「奥尻から何にも学んでないな、バーカ」と言った天皇

こんなコメントを戴きました。

ところで、 天皇が、「奥尻を見習って逃げればよかった云々」というコメントが、いつどこで、どういう言葉だったのか、正確に知りたいです。

私もちゃんと調べねばと思って調べました。

ありましたよ。

天皇陛下お誕生日に際し(平成23年)

(東日本大震災があって悲しかったわーと発言したのち)

歴史を振り返ると,我が国は,今回の地震津波災害とほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29年の「三陸地震」を始めとし,これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙こうむってきました。しかし,時の経過と共に,次第にその記憶や認識が薄れてきてしまっていたように思います。私が津波の恐ろしさに接したのは,平成5年「北海道南西沖地震」のお見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。島は地震と津波で大きな被害を受けており,200人以上の死者,行方不明者が生じていました。少しの地形の違いでも,津波の高さは場所によりかなり違うこと,自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず,歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。記録には津波の高さは青苗の市街地で10メートルを超えた所があると書かれていますから,もしこの度の被災地域の人が,奥尻島の津波災害の状況を更につまびらかに知っていたならば,一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ,より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。この度の津波災害においても,避難訓練と津波教育が十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き,施設面の充実と共に,今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ,災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokanso-h23e.html


これですね。

被災者や遺族の方が聞いたら怒るわ。

これに対してこんなコメントを戴きました。

記事にさせていただいた匿名さまのコメント
(過去記事 被災者の冷静な皇室へのまなざし

それから、天皇の「奥尻を見習って逃げればよかった云々」のコメント。それを知った時(自分はリアルでは聞いていません。後から知りました)。
みんなね、逃げたんです。必死で逃げたんですよ。そりゃあ油断していた人もいたかもしれない。第一波はそれほどじゃなかったから。でも逃げたんです。逃げたけど逃げ遅れた。逃げるより先に津波がきた。
水門を閉めるようとした地元消防団、、住民の誘導をしようとしてその場に残った駐在さん、寝たきりの家族や近所のお年寄りを置いていけなくて残った人達、取り残された人を助けようとして引き返した人達。
避難した先で津波にのまれた人達。
津波は、川を伝って海の見えない山沿いまできたんです。
それなのにどうしてあんな言葉を言えるのか。
慰めているのか、傷つけているのか。


この記事に寄せられた大漁旗さまコメント

友人の実家が気仙沼でした。

家の中に2.7メートルの水が入りました。
水が引いてから見に行くと車が2台家の中に入っていたそうです。
水に流され、炎を上げる気仙沼を見た友人はもう気仙沼は終わりだと思ったのです。

一家は避難所に入りました。
こちらから必要なものは送るから言って欲しいと連絡しましたが、一人当たりの場所はとても小さなスペースで物を置く場所は無く、寒さの対応としてダウンを一枚持ってきたから大丈夫と断られました。
それほど狭い中で数カ月暮らしていたのです。

家はボランティアの大工さんによって半年後にある程度修復されましたが、その段階では泊まることができないため避難所を出ることができませんでした。

その後もテレビでは復興が進んでいると報道があるけれど、あれは一部でほとんどは何もないということです。
一度生産が止まった海産物関係の工場などは流通ルートが途切れてしまい、相手側は新しい取引先を見つけており、再契約をしてもらえないそうです。
そのため生産を開始できても結局廃業するところが多いのです。

また心に負った傷は簡単には治りません。
阪神淡路大震災の傷を未だ抱えている人を知っています。
同じように311の傷は長く尾を引くと思います。


そんな大災害の時に陛下はビデオ撮影をする余裕があるのですね。
噛んだらやり直し、写りが悪いとやり直しをする為でしょうか。
「奥尻を見習って逃げればよかった」と言うのならば阪神淡路大震災の時に多くを学び311で活かせるようにするべきだったのではないでしょうか。


被災地のことを知っている方のコメントは非常に重い。

この現状を知ると如何に今上陛下の発言が軽いかがわかります。

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昭和天皇のちょっといい話―巡幸―

昭和天皇ファンさまからのコメント

「平成の玉音放送」と岩井克己が!
あのビデオレターを「平成の玉音放送」と書いた者がいます。週間朝日で、ライターは岩井克己です。
あまりの浅はかな例えに絶句しました。
災害の内容も規模もシュチエーションも、なにもかも違うのに。

一番違うのは、背後にある「重い決断」「責任感」「国民への強い想い」「悔恨」などだと思います。

止められなかった開戦、戦って散っていった人々に対し、敗戦を認めることの辛さ。「想を致せば五内為に裂く」という気持ちで語っていたのですよね。そして、それでも、日本の運命を変えるのだ、自分は連合軍に殺されても仕方がない、と言う考えで語りかけている。

比べて、震災時のビデオレターは、基本的に他人事なんだよね。「大変な災害が起きちゃったけど、みんな落ち着いてね。僕は心配しているんだから」と言うだけ。この地震も津波も「何故か起きちゃった事」で、祭祀の結果では?とも思っていないし、天皇が何かを変えるわけでも、背負うわけでもない。

「玉音放送」なんて例えに納得する国民がいるわけないよ。でも、書かれて喜んでいる人はいる。
そう、明仁天皇自身です。

偉大すぎた父に対し、理解しようとせずコンプレックスだけ抱いている今上天皇に、何を言えば「最大のヨイショ」になるのか、岩井克己はよく知っていたと思うな。
こんな低レベルの記者に、いいように転がされているのが「平成の両陛下」。

頻繁な被災地慰問の事も、岩井は「平成の巡幸」と書いていたと思う。「慰めてあげてる」平成と、「国民が心配で、お詫びの気持ちをこめて国民に会いに行った」昭和と、何もかも違うのに!



まったく岩井って奴はとんでもねえ奴だな

と思いました。


すると本日読んだ『昭和天皇巡幸』という本に同じ内容の文章が載っていました。

昭和天皇巡幸―戦後の復興と共に歩まれた軌跡昭和天皇巡幸―戦後の復興と共に歩まれた軌跡
(2012/04)
昭和天皇巡幸編纂委員会

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終戦後の巡幸が「昭和の巡幸」なら、東日本大震災に当たっての被災地への巡幸は「平成の巡幸」と呼ぶにふさわしい。
震災五日後の平成二十二年三月十六日、天皇陛下が、テレビを通じて国民をお励ましになるメッセージを発せられたのは、ポツダム宣言を告げる昭和二十年八月十五日の玉音放送を彷彿とさせるものだった。


これ書いたの誰だと思いますか?

正解は竹田恒泰

はああ、と大きいため息が出ました。

竹田君と言えば「男系絶対派」の人ですね。


そんな自分を奮い立たせるためにこの本にあった昭和天皇エピソードをご紹介します。

300万人もの人々が犠牲になった日本。
占領国アメリカの世論は天皇はヒトラーやムッソリーニと同様に戦争責任があると70%を超えていました。
アメリカ国民の三分の一が天皇処刑に賛成でした。
なんとか天皇制廃止を免れた昭和天皇は昭和21年人間宣言をし、日本各地を視察されました。

巡幸の始まる直前、当時の行幸主務官加藤進氏は昭和天皇から巡幸に対する思いを聞かされました。

今度の戦争で、国の領土を失い、国民のなかに多数の死傷者を出し、たいへんな災厄を受けた。この際、私としてはどうすればいいのかと考えたが、結局、広く地方を歩いて遺家族や引き揚げ者を慰め、励まし、元の姿に返すことが自分の任務であると思う。私の健康とか何とかは全然考えなくてもいい、その志を達するよう全力を挙げてこれを行ってほしい
(引用上記本)

平成と違うところは国民の感情も今と全然違うということです。

共産党も調子に乗っていた時ですから、暗殺される可能性だってあります。

国民に「あんたのせいでこんな風になったんだ」と怒鳴られたり、殴られたりする危険性もあります。

そんな人も昭和天皇は「それも国民だ」と受け入れる覚悟があります。

埼玉の農家を訪問した昭和天皇を21歳の若者はこう感じたそうです。

戦争になったということで責任を感じ、国民の被害状況をご視察や、謝罪のお気持ちがうかがわれ、恐れ多い、という気持ちでいっぱいでしたね。

埼玉にて
埼玉にて



千葉県を訪ねた時にはお召列車の中で車中泊もしました。
お風呂どころか寝台だってありません。

それを知った昭和天皇は不満に思うどころか

「戦災の国民のことを考えればなんでもない。十日くらい風呂に入らなくてもかまわぬ」

とお付きの者に言いました。

千葉県にて
千葉県にて


感動的な話

鹿児島から去るときのことです。

陛下をお見送りする時のことです。陛下がお車に乗られたとき、それまでおとなしく並んでいた子どもたちが、とび出して陛下をとりまいたんです。陛下はニッコリ笑われながら、子どもたちの頭をなでられました。そうすると、子どもたちは、「ぼくも、ぼくも」と言うんです。陛下は「よしよし」とおうなずきになり、しまいには、両手で子どもたちの頭をなでてくださいました。

鹿児島にて
鹿児島にて


こういう話を知ると平成の両陛下に心を震わせるものがないのかなんとなくわかります。

天皇陛下、内閣承認をサボる!

前記事の続きです。

天皇には憲法で定められた国事行為というものがあります。

第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

内閣の承認をするという憲法で決められた最重要な公務です。

そうです、やらなければいけない公務です。

これこそご公務です。

それを今上陛下はサボっています。

1993年8月9日に細川内閣が誕生しました。

本当は8月5日の予定でしたが、4日も延びました。

選挙が始まっているのですから内閣を承認する必要があることは誰でもわかります。

にも関わらずベルギー国王の葬儀に出席するためにベルギーまで行ってしまった。

それによって4日も遅くなったのです。



皇太子ご夫妻を代理として出席させて、自分は内閣承認という最重要公務をする

でいい筈です。

自分たちは昭和天皇の名代で散々世界中を歩いていました。

勿論王族の葬儀にも列席していました。

この一回だけではありません。

平成3年10月5日の宮沢政権誕生時、内閣承認が夜9時まで延長されました。

何をしていたかと言うと

京王プラザホテルで開かれた国際周産期学会とその後のレセプションに参加していました。

何故、そんなものに出席したのかというと

学会の会長が筆頭宮妃のお産に立ち会った担当医で、ぜひともお祝いに行きたいと希望したからです。

行く必要のない出歩き公務を優先するために、内閣承認を遅らせる。

松本先生はこんな両陛下をこう評しています。

皇太子時代の天皇が、 「天皇も九時から五時までの勤務になるといい。あとはプライベートな時間をすごしたい」と言ったとのエピソードが、友人によって披露されているが、天皇・皇后はその勤務時間中も半ばプライベートな時間を過ごしているのである。私を大事にし、ロイヤル外交を展開するイギリス王室を理想とする平成の皇室と、昭和天皇が演じていた無私・無為の、そうして米づくりの祭祀者で、民族の見守り手であるという皇室像とでは大きな差異がある。

ああ、松本先生のコメントが重い。

あっ、ちなみに松本先生は女系天皇OK派です。

<補足>
読者さまよりご指摘を受けました。

この問題、日本国憲法に抵触するとすれば、第七条5号だとおもいます。
また、内閣の助言と承認というのは、天皇が内閣に対して行うことではなく、内閣が天皇に対しておこないます。
このコラムを読んだ時に違和感を感じ、憲法の第一章を読み返しました。

松本先生、美智子さまにだって言う!

今度は美智子さまに対するダメだし

美智子皇后は秋篠宮の結婚に際して、「秋篠宮家の繁栄を祈ります」旨の発言をした。家族を大事にするという姿勢は一部に好感をもって迎えられたが、一方で、天皇家が祈るべきは宮家の繁栄ではなく、国民の平安、国家の安寧、民族の永続ではないのか、という疑問を一部に生ぜしめた。

うーむ、松本先生本当に勇気がある。
美智子さまなんて日本一アンタッチャブルな存在なのにバッサリ切っています。
松本先生は美智子さまより一回り下の世代です。
若い人からがんがん言われる皇后も美智子さまぐらいでしょうね。

そのほかにも

皇后は、女性誌であれ一般週刊誌であれ、テレビの皇室番組であれ、「ここは事実と違う。どうしてこういうことが糺されないのか」と頻繁に言うという。いまの写真の件では(ヘカテ―注 キーコさんの手袋で旦那の汗を拭いた写真)、「事実と違う」と言っていないのだから、やはり皇后が引っ込めさせたということになる。「私」を出すことによって、細かいことにいちいち目くじらを立てるといった事態が生じる。つまり、自分の理想とする皇室像というのを明確に持っているため、それにそぐわないものを排除しようとする。その意味では一連の皇室報道は、皇后の理想、事実尊重主義に抵触したのだろう。そんな国民とはもう話をしたくない、というのが今回の失声症だ、と私は思っている。しかし、細かな事実の相違をマスコミと争って何になるのだろう。事実は尊重されなければならないが、一見、無権力であるよに見えても、皇室が目に見えない大きな権威を持っていることは、国民みんなが知っている。そういう皇室が、「ラーメンをつくったのは宮内庁の職員ではなく、私なのに」とばかりに、マスコミと同じレベルで論争するのは、絶大な権力の行使、圧力なのだということに無神経すぎる。「宝島」や「文春」社長への銃弾は、その権力行使を背景に生まれたものだ。

松本先生すごい!
これ本当に勇気ありますよ。
美智子さまは週刊誌レベルと言っていますもの。
「素晴らしい美智子さま」「慈愛の」「祈りの」というフレーズを破壊する松本先生に惚れてしまいそう。

松本健一先生逝去 松本先生が指摘した平成の皇室の問題点

評論家の松本健一さんが死去 北一輝研究で知られる
「評伝 北一輝」などの著作で知られる評論家で麗沢大教授の松本健一(まつもと・けんいち)さんが死去したことが28日、分かった。68歳。前橋市出身。

 1968年東大経済学部卒。旭硝子勤務を経て法政大大学院在学中に刊行した評伝「若き北一輝」で脚光を浴び、二・二六事件の黒幕とされた北一輝を革命的ロマン主義者と捉え直した。石川啄木、大川周明らの思想も研究。日本近現代の精神史からアジア文化論まで広い視野で独自の境地を開いた。

 京都精華大教授、麗沢大比較文明文化研究センター長などを歴任。

http://www.47news.jp/CN/201411/CN2014112801001123.html

松本健一先生と言えば昭和天皇についての著書でも知られています。

今日はその中の『昭和天皇 畏るべき無私』をご紹介します。

昭和天皇 畏るべき「無私」昭和天皇 畏るべき「無私」
(2013/07/24)
松本健一

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昭和天皇が松本健一先生は尊敬されています。

昭和天皇の私の感情を一切出さないエンペラーとして姿こそ天皇とさえ思っています。

ということは私欲丸出しの平成の両陛下に対する視線は厳しいものです。
(第四章「皇室の危機と現代」より抜粋)

平成の天皇・皇后は、わたしの見るところ、こうした天皇制の無為無私の理想と遠いところにいると思う。個人としての好悪の情も比較的はっきり表明する。天皇がまだ学習院の学生だった皇太子時代には「×××さんは民族主義的で、嫌な政治家だ」、「〇〇の書くものは嫌いだ」といった発言をしたと報道しているし、最近も京都御所で「なぜ、私たちまで靴やハイヒールを脱がなくてはいけないのか。脱ぎたくない」と言ったと伝えられた。今回の一連の皇室報道についても、皇后が「幾つかの事例についてだけでも、関係者の説明がなされ、人びとの納得が得られれば幸せに思います」「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」といった要望を宮内庁職員や記者クラブにしている。事実とは違う場合は徹底して争う、という明確な意思表示、自己主張である。
天皇・皇后は政治的な発言も進んでする。即位後の国会では「憲法を遵守する」と宣言した。民主主義の時代にあっては当然のこととはいえ、天皇が「憲法を遵守する」と宣言したことで、諸外国は日本の民主主義権力の中枢に天皇がいるとの理解を、改めて持った。そこで訪中の要請をした中国などは、天皇を「元首」として迎えると言ったのである。そして政治権力である以上、戦禍に対する謝罪も首相ではなく天皇にしてもらいたいというリアクションが、韓国や中国ばかりでなく、たちまににしてアジア中から起きた。当然のことだろう。


うーむ、辛口だ。
週刊誌記者には書けませんよ。
北朝鮮レベルの美談エピソードしか書けない連中と一緒にしてはいけません。
松本先生、度胸がある。

政治的な発言をするとどうなるのかが非常によくわかります。
そして政治的な発言を両陛下がしちゃったことでどういう悪影響を及ぼしているかを知ると本当に恐ろしい。
今も「韓国に行きたーい、謝罪したーい」なんて子飼いの友人記者を通して主張しています。

こんな両陛下を諸外国の権力者と会わせることが如何に危険な行動かが分かります。

これ通訳入れなきゃダメだわ。

美智子さまは「ワタクシは英語が喋れます」アピールしていますが、
そのまま喋らせたらどういう国際問題に発展するのかわかりません。

海外の首脳との会合に日本の閣僚が通訳を入れている理由は英語が話せないというだけではなく、
ついうっかり喋ったことが大問題になる可能性があるからです。

プロの通訳ならそこは訳さず、かつ話が変な方向へ行かないようにするテクニックを持っています。

(雅子さまはそういう現場にいたんです)

麻生さんなんて英語ぺらぺらですが、迂闊な発言が多いので彼には絶対に通訳が必要です。

これだけでも「うわあ、今の皇室大丈夫か?」と心配になります。

残念なことに平成の両陛下のポカエピソードはこれだけではありません。

細川内閣が誕生し、細川護煕首相が最初の内奏をした折にも、「私より若い人が首相になったのは初めてです」と言っている。連立政権ができて、旧野党関係者と言葉を交わせるようになったことについても歓迎しているという。「初めて全国民の代表と接することができるようになった」というわけであろう。それはそれでいいのだが、昭和天皇にはそもそも与党、野党という区分けがあったかどうかも疑わしい。敗戦直後の動乱期、「米よこせ」デモをした共産党に対しても、「あれも日本国民だろう」と言ったほどだ。

「初めて全国民の代表と接することができた」ことを絶対自慢したかったと思います。
「パパの昭和天皇にはできなかったことを出来たんだぜ☆」と嬉しくてベットの上で転げまわっちゃうくらいに。
でも、これも問題行動。

日本国民のみなさーん、
こんな危険人物が日本の天皇陛下ですよー!

被災者の冷静な皇室へのまなざし

先日ご紹介させていただいた匿名さまよりコメントをいただきました。

No title

ヘカテ―様。
自分のコメントが記事に取り上げられていて恐縮しています。

また投稿するのはどうかと思ったのですが、ヘカテ―様の資料の一つにしていただければと思います。


あの日、揺れている最中から停電し、テレビも電話も携帯電話も何も通じない。なにがどうなっているのか全く分からない。次から次にくる余震。パニック状態でした。
そんな中、誰かの携帯電話のワンセグでテレビを受信することができ、近所の人達とワンセグの小さな画面に集りました。
その時画面から流れてきた「天皇陛下はご無事」の言葉。
その場にいた私も含め、全員が「天皇陛下なんてどうでもいい!」と叫びました。災害時、いの一番に守られる、無事で当り前だろうの人のことより、私達が必要としているのはなにがどうなっているのかという情報でした。

天皇皇后が岩手に初めて慰問したのは確か大槌町だったと思います。それまで瓦礫が片付かない片付かないと連日県内ニュースで報道していたのに、天皇皇后が慰問に来るということでそこだけきれいに片付けられたそうです。
それを聞いた主人、冗談まじりに
「なんだよ、やればできんじゃん。この際天皇にあちこち全部回ってもらえば瓦礫片付くんじゃね。」
それに対して私
「片付けないで、そのままの現状をみてもらったらいいのに」
主人
「天皇の慰問なんて、仕込みのやらせに決まってんじゃん、前からそうだろ」と冷めていました。
それからも慰問のニュースは何度かあったと思いますが、自分達の生活と再開した勤務先の仕事で精一杯。それどころではありませんでした。


今年に入ってから天皇皇后が隣県に慰問か訪問に来たのですが、私の会社の同僚は「来なくていい」と一言。そして話題になったのは

天皇皇后が新幹線で帰京する→うちの地元の駅を利用する→交通規制がかかる→渋滞する→帰りが遅くなる→困る 

更に復興事業の工事に携わっている主人
2,3日前から警備の準備の為、現場への立ち入り制限→仕事が遅れる→当日も立ち入り規制→仕事にならない→交通規制→渋滞→困る
でした。

被災地慰問DVD → いらない。または知らない。

天皇皇后だけでなく、皇族方の慰問で慰められ励まされる人も確かにいます。それはそれでいいことなので、慰問そのものを否定する気はありません。
でも、それが回数だの、美談だの感動だのと記事になっているのを見ると、白けてしまうんですね。被災者(この言葉嫌いなんですけど)の方をちゃんと見てます?と聞きたくなるんです。

それに、現地はまだ混乱したまま、余震も続いている、またいつ大きな地震があるか分からない、津波がくるかもしれない。
そんな時期に来られてなにかあった時、一番お荷物になるのは偉い方なんですよね。だって優先して守らなければいけないから。自分達を守る為に誰かが犠牲になったらどうするんでしょう。そういうことまで考えたでしょうか?

それから、天皇の「奥尻を見習って逃げればよかった云々」のコメント。それを知った時(自分はリアルでは聞いていません。後から知りました)。
みんなね、逃げたんです。必死で逃げたんですよ。そりゃあ油断していた人もいたかもしれない。第一波はそれほどじゃなかったから。でも逃げたんです。逃げたけど逃げ遅れた。逃げるより先に津波がきた。
水門を閉めるようとした地元消防団、、住民の誘導をしようとしてその場に残った駐在さん、寝たきりの家族や近所のお年寄りを置いていけなくて残った人達、取り残された人を助けようとして引き返した人達。
避難した先で津波にのまれた人達。
津波は、川を伝って海の見えない山沿いまできたんです。
それなのにどうしてあんな言葉を言えるのか。
慰めているのか、傷つけているのか。

でも、私はこうして天皇皇后、皇室について関心を持っているからこんな風に考えますが、主人をはじめ大半の人達はそれほど興味も関心もないというのが本当のところのようです。


長々をかいてしまいました。分かりづらいところ、不愉快な思いをさせてしまうところがありましたら、どうぞご容赦くださいませ。



貴重なお話をありがとうございます。

平成の慰問は考えなおさなければいけませんね。

現地の人の声は私が想像していた以上に冷静でシビアです。

慰問は好きで行っているのですから、それを美談にしようとするのはムシがよすぎます。

慰めているといい気分になるし、めったにみれないものも見れるし、気に入らない人間を叩けるし最高!慰問万歳!

と思っていないことを祈ります。

デザイナーに問いたい

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Japanese Crown Prince Naruhito With Parents Prince Akihito and Princess Michiko In 1960
http://www.gettyimages.ca/detail/news-photo/crown-prince-akihito-with-wife-crown-princess-michiko-with-news-photo/140075432


海外のサイトで見つけた一枚

抱っこされているのは浩宮さま

はい抱っこしているママに注目

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なにその帽子

どう考えてもデパートじゃ売っていないものです。

それとも勢津子さまや喜久子さまに苛められてこんな帽子を被らされたのかしら

浩宮さまの抱っこの仕方がぎこちないような気がするのは私が意地悪なだけでしょうか

昭和天皇のちょっといい話―良子さまへの愛―

素敵なお話を戴いたのでご紹介します。

ガーネットさまコメント

昭和天皇、香淳皇后の名誉を守る!

昭和の皇太子妃は
「宮中の古くからの慣例を打破する1つとして、乳人を頼まずに、自分の母乳を与えた。 なんて素晴らしいんだ!」
と賛美されました。

でも昭和天皇は
「夜は乳人が与えたが、昼は良宮も乳を与えたよ」 と仰った。
(私は、これは昭和天皇が香淳皇后の名誉のために発言されたのでは? 平成の皇太子殿下が人格否定発言されたのと同じでは? と思っています) 

でも、この発言は大きく取り上げられず、非常に残念に思います(それほど、昭和の皇太子妃は無条件でageられまくっていた、と考えられます)

以前に読んだ歴史読本という雑誌に、侍従(?)が
「陛下が皇后さまと御所で散歩されて、皇后さまが後ろを歩かれていた時です。水たまりがありまして、陛下は後ろを振り向いて皇后さまに 『良宮、そこに水たまりがあるから気を付けてね』 と仰ったのです」
というエピソードを紹介していました。

昭和天皇のエピソードって自然体で、ほんわり暖かい気持ちになりますよね。


ガーネットさまのお話を伺うと「昭和天皇っていいご主人だったんだなぁ」としみじみ思います。
もう、涙が出そうなくらいいい話です。
べたべたしなくても愛情あふれる家庭だったことがわかります。
なんでこのご夫婦の跡取り息子がアレなのか不思議です。
良子さまが言い返さないことをいいことにやりたい放題言いたい放題していた昭和の皇太子夫妻にご夫婦ともに苦労されていたんですね。

満天星さまコメント

パリのエピソード

私の好きな昭和天皇のエピソードはご成婚前のパリのお土産屋さんでのことです。

「山本、このエッフェル塔の模型を飼ってお寄与」と命じ、続けて「あのー、良子さんに・・・それから秩父さんやみんなにネ」

まず香淳皇后なのねぇ、とほんわかした気持ちになりました。
昭和天皇のエピソードはいいものばかりですね。


お二人ともありがとうございました。

テニスコートの出会いなんかよりも素敵なエピソードをありがとうございます。
昭和天皇の結婚は勿論純粋な恋愛結婚ではありませんが、やっぱり良子さまが好きだったんですね。
良子さまもその点は幸せだったと思います。
良子さまが立派な女性だったから昭和天皇もより立派な天皇にだったのかもしれません




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常陸宮さまが肋骨骨折されていました

転倒の常陸宮さま、肋骨を骨折…全治1か月前後

読売新聞 11月25日(火)19時59分配信

宮内庁は25日、常陸宮さま(78)が左肋骨(ろっこつ)1本を骨折し、首と左足首を捻挫されていたと発表した。

常陸宮さまは20日、東京都渋谷区の宮邸の階段で転倒し、同区の日赤医療センターに入院。検査の結果、異常はなかったとして21日に退院されたが、23日に各部に痛みを訴えたため、25日に同センターで再受診した。全治1か月前後の見通しで、患部を固定し、宮邸で静かに過ごされるという。
.
最終更新:11月25日(火)19時59分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141125-00050108-yom-soci

過去記事 検査入院された常陸宮さまが退院されました。

もうすでに何通かコメントをいただいておりますが、

常陸宮さまが肋骨を骨折し、首と右足首を捻挫されていたことが発表されました。

おいおい、異常なしという発表は何だったのかい

常陸宮家と言えば

両陛下にとっては

兄よりも仁徳がある宮さま

美智子さまよりもかわいがられた華子さま

まあ、はっきり言ってコンプレックスですね。

じゃあ、その息子の秋篠さんはどうかと言えば

華子さまの筆頭宮妃へのシッシ事件が頭をよぎります。

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(手袋シッシ事件・・・平成22年の新年一般参賀での出来事。この動画の1分50秒くらいの時に見られる一連の事件。嫁いで20年以上になるのに、まだ立ち位置を覚えず足の悪い常陸宮さまの進路の邪魔をする筆頭宮妃を華子さまが手袋でシッシと払った。その後、麗しの華子さまスマイルで雅子さまに話かけた)



これを見た時は「華子さまカッコいー」と叫びました。

平成の筆頭宮妃に対して

「あの方は筆頭宮家のことを分かっていない。今からそれじゃ先が思いやられる」

という評価をしたと聞きました。

常陸宮ご夫妻には長生きしていただかないと皇室の権威が失われてしまいます。

ちょっと、医療関係者!

しっかりしてよ!

昭和天皇のちょっといい話―お粥―

昭和天皇の良子さまへの愛が感じられる話

昭和29年8月 

昭和の両陛下は北海道をご訪問されました。

ところが良子さまが阿寒湖遊覧でお風邪を召されてしまいました。

夕食にお粥をお出しすると昭和天皇が言いました

「私もお粥にしてもらいたい」

良子さまへのいたわりからお粥を所望されたのです。

(参考文献 『河出人物読本 天皇裕仁(新装版)』 昭和63年8月25日 河出書房新社 )

プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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