ご夫妻で英国へ初めて行かれた年、昭和の皇太子夫妻=昭和51年 常陸宮ご夫妻=昭和40年

本日も仕事でおつかレーシックなヘカテーです。

疲れていてついつい調べることが億劫になっていますが、

もはや列外派第二管理人じゃないかと思うくらい頑張る梅花藻さんが大変興味深いことを調べてくださいました。

ありがとうございます。

こうやって貴重な情報を読者の方から戴いているから列外派は続いています。

ヘカテー一人だったらハマコーばりに大暴れしてるだけのブログですよ。

常陸宮ご夫妻そろっての初訪英=昭和40年

われらが常陸宮ご夫妻は、昭和40年にエリザベス女王と会っておられるのです、美智子さまよりずっと前に。

昭和40年10月12日、常陸宮ご夫妻は、ヨーロッパ九カ国に向け、50日間にわたる初外遊に出発された。「国賓などの公式ご外遊ではないが、各国との親善交歓、社会福祉施設のご視察などさまざまなスケジュールがくみこまれており」、日程は次のようなものであった。

10/12 出発
10/13-15 デンマーク
10/15-22 フランス
10/22-24 ベルギー
10/24-27 オランダ
10/27-11/9 イギリス
11/9-16 ドイツ
11/16-20 スイス
11/20-22 フランス
11/22-30 イタリア、バチカン
12/1-2  タイ
12/2 帰国

リストにはありませんが、モナコにもいらっしゃったようです。「名代という重い立場」での公式訪問ではありません。兄夫婦が一度もしたことがないという私的旅行です。皇太子はエリザベス女王の戴冠式の際にほとんど国家事業といっていい欧米歴訪をしていますから、義宮にも、という昭和天皇の親心だったのでしょうか。

しかし、パレードや晩餐会などの華やかな公式行事はなかったかもしれませんが、真面目で温厚な学究の徒の宮さまと旧伯爵家令嬢だった妃殿下が、各地で好意を持って温かく迎えられたであろうことは、当時の新聞の片隅のほんの数行の地味な記事からもうかがい知ることができるでしょう。

10月19日、フランスではパリのエリゼ宮で開かれたドゴール大統領主催の昼食会(非公式)に出席、ベルギーでは22日、ボードワン国王の弟アルベール殿下夫妻招待の昼食会、オランダでは26日、ユリアナ女王と会食、女王とベアトリックス王女ご夫妻との写真はWikipediaで見ることができます。
11月3日には「エリザベス女王主催のバッキンガム宮殿における昼食会に出席、女王の暖かいご歓待を受けられた。殿下ご夫妻とエリザベス女王は終始うちとけたふん囲気の中でご歓談され、2時40分に退出された」、10日、ドイツ大統領と会見、スイスではチュージ大統領と会見、25日、ローマ法王パウロ六世とお会いに、26日、イタリアのサラガット大統領主催の夕食会に臨まれ、イタリア最高の勲章である「騎士勲章大十字章」を受けられた。タイではプミポン国王夫妻の賓客として滞在、夕食などをご一緒に。

11月8日、ご夫妻はロンドンで記者団とお会いになり、「とても親切にしていただき、楽しい旅のできたことを感謝しています。バッキンガム宮殿でのエリザベス女王の昼食会では、家庭的なおもてなしで、とくに印象深いものがありました。」と話された。

市内見学やユング・フラウ・ヨッホの登山なども予定されていたようで、お楽しみもあったようですが、私はそれを、観光旅行だ、けしからん、とは思いません。大金をかけた贅沢旅行ではなくこじんまりした私的旅行ですし、めったにないチャンスに、見聞を広めていただき、人脈を築き、皇族としての教養を身につけていただくのはよろしいことなのでは。誰かみたいに、私的旅行はしたことがない、とか言われると、観光のあいまに公式訪問してたのだろう、と言いたくなってしまうだけです。

ま、美智子妃殿下はおもしろくなかったかもしれませんね。私は2ケ月なんてヨーロッパ旅行はさせてもらっていない!! 皇太子妃時代にはヨーロッパ訪問は少なかったようです。美智子妃が結婚後初めてイギリスに行ったのは昭和51年のことです。この恨みが、平成になってからのフルムーンと言われた豪華ヨーロッパ歴訪につながった、としても、不思議なことではたぶんあるまい。

さて、当時の常陸宮ご夫妻のお勉強のレベルを見てみましょう。

-ご旅行の目的は。

宮さま こんどの旅行は、第一に各国との親善を深め、私自身、見聞をひろめたいと思います。

-ご旅行の準備は。

宮さま それぞれ専門の人から訪問国の政治、経済、西洋美術などの話を聞きました。語学は、英語を中心に勉強しましたが...

(宮家の話によるとこの夏は夏休みを返上、宮さまは週5回、華子さまは週2回英会話の勉強をされた)

-ご日程についてご希望は。

宮さま 私は細胞の研究をしているので先生(東大藤井教授)の意見をきき、大学や研究所の見学をふやしてもらいました。各国の研究所のふんいきをつかんできたいと思います。

-妃殿下のご希望は。

華子さま ヨーロッパの美術や、城、病院、社会福祉施設をよくみてきたいと思います。レセプション用に和服も持って行きます。

ドイツではマックス・プランク研究所を視察されているようです。ノーベル賞学者をたくさん輩出している最高レベルの有名な研究所です。見聞を広めたい、の内容は、宮さまはご自身の研究関係を中心に、妃殿下は美術や福祉、と、明確な目的意識がおありだったように思われます。午さん会も適当な時間で切り上げる、という節度のあるもので、こちらのご夫妻の「私的旅行」については、私は好感を持ちます。


なんかいいなーこういう関係。

これこそ皇室外交じゃないですか!

ほのぼのとしていてあったかくて。

なんていうか昭和らしい。

さて、その兄宮で昭和の皇太子夫妻だったきんじょーへーかとミテコさまペアはどうだったかというと

まさかね、昭和時代に当時の皇太子夫婦がイギリスに旧婚旅行に行った、とは思いませんでした。なんで昭和天皇がお許しになったかなあ。ふと昭和51年の英国旅行を調べてみたら、びっくりぽん、相手に過剰な接待を強いるもので目がまわりました。

以下は、1976年6月の皇太子ご夫妻のヨルダン、ユーゴ、英国の3ヶ国歴訪のことである。

1971年、昭和天皇ご夫妻の訪欧、答礼として1975年5月、エリザベス女王が日本訪問。したがって、アキヒト・ミチコのイギリスへの答礼訪問はあるはずがない。ヨルダン、ユーゴを名代として答礼訪問、英国訪問は国賓ではなくエリザベス女王のお客としての旅行であった。事前に発表された18日間に及およぶ長い旅行の日程は次のとおり。

6/8 10:00 出発
  タイ バンコクお立ち寄り プロマピン王宮で一泊

6/9 午後、ヨルダン アンマン着
  フセイン国王ご夫妻と会見、夜晩さん会
  ローマ時代の遺跡ジェラン、ヨルダン渓谷、死海、ヨルダン大学などを見て回る

6/12 午前、ユーゴ ベオグラード着
  アパラ無名戦士の碑に参拝
  ジャルコビッチ副大統領主催の午さん会
  クロアチア共和国のドプロプニクへ
  モンテネグロ、マケドニア、スロベニアの各共和国を訪問
  14日午後 チトー大統領夫妻と会見、午さん会

6/15 夜 ロンドン着
  日本関係の学者らとのレセプションに出席
6/16-18 エリザベス女王の賓客としてウィンザー城に2泊
  アスコット競馬を英王室の方々と一緒にご覧になる
6/19-21 スコットランド地方、
6/21午後-23朝 ウェールズ地方をご旅行、博物館などを視察
6/24夕 ロンドン発
6/25 18:20 羽田着

さすがにこの日程は顰蹙を買ったらしく、旅行中、新聞には次のような見出しが踊っている。

1976.06.14 皇太子ご夫妻、ユーゴ満喫
1976.06.14 アドリア沿岸の観光地お訪ね
1976.06.14 ご乗用機が不明!随員真っ青-国王と“お忍び”夜の紅海で涼
1976.06.16 印象深かったアラビア湾-皇太子さまが感想
1976.06.16 皇太子ご夫妻 思い出の英国入り
1976.06.21 皇太子ご夫妻スコットランドご満喫

ロンドンでは、動物園めぐりを急遽加えた、などと書かれている。
その日程の詳細は割愛するが、ウィンザー城に2泊したほか、スコットランド、ウェールズ地方は、地元の貴族が案内している。一例として18日の日程をあげておこう。アスコット競馬には前日とこの日の2回行っている。

18日 午前 ウィンザー城で静養
   エリザベス女王ご夫妻と一緒にアスコット競馬をごらん
   夕刻 ランベス埠頭からタワー埠頭まで約40分テムズ川の
   ’船旅’を楽しむ
   トリニティ・ハウスの英政府主催の晩さん会出席
   (写真 アスコット競馬場で乗馬を楽しむ美智子妃殿下とマーガレット王女)

宮内庁は気にしていた、遊びと見られるのを。忙しい過密日程のあいまをぬってのつかのまの遊びですよ、と弁明する。同行した八木侍従はロンドンで記者会見して「ユーゴでご夫妻が観光地ばかり回られたように日本の新聞が書いているのは遺憾だ」と語った。

「飛行機に乗ること12回、ヘリコプター6回。午さん、晩さん、レセプションの出席は29回。観光地だけでなく、炭鉱、大学、過疎地の小学校、病院、下水道施設、古城、工場、博物館、競馬場など行く先々でも名の知れていない所まで足をのばされた。お迎えに出た人、たまたま出会った人には必ず笑顔であいさつ。時には赤ちゃんを抱きあげ、子供に絵本を読んであげるなど大サービス。」 ロンドンで日本人を見つけてはミチコさまが声をかけていたのはこの旅行のときのことだ。帰国時の新聞各紙は、過密日程であったがよく親善の成果をあげられたと持ち上げながら、辛辣である。


【毎日新聞】
きょう25日ご帰国-親善の旅、成果は ・・・「お忙しい方」の声 個人的友好だけの感も

・・・しかし、友好、親善といっても旋風のように通りすぎれば、事が足りるというわけではあるまい。「忙しい人」「せっかちな国民」などの声が聞かれたのも事実だ。今、世界中のどこでも日本人が働いている。学んでいる若者もいる。せっかくご訪問の機会を得られたのなら、その国の要人とじっくり話をし、在留邦人が真に力を発揮できるような環境作りを要請するくらいのことをされたらどうだったか。・・・単に皇族の個人的な友好親善を深めた感じさえした今回の外国訪問旅行からは、少しさびしい感じを受けた。


【朝日新聞】
英国での皇太子ご夫妻 楽しまれた“旧婚旅行” 過密日程ものかは やっと味わえた「遊び」

・・・同行した皇太子のご学友の一人は、五三年に独身で訪英された皇太子が「こんどは美智子妃と新婚旅行のやり直しをされているんだよ」と語っている。とすれば、過密な日程を超えたご満足があったと思われる。現地の日本大使館関係者や、同行記者団の間には、それを一つの救いとする空気がある。


【読売新聞】
皇太子ご夫妻ご帰国 フランクな親善 内助の功 ”皇室外交”に新風

・・・こんどのご旅行でのお二人は、フランクに振るまわれ、次代の皇室のあり方を示されたようだった。


各紙、とりあえず持ち上げておいて、皮肉っております。新しい皇室外交のスタイル、それは、午さん会、晩さん会、レセプションに衣装とっかえひっかえでたくさん出席、各地(観光地)をまわってお手ふりや握手、声かけなどフランクにふるまって親善を深める、というものであったようだ。

その年、8月7日-18日まで、16歳の浩宮さまにベルギー、スペインを旅行させて、

1976年8月4日 浩宮、欧州の夏休み
1976年8月14日 自由な旅お楽しみ

などと書かせている。その年の新聞各紙は、恒例の夏の軽井沢長期滞在を伝えていない。読売だけがすみっこに小さく「7月31日に軽井沢へ」と報じたが、いつまで、とは書かなかった。

それにしても、自分たちはエリザベス女王のお招きと称して豪遊してたのに、どうしてオランダ女王のお招きで静養に行くのがいけないのですかね?にぎにぎしく晩さん会をしたり、出歩いてお手ふりをしないことがいけないわけ???

「ウィンザー城 華麗な晩さん」として読売新聞(1976.6.17)が伝えるには、

「晩さん会には王室ご一家のほかは英国側からエルワーズ空軍元帥ら八人が出席、本側からは随員の出席もなく、公式ながらも内輪のくつろいだもので、晩さんのあと、女王と美智子さまらの女性グループ、皇太子さまとエジンバラ公らの男性グループに分かれ、約三十分間、食後酒とコーヒーを飲みながら歓談された。」

公式訪問ではないけれど公式の晩さん会で、公式の晩さん会だけど内輪のくつろいだものだから随員の出席は許さず、女王は皇太子ではなく美智子サマにロックオンされ、歓談は三十分しか間が持たなかった華麗な晩さん会、って、わけがわかりませんな。


うわー、だっせー

お遊び旅行じゃん。

しかもエリザベス女王に気を使わせる始末

ベアトリクス女王自ら

「オランダへいらっしゃい。土地が変われば気分も変わるわ」

と手を差し伸べてくださったことに

「俺たちは私的に海外行ったことなんかありませーん」

とマスコミ使って嫌味をかました癖に!

列外派をご覧のみなさーん!

平成のりょーへーかってこんなレベルですよー!!!
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馬車パレード

>エリザベス女王ご夫妻と一緒にアスコット競馬をごらん

この時のニュースを覚えているんだけど、確か、英国王室の方々と一緒に、アスコット競馬場で馬車パレードしてるはずなんです。NHKニュースで見た記憶あるんです。
色々なサイトで動画探してるんですけど、、見つかりません。


皇后が馬車パレードに固執してるのは、この時の成功体験があったかもしれません。

またまた華子様の話題に嬉しく思います。婚約の報道写真に血筋の良さが滲みでて感動したのを覚えています。陛下の弟宮でありながら、あまり取り上げられないのが残念。
せっかくの受賞にも新調されず~
どなたかのヘンテコな衣装代より、よほど価値がありますのに。いつか御本人にお会いしたいものです。

アッキー&ミッチーが英国訪問した時

いつだったっけ?
両陛下が英国訪問するのだが、公式招聘ではないから行事は無いけど、公式訪問だからと、 グダグダグダグダ 言い訳しながら英国訪問した時があった。

「じゃぴぃあ~ん」 と講演したリンネ学会から帰国する前に立ち寄った時?

なんにしろ、グダグダグダグダ言いながら英国訪問した。

その時に「両陛下と英国王家は親しく交流している。」と報道されていたから、公式招聘ではなくても、さぞかし大歓迎してくれるだろうと思いきや・・・・・・。

普通の昼食会だけだった。しかも英国王家みんな勢揃いではなかった。

つまり 「アッキー&ミッチーは王家と仲良しこよし」 なんてのは、マスゴミが垂れ流しているウソだと思う。
ウソでなければ幻想というか洗脳というか。

実は嫌われて鼻つまみ夫婦なのかもね>アッキー&ミッチー

昭和の皇太子夫妻

「海外にばかり行きたがる」「遊んでばかり」って言われてましたよ。
平成になってから、今度ミサイル飛ばすとか飛ばさなとか言ってる国みたいな印象操作してますけど。

フィリピンも、皇太子時代に行った時は名代だったので、忙しくてマニラ湾の夕日は見れなかったそうです。
今回は念願かなってご満悦だったそうですよ。
インドの時もそうでしたが、今回もセンチメンタルジャーニーに過ぎません。
相手国に車の注文まで出して恥ずかしい。

さぞやお話が弾んだことでしょう

翻って、明仁さん美智子さんは30
分とは…。
エリザベス女王在位60年の際、女王との挨拶をなかなか切り上げようとせず、いつまでもその場から立ち去らない明仁・美智子コンビの醜態を思い出してしまいました。あれはみっともなかったですね。

すっかり立場逆転?

これだけ外国訪問が多く、区切りをつけようともしない天皇皇后は歴代では珍しいものですが、なんだか両陛下は皇太子ご夫妻時代から完全に抜けきれていないようにも見えます。

余程、楽しい外遊が多かったんでしょうか?本来なら、平成の皇太子ご夫妻に名代として譲るべきところは譲るべきなのに、即以後も変わらず、歴代天皇皇后として異例の外国ご訪問を繰り返しています。

もう完全に両陛下が皇太子ご夫妻、昭和天皇が皇太子殿下、香淳皇后が雅子さま、という構図になっていますよね。立場が逆転していると思いますよ(笑)

当時の新聞各紙から皮肉られたのも分かるような気もします。現代は戦前みたいに賛美、賛美ばかりで呆れていますが。

梅花藻様、お忙しい中、当時の新聞記事をまとめて下さってありがとうございます。こちらも勉強になりました。

みんなが情報を持ち寄れば

私はヘカテ―さんにはちょっとした負い目があります。
また、このブログはつぶしてはならない、と考えています。
私の場合、文才があるわけでも学習院に知己がいるとか皇室の事情に詳しいとかいうわけでもありません。できることは、過去に遡って文献を調べるということだけで、それについては若干、人より有利な立場にいる、ということでしょうか。材料は提供しますので、お目にとまれば、お好きなように料理していただければ幸いです。あと1つ、アップしたいものがありますが、しばらく端末にたどりつけませんので。。。

忘れられません

「私たちは私的に海外に行ったことはありません」のテンノーの言葉(裏にミテコさん?背後でキコが入れ知恵しなければまともにものも言えないアホのアーヤと同じ構図?)。何年たっても忘れることはできません。こいつ、病気の嫁をもっと気ぃ良く送り出してやれよ。何という○ツの穴の小さい野郎だ、最低だなと、心底軽蔑しました。それ以来この人物がどんなきれい事を言っても何一つ信用できなくなりました。これが日本の「象徴」かい。恥ずかしいなあ。でも、実質的な権力を行使する立場でなくてまだしも良かった。こんな暗愚な人物に実権を握られていたら、日本はとっくに破滅していただろう。しかし、政治的な実権は無いにしても、残念ながらマスゴミやネットに情報操作される人たちには影響力があるからなあ、と、この老夫婦の報道に接するたびに悶々としています。

ひでえお遊び旅行だ

楽しそうな日程ですわね。
常陸宮さまご夫妻はちゃんと勉強されているのが伝わります。
しかしこういうのを見ると、皇太子さま雅子さまのトンボがえりがイレギュラーなんだと感じます。
トンガ訪問の時も、観光コースが一つ加わっていて安心しましたもの。
ホスト側の国だって、ゆったり寛いで欲しいと願っているのでは‥‥?と思うんですよね。
外国旅行は死んでも譲らんぞとばかりの今上夫妻。国際社会は白い目で見てまっせー!

Re: 馬車パレード

このときの馬車パレードは、たぶん成功体験とまではいかなかったのではないか、と思います。昭和51年6月18日の新聞各紙の記事をつなぎあわせると、十七日のアスコット競馬見物は次のようになります。

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前夜、ウィンザー城に一泊された皇太子ご夫妻は、女王ご夫妻と一緒の車で午後二時、競馬場東側のゴールデン・マイルにお着きになった。ここで、馬車に乗り換えられ、地名の由来どおり1マイルだけ馬車で走り、ロイヤルボックスに入られた。皇太子殿下は、エリザベス女王、フィリップ殿下とご一緒、美智子さまはエリザベス皇太后と同じ馬車。四頭立て馬車四台が、緑の森に包まれたアスコットにゆっくりはいってきた。四万あまりの観客は拍手と口笛でメインスタンド前を進む馬車を迎えながら、この日初めて、皇太子ご夫妻が英国を訪れておられることを知った。英国の新聞、テレビはほとんど今度の両殿下のご訪英を伝えていなかったからだ。(写真:アスコット競馬場に馬車で到着された皇太子殿下とエリザベス女王ご夫妻)
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つまり、美智子サマはエリザベス女王と同じ馬車ではなかったのです。同じ馬車だったら、美智子特番で繰り返し映像が流れたのではないかと思います。

ロイヤルアスコット開催中にはエリザベス女王自らウィンザー城から馬車に乗って臨席、午後2時、女王が馬車で到着されると善男善女が立ち上がって拍手喝采するそうです。このとき歓声があがったのは、思いがけず馬車で現れた女王陛下に対してだと思われますが、自分たちへの歓声、と勘違いした人たちが約2名いたかもしれない・・・


1976年6月19日(朝日新聞)
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乗馬に競馬に 楽しまれた皇太子ご夫妻 英女王らと“ロイヤル騎馬隊”

・・・ロイヤルボックスに陣取られたエリザベス女王は第三レースのゴールドカップが始まる直前、皇太子さまがひざに置かれていたレースカードにご自分が優勝すると思われた馬にマークをつけられた。これを見られた皇太后は、優雅さと微笑こそ失われなかったものの、断固とした表情で”娘”の行為をたしなめ、女王の書き込んだカードを殿下から取り上げ、ご自分のカードと交換された。
これには皇太子さまもドギマギ、馬券は買われなかった。
十八日朝には女王ご夫妻は皇太子ご夫妻を誘い、アン王女とアレクサンドラ王女が加わって城内の広々とした庭で乗馬を楽しまれた。多分、女王が言い出されたのだろう。この”ロイヤル騎馬隊”はいきなり城内を脱出し、ギャロップで約三キロ離れたロイヤル・アスコット競馬場になだれ込んだ。たちまちレース用コースに出て上り下りの激しい円周路を疾走。驚いたのは、城内で乗馬風景を見守っていた女王付き侍従たち。慌てふためいて馬を引っ張り出し、後を追ったが、ついに追いつけなかったという。
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エリザベス女王、お茶目。というか、相手がどう反応するか試したかな? と、最近、リョーヘーカについては眼光紙背、アゲアゲ記事に含まれる毒を探すというひねくれた見方しかできなくなっている私は思ったりします。クイーンママがカードを取り上げなかったら、皇太子は馬券を買った、かもしれません。

ウィンザー城に2泊、晩さん会(公式だけれど内輪の)2回、一緒に乗馬、アスコット競馬へ。女王もせいっぱいのおもてなしをされたのだと思います。といってもお遊びのお相手ですけれど。

だからといって、親友づらして何度も何度も物欲しそうにやってくると、何しに来た?と、お茶だけで追い返したくもなるのではないでしょうか。


ところで、英国といえば秩父宮妃殿下。
請われて日英協会の総裁に就任されたのが昭和28年8月15日。英国訪問は5回にのぼります。

S37.7.21-8.9
S42.1.27-2.7
S49.6.7-6.19
S54.6.4-6.18
S56.10.17-10.28

そんな秩父宮妃の昭和37年の訪英のニュースは次のように報じられています。見出しだけ(読売新聞)。昭和37年といえば、皇太子ご夫妻が高熱でフィリピン訪問を ド タ キ ャ ン した年です。

1962.03.30 秩父宮妃、親善ご旅行 今夏 イギリスとスウェーデンへ
1962.07.03 21日から欧州3国訪問 秩父宮妃、英では国賓待遇
1962.07.06 両陛下が秩父宮妃の送別宴
1962.07.13 「国際親善高めたい」 渡欧の秩父宮妃 記者会見
1962.07.21 秩父宮妃、今夜ご出発 3か国へ親善の旅
1962.07.22 秩父宮妃 訪英の途へ
1962.07.23 秩父宮妃コペンハーゲンに到着
1962.07.24 秩父宮妃ロンドン入り 記者会見、盛んな歓迎
1962.07.24 和服でステートメント 秩父宮妃▽勲章を交換
1962.07.25 マ首相夫妻と会食 秩父宮妃
1962.07.25 英女王とご懇談 秩父宮妃
1962.07.27 秩父宮妃、オ大へ
1962.07.29 エジンバラへ 秩父宮妃
1962.08.01 秩父宮妃、パリ到着
1962.08.04 秩父宮妃、ストックホルムへ
1962.08.04 秩父宮妃、ストックホルム到着
1962.08.09 秩父宮妃きょう帰国
1962.08.10 秩父宮妃ゆうべご帰国 “各国であついもてなし”
1962.08.14 秩父宮妃、賢所に帰国ご報告

記事をひとつご紹介。
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1962.07.25 英女王とご懇談 秩父宮妃
「訪英中の秩父宮妃殿下は二十四日、バッキンガム宮殿でエリザベス英女王とくつろいで話し合われた。妃殿下はこの日宮殿内の園遊会にも出席されたがそれに先だち英王室ご一家と会われるようにとのエリザベス女王のはからいで予定より一時間早く宮殿に赴かれた。女王とのご会談後、妃殿下は着物姿で園遊会にでられたが、会は日英両国の名士八千人が出席した。」
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帰国時にも記者会見があり、エリザベス女王から天皇陛下にあてられた親書を預ってこられた、ということです。

エリザベス女王も、明仁・美智子さんへの接し方とはまるで違う。秩父宮妃殿下に対する敬意が感じられます。昭和の頃はこんなふうに、宮家の外国訪問もきちんと報じられていたのです。(あとの4回はこんなに詳しくはありませんが。)あと4回の訪英も、女王かアレクサンドラ王女のどちらかに会われていたようです。ヘカテーさんじゃないけれど、昭和はよかったなあ、とつくづく思いました。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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