海軍と縁が深かった昭和天皇

なんかフィリピンツアーの影響でへーせーのりょーへーかの話題が多いので、

今日は建国記念日ということで

「無私の天皇」だった偉大なる昭和天皇のお話をご紹介します

岩川隆著『上着をぬいだ天皇』という本にちょっと気になることが書いてありました。

余談になるが、天皇の生い立ちは、なんといっても陸軍よりは海軍と縁が深い。
川村伯爵も海軍中将であったし、のちに御学問所で帝王学を七年間にわたって教えたのも東郷平八郎元帥である。さらに皇位に就かれてからも、最初は大正天皇の侍従長であった徳川達孝が侍従長となったが、以後の侍従長は駐米・駐英大使、東宮大夫をつとめた珍田捨巳のあと、昭和四年から海軍大将の鈴木貫太郎、同じく海軍大将の百武三郎(昭和十一年ー十九年)、海軍大将・藤田尚徳(昭和十九年―二十一年。のち明治神宮宮司)とつづいている。これで海軍びいきになられぬはずがないという気がしてくる。


列外派をご覧のみなさんはもうお気づきですね。

海軍と言えば雅子さまのご先祖さまです。

高祖父である古賀喜三郎海軍少佐は海軍予備校(後の海城学園)を設立し有栖川宮殿下とも親しかった。

曾祖父である山屋他人大将閣下は昭和天皇の御用掛でした。

百武三郎侍従長は山屋他人のご令嬢山屋寿々子さんと江頭海軍中将のご令息江頭豊氏の結婚式の媒酌人です。

山屋他人の息子の山屋太郎海軍中佐は皇族付武官として伏見宮博恭王に仕えていました。

山屋他人の長女の初子(ハツ)は学習院女子部出身で東伏見宮御用取扱

山屋他人の葬儀は海軍葬で、葬儀委員長は前首相で後に最後の海軍大臣となった米内光政でした。

ヘカテーはブックオフで『鎌倉別荘物語』という本を買いました。

そこには鎌倉に別荘を持った名士が記載されているのですが、

それを読むと海軍大将という山屋他人の地位を考えると

子爵は無理でも男爵を受勲できたんじゃないかなーと思います。

ただ、そういった栄典に興味がない実直な人でした。

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旧海軍と縁のある皇室

以前、ある書物で皇室関連の本でしたが、そこで戦前の女官に関する説明を読んだことがあります。

どこかに収納してしまったので、すぐに手元に出すことができなかったのですが、覚えている範囲で。戦前の女官の選任は今とほぼ同じだと思いますが、各地の優秀な女性が選ばれ、その女性の身元や思想、家系などに問題がないか、警察が厳しく調査していたそうです。少しでも問題があれば、女官候補から外されるという話も…。

戦前の女官と一緒に語ることは難しいですが、それぐらい皇室に関わる役職に選ばれる人って、戦後の現在よりもかなり厳しかったと推察しています。何せ、明治憲法下で統治権の総攬者、陸海軍の大元帥という位置づけにあった天皇とその一族を支える訳ですし、宮内省もすっかり天下り官庁に成り下がった今の宮内庁と比べて、マシな方でした。


その上で、山屋他人海軍大将が天皇の御用掛に選任され、そのご子息も当時、海軍重鎮であった博恭王の皇族附武官に、長女の初子女史は東伏見宮御用取扱、と同じ一族が皇室にご奉公されていたのですから、当時の日本を一役を担ったと言ってもいいぐらいです。

ちなみに昭和天皇以外にも、弟宮の高松宮殿下も戦前の海軍時代の影響からか、戦後はその系統を継承している今の海上自衛隊と関わることが多かったようですけど。

旧海軍関係者にとっては、海軍大将を先祖に持つ雅子さまが皇太子妃として、海軍との縁があった皇室に嫁がれたことは、さぞ嬉しかったでしょうね。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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