池田厚子さんがご覧になったたった一度の昭和天皇が怒った顔と泣き顔

今晩の夕飯に前から作りたかった華中華4巻の「秋刀魚チャーハン」を作ったヘカテーです。

かぼすを調子に乗って入れすぎてカボス味の変なチャーハンになっておいしいのか微妙な味になりました。

ちなみに再現料理をちゃんと作った方のブログがこちら
http://luckyclover7.blog27.fc2.com/blog-entry-618.html

ちなみに華中華の主人公は華子という名前の女性中華料理人です。
横浜中華街が舞台です。
(偶然であってほしいのですが、華ちゃんの妹の名前は紀子です)

さてヘカテーのどうでもいい夕飯情報は置いといて、

『別冊女性自身 皇室特集号 天皇から紀宮まで激動の70年』

という本をヤフオクで落札しました

昭和46年4月発売なのでタイトルの天皇は昭和天皇のことです

「天皇陛下の素顔」

というコーナーで初孫である東久邇信彦さんと第四子である池田厚子さん(順宮さま)が手記を寄せられてます。

今回は池田厚子さんのエピソードをご紹介します。
この時池田厚子さんは40歳、昭和天皇70歳でした。

池田厚子さんが見た父帝のただ一度の怒った顔
私が学習院高等科のときでございました。学校での英語のテストの成績が悪かったときのことでした。
父陛下は、きっと私をおにらみになり、
「バイニング夫人について特別な勉強もうけているのに、これはどういうわけか」
おたずねになられたのでございます。そのきびしくこわいお顔。私は身のすくむ思いでございました。初めて見る父陛下のきびしいおつつけのお顔。
でもいまは、もっとも懐かしい、それが父陛下のお顔になっています。後にも先にも父陛下から身のすくむほど叱られたのは、このときだけでございました。叱るとき、叱られるとき、親子の情は深まるものと申しますが、いま思い出すと、‟私のことを心配してくださっている”としみじみ父陛下の愛情を感じるお顔でございます


ズルさせようとかそういう考えは昭和天皇にはありません。
勉強を怠ければちゃんと叱ったのです。
だから皇太子である継宮が単位が足りなくて留年になると言われても、圧力をかけたりして進級させようとされなかったのですね。(明仁皇太子が礼宮がカンニングさえできない程バカだったのに進学&進級させたのとはまったく違う)
昭和天皇に怒られたらそりゃ怖いだろうな。

さてもう一つが池田厚子さんがご覧になった昭和天皇の泣き顔
最後に、あれこれ思い出してきました父陛下のお顔のなかで、最も私の心に深く刻みこまれているお顔のこと。
それは昭和三十六年、東久邇家に嫁がれた成子様(注・厚子さんの姉君に当たる)が宮内庁病院で大勢のお子様とご主人を残して亡くなられた日のことでございます。
徹夜で母陛下と看病になられた父陛下は目を真っ赤にし、泣いておられたのでございます。私が陛下の、父陛下のお涙がこぼされるお顔を拝見したのは、これが初めてでございました。




東久邇成子さんのご子息である壬生基博さんは後にこうお話されてます。
(東久邇家に生まれ秀彦というお名前でしたが、壬生家の養子に入られてお名前を基博に変えられました)

なんていうか、母が息を引き取ったとき、陛下が「どうもありがとう」っていうふうに、ぽつりといわれたのがね、ずっと私の記憶の底に焼き付いてて。これは、大人になって考えると、最後まで手を尽くされた侍医さんや看護婦さんに対してそういふふうにいわれたということなんでそうけれども、そうじゃなくてね、死んでいった母親の病床に付き添った皆全員に対してそういわれたのではないのか、と。実際にはわかりませんけれど、その陛下のお言葉が、私は非常に印象に残っております
(「第一章 陛下のお誕生日に漫画をプレゼント 対談東久邇信彦・壬生基博」『思い出の昭和天皇』光文社 1989年12月発行)

昭和天皇のありがとうという言葉は東久邇成子さんにもかけられた言葉だと思います。

「私たちの子どもとして生まれてきてくれてありがとう」

東久邇信彦さんは成子さんを亡くされてから昭和天皇の白髪が増えたと仰ってます。

あの昭和天皇が涙を流した程のわが子との別れ

あまりにも大きな大きな存在を失った昭和天皇と良子さまに対して昭和の皇太子夫妻がやった仕打ちは絶対に許されるものではありません。

那須で静養中の昭和天皇と良子さまの元へまだ亡くなられてから1か月も経たないうちに夫婦でやって来て、自分たちの不平不満を夜10時まで訴え続けた明仁皇太子と美智子皇太子妃

昭和天皇はたった一言だけ仰った。

「よくわかった」

話の内容ではなく、

「お前たちがわが子を失った親の悲しみもわからないような血も涙もない人間ということがよくわかった」

という意味のように思えます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

きっとそれだけでは無く

ヘカテー様、お久しぶりです。
高校卒業して、新卒組で就職したので忙しくてブログをチェックする暇もなかったリトルハナマスです。
ご記憶頂けてるでしょうか?(笑)

さて、今回の記事ですが、最後の方の昭和の皇太子夫妻が先帝両陛下にした仕打ちに対しての一言「よくわかった。」っていうのは、きっと
「お前達の不満不平はよくわかった。だから悲しんでるナガミヤをこれ以上追い詰めないでくれ。」との意味もあったのではないかと推測します。
香淳皇后は一言も言葉を発さなかったのは、怒る気力もなく、お子をなくした悲しみのドン底にいらしたことでしょう。

この夫婦は自分が何をしたのか分かっているのですかね?
仮に秋篠さんを亡くして、サーヤが地方公務員と共に平民に降嫁していかに大変かとでも訴えに来れば、分かるんですかね?

まったく、自分が嫁の時は姑を追い詰め、自分が姑になれば嫁をいじめ、どこまで性悪なんだか。

早く平成が終わり、皇太子殿下に譲位される日が来ますように。

成子さまが逝去されて、まだ25日目でした。

>那須で静養中の昭和天皇と良子さまの元へ
>まだ亡くなられてから1か月も経たないうちに夫婦でやって来て、
>自分たちの不平不満を夜10時まで訴え続けた明仁皇太子と美智子皇太子妃



明仁皇太子と美智子皇太子妃が那須へ乗り込んだのは、成子さまが逝去されて25日目だったそうです。

開いた口がふさがらない!

庶民でも「49日がすむまでは我慢しよう。49日前にどうこう言ったり動いたりするのは人として恥ずかしいことだ。そこまで堕ちてはいけない。」と我慢します。
49日は仏教なので、神道なら50日というところでしょうか。

でも明仁皇太子と美智子皇太子妃は25日で乗り込んで、父帝母后を慰めるどころか自分達のことを夜中まで訴えた。

はっきり書きます。  最低な夫婦!

でも桂宮さまの喪中なのに除喪してでも出歩いた夫婦ですから、姉の、義姉の死など何とも感じていなかったと思います。

ファビオラ王妃の葬儀に出席するために飛行機に乗り込んだ時も満面の笑みを浮かべていましたものね。

できの悪い息子も怒られたに違いない

多分、いろいろな意味で出来の悪かった息子も怒られたことでしょう。
ただ、それを真摯に受け止めることなく逆恨みしたんで、あんなのに育ってしまったんだと思います。
(平成になって急に盛りに盛りましたが)

様々なことがあり、どんなに東宮に落胆しても、晩年は東宮ちゃんがいるから大丈夫と次代をたてていらっしゃった。そんなところに、滅私して、国民を思う気持ちが出ていますよね。
国民が次代も大丈夫!と思えるようにフォローするのも天皇のお心遣いあってのことでしょうね。
皇后陛下のお誕生日のニュースは読まれましたか?そのなかに、次代をたてる気持ちを私はあまり感じられませんでした。残念だなと思いました。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR