常陸宮ご夫妻がご帰国!

常陸宮ご夫妻、仏から帰国
2016 年 2 月 4 日 18:00 JST 更新

「がん対策パリ憲章大賞」授賞式出席のため、1月31日からフランスを訪問していた常陸宮ご夫妻は4日午後、羽田空港着の民間機で帰国された。常陸宮さまは国内外のがん対策活動への貢献が評価され、現地時間の1日にベルサイユ宮殿で行われた授賞式で大賞を受賞した。 


[時事通信社]
http://jp.wsj.com/articles/JJ11157220629457644431519035364872382756815

おかえりなさいませ&お疲れさまでした

けしからんことにご帰国された時の動画&写真が報道されていません。

本当にこの国のマスコミは使えねぇな!

華子さまがどんな衣装をお召しか知りたいです。

雅子さまとは仲がいい華子さま
460110525.jpg


筆頭宮妃には手袋シッシ事件の華子さま
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(この動画の1分50秒のところから始まる数秒の出来事。皇族になって20年以上経つのに立ち位置を覚えず足の悪い常陸宮さまの進路の邪魔をする筆頭宮妃を前筆頭宮妃だった華子さまが手袋でシッシと払いのけ、その後に麗しの華子さまスマイルで雅子さまに話しかけられたといういかに筆頭宮妃さまが華子さまに嫌われているかが分かる)
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過ぎた妻、昭和天皇の生き写し

帰国時の報道はこれだけでしたね。筆頭宮家以外の皇族方の外国訪問はほとんど報道されません。

お口直しに、常陸宮さまの還暦会見を。

六十年の歳月を振り返って、「一番悲しかったことは昭和天皇の崩御」と話された。
 その昭和天皇の思い出について、常陸宮さまは、「いつも植物の絶滅などを心配されていた」といい、「私自身は学校時代、非常に成績も悪かったので、成績表などを(昭和天皇に)お見せすると、『もっと勉強しなさい』といわれました」。
 「夫婦で互いに点数をつけると……」との質問に対しては、「ほんとに、あのー、一般的な言い方かもしれませんけれども、過ぎた妻だと思います」。華子さまも「失敗した時でも、『大丈夫、大丈夫』と……。私には一番頼りがいのある宮様」とこたえられた。
 声やしぐさ、飾らない人柄などから、「昭和天皇の生き写し」ともいわれる常陸宮さまだが、比較腫瘍(しゅよう)学の研究にも取り組まれている。(1995.11.28読売)

ほんとに、いいご夫妻だと思います。

無事にお帰りで安心しました。
長年の研究に対する栄誉ですから、政府にとっても価値あるものです。
内定皇族の静養より、もっと報道されるべきはずなのに残念です。
あの静養報道って不思議ですよね。

常陸宮ご夫妻の外国訪問の報じられ方

華子さまは口に出して何かをおっしゃることはないけれど、態度でしっかりと語っておられますね。手袋シッシは男前の素敵な場面でした。

さて、常陸宮ご夫妻のことが話題になる機会はあまりないので、この際、資料として。

首相官邸ホームページによれば、

閣議に付議される案件は、その内容により、「閣議決定」、「閣議了解」、「閣議報告」として処理される。
「閣議決定」は内閣の意思を決定、「閣議了解」は主任の大臣の権限により決定し得る事項のうち重要なものの意思決定。
「閣議報告」は、主要な審議会の答申等を閣議に披露するような場合等に行われる。

皇族の外国訪問は、公式訪問の場合は閣議了解事項、私的訪問は閣議報告事項となっています。ただし、皇族の外国訪問が増えたことから、先日の絢子女王のスウェーデン訪問の際、以降、閣議報告は行わないこととになりました。

ということで、外国訪問が公式のものであるかどうかは、閣議了解となっているかどうかでわかるようです。閣議了解は、官報に次のように掲載されます。弔問はご招待ではないから「ご旅行」扱いですが、閣議了解事項であるようです。

H21.5.21 正仁親王同妃両殿下のペルー国及びボリビア国御訪問について(了解)(宮内庁・外務省)
H22.6.18 正仁親王同妃両殿下のモナコ国御訪問について(了解)(宮内庁・外務省)
H24.3.27 正仁親王同妃両殿下のトンガ国御旅行について(了解)(宮内庁・外務省)

筆頭宮家以外の皇族方の外国訪問の新聞報道は以下のように報道され、以下のようにしか報道されない。たまに、出発、帰国の記事がある程度。閣議報告がなくなったら、公式訪問以外は報道されない場合もあるかもしれない。

・常陸宮ご夫妻が7月8〜15日の日程で、モナコを公式訪問されることが18日の閣議で了解された。元首のアルベール2世公を表敬訪問するほか、日本の浮世絵や仏像、漫画・アニメなどを紹介した企画展の開会式に出席される。(2010.06.18読売)

・常陸宮ご夫妻が、「第23回高松宮殿下記念世界文化賞」の受賞者発表会に出席するため、7月6日から14日の日程で英国を訪問されることが21日の閣議で報告された。同文化賞は、常陸宮さまが総裁を務められる日本美術協会が主催している。ご夫妻は、英国のエリザベス女王がバッキンガム宮殿で主催し、過去の受賞者などを招待するレセプションにも出席される。(2011.06.21読売)

「高松宮殿下記念世界文化賞」の受賞者発表会が海外で行われることがあるので、常陸宮ご夫妻は近年しばしば欧米を私的訪問されている。賞を出している日本美術協会の総裁をされているからで、現筆頭宮家はこの総裁職がうらやましくてしようがないのだろうと思われるが、眞子丼の修論(!)のテーマが「イソギンチャクやクラゲのガラス標本を題材に、博物館での展示方法の可能性をご考察」ではね・・・

常陸宮家の「高松宮殿下記念世界文化賞」関連の私的訪問は次のとおり。

1999.6.4-6.14 アメリカ、カナダ
2003.6.29-7.9 フランス、イタリア
2007.9.12-9.23 フランス
2009.9.18-9.28 ドイツ
2011.7.6-7.14 イギリス
2014.7.14-7.22 フランス

それでは、知られざる常陸宮ご夫妻の公式訪問(平成以降)の報じられ方を列挙するという、思いっきり暇なことをしてみましょう。(コピペが大半なので労力はかかっていません。)ソースは読売新聞。たったこれだけ。

1.1991.3.6-3.14 デンマーク、スウェーデン(フランスお立ち寄り)

常陸宮ご夫妻がデンマークとスウェーデンを公式訪問されることになり、一日の閣議で了解された。「ジャパン・イン・スカンディナビア」の一環としてデンマークで開催される「日本伝統工芸展」(今月八日から)と「日本現代版画展」(同九日から)の開幕式に出席されるのが目的。(1991.03.01)

2.1991.11.3-11.17 アメリカ、チリ、エクアドル

常陸宮ご夫妻が十一月三日から十七日まで、アメリカと南米のチリ、エクアドルの三カ国を公式訪問することが、二十一日の閣議で了承された。チリ、エクアドルへの皇族の訪問は初めて。 (1993年09月21日)

常陸宮ご夫妻は三日夕、成田空港発の日航機で、米国へ出発した。米国と南米のチリ、エクアドルの三カ国を公式訪問する。米国では、サンフランシスコ市で、日系人組織「桑港日米会」の創立百周年記念行事に出席するほか、日系人墓地などを訪れる。南米では、ガラパゴス諸島などを視察し、十七日に帰国する予定。 (1993年11月04日)

3.1995.9.19-9.30 フィンランド、ルーマニア(オーストリアお立ち寄り)

常陸宮ご夫妻が今月十九日から三十日まで、フィンランドとルーマニアを公式訪問されることが、五日の閣議で了解された。両国の大統領を表敬訪問するほか、大統領主催の晩さん会に出席される。帰国前にはオーストリアにも立ち寄られる。(1995年09月05日)

4.1996.8.28-9.5 タイ、ブルネイ(シンガポールお立ち寄り)

常陸宮ご夫妻が今月二十八日から来月五日まで、タイ、ブルネイの二か国を公式訪問されることが、七日午前の閣議で了解された。ご夫妻は、両国で国王夫妻との会見、王族主催晩さん会などに臨み、帰途、シンガポールにも立ち寄られる。(1996.08.07)

5.1997.9.17-9.30 チリ、グアテマラ(アメリカ合衆国お立ち寄り)

常陸宮ご夫妻が九月十七日から二週間の日程で、チリとグアテマラの二か国を公式訪問されることが、二十六日午前の閣議で了解された。ご夫妻は米国経由でまずグアテマラに入り、アルス大統領夫妻主催の晩さん会などに出席。チリには二十三日から滞在し、日本・チリ修好百周年記念式典などに臨まれる。(1997.08.26)

6.1999.3.17-3.30 ギリシャとモナコ(ドイツ,フランスお立ち寄り)

常陸宮ご夫妻が来月十七日から三十日までギリシャとモナコを公式訪問されることが、二十三日午前の閣議で了解された。両国とも皇族が公式訪問するのは戦後初めて。(1999.02.23)

常陸宮ご夫妻は17日午後、成田発の日航機でギリシャ、モナコ公式訪問に出発された。30日に帰国される。両国とも皇族の公式訪問は戦後初めて。(1999.03.18)

7.2000.9.6-9.14 マレーシア、シンガポール

常陸宮ご夫妻は6日午前、マレーシアとシンガポール公式訪問のため、成田発の飛行機で出発された。
 マレーシアでは、サラフディン国王主催の晩さん会出席のほか、マラヤ大学や日本人学校などを訪問。シンガポールでは、ナザン大統領表敬や児童協会、日本人会館の視察などが予定されている。
(2000.09.06)

8.2001.4.17-4.27 パナマ(アメリカ合衆国お立ち寄り)

常陸宮ご夫妻が来月22日、パナマを公式訪問されることが23日の閣議で了解された。皇族のパナマ訪問は初めて。
 ご夫妻は来月17日に出発、米ミネアポリスに立ち寄り、ミネソタ大学などを訪問される。同大では、常陸宮さまに名誉学位が授与されることになっている。パナマでは、モスコソ大統領主催の晩さん会出席などが予定されており、27日帰国される。(2001.03.23)

常陸宮ご夫妻は17日午前、成田発の飛行機でパナマ公式訪問に出発された。ご夫妻は米ミネアポリスに立ち寄り、ミネソタ大学などを訪問。ヒューストンで時差調整の後、22日にパナマ入りし、モスコソ大統領主催の晩さん会に出席するほか、パナマ運河の視察や日本人学校への訪問を行い、27日帰国される。(2001.04.17)

9.2005.4.13-4.17 モナコ(フランスお立ち寄り)

 6日に死去したモナコ元首のレーニエ3世の葬儀に、常陸宮ご夫妻が出席されることが12日、閣議了解された。ご夫妻は13日に出発、15日の葬儀に出席して17日に帰国される。(2005.04.12)

10.2005.9.30-10.10 ニカラグア、エルサルバドル(アメリカ合衆国お立ち寄り)

 宮内庁は19日、常陸宮ご夫妻が今秋、中米のニカラグアとエルサルバドルに、皇族として初めて公式訪問される方向で検討していると発表した。今年は日本と両国の外交関係樹立70周年で、日程は9月末から10月上旬までの約10日間で調整しているという。(2005.07.20)

 常陸宮ご夫妻が9月30日から10月10日までの日程で中米のニカラグアとエルサルバドルを公式訪問されることが、6日の閣議で了解された。日本との外交関係樹立70周年を機に招待されたもので、両国への皇族訪問は初めて。大統領主催の晩さん会に出席するほか、イグアナを飼育する農園、マヤ文化の遺跡などを視察される。
(2005.09.06)

11.2009.6.11-6.22 ペルー、ボリビア(オランダ,フランスお立ち寄り)

常陸宮ご夫妻が6月11日から22日までの日程で南米のペルーとボリビアを公式訪問されることが、19日の閣議で了解された。今年が両国への日本人移住110周年に当たり、両国政府から招待された。
(2009.05.19)

 常陸宮ご夫妻は11日、南米のペルー、ボリビア公式訪問に、成田発の民間機で出発された。両国でそれぞれ開かれる日本人移住110周年の記念式典に出席、22日に帰国される。(2009.06.11)

 日本人移住110周年の記念式典出席のためペルーとボリビアを公式訪問していた常陸宮ご夫妻は22日、成田着の民間機で帰国された。(2009.06.23)

12.2010.7.8-7.15 モナコ(フランスお立ち寄り)

 常陸宮ご夫妻が7月8〜15日の日程で、モナコを公式訪問されることが18日の閣議で了解された。元首のアルベール2世公を表敬訪問するほか、日本の浮世絵や仏像、漫画・アニメなどを紹介した企画展の開会式に出席される。(2010.06.18)

13.2012.3.25-3.31 トンガ(ニュージーランドお立ち寄り)

 常陸宮ご夫妻が、トンガのジョージ・ツポウ5世国王の死去を受けて、同国を弔問される方向で調整していることがわかった。
 27日の葬儀に参列される予定。同国王は18日、香港の病院で63歳で死去した。トンガは親日国で同国王もたびたび来日しており、2011年1月に来日した際には天皇、皇后両陛下が皇居・御所で昼食をともにされた。(2012.03.23)

 常陸宮ご夫妻がトンガのジョージ・ツポウ5世国王の死去を受け、同国を弔問されることが、23日午前の閣議で了解された。25日から31日の日程で、27日に首都ヌクアロファで行われる葬儀に参列される。(2012.03.23)


以上のごとく、事務的な記事のみで写真も滞在中の記事もいっさいなし。

判明したことは、南米公式訪問は、雅子妃殿下が公務をしないから秋篠宮家にしわ寄せが行っているわけではなく、宮家の分担らしいこと。常陸宮家の南米訪問もそれなりに経費がかかっていること。遺跡訪問などそれなりに観光もされていること。公式訪問の際の「お立ち寄り」は秋篠宮家の専売特許ではないこと。要するに、今、筆頭宮家は(質はともかく)同じようなことをしていて、外国訪問も観光もお立ち寄りも当然と思っているのだろう。

ものごとは公平な目で見なくてはなりませんが、それでも私は、このご夫妻の場合は、けしからん、とは思いません。 無理に行事を作ったとか、お水で接待された、とかでは断じてありませんし、研究、野鳥保護、美術、福祉といった明確なテーマがおありで、間違っても動物園巡りばっかりとか、エルメスの店に貸切で入って爆買いなどというようなことはなさらない、節度のあるものだろうと思うからです。日頃の行い、ってやつですかね。

それになにより、歓迎されておられますし。
Visit of Prince and Princess of Hitachi of Japan in Monaco

http://www.gettyimages.co.jp/detail/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%86%99%E7%9C%9F/prince-albert-ii-of-monaco-and-prince-hitachi-of-japan-with-his-%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%86%99%E7%9C%9F/102877198


平成になってから、ですね、詳しく報道しなくなったのは。昭和の頃は、当時の筆頭宮家だったからでしょうか、それなりに報道されていたようです。昭和60年6月15日~6月26日、ハワイ訪問。

★1985年06月16日 常陸宮ご夫妻がハワイへ出発
 常陸宮ご夫妻は、アメリカ・ハワイ州知事の招きで、ハワイ官約移民100年祭祝賀行事にご出席のため、15日午後8時50分成田発の日航機でホノルルに向かわれた。
 16日にホノルルで開かれるオアフ島の官約移民100年記念式典をはじめカウアイ、マウイ、ハワイの各島でもそれぞれ行われる各種の記念式典に出席、日系移民慰霊祭に臨まれ、26日ご帰国の予定。

★1985年06月17日 盛大に「ハワイ移民100年祭」祝う 日系人3000人参加
 【ホノルル16日=代(だい)通信員】砂糖産業を振興するため、1885年(明治18年)にハワイ王朝が明治政府と移民協定を結び、広島、山口など西日本を中心とした日本人移民がシティー・オブ・トーキョー号でハワイに到着して100年になるのを祝って、16日午後1時(日本時間17日午前7時)からハワイ州の州都ホノルルにあるニール・ブレイズデル・センター(NBC)アリーナで常陸宮ご夫妻も出席して、官約移民100年祭記念式典が開催された。州政府は1985年を「日系移民の年」と宣言して、年初から移民たちの労苦をしのぶ行事を続けてきたが、記念式典はそのハイライト。1、2世ら3000人のほか、全国知事会会長の鈴木俊一東京都知事をはじめ移民を多く送り出した広島、山口、沖縄、和歌山、鹿児島など10人の知事や副知事も出席、ハワイ州の基礎を築いた日系社会の1世紀を全島あげて祝った。
 式場ではアリヨシ知事夫妻、ファシ・ホノルル市長、松永駐米大使、カラカウア王の子孫カワナナコア王女らも列席。アリヨシ知事は「苦難を超えてよりよい社会を築いた1、2世のパイオニア精神に感謝したい。移住2世紀目に入った未来は若い人たちの双肩にかかっている」とあいさつ。常陸宮さまは「日本から移住された老人のはかり知れない苦難との闘いに敬意を表し、2、3、4世の日系人の皆さんが英知と活力をもってハワイの発展に努力してきたことに感銘しました。日系人を温かく迎え、その定着に力をかしてくれたハワイ政府と在住者に感謝します」とおことばを述べられた。
 式の終わりにはハワイ州歌「ハワイ・ポノイ」がハワイの歌手ナラニ・オールズによって歌われた。
 記念式典は、この日のオアフ島を皮切りに、カウアイ、マウイ、ハワイ各島の100年祭実行委員会も常陸宮ご夫妻をお招きして、それぞれ100年を祝うが、ホノルルでは宝塚歌劇公演や移民追悼盆おどりなど、ふるさと日本をしのぶ行事が続く。

★1985年06月17日 常陸宮ご夫妻、ホノルルにご到着
 【ホノルル15日=代通信員】常陸宮ご夫妻はジョージ・アリヨシ・ハワイ州知事の招きで、当地の日本人官約移民100年祭の記念行事にご出席のため、15日午前9時10分(日本時間16日午前4時10分)、日航機でホノルル空港に到着された。出迎えたアリヨシ知事はオレンジ色のイリマ・レイを華子妃に、ジーン・アリヨシ夫人も緑鮮やかなマイレの葉とイリマ・レイを組み合わせたオープン・レイを常陸宮殿下に贈った。
 
★1985年06月21日 常陸宮ご夫妻、マウイ島で記念式典に出席

★1985年06月22日 ハワイ訪問中の常陸宮ご夫妻、鳥類保護地区をご視察
 【ホノルル21日=代(だい)通信員】日本人官約移民100年祭でハワイに来訪されている常陸宮ご夫妻は、ホノルルでの記念式典を終えられ18日(ハワイ時間)から22日までカウアイ、マウイ、ハワイの3島をご訪問。各島が主催する式典に出席されているが、20日早朝、常陸宮さまはマウイ島の鳥類保護地区を約50分にわたり熱心に見学された。
 午後にはハワイ島のヒロにお着きになり、同地区の日系人500人が待ちうける祝賀式典に臨まれた。式典終了後ご夫妻は進んで壇上を降りられ、車イスなどで集まった年長者たちと握手「ご苦労さまでした」「お幸せに」とお言葉をかけられた。  

★1985年06月25日 常陸宮ご夫妻、「アロハ晩さん会」にご出席 ハワイ移民100年祭
 【ホノルル23日=代(だい)通信員】ハワイの各島の日本人官約移民100年祭記念式典にご出席され、22日再びホノルル入りされた常陸宮ご夫妻は23日午後6時30分(日本時間24日午後1時30分)からワイキキに近いホテルで催された「アロハ晩さん会」に臨まれた。
 アロハやムームー姿の日系人たち約2000人を前に、常陸宮さまは「各島の行事に参加し、100年の歴史を刻んでこられた先人の努力の跡に深い感銘を受けました。豊かに繁栄する今日のハワイの基礎を築いた日本人海外移住の先駆者の方々の努力に深い敬意を表します」と述べられた。華子さまも「心温かいおもてなしを本当にありがとう。マハロ(ありがとう)」と予定になかったあいさつをされ、日系人たちは大喜びだった。

★1985年06月26日 常陸宮ご夫妻帰国へ
 【ホノルル25日=代(だい)通信員】日本人官約移民100年祭記念行事にご出席のため15日からハワイを訪問されていた常陸宮ご夫妻は、すべての公式行事を終了され、25日午前10時50分(日本時間26日午前5時50分)発の日航機で帰国の途につかれた。

★1985年06月27日 常陸宮ご夫妻が帰国
 官約移民100年記念式典にご出席のため米国・ハワイを訪問されていた常陸宮ご夫妻は26日午後1時50分、成田空港着の日航機で帰国された。

★1985年07月22日 ジーン・アリヨシさん ハワイで植樹100万本(人きのうきょう)
 米ハワイ州のアリヨシ知事夫人、ジーンさん(51)は、「ハワイ州100万本アロハ植樹委員会」の名誉委員長でもある。
 「今年はハワイ砂糖産業創業150年でもあり、意義深い年だ。ハワイの発展を支えて来た産業であり、この関係者と日系人が手をたずさえて、年内にも実現したい」と意気込む。
 最近行われた日本人のハワイ移民100年祭に列席された常陸宮ご夫妻が、沖縄産の福木(ふくぎ)を持参、パンチボウル国立墓地に植えられたことに元気づけられたそうだ。(ホノルル=代通信員)

常陸宮ご夫妻の新婚旅行

われらが常陸宮ご夫妻は、昭和40年にエリザベス女王と会っておられるのです、美智子さまよりずっと前に。

昭和40年10月12日、常陸宮ご夫妻は、ヨーロッパ九カ国に向け、50日間にわたる初外遊に出発された。「国賓などの公式ご外遊ではないが、各国との親善交歓、社会福祉施設のご視察などさまざまなスケジュールがくみこまれており」、日程は次のようなものであった。

10/12 出発
10/13-15 デンマーク
10/15-22 フランス
10/22-24 ベルギー
10/24-27 オランダ
10/27-11/9 イギリス
11/9-16 ドイツ
11/16-20 スイス
11/20-22 フランス
11/22-30 イタリア、バチカン
12/1-2  タイ
12/2 帰国

リストにはありませんが、モナコにもいらっしゃったようです。「名代という重い立場」での公式訪問ではありません。兄夫婦が一度もしたことがないという私的旅行です。皇太子はエリザベス女王の戴冠式の際にほとんど国家事業といっていい欧米歴訪をしていますから、義宮にも、という昭和天皇の親心だったのでしょうか。

しかし、パレードや晩餐会などの華やかな公式行事はなかったかもしれませんが、真面目で温厚な学究の徒の宮さまと旧伯爵家令嬢だった妃殿下が、各地で好意を持って温かく迎えられたであろうことは、当時の新聞の片隅のほんの数行の地味な記事からもうかがい知ることができるでしょう。

10月19日、フランスではパリのエリゼ宮で開かれたドゴール大統領主催の昼食会(非公式)に出席、ベルギーでは22日、ボードワン国王の弟アルベール殿下夫妻招待の昼食会、オランダでは26日、ユリアナ女王と会食、女王とベアトリックス王女ご夫妻との写真はWikipediaで見ることができます。
11月3日には「エリザベス女王主催のバッキンガム宮殿における昼食会に出席、女王の暖かいご歓待を受けられた。殿下ご夫妻とエリザベス女王は終始うちとけたふん囲気の中でご歓談され、2時40分に退出された」、10日、ドイツ大統領と会見、スイスではチュージ大統領と会見、25日、ローマ法王パウロ六世とお会いに、26日、イタリアのサラガット大統領主催の夕食会に臨まれ、イタリア最高の勲章である「騎士勲章大十字章」を受けられた。タイではプミポン国王夫妻の賓客として滞在、夕食などをご一緒に。

11月8日、ご夫妻はロンドンで記者団とお会いになり、「とても親切にしていただき、楽しい旅のできたことを感謝しています。バッキンガム宮殿でのエリザベス女王の昼食会では、家庭的なおもてなしで、とくに印象深いものがありました。」と話された。

市内見学やユング・フラウ・ヨッホの登山なども予定されていたようで、お楽しみもあったようですが、私はそれを、観光旅行だ、けしからん、とは思いません。大金をかけた贅沢旅行ではなくこじんまりした私的旅行ですし、めったにないチャンスに、見聞を広めていただき、人脈を築き、皇族としての教養を身につけていただくのはよろしいことなのでは。誰かみたいに、私的旅行はしたことがない、とか言われると、観光のあいまに公式訪問してたのだろう、と言いたくなってしまうだけです。

ま、美智子妃殿下はおもしろくなかったかもしれませんね。私は2ケ月なんてヨーロッパ旅行はさせてもらっていない!! 皇太子妃時代にはヨーロッパ訪問は少なかったようです。美智子妃が結婚後初めてイギリスに行ったのは昭和51年のことです。この恨みが、平成になってからのフルムーンと言われた豪華ヨーロッパ歴訪につながった、としても、不思議なことではたぶんあるまい。

さて、当時の常陸宮ご夫妻のお勉強のレベルを見てみましょう。

-ご旅行の目的は。

宮さま こんどの旅行は、第一に各国との親善を深め、私自身、見聞をひろめたいと思います。

-ご旅行の準備は。

宮さま それぞれ専門の人から訪問国の政治、経済、西洋美術などの話を聞きました。語学は、英語を中心に勉強しましたが...

(宮家の話によるとこの夏は夏休みを返上、宮さまは週5回、華子さまは週2回英会話の勉強をされた)

-ご日程についてご希望は。

宮さま 私は細胞の研究をしているので先生(東大藤井教授)の意見をきき、大学や研究所の見学をふやしてもらいました。各国の研究所のふんいきをつかんできたいと思います。

-妃殿下のご希望は。

華子さま ヨーロッパの美術や、城、病院、社会福祉施設をよくみてきたいと思います。レセプション用に和服も持って行きます。

ドイツではマックス・プランク研究所を視察されているようです。ノーベル賞学者をたくさん輩出している最高レベルの有名な研究所です。見聞を広めたい、の内容は、宮さまはご自身の研究関係を中心に、妃殿下は美術や福祉、と、明確な目的意識がおありだったように思われます。午さん会も適当な時間で切り上げる、という節度のあるもので、こちらのご夫妻の「私的旅行」については、私は好感を持ちます。

突撃、エリザベス! アキヒト・ミチコの旧婚旅行

「昭和天皇紀」が刊行されましたが、「平成天皇紀」はどうするのか、宮内庁書陵部は頭の痛い思いをすることでしょうか。ほとんど唯一のウリと言っていい外国訪問は、たぶん、つっついたらボロボロ、ほとんど唯一の功績と言ってもよい浩宮誕生は、後年の壮絶なイジメの実態がボロボロ。女性週刊誌の褒め記事が資料として列記されるのでしょうか。泉下のリョーヘーカは、もはや内容についてはあれこれ指図できません。

そんなズタボロのリョーヘーカの外国訪問をひとつ。

まさかね、昭和時代に当時の皇太子夫婦がイギリスに旧婚旅行に行った、とは思いませんでした。なんで昭和天皇がお許しになったかなあ。ふと昭和51年の英国旅行を調べてみたら、びっくりぽん、相手に過剰な接待を強いるもので目がまわりました。

以下は、1976年6月の皇太子ご夫妻のヨルダン、ユーゴ、英国の3ヶ国歴訪のことである。

1971年、昭和天皇ご夫妻の訪欧、答礼として1975年5月、エリザベス女王が日本訪問。したがって、アキヒト・ミチコのイギリスへの答礼訪問はあるはずがない。ヨルダン、ユーゴを名代として答礼訪問、英国訪問は国賓ではなくエリザベス女王のお客としての旅行であった。事前に発表された18日間に及およぶ長い旅行の日程は次のとおり。

6/8 10:00 出発
  タイ バンコクお立ち寄り プロマピン王宮で一泊

6/9 午後、ヨルダン アンマン着
  フセイン国王ご夫妻と会見、夜晩さん会
  ローマ時代の遺跡ジェラン、ヨルダン渓谷、死海、ヨルダン大学などを見て回る

6/12 午前、ユーゴ ベオグラード着
  アパラ無名戦士の碑に参拝
  ジャルコビッチ副大統領主催の午さん会
  クロアチア共和国のドプロプニクへ
  モンテネグロ、マケドニア、スロベニアの各共和国を訪問
  14日午後 チトー大統領夫妻と会見、午さん会

6/15 夜 ロンドン着
  日本関係の学者らとのレセプションに出席
6/16-18 エリザベス女王の賓客としてウィンザー城に2泊
  アスコット競馬を英王室の方々と一緒にご覧になる
6/19-21 スコットランド地方、
6/21午後-23朝 ウェールズ地方をご旅行、博物館などを視察
6/24夕 ロンドン発
6/25 18:20 羽田着

さすがにこの日程は顰蹙を買ったらしく、旅行中、新聞には次のような見出しが踊っている。

1976.06.14 皇太子ご夫妻、ユーゴ満喫
1976.06.14 アドリア沿岸の観光地お訪ね
1976.06.14 ご乗用機が不明!随員真っ青-国王と“お忍び”夜の紅海で涼
1976.06.16 印象深かったアラビア湾-皇太子さまが感想
1976.06.16 皇太子ご夫妻 思い出の英国入り
1976.06.21 皇太子ご夫妻スコットランドご満喫

ロンドンでは、動物園めぐりを急遽加えた、などと書かれている。
その日程の詳細は割愛するが、ウィンザー城に2泊したほか、スコットランド、ウェールズ地方は、地元の貴族が案内している。一例として18日の日程をあげておこう。アスコット競馬には前日とこの日の2回行っている。

18日 午前 ウィンザー城で静養
   エリザベス女王ご夫妻と一緒にアスコット競馬をごらん
   夕刻 ランベス埠頭からタワー埠頭まで約40分テムズ川の
   ’船旅’を楽しむ
   トリニティ・ハウスの英政府主催の晩さん会出席
   (写真 アスコット競馬場で乗馬を楽しむ美智子妃殿下とマーガレット王女)

宮内庁は気にしていた、遊びと見られるのを。忙しい過密日程のあいまをぬってのつかのまの遊びですよ、と弁明する。同行した八木侍従はロンドンで記者会見して「ユーゴでご夫妻が観光地ばかり回られたように日本の新聞が書いているのは遺憾だ」と語った。

「飛行機に乗ること12回、ヘリコプター6回。午さん、晩さん、レセプションの出席は29回。観光地だけでなく、炭鉱、大学、過疎地の小学校、病院、下水道施設、古城、工場、博物館、競馬場など行く先々でも名の知れていない所まで足をのばされた。お迎えに出た人、たまたま出会った人には必ず笑顔であいさつ。時には赤ちゃんを抱きあげ、子供に絵本を読んであげるなど大サービス。」 ロンドンで日本人を見つけてはミチコさまが声をかけていたのはこの旅行のときのことだ。帰国時の新聞各紙は、過密日程であったがよく親善の成果をあげられたと持ち上げながら、辛辣である。


【毎日新聞】
きょう25日ご帰国-親善の旅、成果は ・・・「お忙しい方」の声 個人的友好だけの感も

・・・しかし、友好、親善といっても旋風のように通りすぎれば、事が足りるというわけではあるまい。「忙しい人」「せっかちな国民」などの声が聞かれたのも事実だ。今、世界中のどこでも日本人が働いている。学んでいる若者もいる。せっかくご訪問の機会を得られたのなら、その国の要人とじっくり話をし、在留邦人が真に力を発揮できるような環境作りを要請するくらいのことをされたらどうだったか。・・・単に皇族の個人的な友好親善を深めた感じさえした今回の外国訪問旅行からは、少しさびしい感じを受けた。


【朝日新聞】
英国での皇太子ご夫妻 楽しまれた“旧婚旅行” 過密日程ものかは やっと味わえた「遊び」

・・・同行した皇太子のご学友の一人は、五三年に独身で訪英された皇太子が「こんどは美智子妃と新婚旅行のやり直しをされているんだよ」と語っている。とすれば、過密な日程を超えたご満足があったと思われる。現地の日本大使館関係者や、同行記者団の間には、それを一つの救いとする空気がある。


【読売新聞】
皇太子ご夫妻ご帰国 フランクな親善 内助の功 ”皇室外交”に新風

・・・こんどのご旅行でのお二人は、フランクに振るまわれ、次代の皇室のあり方を示されたようだった。


各紙、とりあえず持ち上げておいて、皮肉っております。新しい皇室外交のスタイル、それは、午さん会、晩さん会、レセプションに衣装とっかえひっかえでたくさん出席、各地(観光地)をまわってお手ふりや握手、声かけなどフランクにふるまって親善を深める、というものであったようだ。

その年、8月7日-18日まで、16歳の浩宮さまにベルギー、スペインを旅行させて、

1976年8月4日 浩宮、欧州の夏休み
1976年8月14日 自由な旅お楽しみ

などと書かせている。その年の新聞各紙は、恒例の夏の軽井沢長期滞在を伝えていない。読売だけがすみっこに小さく「7月31日に軽井沢へ」と報じたが、いつまで、とは書かなかった。

それにしても、自分たちはエリザベス女王のお招きと称して豪遊してたのに、どうしてオランダ女王のお招きで静養に行くのがいけないのですかね?にぎにぎしく晩さん会をしたり、出歩いてお手ふりをしないことがいけないわけ???

平成の皇太子妃に、愛子さまに、一度はエリザベス女王に会わせてさしあげてほしいと思います。

して、晩さん会の実態は?

「ウィンザー城 華麗な晩さん」として読売新聞(1976.6.17)が伝えるには、

「晩さん会には王室ご一家のほかは英国側からエルワーズ空軍元帥ら八人が出席、本側からは随員の出席もなく、公式ながらも内輪のくつろいだもので、晩さんのあと、女王と美智子さまらの女性グループ、皇太子さまとエジンバラ公らの男性グループに分かれ、約三十分間、食後酒とコーヒーを飲みながら歓談された。」

公式訪問ではないけれど公式の晩さん会で、公式の晩さん会だけど内輪のくつろいだものだから随員の出席は許さず、女王は皇太子ではなく美智子サマにロックオンされ、歓談は三十分しか間が持たなかった華麗な晩さん会、って、わけがわかりませんな。

と、言うか。

筆頭宮妃が華子妃に嫌われているのではなく、
筆頭宮妃をまともに相手にしてくれるのは、
今上だけなんでしょう。
美智子皇后は「自分だけ」の人だし、
筆頭宮妃に優しいのは、
筆頭宮妃が遥かに自分より劣っていて、
自分が優越感に浸れるから。
なんたって、墓石にピンクのポリバケツ、
柄杓ですくった水をぶちかける育ちの人。
「桂宮を皇子と呼ぶ」
美智子皇后とて、優越感よねえ♪
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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