大統領は暇人ではない

話尽きず「今夜の晩餐会でまた」 両陛下と比大統領(2016/01/27 18:02)
両陛下は大統領と懇談されました。この場では、日本とフィリピンの経済関係や
54年前に両陛下が訪問した時の話などが話題に上がったということです。
懇談は時間を延長して行われましたが、話が尽きなかったため、大統領が
「また、夜の晩餐会(ばんさんかい)でお会いしましょう」と言って終了したということです。

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000067066.html

これに対してのお噂スレの反応

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/27(水) 21:17:29.35 >
>500
年寄り相手の会話は、半分くらいはかみ合わないだろうし、同じ話を繰り返したりとか、頓珍漢。
疲れると思うわ。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/27(水) 21:18:16.88
相手の立場を考えて行動してくれよ
大統領は爺婆の話相手ではありません
こりゃやっぱ両方呆けてる

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/27(水) 21:22:55.96
>>502
アキノ大統領、半世紀以上も前の話を延々と聞かされたのね…。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/01/27(水) 21:23:40.98
賢いお年寄り程、年寄りの話は面白くないからと謙遜して引き目なんだけど
遠慮が無いってみっともない


ヘカテーも同感です。

大統領は忙しいんだから時間を考えて話せばいいのに。
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夜のニュースで放送していたこと

フィリピンと日本の友好は、
明仁皇太子と美智子妃(当時)が訪問したからではない。


キリノ大統領は、
反日感情が強いなか、
戦犯として収容されていた日本兵を恩赦した。

その解放を嘆願し続けたのは、
加納 辰夫という日本人画家。

その恩赦から数年経ってから、
明仁皇太子と美智子妃がフィリピン訪問したのであって、
フィリピンと日本が友好化したのは、
明仁皇太子と美智子妃の慈愛でも奉仕でも皇室外交でも何でもない。

明仁皇太子と美智子妃のフィリピン訪問を読み返してみると、
そこには戦没慰霊など全く見えてこない。

見えてくるのは、
フィリピン旅行できて嬉しいという、
はしゃぎっぷりのみ。

平成になって、
両陛下が慰霊の旅だの忘れてはならないだの言いながらフィリピン旅行しているのなら、
どうして明仁皇太子同妃時代に慰霊という言葉を出さなかったのか?


フィリピンが日本に願っているのは、
南沙諸島を取り返すためには、
中国を追い出したい。

しかしフィリピン単独では無理なので、
アメリカの助けがほしい。

それにはアメリカと同盟を結んでいる日本を利用したい。

天皇(特に皇后)の言うことなら、
日本政府は受け入れるだろう。


そういう計算で、
両陛下をフィリピンに招待しているのではないだろうか。

招待なのか、押しかけなのか。

慰霊という名目だから言えないのかもしれませんが、招待する側がこれからは「天皇皇后、秋篠宮夫婦以外」という条件つきで招待してほしいですね。今回だって もしかしたらアキノさんほ皇太子ご夫妻にきていただきたかったと思うのですが、、、。

何となくですが、最近、西欧からお誘いが無い様な気がしませんか?
昭和天皇はそんなにキャピキャピ外遊はされず、多くは皇太子が名代でしたね。名代で受けた栄誉を忘れられず勘違いしておられるのでは?
残念ながら、昭和天皇のカリスマ性は真似できません。
大統領には、素晴らしい対応をして頂き、有難い事です。

受け入れ側も大変なんですよ

秋篠宮夫婦がブラジル訪問したときも、大統領は遅刻してきましたよね。
本当に忙しいんですよ。
本当は相手なんてしたくなくても、外交問題になるからそれも出来ない。
アルジャジーラではフィリピン人慰安婦の問題で、リョーヘーカに向けて抗議のプラカードを掲げた人が報道されています。
戦後補償に関しては、終わった話ではないのです。いまだに政治的な問題なんです。
物見遊山気分で行かれても、両国にとっていいことなんてないんですよ。

54年前

54年前、最初は2月にフィリピンを訪問する予定だった。
昭和33年10月、フィリピン大統領が国賓として来日、その答礼で天皇陛下の名代としてフィリピン、そして同じくパキスタン、インドネシアを訪問することになった。その予定は次のようなものであった。

1/22 10:30 羽田出発。17:40 カルカッタ到着。
      知事主催の非公式夕食会。(カルカッタ泊)

1/23 午前在留邦人と会見
   11:00 カルカッタ発 14:00 カラチ着
   17:00 市民歓迎会、大統領主催の夕食会。(カラチ泊)
1/24 午前、建国の父ジンナー霊びょうを山田東宮侍従長代拝
   ご夫妻はカラチ市内と国立博物館見学の後、在留邦人と会見。
   インドから追われてきた難民が集まっているコランギ地区視察
   大使レセプションに出席後、夕食会主催(カラチ泊)
1/25 9:30 カラチ発 12:40 ベシャワル着
   ジャムルッドでしゅう長からヒツジをうけられたり、カイバル峠をご覧
   西パキスタン州知事主催の夕食会に出席(ベシャワル泊)
1/26 博物館見学のあとラホールへ
   16:00 市民歓迎会、
   西パキスタン州知事主催の夕食会(ラホール泊)
1/27 10:00 寺院、トリデなどラホールの史跡見学
   午後はとくに希望されたポロを見学
   夜はミュージカル・バレー観覧(ラホール泊)
1/28 11:25 ラホール発 16:46 ダッカ着(ダッカ泊)
1/29 10:00 工場見学、クルース川舟遊
   ブリガン川で漁業見学
   午後 在留邦人会見、 市民歓迎会、
   東パキスタン州知事主催の夕食会 (ダッカ泊)

1/30 8:30 ダッカ発 17:00 ジャカルタ着 (ジャカルタ泊)
1/31 午前 大統領訪問、
   独立戦争犠牲者のカリバタ英雄戦士の墓参拝
   午後 ジャワ・サラサ西方のパティック見学、
   大統領の答訪を受けられる
   夜 大統領主催の夕食会、舞踊見学 (ジャカルタ泊)
2/1 午前 在留邦人会見、市内見学
   午後 自動車でボゴールへ
   大統領別邸の熱帯植物園見学 (ボゴール泊)
2/2 自動車でバンドンへ、市内見学、養魚場視察   
   16:30 飛行機でバンドン発 
17:50 古都ジョグジャカルタ着、
   影絵芝居をご覧 (ジョグジャカルタ泊)
2/3 午前 ヒンズー文明の遺跡ボロブドール、メンダットの寺院訪問
   午後 大統領さしまわし機でバリ島へ (バリ泊)
2/4  午前 年に1度行われるアレゴリック・パレード
       (人間の一生を描いたパレード)
       市内見学
   夜 舞踊御覧  (バリ泊)
2/5 10:15 バリ発ジャカルタ着
   午後 とくに希望された社会施設見学
   夜 夕食会を主催  (ジャカルタ泊)

2/6  9:30 ジャカルタ発 16:00 マニラ着
   大統領訪問、大統領主催の夕食会  (マニラ泊)
2/7  リサール記念碑参拝、上下両院訪問、社会施設見学、
   国立大学訪問
   とくに希望されて独立の父アギナルド将軍と会見
   マニラ麻工場、淡水魚養魚場、研究所、水族館視察 (マニラ泊)
2/8  汽車でバギオに向かい、明治時代日本人が作ったペンゲット道路視察、
   陸軍士官学校訪問、バギオ市長主催レセプション (バギオ泊)
2/9  バギオで休養 (バギオ泊)
2/10 マニラに帰り、夕食会主催 (マニラ泊)
2/11 大統領主催の朝食会
   11:00 マニラ発 16:00 羽田着

はあ~、転記しながらイヤになったわ。この人たち、昔も今も、民衆の前に姿を見せて歓呼にこたえるのが親善と思っているらしい。

しかし、皇太子が高熱を出し、フィリピン訪問は延期になったのである。

1962.02.05 皇太子さま、39度の発熱-比国入り見合わせ
1962.02.06 比大統領、遺憾の意
「フィリピン政府は皇太子ご夫妻の訪問に備えて年初から準備を整えていた。ご夫妻のパレードの道筋のアーチはすでにできあがり、各種行事への招待状もすでに発送ずみであった。またもっとも厳重な警備の手はずも整えられていた。」

東京は冬、パキスタンは晩秋、インドネシアは夏、フィリピンは春、と気候がまちまちなので荷物も増え、随員はてんてこまい。欲張ってあちこち観光地をめぐったあげく、高熱出してキャンセル、フィリピン大統領が劇オコ、が真相だったのね。

道中、ずっと発熱していた皇太子の代役を8つ、美智子妃が立派に務めたとか。ヒンズー文明の遺跡見学など。

2月5日、ジャカルタには戻らず、9日までバリに滞在、予定を1日早めて10日に帰国した。9日には美智子妃も高熱を出し、空港には正田富美さんもお出迎え(英三郎氏は流感のため欠席)、痩せこけた娘を見て目をしばたかせたそうな。

1962.02.06 早急に改めて比国訪問
1962.02.07 天皇、比大統領に謝電
1962.02.13 比国訪問は来月?-比国外務当局語る
1962.02.23 比国訪問は来月?-来月中には実現へ
1962.03.03 訪問延期-訪比で比国大統領語る
 大統領は、3月は重要な国家の政務とぶつかると述べ、訪問延期を要請したといわれる。
1962.08.18 比大統領、訪比を受諾
1962.08.24 11月5→10日に訪比-延期以来半年ぶり

すぐにフィリピンを訪問しようとしたが、3月がダメなら4月も同じようなもの、5月になったら暑くなる、ということで延期、結局フィリピン訪問は11月になったのである。

2月24日から3月5日までは葉山の御用邸、8月2日から7日までは浩宮の”夏の海浜生活”のために、葉山の海はよごれてますでしょ? 沼津の御用邸で静養しましたの。8月10日から30日までは軽井沢でテニスやドライブを楽しみましたわ。体力の増強につとめなきゃ、また中止になったら困りますものね。結局、その年の11月に改めて訪問しましたけれど、美しいアテクシはフィリピンの人たちを魅了しましたの。

当時の朝日新聞社説:「いま国民は、この若いご夫妻に、あかるい日比関係の将来への祈りをかけているのである」

(以上、すべて当時の毎日新聞、読売新聞、朝日新聞の記事がソースです。)

いま、私たちは、この年老いて呆けた夫婦に、いったいどんな将来を見出そうというのだろうか。慰霊なんて、結局、外国に行きたいための名目でしょう。どこからも声がかからないから。



アキヒト・ミチコのお勉強レベル

NHKで、前回リョーヘーカがフィリピンに行ったときは慰霊碑がなかったため慰霊がかなわなかった、とか繰り返し言ってるけれど、国立の立派な慰霊碑ができたのは確かに昭和48年です。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido01/ireihi02.html

でも、当時からフィリピンには慰霊碑がいっぱいありました。
http://www.pwmemorial.gr.jp/index3.htm

昭和37年1月の東南アジア3ケ国訪問前、11月のフィリピン訪問前の記者会見をもう一度見てみましたが、慰霊のイの字も頭になかったと思います。

外国旅行の前にはお勉強をしたそうです。以下、読売新聞から抜粋。

・昭和42年1月19日記者会見

-ご訪問の目的、意義について。

皇太子 三か国大統領の日本訪問に対する答礼の意味ですから、やはり相手国との親善が第一だと思います。できる限り相手の国を理解し日本をも理解してもらうよう努めたい。

-ご準備は。

皇太子 東大名誉教授の岩生成一さんなどから話を聞いたり、世界文化史大系を読んだりです。

美智子妃 このまえ外国旅行のとき日本のことを聞かれたので、こんどは高等学校時代の日本史の本を読みました。


:(あとは浩宮のことばかりで主として美智子妃が答える)



・昭和42年11月1日記者会見

-フィリピンご訪問に当たってのおこころがまえについて

皇太子 日本とフィリピンの関係はいままでかならずしもよいとはいえなかった。最近は非常によくなったと聞いていますが、こんどの訪問を機会に、よくなりつつある両国の関係を、なおもよくできるなら幸いです。

-ご出発の準備は。

皇太子 決して十分といえませんが、百科事典とか世界文化地理大系、日比協会発行の「フィリピン協会便覧」などを一応読みました。

美智子妃 殿下の集めた資料を拝借して、殿下の読まれたところを読みました。それらを調べると向こうの教育とか福祉施設のことはよくわかりました。これから両国のそれらを比較してみたいと思います。

-フィリピン独立の父といわれるアギナルド将軍にお会いになる予定ですが。※

皇太子 歴史的人物に会えるので非常に楽しみにしている。




はあ~、若いってすばらしい。。。

NHKは連日、慰霊行脚のアゲアゲ報道を垂れ流していますが、私が印象に残ったのは、フィリピンを51回訪れたという元兵士の方、「慰霊のために行っているというわけではない、大切なのは今後。友好のためにという思いで行っている。」

当時の皇太子が訪問しただけでフィリピンとの関係がよくなった、というわけではない、たくさんの有名無名の人たちの努力があって今日があることを忘れないでいただきたいものです。

54年前のことを大統領に話したと言うから、つい54年前のことを調べてしまいました。この調子だと、どうしても韓国に行きたい、とか言いそう。その前に今度はベルギーとウォーミングアップしてるかな? 

※アギナルド将軍がフィリピン初代大統領になったのは1899年のことです。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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