fc2ブログ

列外派星くず日記

―令和の天皇ご一家を愛する者たちが集う皇室ブログ―

Archive [2018年07月 ] 記事一覧

「東宮家の陰謀論」の言い出しっぺはやっぱりこいつでした

読者さまからいただいたコメントでまーた下郎下女の親玉の悪行が判明しましたお笑い有子さまコメントウチは娘が巫女になる程の家なんだからね!(高清水某)某公民館での『◯◯◯有子先生勉強会』に行ってきましたが、眞子さんの結婚は東宮家の謀略なんだそうです。(大笑) そして時間内に『娘は巫女なので!』を何度も叫び、神道と繋がりの深い家を鼻高々にアピールしていました。あの人、ただのリポーターですよね?いつの間に『皇室評...

災害被災地の行政の負担になるからと岡山行きと中止された皇太子殿下、何でも早ければいいと思ってるアホのアーヤ

皇太子ご夫妻は水害被災地の一つである岡山県の各機関が業務に集中できるようにと岡山県ご訪問を中止された。ヘーセー名物「混乱してる被災地から来ないでくれと言われても行く慰問ツアー」を次の天皇皇后両陛下となる皇太子ご夫妻はされなかった。さすが皇太子ご夫妻と誇らしく思いました。実にスマートな対応です。混乱してる被災地に皇族が行くと、ただでさえ忙しいのにそれの準備をしなければならないから本当に止めてくれと何...

『楠田實日記』を読む

八つ橋さまコメント三島と総理の会話楠田實って佐藤栄作首相の秘書官だった方の日記に、作家三島由紀夫と佐藤首相の会話が載っていたので引用します。三島「今の皇室は羹にこりてなますを吹いている。小泉信三氏のやり方は皇室からディグニティをなくした。バイニング夫人の起用然り。美智子さんを押し付けたの然り」。総理「山岡鉄舟みたいな人が必要だね」。三島「確かにそうです。いまの皇太子も、万事お付きの人の顔色を見てや...

アメリカの大学にまで恫喝を入れる秋篠宮家

宮内庁(というかキーコさま)が文句を言ったのでアメリカの大学にまで恫喝を入れる秋篠宮家というかフォーダム大学が「プリンセスマコの婚約者」と書いても文句は言えない婚約内定記者会見をしたんだし、結婚延期になってからも警備は付いている。アメリカの大学にまで文句を言う皇室って日本国民として恥ずかしい。こんな醜聞を晒してるんだから秋篠宮家は謝罪記者会見を開くべきだよなマスコミやアメリカの大学に文句を言ってる...

三歳の翁、百歳の童子とはまさにこのことだなーと思う

まーた宮内庁経由でミテコさまが週刊誌に文句言ってます。「サンデー毎日」(平成30年7月1日号)の記事について平成30年7月18日サンデー毎日7月1日号の「勁つよき声~美智子さまとその時代」と題する工藤美代子氏の連載(第3回後編)において,東宮妃殿下時代の皇后さまにお仕えした故牧野純子東宮女官長(以下「故女官長」という。)の友人の娘で,97歳になる「香子」という仮名の人物が,自分の母親又は故女官長から直接聞いたと...

敬宮さま いってらっしゃいませ

敬宮さま お元気そうで何よりです。イートン校で精神的に一回り大きくなってお戻りになると期待しています。英語漬けで大変だとマスコミや皇室ジャーナリストは書いてるが、オックスフォード大学で学び世界のVIPと英語で会話をされる皇太子殿下とハーバード大学をマグナクムラウデで卒業された雅子さまの血を継ぐ敬宮さまが英語が堪能じゃないわけないだろうが!!小学生時代から学習院女子大の英語サマースクールに通われてい...

スケールが大きすぎる金遣いをしていた明仁皇太子夫妻

小田部雄次氏の著書『昭和天皇と弟宮』という本を買って読んだら偉いことが書いてあった。明仁皇太子一家は夏になるとほぼ毎年奥浜名湖にある保養所に数日滞在していました。この保養所というんは平野社団が所有するものです。静岡銀行の基礎を固めた平野又十郎が設立したのが平野社団。皇太子時代の大正天皇や皇族方が多く宿泊しています。そういう縁もあって選ばれました。ここに滞在する目的の一つは浩宮さまの水泳訓練です。著...

これだから「昔と近頃とでは時代が違う」と喜久子さまの妹さんに言われちゃうんだよ

眞子丼が自分のことで騒々しい日本からバックレてブラジルに行った日に宮内庁はまーた意味不明なことをしていた「何これ?」婚約内定記者会見やってよね?キンジョーの許可もらったんだよね?だったらフィアンセって書いたって問題ないよね?なのに「納采の儀が終わってないから婚約者じゃない」っていうのはおかしくないかい?3DKのボロ賃貸から嫁いだあのキーコさまですら、納采の儀前に婚約者とマスコミは書いたぜ!(ちなみ...

『徳川おてんば姫』 結 ヘーセー四人組よ!高松宮ご夫妻に対して恥ずかしいと思わんのかね?

井手久美子さんの著書『徳川おてんば姫』には戦後の高松宮ご夫妻についてこのように書かれています。「戦争に負けたのに、私たちがこんな大きなところに住んでいてはいけない」有栖川宮邸から高輪御殿(現在の高輪皇族邸)に移られていた殿下と妃殿下ですが、昭和二十一年(一九四六)、道ひとつ隔てた「表」の責任者が住んでいた小さな官舎に引っ越されました。ですから、両殿下が高輪御殿にお住まいになっていたのは戦後はわずか...

『徳川おてんば姫』 喜久子さまの妹君が歩まれた激動の昭和

徳川久美子さんが女子学習院を卒業されたのは昭和16年当時の女子学習院では卒業と同時に結婚する方がほとんどでした。(中にはお茶の字水女子大などに入学する方もいた)縁談は全て周りが決めるものでした。このように久美子さんは仰っています。どういうところにお嫁に行きたいなんてものは本人にはございませんで、すべて周りが決めるものでした。大抵、十五、十六歳になると、親や親戚がご縁のあるところでお相手を探します。...

ご案内

プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
東宮応援派のハマコー改め新天皇応援派のハマコー
新天皇皇后両陛下並びに敬宮殿下を愛する鎌倉市民だにゃー
写真は悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@yahoo.co.jp
弁えずにジャンジャン発言します

コメントする際には絶対にメールアドレスを記入しないで下さい!!

最新記事