はしゃいでる親とがんばる息子

梅花藻さまから貴重なコメントをいただきました。

一代飛ばせ!
皇太子殿下、お誕生日おめでとうございます。
昭和の終わり、一代飛ばせ! と言われたというのが、なるほど、と思える写真を見つけました。昭和62年、浩宮さまの初めての国事行為代行のときの記事です。ボストン近郊の観光施設で牛車に乗ってはしゃいでいる昭和の皇太子夫妻の写真の横に、神妙な顔で国事行為代行をしている浩宮さまの写真が並んでいます。画像、あとでメールで送りますね。


そのあとメールをいただきました。
本当にありがとうございます!

その記事というのがこちら
19871005_yomiuri (1)

写真だけを抜き取ると

はしゃいでる親
頑張る息子

うわー、チョーはしゃいでる

浩宮さまは大変だなー。

で調べたら浩宮さまが臨時代行をされている背景が実に情けない。

1987年10月3日に初めて臨時代行をされた浩宮さま

昭和天皇は病気療養中で国事行為はできない。

本当なら臨時代行をやらなければならない明仁皇太子は夫婦で外国旅行

この当時の国民のみなさんは

「ちょっ、天皇陛下がお隠れになったらどうすんの!?皇太子がいないから新しい元号になった時に皇太子じゃない浩宮さまが天皇の役割をしなきゃならないじゃん」

と思わなかったのかな?

昭和はずーっと続くと思っていたから何とも思わなかったのかしら?

へーせーのりょーへーかは先日のフィリピン旅行で「ちょっ、これは・・・。りょーへーかってもしかして・・・」と国民が戸惑うことをされました。

現皇太子である徳仁親王殿下は以前よりも海外へ行かれることは難しくなりそうです。

だっていつ何が起こるかわからないもの。

昭和には次の皇太子になられる浩宮さまがいらっしゃったけど、

へーせーには次の皇太子が空席です。

委任の一覧をウィキペディアで見たけど

明仁皇太子が臨時代行をした回数は5回

対して徳仁皇太子殿下が臨時代行をされた回数は現時点で既に23回
(浩宮時代もいれて)

もういつ天皇になってもOKですね。
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大丈夫です!

天皇不在は有り得ない。
今の天皇が崩御した瞬間に徳仁天皇が誕生します。

徳仁天皇のための即位礼は、平成天皇のための大喪の礼、それに関する一連の儀式が完全に終えて喪明けしてからです。

だから今の天皇のための即位礼が挙行される前に結婚した秋篠夫婦は完全な喪中結婚です。


立太子の礼は、即位の礼が終わった後です。
それまで皇太子という皇族は存在しません。
立太子の礼をしてから名実ともに皇太子となります。

国事を御優先された皇太子さま

皇太子殿下、お誕生日おめでとうございます!殿下、そして妃殿下並びに敬宮さまにとりまして、素晴らしい一年になりますことを願っています!

皇太子さまといえば、随分前に外国ご訪問よりも国事を優先され、お取り止めになったことがありましたよね。

いつかは忘れましたが、本来は水フォーラムにご出席される予定でしたが、天皇陛下が病に伏せられ、国事行為の臨時代行を専念されるため、外国ご訪問をお取り止めになられました。

今の戦後日本にとって、天皇が最も重視しなければならないのは言うまでもなく、国事行為です。皇太子さまは昭和天皇と同じ考えをお持ちで、本当に安堵しています。

お気楽ご両親と聡明なご長男の対比がすごい

皇太子殿下、お誕生日おめでとうございます。先ほど皇太子殿下のお誕生日会見文を拝見しましたが、聡明で的確な無駄のないお言葉、国内外についての広い見識、雅子様や愛子様に対する深い愛情を感じ、どこかの次男夫婦のまとまりのないダラダラ会見を思い出し比べ物にならないと改めて思いました。

上記新聞記事、なかなかナイスなレイアウトですね。国事行為代行をご長男に押し付けて海外で大はしゃぎする明仁さんと美智子さんの写真、その下に粛々と国事行為臨時代行をなされる当時の浩宮殿下のお写真…以前も同じようなコメントを書かせていただきましたが、海外訪問はあくまでもただの公的行為の一つであって憲法上の国事行為ではないのに、当時の皇太子夫妻は国事行為の方を軽視して浩宮殿下に丸投げし、自分たちはサッサと海外旅行に繰り出してしまったんですよね。昭和帝のご体調が思わしくないのにこの笑顔…普通なら昭和帝のご病気を考慮し、いつ国事行為を代行してもいいように海外など行かずに国内に待機しませんか、明仁さん?
やはり海外行きは相当楽しいんですね。だからいつまでたっても現皇太子ご夫妻に海外公務を譲らないのね、とイヤミの一つでも言いたくなりますよ。

この時期にアメリカ親善したとは…

あまり記憶になかったのです。
昭和天皇は調子を崩され、9月22日手術を受けられました。
「玉体に初めてメスが入った」と、そっちが大騒ぎでしたので。
実際は、開腹したものの手の施しようがなく、そのまま閉じられたということですが、ガンだといのは昭和天皇には伏せられたようです。
退院されたのは、10月7日ですから、入院中に出かけたということですね。

前から決まっていたのでしょうが、今の秋篠宮と同じで、明仁皇太子はあんまり注目されていなかったので、それをいいことに好きなことやってたな、と思いました。
アメリカはドル安で財政赤字がふくらみ、プラザ合意では、しゃんしゃんしゃんと日本の円高維持が決まりました。
連立政権は崩壊し自民党単独内閣でしたし、中曽根首相がレーガン大統領とは「ロン」「ヤス」と呼び合うほど仲良しだということで、アメリカからいろんなものを買ってあげました。
そんなふうですから、明仁皇太子が夫婦してアメリカへ親善で行かなければいけないようなご時勢でもありませんでした。
レーガン大統領は、おとなしくて売り手のいうままの最大顧客にお礼を言いたかったのでしょう。
メディアにのるのは、たいていミテコさまの方でしたが、出かけた時だけはひっそりだったような覚えです。

週刊誌も心得ていたのだと思いますw

No title

言葉を添えなくても一枚の写真でよくわかりますね。
普通の親だと、できた息子に才媛が嫁げばそれが自慢になるのに
こちらは自分たちが一番、たとえ息子でも自分を超えれば、引き摺り落とさなければ気が済まない、方たちです。
偶にこんな毒親はいるのでしょうが、これが国の象徴ともなれば、国民は迷惑な事です。
せめて、引き際を綺麗にしてくれれば、すべて忘れてあげましょう。

国事行為の臨時代行

浩宮さまが初めて臨時代行をされた時点で、当時の皇太子の臨時代行の回数は3回ですか。
海外旅行が2回と、ご病気が1回。
昭和天皇の手術は、昭和62年9月22日です。
この時、手術から2週間ほどですね。

平成になると、アホな皇室評論家が、やれ天皇が風邪を引いてるのにスキーに行くとは何事かとか、天皇が手術した年の夏に静養するとは何事かと喚くようになりましたが、
昭和の皇太子一家は昭和63年の夏まできちんと軽井沢にお出かけですからね。
どの口が言うかと思います。
あ、昭和63年の大晦日にも東宮御所にお友達を呼んでたんでしたっけ。
国民は過剰なくらいいろいろなことを自粛してたのに。

昭和の国民でした。

昭和の皇太子が陛下の臨時代行した時の、ペンを持ったまんま固まっている様子が、今も目に浮かびます。
(ダメだな~この人)
そう思いました。
浩宮さまは、代行できてあたりまえ。意外なのは、高校生だった紀宮が皇太子代行をちゃんとやったこと。
だから、秋篠宮夫婦がまともに皇太子代行できなかった時は、高校生ができたんだぞ!と嘲笑いました。

昭和時代から言われていた事

昭和時代から


「今の皇太子___明仁皇太子___は天皇の器ではない。
明仁皇太子では天皇は務まらないから、一代飛ばして、浩宮徳仁親王に天皇になっていただこう。とにかく明仁皇太子はダメだ。」


と言われていました。


昭和時代を知る人間は、そういう話を聞いたことがあり知っているはずです。

今の天皇を褒めちぎる人のなかに昭和生まれの人が少なからずいますが、そういう人たちは皆「明仁皇太子を飛ばして浩宮さまに即位していただこう。」という話を聞いているはずですよ。

なんとまぁ

至極真っ当な意見は皆さんにお任せして。

ミテコの衣装…スゴい。
肩幅、半端ないですね。
左肩が『交代し(コータイシ)』に隠れてませんぜ…汗

父帝が手術でも、外国旅行はやめません

驚きました。

昭和天皇が手術をした2週間後の昭和62年10月3日に、アメリカ旅行ではしゃいでるなんて。この時、昭和天皇はまだ入院中でした。
父の寿命がもうすぐ終わりそうだということで、嬉しさをかくしきれなかったのかも。

昭和天皇は、この年の4月の誕生日の祝宴で嘔吐して以来、体調がすぐれず体重も落ち、9月に入ってレントゲン等で精密検査、9月22日に歴代天皇初の外科手術を受けられました。

当時、私は大学生でしたが、それはそれは大ニュースでした。
「玉体にメスをいれてよいのか」というような(今の若い人には理解できないでしょうが)議論まで起こったぐらいです。
全国で、記帳や祈祷も行われました。

すでに手術前の検査でがんの疑いが強いことはわかっていたようですが、国民には慢性膵炎と発表されました。

手術は十二指腸のバイパス手術のみが行われ、がんの切除は行われませんでした。
すでに手遅れの状態だったと、だいぶ後になって報じられたと思います。

今上夫妻はこんな切迫した状況のなか、事前の予定通りアメリカに旅行したんですか?今なら、「すぐに取りやめろ!」と言われますよ。
皇太子ご夫妻が、今、同様の状況で同じように行動したら、半殺しの目に遭うでしょう。

採取した細胞からガンが確定し、親族に告知されたのが、アメリカから帰国して初めて今上夫妻が見舞いに行った10月16日。
のんびりしたもんです。

ところで、この新聞記事の美智子さんの服、棒でも入れてるかのようなものすごい肩幅と肩パットですが、この旅行の衣装代も数千万かかってるんでしょうね。
昭和天皇は、春からずっと嘔吐が止まらず具合が悪かったというのに、嫁は衣装三昧、旅行三昧ですか。

もし画像が見つかりましたら、ぜひ、この米国旅行での衣装を全部見てみたいです。
バブル期でしたし、大統領夫人は元女優のナンシー夫人でしたから、競うように派手に用意していったでしょう。

老親が手術した直後なのに、「そんなに外国に行きたかったのか!」と言ってやりたいですよ、昭和の愚かな皇太子夫婦に。

アメリカ旅行 補足

10月3日に日本を出発、3日の深夜にボストンに着き、3日と4日はライシャワー元駐日大使のご自宅に宿泊、4日にプリモスの「メイフラワー2世号」と「プランテーション」を視察、ジョン万次郎ゆかりの地のフェアヘブンを訪問しています。ジョン万次郎のほうがメインのはずですが、お遊びのプランテーションではしゃいでいる写真を持って来て浩宮様と並べたところに、やってられんわ、という新聞記者の意図があったように思うのは考えすぎでしょうか。

これは1987年10月5日の読売新聞の記事ですが、ジョン万次郎ゆかりの地で歓迎され子孫と会ったとの記事は別記事で社会面に掲載されています。朝日新聞は3面に同様の構図の2つの写真が掲載されていますが、ジョン万次郎のことも書いていてことさらに「観光」を表に出しているわけではありません。毎日新聞は1面に浩宮様の写真のみ、下段ですが大きく掲載されています。どれも、メインは浩宮さまですね。

このアメリカ行きは名代ではなくレーガン大統領の招待ということになっています。

本当は前年の1986年の5月下旬から6月に行くことになっていましたが(その頃は訪米よりも韓国訪問が話題となっていた)、3月の美智子妃の子宮筋腫の入院・手術のため延期になりました。翌年の4月に10月の訪米が決定、9月8日に日程が決定、そのときの予定では10月3日から20日の18日間で9都市(ボストン、ワシントン、ニューヨーク、チャールストン、アトランタ、カンザスシティー、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ハワイ)を回る予定になっていました。昭和天皇の入院と手術のため、9月21日に皇太子が国事行為臨時代行へ、9月24日に日程を8日間に短縮することが決まった、ということで、

ボストンのあと、10月5日-6日はワシントン、5日はレーガン大統領主催の晩さん会、6日は答礼晩さん会、7-9日はニューヨーク、7日にブッシュ副大統領とテニス、8日バイニング夫人と会っています。分刻みのスケジュール(!)で、ハーレムにも行っていますが、ハーレム訪問をめぐっては国務省が視察を取りやめるよう忠告したとして騒動がおきています。

昭和天皇は、9月22日に手術、退院されたのは10月7日ですから、出発したのは入院中のこと、そして正確な病状は皇太子なら知っていたはずですから、無理してまで行く必要のない旅行だったとは思いますが、1度延期してますし2度は延期できないのはごもっとも、それに外国には当分行けないだろうから、と強行したのでしょうか。急な日程短縮のため、新調したお洋服がだいぶ無駄になってしまったことでしょう。(爆)

カキフライさま

昭和62年の訪米時のお写真が、Wikipediaの「皇后美智子」のページにいくつかありました。

よく「美智子様の着回し例」として使われる紺と白の片身替わりのドレスと真っ赤なドレスのナンシー夫人は知っていたのですが、“1987年(昭和62年)今上天皇と共に アメリカにて”の注釈付きの写真で被ってらっしゃる帽子、何かに似てますよねえ。
皿化の前触れでしょうか。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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