「良宮が少しでも昔を思い出してくれたなら」と猪苗代湖へご旅行された昭和天皇と良子さま

お噂スレを見てたらこんな書き込みがあった


381 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/05/31(火) 17:20:10.53

来月にリベンジでセンチメンタルジャーニーに出かけるんでなかった?


382 : 名無しさん@お腹いっぱい。2016/05/31(火) 17:28:30.60

そうよ、館林に行くのよ

香淳さまが老人特有の症状が出るようになった頃
もしかすると思い出すことがあるかもと新婚旅行で行かれた
猪苗代の方に昭和天皇と行かれたことがあるのよ
センチメンタルジャーニー()を見てると想い出すわ


晩年の猪苗代湖の旅行とはこれ↓


そういう意味があったんだ!

良子さまは転倒されて腰を打ったことが原因ですね。

認知症って転倒からじわじわと進み始めることが多いから。

ヘカテーの死んだ祖母も転倒が原因でした。



昭和天皇はどういう思いだったのだろうか。


ただのセンチメンタルジャーニー(笑)じゃないんですよ。

昭和天皇のことを考えると切ない。


ただ、認知症はある意味良子さまの救いになったのかもしれません。

昭和天皇の前に崩御されるのではなく、崩御されたのは良子さまの方が後でしたから。

見事なまでにバカに育った明仁皇太子が天皇。

そして自分を散々「意地悪姑婆」とマスコミに書かせ、「あたしは完璧なのに何が気に食わねーんだよ、ババア」と舐めた態度取ってきた嫁が皇后

これ以上の地獄があるだろうか?
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あの冬の日のこと。

ヘカテーさまは、昭和の画像を探して張ってくださり、私はお姿を拝しとても嬉しいのですが、同時に悲しい気持ちがよみがえるのです。
私は、昭和天皇は崩御されない、何百年も生きてくださると、漠然と思っていたのです。
私は既に社会人、20代でした。そんないいトシになっても「昭和は永遠に続く」と信じてました。
お悔やみの記帳に同僚と3人で出かけて、なぜか娘3人申し合わせたように黒っぽい服で、黒のオーバーコートで、暗い顔をして他の暗い人々と共に記帳し、電車に乗る気分になれず、あのクソ寒い中エンエンと有楽町まで歩いたんですよ。
だから大喪の礼も即位礼も、まともに見てません。
ただ、トンガの先々代国王が昭和天皇に敬意を表して、常夏の国のきわめて夏向きの正装でコートすら拒否し、真冬の戸外で2時間直立してくださったことは、なんとも嬉しかった。
トンガは小さい国だが、植民地になったことはない。日本も同じだ。そうおっしゃって。
・・・悲しいです。今でも。

ご新婚時代の猪苗代湖

両陛下が新婚ほやほやだったころ、新婚旅行のように猪苗代湖にお出かけになりました。
ある月の美しい夜、良子さまがピアノをお弾きになって、歌をお歌いになった。裕仁皇太子殿下は、じっと耳を傾けていらっしゃいました。
(昭和天皇実録から)

「あの頃のことを良宮が思い出してくれないものか」とお考えになった天皇陛下のお心を思うと、こちらまで切ない気持ちになりました。

克己心

文藝春秋 戦後70年を動かした「政治家の名言」2015年6月号
p214より
特集 名門病院の危機
医師の告発 東大病院はなぜ漢方外来をつぶすのか
西洋医学では対応できない大勢の難病患者。なぜ彼らを見放すのか――
永井良樹 前東京大学医学部付属病院総合内科医師
(略)
p220より
皇太后陛下の侍医として
今から二十年以上も前になりますが、私は平成三年五月から二年間、昭和天皇のお妃であられた皇太后陛下(香淳皇后)の侍医を務めました。昭和天皇を看取られた高木顕侍医長が皇太后陛下の侍医長を退職するにあたり、空席となる侍医の後任に推薦していただき、吹上大宮御所に参内することになったのです。
皇太后陛下には四人の侍医が二十四時間三百六十五日体制で詰めていました。風邪などのウイルスを持ち込まないように電車通勤は避け、御所の前の通りは蛍が生息するというほど清らかな場所ですから、その環境を乱さないよう車での移動も配慮していました。息も詰まるような緊張の連続でしたが、その緊張を解きほぐして下さったのが、大らかな皇太后陛下のお人柄でした。
陛下はお若い頃はスポーツがお好きで、後年は体操の先生のご指導も受けられていました。私が侍医に上がった頃は車椅子のご生活でしたが、独力でのリハビリをお勧めしたところお聞き入れ下さり、私が担当の午後にリハビリが始まりました。一般に高齢者はリハビリを嫌がりますが、陛下は克己心がお強く、真剣に取り組んで下さいました。平成十二年、皇太后陛下は九十七歳というご長寿をまっとうされましたが、私にとって、侍医を務めた二年間は本当に貴重な経験でした。
陛下が懸命にリハビリに励まれていたお姿を思い出しますと、医師の仕事とは患者さんの為に最善のサポートを尽くすこと、医師の喜びとは患者さんの元気な姿を見ることだと、改めて実感するのです。(略)

皇后陛下

私の中で今でも皇后陛下といえば良子皇后様。

終戦後の混乱期にどさくさに紛れて悪事をはたらき、粉屋で儲けたあきんどの
むすめは未だにパチモンのこーごーでしかありません。
宮家の女王殿下から天皇家に入られた皇后陛下に向かい、「アテクシが平民で有ること以外、皇后さまには何がお気に召さないのか」とほざいた粉屋の小娘!!

良子様はさぞ驚かれた事でしょう。

動画の3分30秒辺りから良子様が付けておられる両脇に繊細な細工が施された
素敵な真珠のネックレスにうっとりしながら、さすがは皇后陛下と子供心に
思ったのを記憶しています。
それにおおらかな笑顔の素敵な事。パチモンのミテコさんとは大違い。
皇后としての威厳と貫禄が違いすぎてミテコさんがますますパチモンに見えて
しまいます。

良子様のこの真珠のネックレス、高円宮典子様ご結婚前の朝見の儀でミテコさん
が付けていたのと同じ物に見え、怒りを覚えたのを思い出しました。

あーあ、平成って本当にイヤ、一日も早く平成が終わって欲しい。。。

雅子皇后陛下の代が一日も早く来ますように!!

昭和天皇の言葉を聞く度に、常に無私の心情だなあと。
最近ふと思うのが、美智子様は自分で子育てして暖かい家庭を築いた。という話は、事実か?です。
考えたら、浩宮さまには浜尾さんがつきっきり。清子さんも誰か女官がいたはず。香淳皇后は、生まれも育ちも皇族としての家庭を築かれただけ。やってきた嫁が外遊三昧でいびる暇も無かったはずなのに、アレコレ言われお気の毒ではなかったかと。
あの穏やかな笑顔が懐かしい。

真の貴婦人

http://omugio.exblog.jp/17398122/
はじめまして。昨年からこちらのブログを拝見しております。
海外に住んでおりまして、こちらの携帯から打っておりますので漢字表記がおかしい部分があるかもしれません。御容赦ください。

貼り付けたURL、ご覧になれますでしょうか?「照宮成子内親王」で検索し、画像を選ぶと出てきます。
私の一番好きな昭和天皇、香淳皇后のお写真です。お二人とも美男美女、圧倒的な気品、香淳皇后はそれでいて柔らかく自然な佇まい、優雅さ。
お部屋の内装や調度品も、これが戦前の日本とは信じられない、いやむしろ戦前の日本だからこその豪華な西洋趣味で統一されています。
こちらは戦火で焼けてしまった明治宮殿でしょうか。
香淳皇后様が少女時代に洋服でバイオリンを弾かれるお写真も見たことがありますが、そのお屋敷の内装も洋風でした。
美智子さんのお家とは全く異なるレベルの本物の西洋屋敷です。
こういった環境でお育ちになられ、暮らされた昭和の両陛下。
もう一枚、「昭和天皇 スリッパ」で検索すると、両陛下が終戦時に履かれていたスリッパの写真が出てきます。本当にボロボロです。
戦後しばらくの間も昭和天皇は大変質素に暮らされたことは様々な記録から明らかになっています。
香淳皇后もそういった陛下の姿勢に倣われ宮中服というあまりファッショナブルとは言えないけれど布を節約できるお召し物を着ておられました。
お若い頃はこんなにも素敵なファッションに身を包み、洗練の極みとも言える宮殿に住まわれていたにも関わらず、です。
しかし香淳皇后はそれを苦にされるご様子もなく、いつも朗らかな笑顔です。真の貴婦人とはこういった方なのだろうな、と自分なりに昭和天皇や香淳皇后のエピソード、お写真を見るうちに思い至りました。

猪苗代には新婚時代に滞在され、午前中はお二人で机を並べてフランス語の勉強、午後は湖でボートを漕がれたと読んだことがあります。
その頃のことを良宮が思い出してくれたら、という昭和天皇の思い。お優しく、そしてまた切ないですね。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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