朝日新聞と懇意なのはお姑さんと同じで~す

朝日新聞と懇意だった秋篠さんちの母ちゃん

朝日の記者に礼宮との交際をリークし続け、喪中婚約をスクープさせ、朝日のIという記者にフカヒレラーメンを奢ってもらったという話は有名ですね。

さて、朝日新聞と懇意だったのは川島さんちだけではありません。

朝日新聞の記者だった佐伯晋氏がこんなことをプロフィールにしています。

花の雑学 三水会便り)より

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はい注目!

「‘58年皇太子妃取材チーム員(正田家に唯一出入れを許される)」
正田家に唯一出入りを許されたのは朝日新聞の記者でした!

ただ、この記事で気が付いたことが一つ

美智子さまの前にKさんという華族の人が有力候補でした。

それでは、なぜ、この10月27日に皇太子さんが美智子さんを誘ったのか。ここで、私は選考首脳の最初の動きが察せられるところです。田島日記にKの名前が出てきます。このKには、田島さん自身は大賛成となっています。Kには思い当たる名前があります。

  しかし、まだ生存されている人ですから(笑)、あえて伏せておきますけど、華族のご出身。ただし、守旧勢力が当初、皇太子さんの相手としてはこの範囲でと言っていた、旧華族というのか、明治の皇室典範時代の規定には、「皇族のお妃には、皇族か又は特定の華族」とある。

  特定の華族というのは、たとえば五摂家の子孫だとか、それから徳川家関係、それから大大名だったもの。小大名は、もう相手にしてもらえなかったのですけど、K嬢は、華族創設のときになった旧華族と違う、まあ新華族ぐらいでした。しかし旧華族のイメージを持っていたわけで、このKと、それから少し後に出てくるHがありますが、いずれも松平信子さんの推薦です。
 
 このころは、行き詰っていて、松平さんも特定の華族という主張を少し譲歩したけれど、しかしやはり華族出身に強いこだわりをもって、それで、新華族のKさんはどうだ、という話ですね。それで多分、この10月21日より少し前に、松平さんが宇佐美長官、黒木侍従に推薦したと思われます。ところが、宇佐美、黒木両氏にしてみると、さんざん、努力してきて、おそらくこのKなんかも、検討済みだったと思います。ですから、これは、本来は、ダメだと言いたいのですが、とにかく腫れ物をさわるように扱わなきゃならない松平さんのことだから、一応、調べることにしようと顔を立てているんですね。


Kさんが候補から落選した理由は係累に色盲がいたためです。

それで、Kについては、果たせるかな、その後、ダメになりました。これは具体的には、係累に色盲が出たというのが理由でした。色盲というのは、皆さんご存知でしょうけど、昭和天皇の皇后、久邇宮家からの良子さんについて、宮中某大事件といわれたことがあった。要するに、良子皇后の弟が弱視だったので、山形有朋などが猛反対して、辞退させようなんていうことになって、大騒動になった、このトラウマがありますから、この色盲というのは、これは一発でダメだろう。まあ、ひどく悪く考えれば、黒木侍従は、そのへんまで見越していたんじゃないか、というぐらいの感じはします。そして、33年1月25日に最終的にKはダメだということになりました。
ここで黒木侍従は、皇太子さんに、二つの働きかけを。一つは、「あの正田さんの写真、ご本人に送ってあげたらどうです?」と皇太子さんに持ちかけた。皇太子さんは、「それはいいな」と言うことで、当時から間に立っていた学友の織田君を通じて、2月に正田美智子さんに届けている。私が美智子さんの部屋を見せてもらった時に拝見しましたが、美智子さんは、大事に自分の居間の本棚の上に、その写真を飾ってありました。それが一つの働きかけと、もう一つ、ほぼ確かだと思いますが、黒木侍従が皇太子さんに「小泉さんに、正田さんを調べてみることをお願いしたらどうですか」と助言したようです。


うーん、ちょっとひっかるぞ。

というのも美智子さまも父方のおばさんに知的障害の方がいます。

また、美智子さまの父方の祖父母はいとこ同士の結婚で、結構血が濃いのです。

(まあ、田舎だからね)

なぜ正田美智子嬢が皇太子妃になれたんだろう。

そこには正田家側の積極的な動きがありました。

それで、皇太子さんは、小泉さんに、その通り伝えるのです。それが1月25日にKがダメになって、間もなくのことですね。黒木侍従は、ここを見計らってプッシュしているわけです。しかもですよ、同じ頃、皇太子さんが、麻布の東京ローンテニスクラブに特別会員として入会した。それまで皇太子さんは、皇居の中のテニスコートと、他は、さっき言った日本郵船のテニスコート。オープンではない場所でしか入ってなかった。東京ローンテニスクラブは、会員制ではありますけど、かなりオープンなテニスクラブです。ここは小泉邸から歩いて5分ぐらいのところにあった。小泉さんは、クラブの理事にもなっている。そこへ入会させているわけです。その後、調べてみると、小泉さんの紹介で入ったということは、はっきりしています。しかもしかも、ほとんど同時に、正田美智子さんが同じ東京ローンテニスクラブに入会している。それは知人の勧めでありました。

狙い撃ちだ!

「本当にたまたま同じテニスクラブに入会しただけなんですー」というにはちょっと苦しいぞ。

そもそも美智子さまはことごとくお見合いに失敗していた方です。

三島由紀夫もお見合いをしたけど断りました。

大学の同級生はもう結婚してお子さんがいる方もいらっしゃったのでしょう。

行かず後家と陰口を叩かれる身分から一発逆転するにふさわしい相手が、皇太子です。
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割れなべに綴じ蓋

残り物同士の婚姻なんですね。それにしても、松平さんには本当に失礼なことしてたんですね。昭和天皇、小泉さんがこの婚姻をなぜ認めたのか、結果的浩宮さまがお生まれになったから良しとしても、なぜ、正田美智子嬢を選んだのか、そうするしかなかったのか、これは昭和史の闇ですね。

Kさん?

この人、正田家に入り込んで、例のマリアベールを被った正田美智子の写真を撮った人ですよね。

さて、昭和の皇太子のお妃にほぼ決まってたと言われるKさんで思い浮かぶのは、北白川肇子さん。
ただ、それだと

>あえて伏せておきますけど、華族のご出身。

に当てはまりません。
旧華族ではなく、旧皇族です。

ましてや

>K嬢は、華族創設のときになった旧華族と違う、まあ新華族ぐらいでした。

だと、北白川さんはありえません。
新華族と言われるのは、維新の元勲とか、財閥系とか、軍功があった軍人とか・・・

個人的には北白川さんが昭和の皇太子との縁談を受けるだろうかという疑問があったので、こっちのほうが本当っぽい気もするのですが。
Kさんってどなたでしょうね。

正田美智子は、軽井沢では有名な女性だった。

昭和33年の話だからね。

若い女性が、ましてや嫁入り前の女性が腿を出してテニスをする。
西洋人が主導した軽井沢では大目に見られていた。

でも、それは「テニスコートだけ」での話。

テニスコートの外に出たら、テニスウェアではなく、普通の服を着るのが「令嬢としてもマナー」だったのね。

でも正田美智子はテニスウェアのまま自転車に乗っていた。
当時を知る人が教えてくれましたよ。「有名だったのよ、あの人。テニスウエアのまま外に出て、しかも自転車こいで走り回ってる。はしたない娘さんってね。」

そんなのだから、お見合いしても断られたんじゃないかしら。
三島由紀夫が残念がっていたなんて書かれているけど、本当に「正田美智子さんを妻に迎えたい。」という気持ちがあれば、「小料理屋の2階」でお見合いなんかしないでしょ。
帝国とかオークラで部屋を取って、そこでお見合いするでしょうに、小料理屋でしょ?


>狙い撃ちだ!
>行かず後家と陰口を叩かれる身分から一発逆転するにふさわしい相手が、皇太子です。

これが真相だと私も思うよ。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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