昭和天皇と那須の子どもたちの話

那須にお住いの高久甲さまのコメントをご紹介します。

戦争中の話です。
兵隊に行った大きいアンニャ(兄さん)が支那で戦死した頃。私の父とすぐ上の兄(私には伯父)、分家の従兄弟、父の姉の嫁ぎ先のいちばん下の弟、みんな10才くらい。
兄の戦死は名誉と教えられていたし、疑問に思う複雑な思考もなく、悲しみもせず元気に夏休みを迎えていました。
夏休みと言ったってどこかに遊びに連れて行ってもらえるわけでなし、カボチャ作って(栽培して)遊んでいたら、とてもよいカボチャが取れました。
「陛下に献上しよう」
まあ、何かよいものが収穫できたら陛下に献上と言う土地柄。いちばん幼かった私の父親の名前で「(戦死した兄の)遺族代表」と言う名目で親に申し出てもらい、子供らで大八車にカボチャ積み、御用邸に行ってしまったんです。門衛との押し問答は多少あったようですが、昭和の陛下はなんと、御用邸の建物からお出ましになり、子供らを待っていてくださったようで。(ご自分の皇子方とは離れて暮らさねばならなかった陛下です。なんとなく土民の子供らを哀れに思し召したのかもしれません。)
「カボチャも、こんなに大きくなるのだねえ」
「こんなに大きくては、私達では食べきれない。自分達で食べなさい」
昔のおとな、ことに戦争中で男手を取られて忙しい、子供の話も聞いている暇も気もない。それを「日本でいちばんえらい天皇陛下」が自分らの話を聞いてくださったと、田舎の子供らは大感動して(親より陛下のほうが好きだ)そう思った、これもまた昔の話です


コメントありがとうございます。

いい話だなー。

きんじょーへーかは「那須は嫌い」と記者会見で皇太子時代に言っちゃったけど、平成の次の時代の天皇陛下である徳仁皇太子殿下は那須がお好きだからありがたいですね。

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貴人は悪感情を言葉にしない

>「那須は嫌い」と記者会見で皇太子時代に言っちゃったけど

「好き」も露骨に言ってはダメだけど「嫌い」は絶対タブー
大膳の料理人はお食事の食べっぷりから、陛下の好き嫌いを必死に探ろうとしたとか。
力士やテレビ番組の好みも「私が言えば影響力が強いから」と黙っておられた、昭和時代は。

それがまあ、その息子はしゃあしゃあと言ってのけるよね。
口にしないまでも態度で露骨に出す。
これのどこが貴人なんだろう。

那須の扇屋さん、今上夫妻や秋篠家にちなんだお菓子、一つも作らないもんね。作ったって売れないしぃ。
ω君誕生慶祝饅頭、いくつ売れたっけ。
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ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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