常陸宮ご夫妻へのお祝いの言葉

昭和天皇の言葉
天候にも恵まれて、本日、正仁親王の結婚の式をとどこおりなくすますことができたことは、国民各方面の協力によるところでまことにうれしく思う。
正仁親王は新しく宮家を創立することになったが、正仁親王と同妃が国民の期待に沿って立派に行動し、またよい家庭を築くことを願うものである。

皇后陛下
長い間、ひとりでいたので、心配していましたが、結婚が決まって、喜んでいます。
気だてが優しく、健康で聡明な華子は今後、いっそうの努力を重ね、皇室の伝統を守って、東宮夫妻の力となり、皇族としてのつとめを果たしてくれるよう望んでいます。
これからは、夫婦愛に基づいて、仲よく力を合わせ、いい家庭を築いてもらいたいと思います。

うーん、良子さまのお言葉を拝すると華子さまのことを本当にかわいいとお思いであることが分かります。

まあ皇太子妃が性悪で可愛げがまったくない人だったから余計にかわいいでしょう。

池田厚子さん
池田厚子さん
義坊さん、華子さんと明るい家庭を
義宮さま。
ご婚儀、おめでとうございます。
義坊さん―小さいころ、こう呼んでおりました―この度は、心からお喜びを申し上げます。最近、長いこと義坊さんとはお目にかかっていませんが、あなたのことはテレビや雑誌でいつも注意して拝見しています。
宮さまのご婚約をお聞きしましたのはこの二月、私が岡山の大学病院に入院中のことでございました。
日ごと快方に向かうころでございましたが、宮さまと華子さまとのご婚約の報は、病床の私にとって、なによりのお見舞い、なによりの高貴なお薬でございました。
私の病気のことでご心痛にあらせられた両陛下には、ご婚約成立のことは、非常なお喜びであったことと存じあげます。
義坊さんは、ご自分の小さいころのことを覚えてないかもしれませんが、とてもお身体が弱かった―。
両陛下はそのことをいつもご心配あそばされ、学習院の初等科を無事にご卒業できるかしらと、それはいつも案じられていた様子でした。
近ごろはすっかりお元気そうで、ゴルフをお始めになってから逞しくおなりになり、うれしく思います。
小さいころといえば、私たち姉妹は呉竹寮に住み、別々に生活しておりましたので、ほとんどお目にかかったことがございませんでした。
義坊さんが、大学に入ってからは、ときどき呉竹寮にお泊りに見えましたが、それまではご一緒に過ごしたことは、あまりございませんでした。
そんなわけで、義坊さんの印象といえば、戦争が激しくなって、ご一緒に学童疎開したことが思い出されます。
昭和十九年の夏でしたか、学習院の男子部と女子部とが日光に集団疎開をいたしました。両陛下やお付きの方のご心配をよそに田舎での生活は私どもには、珍しく楽しいものでした。植物採集や栗拾いにと、野山を駆け巡って楽しい毎日でした。
それが、女子部だけが急に塩原のほうに移ることになったとき、とてもつろうございました。
義坊さんと皇太子と、それに私の三人で、お別れの、写真を撮りましたね。そのときは、みんながふたたび生きて会えるかどうか・・・・・・悲しくて悲しくて手を取り合って、カメラの前に立ったのでした。



華子さま―
おめでとうございます。

お目にかかったことはございませんが、ご健康そうで、明るい、素敵なお方。
華子さまのお姉さまとは、学習院時代一年違いでしたが、よく存じあげています。
ご一緒にお話をしたこがございました。やはり、明るくて清潔な方でした。
華子さまは、テレビで拝見するごとに、健康で明るくかわいらしい印象が深まり、北白川の伯母さまに、よく似ていらっしゃるとかねがね思っています。
義坊さんはおとなしくて優しい方。私たち姉と妹がケンカすると、義坊さんはニコニコほほえんでいました。
そのようなもの静かな態度は、あのころから、将来はきっと学者になられる方だと思わせるものがございました。
でも、義坊さんは中等科のことから、詩をお作りになっていました。叙情的な詩でした。義坊さんのやさしいお心が、そっくりにじみ出ていました。
だから、きっと文科方面に進まれるとばかり考えていましたのに理科をお選びになったのは、たぶん、陛下のご影響でしょうね。
やさしい宮さまと明るい華子さま。
明るいご家庭をお築きになることを、そして、皇室の発展のためにお尽くしてくださるように、深くお祈りいたします。
お幸せにね。
華子さま


酒井美意子さんと藤島泰輔
酒井&藤島
両陛下がとてもかわいがられている妃殿下

(ということは昭和の皇太子妃はあんまりかわいがられてないということですね)
(まあ一々反抗してくる嫁なんて嫌だしな)

藤島泰輔はキンジョーヘーカの学友ですが、、

明仁皇太子とミテコ皇太子妃が大嫌いです。

その藤島泰輔が常陸宮ご夫妻をべた褒め

華子さまのお稽古の先生
お稽古の先生

そして華子さまのお姉さまのお言葉
お姉さま

そして・・・

なぜかこの人もいた

ミテコさまの母正田冨美
正田ふみ

(以上すべて『週刊女性 昭和39年10月14日号』から引用しました)
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フミさんのお祝いの文章

紋切り型の例文みたいですね。冷たさ全開。

No title

正田冨美は皇室に遠慮して、
大人しく静かに目立たないように、ひっそり過ごしたなんて大嘘ですね。

しかも 参 内 し て 参 内 し て


一緒に写真にも写っている正田冨美さん。

親離れ子離れ出来ていなかったのね。



誰がいじめられたって?

昭和の皇后さま

>東宮夫妻の力となり、皇族としてのつとめを果たしてくれるよう望んでいます。

とおっしゃっています。
皇后さま、平成の筆頭宮家は東宮ご夫妻の足を引っ張ることばかりします(マジで涙出てきた)。
両陛下となった昭和の皇太子夫婦は、それを許しています。
情けないです。

そして、正田冨美。
(この頃はまだ“子”がついていませんね。“富”は誤植?)
ふーん、お祝いのために参内したんだ。
ていうか、いくら義宮さまがご当人でも「宮殿下、両陛下」っていう並びでいいのかな(細かい?)。
そして、娘にはお祝い言わなかったんだ(笑)
母子でハンカチ噛んで悔しがってたりして。

No title

川島紀子さん(卒業アルバムに印刷されている名前)が結婚する時、

お稽古の先生とか、○○の友だちとか、華子妃が結婚される時みたいに、多くの祝福メッセージあったかしら?

当時、川島紀子さんが住んでいた職員住宅の人たちからの祝福メッセージとかあったかしら?

「川島紀子さんは、さすが宮妃になる女性だ。こういう人から祝福メッセージもらうのね。」という記憶が無い。

「川島紀子さんは、こんな凄い人からメッセージもらってるよ!」というのを知っている人いたら教えろ下さ~~い!


似ている

レーガン大統領が来日した際宮中晩さん会で通訳に「あそこにいるプリンセスはどなたか?クイーン・エリザベスに似ている」とおっしゃったそうです。

それが華子さま。

華子さまや高松宮ご夫妻は似ていないとおっしゃったらしいけれど、生まれついての気品がありますから、女王のイメージと被ったのでしょうね。

厚子さんの人柄

ヘカテーさま、いつも貴重な記事や写真をありがとうございます!
池田厚子さんってこんな感じの人だったのですねぇ。
内親王なのに片田舎の岡山に一人で嫁いで、その後の暮らしは寂しくなかったかな?とあれこれ想像していましたが、お言葉を読む限りほのぼのしていて幸せそうですね。
県民としてはうれしい限りです。

常陸宮さまって、愛されてますね。
華子さまのお稽古の先生方のコメントの可愛いこと。自慢の生徒さんだったに違いないです。常陸宮さまと華子さま、本当にお二人は初々しい、明るい結婚だったのですね。

こんなものでしょ

>実はナルちゃん世代様
正田冨美さんのお祝いの言葉、紋切り型で冷たいとありますが、両家の関係からするとこんなものでは?親しく交流出来ているわけでもない、娘にとっては小舅の結婚に際して立ち入ったコメントはできないでしょう。
娘の夫の親や兄弟は敵認定していたかもしれません。

きこさんの?

ヘカテー様
いつもブログで勉強させて頂いています。
きこさんのオメコメですが、たしか大学院の先生のを見たことがあります。「同級生に○○のお嬢様と■■のお嬢様がいらっしゃいます。(○○も■■もいわゆる良家エリート)特に優秀なのが○○のお嬢様。きこさんは特に優秀というわけではないけれどまじめ」というような 内容でビックリしたのを覚えています。こういうのって実際はどうであれ「優秀な成績で」 というものでは?と驚きました。きこさんよりむしろ○○ご令嬢を誉めている?と不思議でした。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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