50年前のフィリピン行きのことを突っ込んじゃうぞー!前編

ヘカテー以上にヘカテーな方がいらっしゃいます。

(「ヘカテー」とはギリシャ神話の女神の一人です。「ヘカテー」はあらゆる犯罪現場に現れるという特徴があります。デーメーテールにコレーが誘拐されたことと犯人を言ったのはヘカテーです。ギリシャ神話最強の犯罪カメラです。列外派の管理人の名前を「ヘカテー」にしたのは「お前らがしたこと全部見てるからな!」という意思を表しています。)

梅花藻さまこそ、平成皇室の筋が通らない点を昭和のことまで調べて警告を鳴らすお方です!

それでは見てみましょう!

54年前、最初は2月にフィリピンを訪問する予定だった。
昭和33年10月、フィリピン大統領が国賓として来日、その答礼で天皇陛下の名代としてフィリピン、そして同じくパキスタン、インドネシアを訪問することになった。その予定は次のようなものであった。

1/22 10:30 羽田出発。17:40 カルカッタ到着。
      知事主催の非公式夕食会。(カルカッタ泊)

1/23 午前在留邦人と会見
   11:00 カルカッタ発 14:00 カラチ着
   17:00 市民歓迎会、大統領主催の夕食会。(カラチ泊)
1/24 午前、建国の父ジンナー霊びょうを山田東宮侍従長代拝
   ご夫妻はカラチ市内と国立博物館見学の後、在留邦人と会見。
   インドから追われてきた難民が集まっているコランギ地区視察
   大使レセプションに出席後、夕食会主催(カラチ泊)
1/25 9:30 カラチ発 12:40 ベシャワル着
   ジャムルッドでしゅう長からヒツジをうけられたり、カイバル峠をご覧
   西パキスタン州知事主催の夕食会に出席(ベシャワル泊)
1/26 博物館見学のあとラホールへ
   16:00 市民歓迎会、
   西パキスタン州知事主催の夕食会(ラホール泊)
1/27 10:00 寺院、トリデなどラホールの史跡見学
   午後はとくに希望されたポロを見学
   夜はミュージカル・バレー観覧(ラホール泊)
1/28 11:25 ラホール発 16:46 ダッカ着(ダッカ泊)
1/29 10:00 工場見学、クルース川舟遊
   ブリガン川で漁業見学
   午後 在留邦人会見、 市民歓迎会、
   東パキスタン州知事主催の夕食会 (ダッカ泊)

1/30 8:30 ダッカ発 17:00 ジャカルタ着 (ジャカルタ泊)
1/31 午前 大統領訪問、
   独立戦争犠牲者のカリバタ英雄戦士の墓参拝
   午後 ジャワ・サラサ西方のパティック見学、
   大統領の答訪を受けられる
   夜 大統領主催の夕食会、舞踊見学 (ジャカルタ泊)
2/1 午前 在留邦人会見、市内見学
   午後 自動車でボゴールへ
   大統領別邸の熱帯植物園見学 (ボゴール泊)
2/2 自動車でバンドンへ、市内見学、養魚場視察   
   16:30 飛行機でバンドン発 
17:50 古都ジョグジャカルタ着、
   影絵芝居をご覧 (ジョグジャカルタ泊)
2/3 午前 ヒンズー文明の遺跡ボロブドール、メンダットの寺院訪問
   午後 大統領さしまわし機でバリ島へ (バリ泊)
2/4  午前 年に1度行われるアレゴリック・パレード
       (人間の一生を描いたパレード)
       市内見学
   夜 舞踊御覧  (バリ泊)
2/5 10:15 バリ発ジャカルタ着
   午後 とくに希望された社会施設見学
   夜 夕食会を主催  (ジャカルタ泊)

2/6  9:30 ジャカルタ発 16:00 マニラ着
   大統領訪問、大統領主催の夕食会  (マニラ泊)
2/7  リサール記念碑参拝、上下両院訪問、社会施設見学、
   国立大学訪問
   とくに希望されて独立の父アギナルド将軍と会見
   マニラ麻工場、淡水魚養魚場、研究所、水族館視察 (マニラ泊)
2/8  汽車でバギオに向かい、明治時代日本人が作ったペンゲット道路視察、
   陸軍士官学校訪問、バギオ市長主催レセプション (バギオ泊)
2/9  バギオで休養 (バギオ泊)
2/10 マニラに帰り、夕食会主催 (マニラ泊)
2/11 大統領主催の朝食会
   11:00 マニラ発 16:00 羽田着

はあ~、転記しながらイヤになったわ。この人たち、昔も今も、民衆の前に姿を見せて歓呼にこたえるのが親善と思っているらしい。

しかし、皇太子が高熱を出し、フィリピン訪問は延期になったのである。

1962.02.05 皇太子さま、39度の発熱-比国入り見合わせ
1962.02.06 比大統領、遺憾の意
「フィリピン政府は皇太子ご夫妻の訪問に備えて年初から準備を整えていた。ご夫妻のパレードの道筋のアーチはすでにできあがり、各種行事への招待状もすでに発送ずみであった。またもっとも厳重な警備の手はずも整えられていた。」

東京は冬、パキスタンは晩秋、インドネシアは夏、フィリピンは春、と気候がまちまちなので荷物も増え、随員はてんてこまい。欲張ってあちこち観光地をめぐったあげく、高熱出してキャンセル、フィリピン大統領が劇オコ、が真相だったのね。

道中、ずっと発熱していた皇太子の代役を8つ、美智子妃が立派に務めたとか。ヒンズー文明の遺跡見学など。

2月5日、ジャカルタには戻らず、9日までバリに滞在、予定を1日早めて10日に帰国した。9日には美智子妃も高熱を出し、空港には正田富美さんもお出迎え(英三郎氏は流感のため欠席)、痩せこけた娘を見て目をしばたかせたそうな。

1962.02.06 早急に改めて比国訪問
1962.02.07 天皇、比大統領に謝電
1962.02.13 比国訪問は来月?-比国外務当局語る
1962.02.23 比国訪問は来月?-来月中には実現へ
1962.03.03 訪問延期-訪比で比国大統領語る
 大統領は、3月は重要な国家の政務とぶつかると述べ、訪問延期を要請したといわれる。
1962.08.18 比大統領、訪比を受諾
1962.08.24 11月5→10日に訪比-延期以来半年ぶり

すぐにフィリピンを訪問しようとしたが、3月がダメなら4月も同じようなもの、5月になったら暑くなる、ということで延期、結局フィリピン訪問は11月になったのである。

2月24日から3月5日までは葉山の御用邸、8月2日から7日までは浩宮の”夏の海浜生活”のために、葉山の海はよごれてますでしょ? 沼津の御用邸で静養しましたの。8月10日から30日までは軽井沢でテニスやドライブを楽しみましたわ。体力の増強につとめなきゃ、また中止になったら困りますものね。結局、その年の11月に改めて訪問しましたけれど、美しいアテクシはフィリピンの人たちを魅了しましたの。

当時の朝日新聞社説:「いま国民は、この若いご夫妻に、あかるい日比関係の将来への祈りをかけているのである」

(以上、すべて当時の毎日新聞、読売新聞、朝日新聞の記事がソースです。)

いま、私たちは、この年老いて呆けた夫婦に、いったいどんな将来を見出そうというのだろうか。慰霊なんて、結局、外国に行きたいための名目でしょう。どこからも声がかからないから。


ありがとうございます。

「お前が調べろよ、ヘカテー!」と頭はたかれても文句は言えない。

>東京は冬、パキスタンは晩秋、インドネシアは夏、フィリピンは春、と気候がまちまちなので荷物も増え、随員はてんてこまい。欲張ってあちこち観光地をめぐったあげく、高熱出してキャンセル、フィリピン大統領が劇オコ、が真相だったのね。


出た!昭和の皇太子夫妻名物

やりたい放題なのは当たり前!でも平成になったら隠す!

アホだな。

思いっきり観光旅行じゃん。

皇太子ご夫妻がベアトリクス女王陛下からご招待を戴いてオランダへご静養に向かわれた時に、

「俺たちは私的な海外旅行なんてしたことありませーん。いつも無私でしたー。えらいでしょー」

とマスコミの前で皇太子ご夫妻を批判しましたが、

これ私的じゃん!私的な海外旅行じゃん!

雅子さまには皇后になられてからバンバン皇室外交をしてほしいです。

ちゃんとした皇室外交であって、観光旅行ではないもので!

>9日には美智子妃も高熱を出し、空港には正田富美さんもお出迎え(英三郎氏は流感のため欠席)、痩せこけた娘を見て目をしばたかせたそうな。

って言うか本当に正田夫妻って身の程を弁えないな。

実態はこんななのに、いまだにマスコミは昭和のことをわすれつつある国民を「正田夫妻は地味に過ごしていたかわいそうな人、小和田家は娘べったりのダメな人」と洗脳しようとしています。

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プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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