三笠宮さまを写真で振り返る


大正4年生まれ
生まれた時から天皇のお子さまでした。
(三人の兄宮は明治生まれ)
長兄である昭和天皇とは14歳も離れていて、
すぐ上のお兄様の高松宮さまとも10歳差
三人の兄宮は皇孫御殿で両親と離れて暮らしましたが、
澄宮さま(のちの三笠宮さま)はご両親陛下と一緒に御所で暮らしました。
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貞明皇后が撮影した四人の親王さまの集合写真
貞明皇后撮影

初等科時代
8ミリカメラで撮影中
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初等科3年生
澄宮さま 学習院初等科3年生

お勉強中の澄宮さま
青山御所内で勉強中の澄宮さま

明治神宮外苑で開かれた少年野球大会の始球式でボールを投げられる
明治神宮外苑で開かれた少年野球大会始球式

逗子の海岸で乗馬をされる
逗子の海岸にて

学習院中等科1年
澄宮さま 学習院中等科1年

陸軍時代
鍛錬中の三笠宮さま
鍛錬中の三笠宮さま
中国での三笠宮さま
中国で



そして戦後
職場まで電車通勤される三笠宮さま
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昭和30年 三笠宮さまのお誕生日
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昭和31年7月 軽井沢の三笠宮別邸で
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昭和31年10月 日本人考古学者初の中近東遺跡発掘となったイラク北部テル・サラサート遺跡鍬入式にてイラクの遺跡にて

昭和36年1月3日 お正月にご一家で記念撮影
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昭和36年5月7日 昭和天皇ご還暦祝いの集まりで「雪山讃歌」を歌い合奏される三笠宮ご一家
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昭和59年 日中友好親善第20回氷上フォークダンスカーニバルにて 
アイスダンスを披露

平成2年12月 三笠宮邸でのお集まりの際に三人の親王さま方と撮影された
(この時一体誰が三人の親王様の方が父宮よりも先にお隠れになると想像しただろうか!)
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平成3年10月26日 三笠宮ご夫妻の金婚式のお祝いにご親族全員がそろって
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平成3年11月
フランスの碑文・文芸アカデミー外国人会員に日本人初の選出され、就任式にご出席された三笠宮さま
フランス碑文・文芸アカデミー外国人会員就任式


平成6年6月 ロンドン大学東洋・アフリカ研究学院名誉会員就任式にて
ロンドン大学研究学院名誉会員就任式

激動の人生を歩んだ昭和天皇の弟君

これで皇室の男系男子は4人となりました。
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三笠宮さま、昭和天皇によく似ていらっしゃいますね。14歳上のお兄さんは、父親のようだったでしょうね。
中近東の歴史を研究してらしたそうですが日本とは何か日本人とは何か、考えておられたと思うし、皇太子様は三笠宮を尊敬されてたんじゃないかなあ。
平成の、公務を頑張ってますパフォーマンスな写真ではなくて、こういう自然な品格のある家族写真が見たいです。

平成皇室の「揺るぎない良心」であった方

三笠宮殿下、とても凛々しく聡明な方でしたね。今の天皇皇后がああいう感じの人々なので、平成皇室の中において年長者としての「揺るぎない良心」とも言える存在の方だったと思います。
その堂々たる揺るぎない良心とも言える方が薨去され、平成の天皇皇后がますます色々調子付きそうで嫌になります。

No title

三笠宮様の100年のご生涯を振り返る写真の数々、ありがとうございます。

宮様の存在のかけがえのなさを感じます。
誰かさんのようなナンチャッテ学者ではない本物の学者でいらしたばかりか、ダンスの普及など多方面にわたる活動をなさった、「皇族」にふさわしいお方であったと思います。

ただ一つモヤモヤするのは、男系男子派だったとされる点で、今の皇室の危機をどう感じていらしたのか、どのようにこれを解決しようとするのか何かお考えがあったのか、分からなくなったことです。

以前女性・女系天皇を認めようとする有識者会議の報告書が出されたとき、長男の寛仁親王は、これに反対して、あくまでも男系男子を守るべき、そのためには側室もOKと主張され、これは三笠宮家の総意だと言われたとき、歴史学者の三笠宮様はどう思っていらっしゃるのか、不思議に思ったものでした。これが分からなくなってしまったことも、とても残念です。



参考までに

三笠宮殿下は、寛仁親王の発言に対して、
「いいことを言ってくれたね」と話されたそうですよ。

http://www.sankei.com/column/news/161029/clm1610290004-n1.html

小泉政権の有識者会議が開かれていた頃には、
ある会合で、平沼赳夫氏に直接、
「君は僕のことをオリエントの皇族だと思っているんだろうけれども、
 皇統は男系じゃなければいけないよ。これが僕の考えだ」
と話されています。(平沼赳夫・櫻井よしこ『リベラルが日本を潰す 保守再生』)
平沼氏の奥様は、高松宮喜久子妃の姪ですから、本音を話されたのかもしれもせん。

三笠宮殿下が男系「男子」派だったかは分かりませんが、
男系継承に強いこだわりがあったのは間違いないですね。
あの理知的な三笠宮殿下が皇室の将来にどのようなお考えがあったのか、もう知ることが出来ないと思うと本当に残念です。

No title

三笠宮さまが小さい時からの数々の写真と、

ニュース番組などで放送されている、お年を召しての映像を見ると、


今 の 天 皇 な ん か よ り 三 笠 宮 さ ま の ほ う が 遙 か に 立 派 だ な あ ・・・・


百 合 子 さ ま も 全 て に お い て 美 智 子 さ ま よ り 品 が あ る な あ ・・・


と思う。

死人に口なし

亡くなった途端「生前退位に賛成だった」とか「男系男子支持だった」とか色々言い出しますね。
そのくせ「皇室の神話には否定的だった」とかね。
神話に否定的だった歴史学者が男系にこだわるものなんでしょうかねえ。
神話だけでなく、当然、王朝交替説とその信憑性もご存知だったと思うのですが。

三笠宮さま

ご兄弟なので、昭和天皇の面影があるのは不思議ではないのですが、
わたしは百合子さまの最近のお姿を見ると香淳皇后の面影を感じます。
勢津子さまや喜久子さまの雰囲気にも似ているので、やはり戦前の貴族的な雰囲気やオーラではないかと思います。
古きよき時代を体言されたご夫婦だったのでしょうね。
百合子さまが気落ちをされないか、少し心配です。
寛仁親王が「三笠宮家の総意」みたいな感じで、「女系天皇反対!」を声高に叫んでいたようですが、わたしには寛仁親王家の総意、むしろ寛仁親王と彬子女王、瑶子女王の意思でしかないような気がするんですよね。
特に根拠はないのですが、やはり古い時代の方ですし、「身分」に関してはきちんとわきまえておいでだったのではないでしょうか。
皇位継承は、内廷皇族が決めるべきことという意識はあったと思うのです。
寛仁親王と、女王さま方は残念ながら身分や格についてよくわかっておいでではないようですが。
三笠宮さま薨去、まことに残念です。
つつしんでお悔やみ申し上げます。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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