2016.10/08 [Sat]
出たー!川島イトコだー!!!!また変な着付けしてる(笑)
『週刊朝日1990年7月6日号』の
「ワイド特集3LDKのシンデレラ」
の記事でちょっと面白いのをピックアップ
面白すぎてヘカテーの言葉が乱れてます
その①
【本当は‟オバさんファッション”だった 紀子さんモードの秘密】
キー子さまのローブデコルテをデザインした中村乃武夫さんにインタビュー。
「学生さんらしいファッション」と一応ほめてます。
しかし次の文章からちょっと笑えます。
ほかのデザイナーにも紀子さんのファッションセンスについて語ってもらおうとしたが、ほとんどの人が、
「ノーコメント」だった。
その理由を、あるファッション関係者は、
「紀子さんが普段着ている洋服は『レリアン』というメーカーのものよ。ご親戚がそこの偉い方ですから」
と説明する。
このメーカーは中年の女性に人気があって、肩パットが厚く入っていたり、襟の開きが方が大きかったりで、どちらかというとお嬢様向きじゃない。紀子さんが着るから上品に見えるのであって、普通の女の子なら、
「ただのオバさん」
になってしまう心配もある。紀子さんに対して、
「オバさんファッションとはいいにくいですからね」
というのが、どうも本音のようだ。
オバさんファッション(笑)!
おい岩井、いいのかよ、そんなこと書かせて!
いやー、雅子さまが日本中の女性の憧れとなり、スカーフの巻き方をみんなが真似したことに比べるとレベルが低い!
まだ20代前半なのにオバサンファッション!
その②
【お友達が明かした㊙話】
・学習院初等科からの礼宮のご学友というOさん
(ヘカテーの配慮で仮名)
礼宮が英国留学中の話
Oさん宅には毎月一回の割でかけてくる。この日は5月末の早朝だった。この日は5分ほどの電話だった。
「殿下は、『イギリスはとても寒い』などと話された。私は会社に行く直前ですから、ゆっくりと話ができなかった」
国際電話をかけるなら相手に余裕がある時間帯にかけるのが常識じゃないのかしら?
平日の早朝に、「イギリスってチョー寒いんだけど」とかけられてもそりゃ電話してる余裕ないわ!
・キーコさまの変貌ぶりを見た女性Hさん
(Hさんも週刊朝日にはばっちり実名で記載されてますが、ブログでは仮名としました)
親しい友人に、
「(礼宮さまから)絵のモデルになってほしい、と誘われたの」
「今度、一緒にテニスをする約束をしたわ」
と楽しそうに話すことが多くなった。同時に、このころから紀子さんは徐々に変わっていった。彼女を知る友人たちは、その変貌ぶりに驚いた。その一人、Hさんはいう。
「それまでの彼女は、どちらかというと活発な女の子でした。それが宮さまと出会ってから、何事も控えめで物静かになった。言葉遣いまで変わってしまって、初めは戸惑いましたよ」
手紙の文面も変わった。それまでは友人には、女の子同士ではありがちな軽い文章だったのだが、
「〇〇さん、お元気ですか。私は元気でおります」
に始まって、最後は必ず、
「お体にお気をつけ下さいませ」
で結んだ。
「宮さまにふさわしい女性になろうと、自分を変えていったのかもしれない」(Hさん)
うわー、なんて痛い女なんだ!
こういうタイプの女って同性から嫌われるよ
結婚当時はマスコミ相手に猫被ってましたが、
結婚して男子を産んでからは
「氷のミーティング」や「職員への恫喝」などの地が出るようになりました。
そして
その③
イトコババア登場!
【同名の祖母が贈った三つの記念品】

相も変わらずスゲー着付けだな!
そして週刊誌に平気で出てくることに恐れ入ったわ!
そして話すエピソードにもびっくり!
(原文は「紀子」にルビふってますが、ブログだとわかりにくいのでイトコばあさんの表記は「イトコ」とします)
三浦海岸にあった「なぎさホテル」に泊まっていた川嶋紀子さんを礼宮さまがデートに誘われたのは一九八五年九月のことだった。紀子さんは祖母のイトコさんと一緒の旅行。礼宮さまは、愛車のフォルクスワーゲンから降りて、
「紀子さんをお借りします」
といわれ、それにイトコさんが、
「いたらない孫ではございますがお願い申し上げます」
と答えたそうだ。このデートで礼宮さまはご静養に来ていた両殿下に紀子さんを紹介したわけだから、ご結婚への第一ステップともいってよいのだろう。
この時点の様子をイトコさんは、
「大変ご丁寧な宮さまだった。こちらが恐縮してしまうくらい」
と話す。
孫の彼氏といえども、皇族ですよね。
むしろ恐縮して当然じゃん。
そしてなんとも思わず孫を礼宮に渡すことにもビックリ
普通は
「華族さまでも素封家でもない我が家の者が次の天皇陛下となる皇太子の息子と付き合うなんてとんでもない!家格が違いすぎます。つらくても別れなさい」
というんじゃないの?
イトコばあさんの息子の川島辰彦も皇族と結婚することに対してなんとも思わなかったとか言ってるからやっぱり血って怖い。
あとこのエピソードも「ん?」と思ったので紹介
紀子さんは、とにかくおとなしい人で、婚約後に何回かイトコおばあちゃんをお見舞いに来たことがあったが、絵や和歌を見るだけで、ほとんど話はしなかったそうだ。
お見舞いに行って話もせず絵や和歌を見てるだけって変だよ。
実はイトコばあちゃんを嫌ってたのか?
あとこれがわからない
紀子さんの母・和代さんは料理が得意で、ときどき紀子さんが、おばあちゃんにお手製のローストビーフを持ってきたことがあった。紀子さんも母親仕込みで料理の腕前は、
「なかなかのもの」
と予想されるが、いまのところ味見をさせてもらったことはないという。
和代さんって専業主婦だったのに、なぜかキーこさまの好物はお惣菜のハムカツと聞きました。
そしておばあちゃんなのに手料理をふるまってあげないというのも寂しくないか?
昔の雑誌って色々面白いなー。
「ワイド特集3LDKのシンデレラ」
の記事でちょっと面白いのをピックアップ
面白すぎてヘカテーの言葉が乱れてます
その①
【本当は‟オバさんファッション”だった 紀子さんモードの秘密】
キー子さまのローブデコルテをデザインした中村乃武夫さんにインタビュー。
「学生さんらしいファッション」と一応ほめてます。
しかし次の文章からちょっと笑えます。
ほかのデザイナーにも紀子さんのファッションセンスについて語ってもらおうとしたが、ほとんどの人が、
「ノーコメント」だった。
その理由を、あるファッション関係者は、
「紀子さんが普段着ている洋服は『レリアン』というメーカーのものよ。ご親戚がそこの偉い方ですから」
と説明する。
このメーカーは中年の女性に人気があって、肩パットが厚く入っていたり、襟の開きが方が大きかったりで、どちらかというとお嬢様向きじゃない。紀子さんが着るから上品に見えるのであって、普通の女の子なら、
「ただのオバさん」
になってしまう心配もある。紀子さんに対して、
「オバさんファッションとはいいにくいですからね」
というのが、どうも本音のようだ。
オバさんファッション(笑)!
おい岩井、いいのかよ、そんなこと書かせて!
いやー、雅子さまが日本中の女性の憧れとなり、スカーフの巻き方をみんなが真似したことに比べるとレベルが低い!
まだ20代前半なのにオバサンファッション!
その②
【お友達が明かした㊙話】
・学習院初等科からの礼宮のご学友というOさん
(ヘカテーの配慮で仮名)
礼宮が英国留学中の話
Oさん宅には毎月一回の割でかけてくる。この日は5月末の早朝だった。この日は5分ほどの電話だった。
「殿下は、『イギリスはとても寒い』などと話された。私は会社に行く直前ですから、ゆっくりと話ができなかった」
国際電話をかけるなら相手に余裕がある時間帯にかけるのが常識じゃないのかしら?
平日の早朝に、「イギリスってチョー寒いんだけど」とかけられてもそりゃ電話してる余裕ないわ!
・キーコさまの変貌ぶりを見た女性Hさん
(Hさんも週刊朝日にはばっちり実名で記載されてますが、ブログでは仮名としました)
親しい友人に、
「(礼宮さまから)絵のモデルになってほしい、と誘われたの」
「今度、一緒にテニスをする約束をしたわ」
と楽しそうに話すことが多くなった。同時に、このころから紀子さんは徐々に変わっていった。彼女を知る友人たちは、その変貌ぶりに驚いた。その一人、Hさんはいう。
「それまでの彼女は、どちらかというと活発な女の子でした。それが宮さまと出会ってから、何事も控えめで物静かになった。言葉遣いまで変わってしまって、初めは戸惑いましたよ」
手紙の文面も変わった。それまでは友人には、女の子同士ではありがちな軽い文章だったのだが、
「〇〇さん、お元気ですか。私は元気でおります」
に始まって、最後は必ず、
「お体にお気をつけ下さいませ」
で結んだ。
「宮さまにふさわしい女性になろうと、自分を変えていったのかもしれない」(Hさん)
うわー、なんて痛い女なんだ!
こういうタイプの女って同性から嫌われるよ
結婚当時はマスコミ相手に猫被ってましたが、
結婚して男子を産んでからは
「氷のミーティング」や「職員への恫喝」などの地が出るようになりました。
そして
その③
イトコババア登場!
【同名の祖母が贈った三つの記念品】

相も変わらずスゲー着付けだな!
そして週刊誌に平気で出てくることに恐れ入ったわ!
そして話すエピソードにもびっくり!
(原文は「紀子」にルビふってますが、ブログだとわかりにくいのでイトコばあさんの表記は「イトコ」とします)
三浦海岸にあった「なぎさホテル」に泊まっていた川嶋紀子さんを礼宮さまがデートに誘われたのは一九八五年九月のことだった。紀子さんは祖母のイトコさんと一緒の旅行。礼宮さまは、愛車のフォルクスワーゲンから降りて、
「紀子さんをお借りします」
といわれ、それにイトコさんが、
「いたらない孫ではございますがお願い申し上げます」
と答えたそうだ。このデートで礼宮さまはご静養に来ていた両殿下に紀子さんを紹介したわけだから、ご結婚への第一ステップともいってよいのだろう。
この時点の様子をイトコさんは、
「大変ご丁寧な宮さまだった。こちらが恐縮してしまうくらい」
と話す。
孫の彼氏といえども、皇族ですよね。
むしろ恐縮して当然じゃん。
そしてなんとも思わず孫を礼宮に渡すことにもビックリ
普通は
「華族さまでも素封家でもない我が家の者が次の天皇陛下となる皇太子の息子と付き合うなんてとんでもない!家格が違いすぎます。つらくても別れなさい」
というんじゃないの?
イトコばあさんの息子の川島辰彦も皇族と結婚することに対してなんとも思わなかったとか言ってるからやっぱり血って怖い。
あとこのエピソードも「ん?」と思ったので紹介
紀子さんは、とにかくおとなしい人で、婚約後に何回かイトコおばあちゃんをお見舞いに来たことがあったが、絵や和歌を見るだけで、ほとんど話はしなかったそうだ。
お見舞いに行って話もせず絵や和歌を見てるだけって変だよ。
実はイトコばあちゃんを嫌ってたのか?
あとこれがわからない
紀子さんの母・和代さんは料理が得意で、ときどき紀子さんが、おばあちゃんにお手製のローストビーフを持ってきたことがあった。紀子さんも母親仕込みで料理の腕前は、
「なかなかのもの」
と予想されるが、いまのところ味見をさせてもらったことはないという。
和代さんって専業主婦だったのに、なぜかキーこさまの好物はお惣菜のハムカツと聞きました。
そしておばあちゃんなのに手料理をふるまってあげないというのも寂しくないか?
昔の雑誌って色々面白いなー。
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No title
とありますが、「親戚がそこの偉い方」なんて、眉唾物です。
当時、庶民のおばちゃんが知っている色目の明るいスーツを置いてあるメーカーが、「レリアン」だっただけ。母親や仕立ての出来る母親の知り合いが、ここぐらいしか知らなかったというだけ。
この記事等で、レリアン=おばちゃん を知った後は、「J&R」なんかを着てました。ここは、見た目きっちりで若い年代向けのメーカーで、比較的リーズナブルなところ。
がんばってスーツを着ていたけど、下着にまでお金をかけていなかったわ。
いまも同じかも。しょっちゅう足やお尻、まる見えだもの。
(本当のことに、少しのうそを混ぜるのはやめて欲しいわ!)