皇太子殿下がお話しされた喜久子さまの思い出

ヘカテーが会いたい故人第一位の喜久子さま

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おじいさまは最後の将軍という徳川家と有栖川宮家というまさにプリンセスの中にプリンセスというお方なのに

気取ったところがまったくなくて非常にカッコいいお方でした。

雅子さまを大変かわいがられ、

昭和の皇太子妃にはあげなかった照憲皇太后から喜久子さまのご母堂へ贈られた扇子を雅子さまに譲られました。

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はい、ご注目!

美智子さまにはあげなかったけど、雅子さまにはお母上の形見でもある扇子を贈られたのです!

喜久子さまは敬宮さまがお生まれになった際には

心から喜ばれ、なんと歌を三首詠まれたほどでした。

そして

「皇室典範を変えて、敬宮さまを天皇になれるようにしよう!」

と手記を書かれました。

過去記事 喜久子さまは仰った「女帝OK!カイザリン誕生!」

そんな喜久子さまが薨去された翌年の2005年の皇太子殿下の誕生日記者会見でのご発言

昨年の12月に高松宮妃殿下が亡くなられたのは,とても残念なことでした。幼少のころからよくしていただき,また,結婚後は折に触れて宮邸へお招きくださり,昔のことも含めいろいろなお話をしてくださいました。ご結婚後間もなくアメリカを訪問された折,禁酒法時代のことですが,妃殿下が晩餐会の席上,「先日の午餐会では堂々とワインが出ましたが,あれはどういうことですか。」と言われたことを当時のフーバー大統領が聞いて笑い,現地の新聞に,笑わない大統領が笑ったと書かれた話をうれしそうにされ,「そうしたら,すぐに宮内省,今の宮内庁から『言動にはお気を付けになるように』と小言言われちゃったのよ。」といたずらっ子そうなお顔をされておっしゃったことなど忘れられません。雅子の健康にも気を遣ってくださっていたこと,また,愛子が生まれた折には和歌も詠んでくださるなどその多くのご厚意を有り難く思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h17az.html

喜久子さまって本当にユーモアがある!

一緒にいて楽しいお方ですね。

>雅子の健康にも気を遣ってくださっていたこと,また,愛子が生まれた折には和歌も詠んでくださるなどその多くのご厚意を有り難く思っております

ユーモアがあって、優しくて本当に素晴らしいお方でした。

高貴高齢者は天災が起こるとすぐ被災地へ行こうとしますが、

喜久子さまは阪神淡路大震災の時には、「私が行っても役には立たない」と長年のご活動で培った人脈を使って現地にお医者さんや看護師を派遣しました。

こんなに素晴らしいお方を昭和からずっと

「ミッチーを虐める意地悪婆」

とマスコミに書かせたんだからひどい話ですよね。

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和歌以外にも

喜久子様の有栖川流書道のすばらしさは有名だと思いますが、その有栖川流で、「愛生」と書かれた書をお皿に焼き付けたものを私、目にしたことがあります。 

高松宮妃喜久子様は、敬宮愛子内親王殿下ご誕生をたいそうおよろこびになり、記念に筆をとられて、「愛生」とお書きになり飾り皿にしてご自分のお部屋に置かれていたそうです。 

現在の愛子様のご成長をご覧になられたら、さぞお喜びだったことと思います。

アンチが流布するデマ

高松宮妃喜久子さまが生前、皇太子ご夫妻を常に気にかけ、敬宮さまのご生誕の際には歌を詠まれるほどお喜びになられたのは、周知の通りですが、以前、アンチ東宮系列のブログなどを見たとき、なぜか皇太子ご夫妻は喜久子さまのことを嫌っていたというデマを流布していることを知りました。

その理由として、喜久子さまが雑誌に記された「雅子さまはきっと期待に応えてくれる」という部分などに雅子さまが反発し、敬宮さまを会わせることを拒んだこと、喜久子さまが薨去された後の喪儀において、高松宮家関係者らが皇太子ご夫妻を冷ややかな目で見ていたということでした。

しかし、それはおかしなことですわ。まず、喜久子さまが寄せられた寄稿文ですが、私も一度拝読したことがあります。確かに喜久子さまは雅子さまに期待を寄せていたことは事実ですが、それはあくまでも雅子さまにこれ以上の負担にならないように周囲が配慮すべきという前提によるお気持ちでした(雅子さまにプレッシャーを与え続けた一部の宮内庁関係者への牽制とも受け止められる内容)。そして、もしもというときのことを考え、歴史的にも前例のある女性天皇の容認を発言されたのだと思います。

雅子さまが喜久子さまに敬宮さまを会わせなかったという話もおかしなものです。2003年12月までの皇太子ご夫妻は敬宮さまご誕生後もご多忙な日々が続き、「敬宮さまとお会いしたい」と希望された高円宮さまでさえ、なかなかお会いする機会がありませんでした。そして、当時の喜久子さまは体調を崩され、療養生活の日々が続いていましたし、とても皇太子ご一家と直接お会いできる状況ではなかったと思います。

ちなみに喜久子さま薨去後の『皇室Our Imperial Family』の中では、長年お世話になった喜久子さまに、雅子さまは敬宮さまを会わせられなかったことを悔やまれ、せめて一連の喪儀にはお出ましになりたいと、「体調が万全でない中で出席された」と書かれていました。そして、ヘカテー様が紹介して下さった当時の皇太子さまの誕生日記者会見でのご発言。とても喜久子さまを嫌われているという方々が取る言動とは思えません。高円宮さま薨去の時と同様、両殿下の喜久子さまへの思いがしっかりとこちらに伝わってきます。

大体、もし本当にお嫌いなら、敢えて喜久子さま薨去の件には触れない、又は一言で済ませるとかになるはずです。かつて秋篠宮が高円宮さまがお亡くなりになられた後、そのことに軽く触れたように。


そういえば、話が変わりますが、図書館で借りている過去の『皇室Our Imperial Family』の中に、秋篠宮妃が当時の紀宮さまと仲良くチャリティー試写会にお出ましになっている写真を見ました。確か2003年3月7日のものです。信子さまや久子さまのように他の皇族と笑顔で話す写真が宮妃にはないだろうと思っていましたが、「ああ、そういえば唯一紀宮さまとは仲良しこよしだったんだっけ」とその写真を発見した時は思いました。

真のプリンセスとは。

真のプリンセスは、生まれた時からプリンセスで、それ以外のものになったことがないため、「プリンセス気取り」をする必要がない。
ゆえに、なによりの望みが「はとバスに乗ってみたい」だったりする。
はとバスに変装して乗ろうが、黒いゴム長靴を履こうが、プリンセスなんである。
農業の視察で田んぼの中に入る時にもハイヒールを脱がずに田んぼに板を敷かせたり、京都御所を土足で歩いたりする「プリンセス気取り」とは、一線を画す。
また、プリンセスあるいはプリンスなど真の貴族は、ふだんは非常につましいものだ。
なぜなら、すがってくるかつての家臣達の面倒を見なければならないからだ。皇族ともなれば、すがる国民の面倒を見てあたりまえ。
自分が皇族特権にすがりつくのが精いっぱいでは、どれほど着飾ろうと「使用人」にしか見えはしない。

さすが射手座様!

いいこと言ってくれました!
真のプリンセスは気取らないで自然体でいられることです!


こんな私でもこんな風に振る舞えたらいいですね。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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