まだ10年経ってないのに「東宮御所が狭い!」と書かせた昭和の皇太子夫妻

東宮御所

現在皇太子ご一家がお住まい

現在の東宮御所は、「赤坂東宮御所」とも呼ばれ、継宮明仁親王の御所として、貞明皇后の大宮御所の跡地に建設され、総工費2億2300万円で、1960年(昭和35年)4月に竣工した。
ウィキペディア

美智子さまは昭和34年4月に結婚しました。

つまり結婚してわりとすぐに新居に住めたんですね。

昭和天皇は終戦後も湿気の量が半端ない劣悪な環境の御文庫に住まわれてました。

「国民が戦災の為に住む家も無く、暮らしもままならぬ時に、新しい宮殿を造ることは出来ぬ」

と国民が家を持つことができるまでずっと我慢されてたのです。

吹上御所(現在の大宮御所)に住まわれるようになったのは

昭和36年に完成しました。

昭和の皇太子である明仁皇太子、美智子皇太子妃は昭和天皇に比べると楽な生活をしてたんですね。

『増刊週刊明星 東宮御所の三ご兄妹』という雑誌を購入しました。

昭和44年12月に発行された雑誌です

するとそこにはこんな記事がありました。

無題

建ってからまだ10年経ってないのに、

狭いって言うんだー。

記事が小っちゃいから読めないと思うので↓

皇太子御一家も今や五人家族。現在はご夫妻の書斎も狭く、浩宮さまがお勉強する個室もない状態である。せめてもう少し広いお住居をと、増築計画を検討中。新東宮御所には屋内プールも予定されているというが―。

次のページには手狭になった理由が書いてあります。

御所が手狭になってきたのは、東宮のご家族が増えたためばかりではない。侍従職や女官、看護婦たちも、ご家族数につれて増員され、ほかにも事務職、運転手などもいる。

ちなみに当時の浩宮さまのお部屋がこれらしい
無題

礼宮と同じ部屋だったですね。

でさらに次のページにはこんなことも書いてあります。

増築のときにはぜひほしい屋内プール
近くご増築が具体化した場合、これまでにまったくなかった設備として、屋内プールの青写真が検討されるだろう。
皇太子殿下は学習院時代から伝統のフンドシで水練され、泳ぎには相当自信を持っていらっしゃる。夫唱婦随で美智子さまも、美しいフォームで泳ぎになる。
葉山に御用邸があるというものの、湘南海岸は銭湯なみの大混雑で、大腸菌がウヨウヨという状態だ。これではどうしようもない。
といって軽井沢では水温が低くて、水泳には不適当。やむなく東宮ご一家は毎年夏、浜名湖へ水浴にいらっしゃるが、海は当然環境がちがうし、人目もあってご自由な泳ぎはできない実情がある。
「人だかりがせず、妃殿下ものびのび水泳がお楽しみになれる海岸はないだろうか」と、関係者は頭を痛めているが、現状ではどうしようもない。
浩宮さまと礼宮さまは、やむなく御所のお庭にある砂場を掘ってしつらえた、ビニール製のインスタントプールで、バチャバチャ遊んでいらっしゃる。これではプールというより水たまりで、とても泳ぎどころではない。
ご一家の健康管理からいっても、四季を通じて泳げる屋内プールがあれば理想的。これは贅沢でなく、レジャーの場所に恵まれる宮さま方にとって必要な設備であろう。





あのさ、

「葉山では泳げないから浜名湖へ行くなんてかわいそう」と書いてるけど

須崎の御用邸にはプライベートビーチがあるですけど!

徳仁皇太子ご一家は浜名湖に行かずに、須崎の御用邸のビーチで泳がれてるんですけど!

本当に当時のマスコミは明仁皇太子一家に甘々だったですね。

ちなみに東宮御所に屋内プールはありません。

実際に増改築がされたのは昭和52年に工事がスタート、昭和53年に完成しました。

一応リフォームはされてますが、

徳仁皇太子ご一家が住まわれてる東宮御所って既に築50年が経過してます。

日本じゃ、現役世代で築50年の家に住んでる人ってめちゃくちゃ珍しいよ。

≪訂正≫
読者の方からのご指摘

須崎御用邸は昭和46年完成だからこの記事の時には出来てません

大変失礼しました

さらに訂正

別の読者の方からさらにご指摘

須崎は昭和46年完成だが、沼津の御用邸は昭和44年まで皇室のものでしたよ。

沼津で泳げますよ

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まだありません

須崎の御用邸は昭和46年に建てられたと、宮内庁のHPにありました。

No title

この東宮御所って、美智子の希望を取り入れて建設されたのよね。

明仁皇太子と婚約中だったけど結婚する前だから、
まだ平民の正田美智子だった時に、
正田美智子が明仁皇太子に

「新婚生活は、こんな御所でしたいわ。」

と希望を出して、その通りに建設された東宮御所だと記憶しています。


昭和の皇太子と皇太子妃は、昭和の天皇と皇后よりも、早く新しい御所を建設させのよね。


「美智子妃は平民出身だからイビられて苦労した。」 なんてのは真っ赤なウソです。

本当にイビられてイジメられていたら、両陛下(裕仁天皇と良子皇后)より早く新しい御所に住めるわけないし建設させてくれるはずがない。

美智子妃はイビられてイジメられるどころか、
結婚前の平民だった時から、やりたい放題だったと考えるべき。

懇意の記者を使っておねだり&印象操作

実にわかりやすい(笑)
ご実家共々、懇意の記者や皇室ジャーナリストやらを家に招き入れて「今度はこういう記事を書いて頂戴!」って感じで
正田家やミテコさんにとって都合の良い記事を書かせていたのが
よくわかります。
「あたし皇室内でいじめられてるの~」「家がせまいの~」
「実家とは疎遠なの~」「お金が足りないの~」と。

今は鯰さん一家も同じこと(記者を使っておねだり、好意的な報道をさせる)をしていますね。

今上は皇太子時代、昭和天皇からのしきたりを好きなように変えたり、静養三昧、海外ご公務では当時浩宮様の留学先にまで押しかけて、好き放題していました。当時の映像や記録が残ってます。
現代ではこの事はなかったことになっているようですね。
雅子様が心の病に罹り、オランダ王室が皇太子ご一家を招待し、ご一家でのオランダ訪問が実現しました。名目は雅子様のご静養だったかもしれませんが、私は立派な皇室外交だと思いました。
その後の天皇会見での事です。オランダ訪問について、心ある人間ならば、雅子が少しでも元気になったなら、よかったのでは、といった言葉になるのではないでしょうか。もう、帰国後なのですし。ところが今上は、「私はこれまで、私的に外国を訪問した事は、一度もありません。。。。」というものでした。私は耳を疑いました。雅子様はこれをどんな思いで聞いたでしょう。涙がでます。これは、冷酷な秋篠宮のあの会見を彷彿とさせるものでした。崖から這い上がろうとするものを再び崖に突き落とす、そんな会見でした。これが象徴といえますか、恐ろしくて言葉もありません。
国民向け会見でこれだけの事ができるのですから、見えない所ではどれだけの仕打ちをしているのだろうと、皇太子ご一家を思わずにはいられません。
ヘカテー様、今上が皇太子時代好き放題してきた証拠を、出して下さりありがとうございます。これは私も知りませんでした。腹が立ってしょうがないです。

マコジラ、ICU再攻撃

同じように「大へんだ」「苦しい」と騒ぐ一家の、長女がまた大学院ですってよ。

平民・正田美智子の希望を取り入れまくった東宮御所

「美智子妃」

河原敏明 著   講談社 刊

昭和62年10月12日  第1刷発行


70項

東 宮 ご 一 家 が 住 居 と す る 棟 は 約 四 百 四 十 坪。

一階が居間、談話室、食堂。

それに二つの予備室は予想される皇子室と客室にあてるもの。

二階は応接室、寝室、衣裳室、着替室、化粧室など。

厨房は地下室に設け、調理した品々は超ミニのエレベーターにのせて、すぐ上の食堂に上げるが、居間の隅に小さな調理室を設け、美智子妃が簡単な調理などをできるようにした。

ま だ ご 婚 約 中、二 人 で 新 居 設 計 の 夢 を 語 り 合 っ た と き の 美 智 子 妃 の 希 望 に 添 っ た も の で、

____ 略 ____

皇 太 子 は む ろ ん 大 賛 成で、

居間をつめて二、三坪の台所を 追 加 さ せ た の で あ る。

____ 略 ____

御 所 を と り ま く 数 万 坪 の 庭 がまた素晴らしかった。

松、杉、竹、樫、樅など在来の樹木に加え、とくにイチイ、白 樺 が 多 く 植 え ら れ た。

お二人邂逅の地、軽井沢に多い木で、思 い 出 を 末 永 く 温 め る た め
取 り 寄 せ た の で あ る。




「4 4 0 坪 の 家 な ん て 狭 い!」 と不満を漏らした美智子妃。

どういう暮らしをすれば440坪でも狭くなるのだろうか?

出仕というか雑用する職員いるはずだからゴミ屋敷にはならないはず。
適度に快適に生活できるはず。

作りまくったドレスや着物で埋まっているのかな?





「数 万 坪 の 庭 も、 4 4 0 坪 の 家 も 狭 い!」

と不満を漏らした美智子さま。
さすがでございます。

沼津は?

須崎御用邸は昭和46年からでも、昭和44年まで沼津御用邸がありましたよね。
沼津じゃ泳げなかったのかしらん。
学習院の臨海学校も学習院沼津游泳場で行われますが、御用邸記念公園に隣接してるみたいですよ。
移行期で沼津でも須崎でも泳げなかったとしても、たった1年か2年の空白ですけどね。

自分が一番!

あーやと同室の浩宮様に同情…。
レオパード様のコメントに、「衣裳室、着替室、化粧室など」とありますが、そんな女優みたいなもの作るより、子供に個室を作ってあげることは計画段階で脳裏になかったのかと思いました。
特に浩宮様とあーやは歳が離れていますし、浩宮様がお勉強や読書をしたくてもあーやがうるさそうです。

美智子さんて本当に自分が一番!な人ですよね。
60年あまり前からその姿勢はブレてないと確認できました。

No title

児玉隆也氏の「皇太子への憂鬱」(『この三十年の日本人』所収)に、

  記者会見で「殿下お住いはいかがですか」とたずねられると、
  「せまくて困る。もっと増築してもらいたい。物置が混んで困る」
  と答えられたと聞き、私は耳を疑った。

と書かれていましたね。

黒木従達東宮侍従が、佐藤栄作首相に金を要求して、
一喝されたこともありました(山田栄三『正伝 佐藤栄作』)。
佐藤栄作ウィキにまでこのエピソードが。

つぎは上皇(?)としてのお住まいですか。

本当にそっくり

黒木従達。
正田美智子を皇太子妃に迎えるために奔走した一人ですね。
後に東宮侍従長になりましたが、最後は、昼休みに風俗に行って、そこで死んじゃいました。
昼休みとはいえ、勤務中にそんなところに行けるというのがすごいです。
ハプニングバーに行って逮捕されたどこかの宮家の宮務官を思い出します。

児玉隆也は1975年に亡くなっていますね。
なので、昭和40年代の話でしょう。

>「せまくて困る。もっと増築してもらいたい。物置が混んで困る」

しかし、最初から最後まで文句ばかりですね、この男。
そんなに物置が混むほど何を買ったんでしょうね。
ほんと、顔は似てないけれど、性格は次男とそっくりだわ。

まあ実際

子どもが増えたら家が手狭になるのはわかりますし、それにつれて職員が増えてさらに手狭になるのもわかります。
気になるのは「衣裳室、着替え室、化粧室(文字どおりメイク用の部屋ですよね)」。
何か美智子さんのおしゃれ部屋が随分と多いようですが。
それでプールまで作りたいとまで言っているのに、「狭いながらも」???
唯一庶民的なのが浩宮さまとアーヤの「こども部屋」。
何かねぇ‥‥色々歪ですよ。

No title

これで「国民に寄り添う」「皇室は祈りでありたい」ですか。聞いてあきれる。
さっさと2人揃ってあぼ(ry
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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