昭和天皇の内親王さま方の映像をご紹介します&東久邇成子さん手記「やりくりの記」

昭和天皇と良子さまの間にお生まれになられた内親王様方の映像をYOUTUBEで見つけました。

先月見つけたんだけど、

折角だから終戦記念日に取っておこうと思って大事にYahoo!の「お気に入り」欄に入れておきました。

照宮成子内親王(東久邇成子さん)
お声が拝聴できます↓
NHK『私の秘密』

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そしてお隠れになられた後の葬儀の映像


孝宮和子内親王(鷹司和子さん)
ご婚礼の際の映像です↓

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この映像の何がすごいのかってーと

貞明皇后が映ってるのよ!
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順宮厚子内親王(池田 厚子さん)

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清宮貴子内親王(島津貴子さん)






今の朝ドラ『とと姉ちゃん』のモデルは『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子さんです。

実は東久邇成子さんは『暮しの手帖』第5号に手記を寄せられてます。


こういういきさつがありました。
鎭子さんは、へこたれません。絶対にあきらめないのです。大先生たちは、鎭子さんたちの熱意で、つぎつぎに執筆してくれたのでした。創刊号をみると、川端康成、佐多稲子、土岐善麿、田宮虎彦、森田たま、小堀杏奴などといったそうそうたるメンバーが並んでいます。第3号には、幸田文、壺井榮、高見順、坪田譲治、鏑木清方、北畠八穂、天野貞祐、柳田國男、花柳章太郎…とにかく、時の名だたる著名人や流行作家の先生方に、鎭子さんはあきらめない根性で体当たりし、執筆していただきました。
少しずつ、すごい執筆陣だ、いままでにない婦人誌だ、しゃれたセンスの雑誌だとか評判になっていきました。部数も増えていますが、もう一つ大きな伸びが足りません。そんな時に、「庶民は、配給だけで、ひもじいがまんの暮しだけれど、皇室はきっとみんなたらふく食べているのだろう、寒い時も暖炉かなんかでぬくぬくしているのだろう、と世間では噂しているが、ほんとうに、そうだろうか」という話になりました。皇室のだれかに書いてもらえないか。でも、それはとても無理だな、とみんな思いました。皇室と言えば、なにしろ、ついこの間まで、人間ではなく、神のように敬われていたのです。近寄ることさえできるとは思えません。しかし、鎭子さんはちがいました。昭和天皇の第一皇女であった照宮さまが嫁がれて後、臣籍降下して、東久邇成子さんになり、麻布に住んでいることが分かりました。そして、勇を鼓して、麻布の東久邇家に突撃したのです。成子さんに直接お目にかかり、日常の暮しをありのままに書いていただけないでしょうか、とお願いしたのです。(この辺のことについては、大橋鎭子著『「暮しの手帖」とわたし』に詳しく書かれています。)そして、みごと原稿を書いていただいたのです。それが5号に掲載された「やりくりの記」でした。押入れもないところに、家族4人が暮している。食べるものは、配給と焼跡を耕して作った畑の野菜だけ。ひもじい毎日。着るものは、お古をつくろって着せている…。なんと、天皇の第一皇女の一家が、まさにわれわれ庶民と同じように、やりくりに明け暮れる毎日だということが、綴られていました。国民はおどろきました。そして、成子さんが最後に書いている「日本中みんな苦しいのだから、此の苦しさにたえてゆけば、きつと道はひらけると思うと、やりくり暮しのこの苦労のかげに、はじめて人間らしいしみじみとした、喜びを味う事が出来るのである」という文章に、多くの国民が元気づけられたのでした。この東久邇成子さんの「やりくりの記」は大きな反響を呼び、部数も伸びて、『暮しの手帖』を元気づけ、大きく発展していくきっかけをつくってくれたのでした。鎭子さんの大功績でした。

Web版 有鄰第 543 号 小榑雅章著「大橋鎭子と暮しの手帖 」より引用

「やりくりの記」はこちらでご覧ください↓
http://kabanehosi.seesaa.net/article/384763300.html

ここでちょっと読者の方からメールをご紹介します。


BS−TBSで金曜22:00〜から放送中の「高島礼子・日本の古都〜その絶景に歴史あり」で出てきました。
8/5(金)に放送分の、「とと姉ちゃん」のモデルになった大橋鎭子さんの特集にて出てきました。
また再放送されると思うので、その時はお知らせしますね。

出版社社長の大橋鎭子さんが高貴な方の暮らしを取材したいということで、成子様にアポを取ったら応じてくれました。
終戦からそんなに経たない時期だった故に、皇室関係者は食糧に困らない生活をしているという誤解が蔓延していたそうです。
実際に取材をすると成子様は半分焼け落ちた家に住んでいて、贅沢とはほど遠い慎ましい暮らしをしていたことが分かりました。
大橋さんは世間に誤解を解くためにも、成子様のインタビューを「暮らしの手帖」第五号に載せることになりました。
この回はバカ売れして、ここから「暮らしの手帖」は有名になりました。

良子様との母子での写真も出てきましたが、添付しますね、
本当に高貴な人という感じで大変気品のある美しさがありましたよ。
皇太子殿下と皇后陛下の写真といっても通用しそうですよね。
実際にそうなら日本はより素晴らしくなっていたと思います。
次代ではこのようなお写真が見られることを期待します。
鯰家の母子やミテコ様・公務員夫人の母子と違って本物の貴人という感じですよね。
あちらは水商売人のコスプレという感じです。

成子様はインタビューでこう答えられてました。
「日本中みんな苦しいのだから、この苦しさに耐えていけばきっと道は開けると思う。
やりくり暮らしのこの苦労のかげに、初めて人間らしいしみじみとした、喜びを味わう事ができるのである。」

本当にこれが正しき皇族の姿勢ですよね。
こんな立派なお姉様がいながら、どうして上の弟はあんなのなのか。
戦争中も贅沢三昧で飢えた子の前で白飯やら贅沢なものを嫌味たらしく見せつけて食べていたそうで。

良子様成子様
成子様

教えていただいてありがとうございます!
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戦時中の反省

終戦記念日の今日も天皇陛下は「先の戦争に対する反省」とかなんとか仰ったらしいですね。

素晴らしかった先帝に喧嘩を売ってんのかと腹を立てていましたが、食べ物の乏しい時代にこれ見よがしに自分ばかり贅沢したことの反省なのかとも思いました。そんなことはないのでしょうね。

成子さま、昭和天皇と香淳皇后のどちらにもよく似ていらっしゃいますね。
長生きしていただきたかったです。

「照宮は」

照宮は、本当に朗らかな人で、私の話し相手として、おもしろくありました。
照宮は、子供を多くもち、終戦後、いろいろ苦労を重ねたことと思います。
子供のためにも、若くして亡くなったことを、大変残念に思っています。
                   (昭和天皇 昭和55年記者会見)
母と呼ぶ 声のきこゆる 心地して
  笑顔の姫の うつし絵を見る  (香淳皇后)
「成子さんが死去した日に、昭和天皇が誰に対してなのかはわからないが『どうもありがとう』とつぶやいたのが印象に残っているという。」
      (読売新聞2014年9月9日 照宮次男・壬生基弘さん談)
私の子供に生まれてきてくれて、どうもありがとう、照宮。

乞食の紀子

東久邇成子さん。
昭和天皇と香淳皇后の第一子内親王。

天皇家の姫宮として誕生し生活苦など知らなかった姫君が、戦後に一民間人となって、庶民と同じように 「やりくり」 をした。

「お金ほしい。 女官をよこせ。」とは言わず、「やりくり」 する成子さん。


紀子は「予算が少ない。職員が少ない。」と言う。

紀子は乞食だね。

父の愛、肉親の情

「天皇様 お脈拝見  元宮内庁侍医 杉村昌雄」より
父の愛、肉親の情
p128~p129
(略)
だれがいいだしたのか、宮さまをお慰めしようということになった。宮さまのご病室は、むろん個室である。そのベッドのところに、医員やら看護師が集まって、静かに一人一人、歌を歌ってお聞かせするのである。照宮さまは、それをそのまま録音された。夜、みんなが帰ったあと、ご自分で、繰り返し繰り返しテープをかけられて、お一人で聞き入っておられる。お慰めになったかどうか。照宮さまご自身も歌をふき込まれた。私も一度、ご病室のうかがったとき、聞かせていただいたことがある。「ひとつ宮さまのお歌もお聞かせください」とお願いしたのである。スイッチを入れられた。静かにテープから、歌声が流れてきた。
ゆうやーけ、こやけーえの あかとーんーぼー 
「赤トンボ」の歌である。
誰もいないご病室で、何回もこの歌に聞き入っておられたかと思うと、万感胸にせまるのである。私は現在でも、この「赤トンボ」の歌をきくと、あのときの照宮さまのお姿が思い出されて、つい、平静ではいられない。(略)

p134
(略)
両陛下は午後三時から午前三時まで、十二時間、病室で、お子さまの最期を、やさしく、静かに、見守っておられたことになる。私はお脈をとっていた。プルスが全然なくなったとき、「まことに恐れ入りますが、今、お亡くなりになりました」と、両陛下に申し上げた。
「ああ、そうか」
ふつうの患者さんの場合、こうしたときに親が泣きくずれたりするのだが、両陛下は、静かでいられた。愁嘆場ではない。やさしく、なんども、なんども、照宮さまのお顔や髪を手にやられて、なでておられた。(略)

愛されていた成子さま

昭和天皇と香淳さまにとても愛されていたんですね。
お顔立ちも、お二人によく似ておいでです。
戦後の旧宮家や旧華族の暮らしぶりは本当に大変だったようで、東久邇家も相当大変だったと思います。
おそらく降嫁の時の一時金なども、戦後のインフレで紙きれ同然になっていたでしょうし。
お気の毒な方でしたが、そのぶん崇高な人間性が輝いて見えるような方でもありますね。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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