2016.05/25 [Wed]
皇太子殿下がお話しされた喜久子さまの思い出
ヘカテーが会いたい故人第一位の喜久子さま

おじいさまは最後の将軍という徳川家と有栖川宮家というまさにプリンセスの中にプリンセスというお方なのに
気取ったところがまったくなくて非常にカッコいいお方でした。
雅子さまを大変かわいがられ、
昭和の皇太子妃にはあげなかった照憲皇太后から喜久子さまのご母堂へ贈られた扇子を雅子さまに譲られました。
[広告] VPS
はい、ご注目!
美智子さまにはあげなかったけど、雅子さまにはお母上の形見でもある扇子を贈られたのです!
喜久子さまは敬宮さまがお生まれになった際には
心から喜ばれ、なんと歌を三首詠まれたほどでした。
そして
「皇室典範を変えて、敬宮さまを天皇になれるようにしよう!」
と手記を書かれました。
過去記事 喜久子さまは仰った「女帝OK!カイザリン誕生!」
そんな喜久子さまが薨去された翌年の2005年の皇太子殿下の誕生日記者会見でのご発言
昨年の12月に高松宮妃殿下が亡くなられたのは,とても残念なことでした。幼少のころからよくしていただき,また,結婚後は折に触れて宮邸へお招きくださり,昔のことも含めいろいろなお話をしてくださいました。ご結婚後間もなくアメリカを訪問された折,禁酒法時代のことですが,妃殿下が晩餐会の席上,「先日の午餐会では堂々とワインが出ましたが,あれはどういうことですか。」と言われたことを当時のフーバー大統領が聞いて笑い,現地の新聞に,笑わない大統領が笑ったと書かれた話をうれしそうにされ,「そうしたら,すぐに宮内省,今の宮内庁から『言動にはお気を付けになるように』と小言言われちゃったのよ。」といたずらっ子そうなお顔をされておっしゃったことなど忘れられません。雅子の健康にも気を遣ってくださっていたこと,また,愛子が生まれた折には和歌も詠んでくださるなどその多くのご厚意を有り難く思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h17az.html
喜久子さまって本当にユーモアがある!
一緒にいて楽しいお方ですね。
>雅子の健康にも気を遣ってくださっていたこと,また,愛子が生まれた折には和歌も詠んでくださるなどその多くのご厚意を有り難く思っております
ユーモアがあって、優しくて本当に素晴らしいお方でした。
高貴高齢者は天災が起こるとすぐ被災地へ行こうとしますが、
喜久子さまは阪神淡路大震災の時には、「私が行っても役には立たない」と長年のご活動で培った人脈を使って現地にお医者さんや看護師を派遣しました。
こんなに素晴らしいお方を昭和からずっと
「ミッチーを虐める意地悪婆」
とマスコミに書かせたんだからひどい話ですよね。

おじいさまは最後の将軍という徳川家と有栖川宮家というまさにプリンセスの中にプリンセスというお方なのに
気取ったところがまったくなくて非常にカッコいいお方でした。
雅子さまを大変かわいがられ、
昭和の皇太子妃にはあげなかった照憲皇太后から喜久子さまのご母堂へ贈られた扇子を雅子さまに譲られました。
[広告] VPS
はい、ご注目!
美智子さまにはあげなかったけど、雅子さまにはお母上の形見でもある扇子を贈られたのです!
喜久子さまは敬宮さまがお生まれになった際には
心から喜ばれ、なんと歌を三首詠まれたほどでした。
そして
「皇室典範を変えて、敬宮さまを天皇になれるようにしよう!」
と手記を書かれました。
過去記事 喜久子さまは仰った「女帝OK!カイザリン誕生!」
そんな喜久子さまが薨去された翌年の2005年の皇太子殿下の誕生日記者会見でのご発言
昨年の12月に高松宮妃殿下が亡くなられたのは,とても残念なことでした。幼少のころからよくしていただき,また,結婚後は折に触れて宮邸へお招きくださり,昔のことも含めいろいろなお話をしてくださいました。ご結婚後間もなくアメリカを訪問された折,禁酒法時代のことですが,妃殿下が晩餐会の席上,「先日の午餐会では堂々とワインが出ましたが,あれはどういうことですか。」と言われたことを当時のフーバー大統領が聞いて笑い,現地の新聞に,笑わない大統領が笑ったと書かれた話をうれしそうにされ,「そうしたら,すぐに宮内省,今の宮内庁から『言動にはお気を付けになるように』と小言言われちゃったのよ。」といたずらっ子そうなお顔をされておっしゃったことなど忘れられません。雅子の健康にも気を遣ってくださっていたこと,また,愛子が生まれた折には和歌も詠んでくださるなどその多くのご厚意を有り難く思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h17az.html
喜久子さまって本当にユーモアがある!
一緒にいて楽しいお方ですね。
>雅子の健康にも気を遣ってくださっていたこと,また,愛子が生まれた折には和歌も詠んでくださるなどその多くのご厚意を有り難く思っております
ユーモアがあって、優しくて本当に素晴らしいお方でした。
高貴高齢者は天災が起こるとすぐ被災地へ行こうとしますが、
喜久子さまは阪神淡路大震災の時には、「私が行っても役には立たない」と長年のご活動で培った人脈を使って現地にお医者さんや看護師を派遣しました。
こんなに素晴らしいお方を昭和からずっと
「ミッチーを虐める意地悪婆」
とマスコミに書かせたんだからひどい話ですよね。
スポンサーサイト
和歌以外にも
高松宮妃喜久子様は、敬宮愛子内親王殿下ご誕生をたいそうおよろこびになり、記念に筆をとられて、「愛生」とお書きになり飾り皿にしてご自分のお部屋に置かれていたそうです。
現在の愛子様のご成長をご覧になられたら、さぞお喜びだったことと思います。