇室は何だかおかしい」という疑問から立ち上げました。

アンチ東宮の皇太子ご一家への批判があまりにも酷く、何も言い返すことができずにいました。

先輩である各サイトの管理人様方には足元にも及びませんが、私の出来うる限りはしたいと考えています。

基本的に登場人物は「サキ」と人の言葉をしゃべる猫「トバモリ―」の対話で進めます。




プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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