結婚記念日だから言っちゃる 秋篠宮家の言い訳を突っ込んじゃうぞー!

つっても、3日も経っちゃったけどね(笑)

えー、秋篠さんちが婚約当時に叩かれた理由

①、昭和天皇の喪中なのに婚約だなんて!
②、お兄様である皇太子殿下がまだなのに!
③、二人とも学生じゃない!

はい、まず①についてこれに対してこう言い訳しています。

1989年の9月に公表するに至りました。これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく,皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが,1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で,しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると,私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので,手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。
そして,私たちの結婚の時期についてです。秩父宮両殿下のご婚儀が1928年9月末で,昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。その間は2ヶ月もなく,大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。そのようなことから,私たちのときには,結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までにある程度の時間があったほうがよいとのことで,私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。

秋篠宮夫婦25周年結婚記念日に対談風に語っちゃおーぜから

えー、順宮さまとは現在の池田厚子さんですね。

池田厚子さんは1951年5月2日に岡山で池田 隆政さんとお会いされました。

もうこの時点でお見合いのような感じなんですね。

池田 隆政さんは岡山藩主の池田家の16代目当主となられたお方です。

1931年生まれの池田厚子さんは当時20歳でした。

照宮成子内親王=16歳で婚約
孝宮和子内親王=21歳で婚約

池田厚子さまは結婚適齢期だった。

5月17日にそれまでずっと元気だった貞明皇后が突然発作を起こして急逝

喪が明けるまで待っていたら結婚適齢期を過ぎてしまう。

しかも準備もある。

そういう理由があるから喪中でも婚約発表がされました。

皇室会議が開かれなかったのもそれすら必要ではない位、内親王の降嫁先として相応しい方だったから。

そもそも降嫁だからね。

皇族ではなくなる人の喪中婚約とこれから皇族になる人の喪中婚約とでは重さが違う。




次の②については
ウィキペディアでは

「三笠宮家だって三男坊が次男坊よりも早く結婚してんじゃん」

と書いてあります。言ったのは浜尾さん

(以前宮内庁職員が仕事中にウィキペディアの古墳について編集して問題になりましたね)

桂宮さまは、学生時代「税金ドロボー」と虐められた経験があり、

「こんな思いをするなんてかわいそうだから子どもは作らない。結婚はしない」

と決めていました。

だから薨去されるまで独身でした。

お兄さまが独身主義者なんだから高円宮さまがお兄様よりも早く結婚するのは当然じゃん。

兄上である徳仁皇太子殿下は優しいから

「別にかまいませんよ」と仰いましたが、

当時の首相だった海部さんからは

「長幼の序を考えなさいよ!」

と言われちゃったけどね。


③については言い訳は特にしてませんね。
キーコさまは大学院の前期を終えるまで7年掛かってます。
出産もあったから仕方ないと思う人もいるでしょうが、
だったら2年間結婚しないでまじめに研究すれば良かっただけの話です。
それでも24歳ですよ。

まあ、当時の人たちが驚いたのは喪中婚約ってこともあったけど、

その裏にあった最大の理由はこれです↓

「え、こっ、こんな家から天皇の息子のお嫁さんになる人が嫁いでくるの!?団地じゃん!」

ほら、ヘカテーって皇太子ご夫妻のご成婚が一番古い皇室の思い出なんですよ。

だから、秋篠さんちは最初からいた存在です。

当時の団地から天皇の息子に嫁ぐ人間が出ることの衝撃を知らない。

ヘカテーが「キーコさまの実家は団地」と知ったのは中学生の頃です。

最近の子は皇室に興味なんてないからそれすら知らない人が多いんじゃないかな?

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都合のいいことばっかり

都合のいいときは「兄貴と同じ待遇にしろよ!」といったかと思えば、勝手のいいときは「伯母さんときと同じことやっただけじゃん」って。

自分がやりたい放題してきたら、家族も父ちゃんを見習えとばかりに好き勝手してるんですな。


因果応報、自業自得ですわ。

鯰さんは自分の立場を弁えていないし、人を気遣う心がない

結婚25年目のコメントで「だって池田厚子も喪中婚約したよ!
高円宮さまだって兄より先に結婚したよ!」とみっともない言い訳をしましたが、同じ皇族でも立場や事情が違ったでしょ。
池田厚子さんは「降嫁」だし、高円宮さまは傍系だった。(お二人とも結婚適齢期でした)
しかし、鯰夫妻は婚約当時23歳と22歳(2人とも学生)。
この自己中バカップル(鯰夫妻)のせいで「皇太子さまの結婚はまだか!」とお妃候補報道が過熱して、候補の女性達が続々辞退してしまい、縁談がなかなか纏まらない事態を招いた。
(これは過熱取材をしたマスコミも悪いと思いますが)
このことを問われた鯰さんは「(皇太子さまは)30歳までに結婚できれば上出来でしょうw」と皇太子さまを気遣うどころか馬鹿にしたような発言をした。
鯰さんは自分の皇室内での立場を弁えていないし、人を気遣う心がないって事がよくわかります。

No title

礼宮本人が 「喪中に婚約」 と記者会見で発言してるよ。

それだけでなく 「昭和天皇は知らなかった」 とも発言してるよ。



礼宮文仁親王と川島紀子は喪中に婚約発表した、というのは、礼宮本人が認めている事実です。

当時を知る人間は…

後年になってあれこれ言い訳していますが、当時を知る人間にとってはどれも馬鹿馬鹿しいことばかりです。
大学院だって、今頃になって「結婚しなければ海外の大学院に行くつもりだった」とか言ってますが、既に結婚が決まってるから就職するわけにいかないし、かといって“家事手伝い”で置いておける家でもないし、大学院に入れなきゃしょうがなかったのね、というのは衆知のことでした。
結婚後やめると思ってたらズルズル7年も在籍してたんですね。何の研究もせず。
言えば言うほど恥かくんだから。

身の程知らずと申しましょうか…

ヘカテ―さまが、紀子さまのご実家が団地だと知って衝撃を受けられた心情は、とてもよく理解できます。
一時的な戯れが、まさか正式なお輿入れになるとは、秋篠宮殿下ご本人も青天の霹靂だったのではないでしょうか。
川嶋家のごり押しがよほどのことだったのでしょうか。
本来は、川嶋家がご遠慮申し上げるべきでしょう。
たとえプロポーズされたとしても…です。
私は、次男坊なのですから、いっそのこと皇籍離脱されて、一般人としてご結婚されればよろしいのではないか…と思ったほどです。
畏れ多いという言葉を知らぬ川嶋家なのですね。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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