キー子さまの母方の祖父母 杉本夫妻

あまりにもエキセントリックなイトコばあちゃんに隠れていて目立たないキーコさまの母方の祖父母

杉本夫妻

静岡市在住の杉本嘉助・栄子夫妻

えー、おじいちゃんの仕事は整体治療院を開いていたマッサージ師です。

↑の写真を見る限り、イトコばあちゃんよりも杉本夫妻の方が付き合いやすそうです。

喪中婚約からの結婚について杉本夫妻は

「昔話の『かぐや姫』のおじいさんとおばあさんのような気持ちです」
「(映画ローマの休日のオードリーを例に挙げて)ただの田舎娘が王女だったとわかったときのような心境にいまの私たちの心持ちは似ています。ただし、この物語を違うのは、紀子は礼宮さまというご立派な方のもとへ嫁いでいくのだから、安心し、うれしく思っています」


栄子おばあちゃんは結婚祝いに杉本家にあったアップライト型の古いピアノを贈りました。

「この家に和代が弾いていた古いピアノが置いてありまして、紀子ちゃんたちが遊びに来たときに、よくピアノを弾いて聴かせてくれました。だからピアノを弾いたときに、私たちのことを思い出してくれるのではないかと・・・・・・」

母方の祖母と一緒に
(杉本家の庭で撮られた10か月のキーコさまと栄子おばあちゃん)
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非常識

この写真ではきちんとスーツを着ていますが、ステテコで出てきた時は衝撃でした。
なんて非常識なんだろうと思いました。
そんなの「気取りがない」とは言いません。
普通の祖父母なら、孫娘が恥をかかないように、後ろ指を指されないようにと考えるはずです。
おかしいんですよ、父方も母方もこの家は。

ピアノの贈り物

グランドピアノではないとはいえ、ピアノの贈り物はまあ普通に
ありそうですね(かなり古いもののようですが)
少なくとも聖書や「古いエスキモー人形」を贈るよりは感覚は普通です(笑)

ただ、栄子おばあちゃんがキーコさまを抱っこしている写真の
バックが…後方に布オムツらしき洗濯物がはためいているし
何故か瓦のない屋根が写っています。これって杉本さん宅の
お庭なんですよね。何とも不思議な場所だと思います。

ステテコ姿の杉本嘉助さん

この母方祖父の、上下とも下着のステテコ写真はないのでしょうか?
紀子さんと同世代の我々にとって、杉本嘉助さんといえばステテコです。

婚約が決まった直後、ワイドショーのレポーターの取材に対し、この嘉助さんが下着姿で出て来て、仕事で長年使い込んできた古びたマッサージ器具について、熱心に説明していたのをよく覚えています。
たしか、自宅とマッサージの仕事場が一体となった、職住一致の非常に粗末なお宅でした。

ステテコ下着姿だったのも驚愕でしたが、その下着も夏物で薄い素材でしたから、ちょっと透け感があって、見ていてヒヤヒヤしました。
祖母の栄子さんも、夏物の「あっぱっぱ」にエプロン姿だったような・・・。
今ならちょっと、放送できないと思いますよ。
まあそれでも、お二方とも、人柄のよさそうな印象ではありました。

ワイドショーの司会者もレポーターも、内心、仰天していたと思います。
自宅の職員アパートといい、この静岡の祖父母といい、それまでの皇室の常識に照らして率直に思うところを述べると、それは即「差別的な発言」になってしまうから、誰もあからさまには言いませんでしたが・・・・。

また、当時はバブル絶頂期で、日本国内でどんな生活ぶりでも、世界レベルで見れば日本人はみんなそこそこ金持ち、というおかしな錯覚もありました。

しかしその後、当初のインタビューで見た家とは全く別とおぼしき家が母方祖父母の自宅となっている写真が掲載されたり、満鉄勤務のはずが、戦争中に静岡の鉱山で働いていたとかいう話も出てきたり・・・・。どうも胡散臭いですよ。

結婚の直前には、この母方実家について「ロイヤルマッサージ」と書かれた嫌がらせのビラがばらまかれ、ニュースになりました。

昭和天皇が亡くなられて、わずか8か月後の婚約発表。
香淳皇后に判断力が残されていれば、決して無かった結婚だったと思います。
他の宮家の皇族からは反対の声があがっていたとも報じられました。
皇室のものすごい転落ぶりを暗示する結婚でしたね。

いくつか後の記事(「仲良きことは美しきかな」)に、三笠宮、高円宮、常陸宮の4人の妃殿下方の写真がありますが、これって平成2年ですから、紀子さんの皇室入り直前のものです。
よくもまあ、こんな顔ぶれと雰囲気のところに図々しく乗り込んで行けたものです。
会話も成り立たず、疎外感ばかりが膨らんだ結果が、「ズルと不正の総合商社」でしょうか?

今になって思い返すと、平成の災厄は、この初年の婚約から始まっていたのだな、とつくづく感じます。

満州鉄道時代の写真など公開されましたか

この杉本さんですよね?
満州鉄道の幹部だったとか総裁だったとか言われている人は。

満州鉄道のエグゼクティブなら、それなりの写真が歴史資料として残っていると思います。
例えば、就任時の写真とか。
満州鉄道の幹部なら、大日本帝国や満州帝国の要人や軍人て会っていても不思議ではないし、そういう時の写真があっても不思議ではない。

この杉本さんは、満州鉄道時代の写真が残っていないのですか?

引き揚げ時に苦労したそうですが、終戦直後まっ先に逃亡したのは満州鉄道や関東軍の幹部だったという話があるのですが。

満州鉄道の幹部だの総裁だのならば、その奥方様も相応な女性であるはずなので、幼少時の写真など残っているはず。

杉本夫妻の、そういう写真ありますか?
お持ちの方いましたら公開お願いします。

Re: 満州鉄道時代の写真など公開されましたか

ありません。

しかも満鉄時代の経歴に「あれ?」ということが以前から指摘されています。

満鉄に勤めていたはずなのに、西伊豆の炭鉱に勤めていたのではないか?

>戦時体制と明礬石開発
ここでは西伊豆での明礬石鉱山への強制連行についてみていきたい。
西伊豆の宇久須と仁科では明礬石が採掘された。・・・・
宇久須鉱山へは六〇〇人ほどの朝鮮人が強制連行された。
厚生省名簿をみると、一九四四年五月に全南宝城などから七五人が連行され、
一九四五年二月には四一三人が忠南論山・公州ほか各地から連行された。
このなかには三菱名古屋からの転送者四八人も含まれている。
一九四五年五月には土肥鉱山から九二人が転送された。
鹿島組の鉱山土木工事へと連行された人々もいたから、八〇〇人ほどが宇久須鉱山関係で連行されたとみられる。・・
労働者への暴力的労務管理が日常的であり、その暴力への怒りは、団結しての直接行動へと転化した。
あるいは就労の拒否・逃亡として表現されたこともあったであろう。

勤労課長 杉本嘉助 一九四五・五・一 ~ 一一・三〇 <

朝鮮人強制連行者の暴動がおきたのが、45年5月27日だから、杉本嘉助になってからの事件だった。
「暴力的労務管理」をやったとある。

ただの同姓同名の別人なのかあるいは・・・?

それと、杉本家があったのって静岡駅の南口でしょ?

結構やばいところみたいです。

wikiによると

紀子さんの出生地 静岡市
川島辰彦氏の本籍地 和歌山市
となっています。
雅子様が生まれた時は「世田谷区桜上水」に住んでいたとなっていますが、紀子さんが生まれた地域に関してこれ以上は載っていません。
川島教授のライフワークは同和問題ですし、疑いをもたれるのは当然で、問題ないなら堂々と載せるべきでしょう。
「徳川の所有地に縁のあるひと」そんな書き込みを見た記憶があります。
褒めているのではありません。
潰していってるイメージです。

二回の噂、うちの母は自民党後援者から聞いたようです。
「紀子さんって父親を毛嫌いしているみたい。両陛下の前でも父親をこきおろし、美智子さんが止めていた。」
という話も聞いてきたようです。


美智子さんに止められるって…
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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