本当に本当に大変だったけど「金ヨコセー!」と一度も仰らなかった三笠宮家

ハフィントンポストの記事が面白いのでご紹介します。

三笠宮さまが歩んだ激動の一世紀 日本軍を批判、紀元節復活に反対も
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/27/prince-mikasa_n_12667676.html?ncid=engmodushpmg00000004

>こうした三笠宮さまを支えたのが、妃の百合子さまだった。太平洋戦争開戦前夜の41年10月、三笠宮さまは高木正得子爵の次女だった百合子さまと結婚。ただ当時は日中戦争の真っ只中。朝日新聞によると、引き出物のボンボニエール(お菓子入れの小箱)は竹製の質素なものだったという。
>ご結婚70年に寄せた文書では「空襲で邸(やしき)が全焼したため、経済的な労苦はほかの宮家と比べてはるかに大きかった」と当時を偲んでいる。


おまけに高木子爵家が戦後の動乱で没落
平安時代からずっと皇室は基本的にあまり金銭的な余裕がないので妻の実家から金銭的援助をしてもらうことが伝統でした。
つまり経済的な援助がない状態で子ども5人の大所帯なのです。

三笠宮さまの結婚70年のご感想
顧みれば,70年間,陰になり日なたになり私を助けてくれたのは,何といっても妻百合子であった。結婚のとき,私は陸軍大学校の学生だったので,宿題のためにしばしば徹夜したし,間もなく戦争となり,厳しい生活が始まった。

陸大の研究部部員を務めた後,私は支那派遣軍総司令部の参謀として南京に赴任した。妻は華族の出身であるが,皇族の生活は一段と厳しく,忙しいから,留守を守っていた妻の労苦は並々ならぬものであったに違いない。

私は帰国後,大本営の参謀などを務めているうちに,敗戦となった。三笠宮家は新しく創設されたために経済的な基盤がなかったばかりでなく,空襲で邸やしきが全焼したため,経済的な労苦はほかの宮家と比べてはるかに大きかった。それを支えてくれたのも妻であった。

やがて私は東大文学部で勉強することになったが,いろいろな公務もあり,授業に出られないときには友人のノートを借りてきて,夜のうちに妻に写してもらった。それは教室で筆記するより大変だったろう。

その後,半世紀,私は諸大学の講師を務めながらほかの公務にも出席していたので,妻は親王妃としての公務を果たしながら,5人の子供の世話や教育を一手に引き受けてくれ,しかもそれを見事に果たしてくれたのである。

今静かに過去の70年を振り返ってみるとき,百合子に対して感謝の言葉も見付からないほどである。


ヘカテーがある方のツイートで気が付いたのですが、

皇室初の両親が直接子どもたちを育てたのって三笠宮ご夫妻なんですよね。

長男のトモさんも著書『皇族のひとりごと』という本でこう記してます。
皇位継承権が親父にも私たちにもある以上、戦中に姉貴が生まれ、終戦直後に私が生まれたわけであるから、初めて歴史に挑戦した勇気は認めてあげる必要があると思

本当に大変だったんだなーと思う。

元々は三笠宮家は赤坂御用地内にあった青山東御殿と呼ばれる邸宅にお住まいでした。
しかし空襲で焼失。
なにもかも全部焼けてしまった。
戦後の動乱期を何もない状態で歩き始めなければならなかったのです。
ただし、土蔵は奇跡的に無事でした。
三笠宮さまが成年の儀でお召しなった衣冠や束帯は無事で後に三人の親王さまがお召しになられました。
また百合子さまが貞明皇后から拝領された五衣も無事で、信子さまと久子さま、そして典子さまがお召しになられました。
この土蔵は現存
邸宅が焼失した為なんと御用地内の防空壕で生活をされました!
昭和20年の暮れに葉山にある三井家の別荘を拝借して住まわれ、
22年に目黒にあった洋館を購入されお引越しをされました。
実業家から譲り受けたものでしたが、この家の購入金は借金をしてご用意されました。
家の中にはよくヤモリが這い、台所にはゴキブリもネズミも走り、昭和初期の建築なのですきま風がビュービュー入るという家でした。
現在の赤坂御用地にある三笠宮邸に移られたのは昭和45年
次女の容子さまは赤坂の三笠宮邸に移った際、廊下が暖かいことにカルチャーショックを受けられたと証言されてます。
こんな生活であっても百合子さまは五人のお子さまの育児日誌をそれぞれ成人されるまで毎日記されました。
(参考文献『高円宮憲仁親王』)

それでも

「ちょっと!うちには男が4人もいるのよ!子どもがいない秩父宮や高松宮の予算をうちにまわしなさいよ!」

なんて一度も仰らなかった。

立派ですね。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

宮妃としての誇りがありますから 。

こんばんは。空も宮さまのことを悲しんでいるような天候ですね。
百合子さまは、宮妃としての誇りを持って、生きていらっしゃるのでしょう。
実家にならいざ知らず、公の場で、大勢の他人に向かって、金がないなんて言うのは、こじきと一緒です。頭が悪いからやりくりできないんですよ。 お金がないなら、無駄な旅行をやめましょう。

No title

やっと宮邸に移られたのが昭和45年ですか。
戦後25年もたってからのことなのですね。

(一方では贅沢三昧の東宮家が…ゲフンゲフン)

なんか百合子様のクオリティーの高さがひしひしと伝わってくるエピソードのオンパレードですが、それをしみじみと語られる三笠宮殿下も懐が広いお方というべきか…。


ミテコさん、キーコさん、こんなエピソードは絶対に無いでしょうね。

やっぱりご立派な昭和の皇室

宮様方は嫌がると思いますが、本当に昭和の皇室はご立派であったと思いますよ。

戦争から平和までの激動の時代。一般国民だけではなく、皇族も厳しい生活を強いられる毎日であったと思います。にも関わらず、三笠宮家のように文句を一つ言わず、ご家族で協力しながら、幾つもの苦難を乗り越えてきたお姿は、多くの国民の支えになったと思います。特に昭和の皇室は、昭和天皇を中心に皇室が一体となって助け合うというのがありました。

それは今の皇太子ご一家にも通ずることかなと思います。時代は経過し、私たち多くの家庭でも色々な悩みが増え、大変な思いをしていらっしゃる方々はいます。事情は違えど、皇太子ご一家も同様に多くの苦難を経験され、ご家族で助け合いながら、これまで乗り越えられてきました。ストレスや精神的な不安などが尽きない現代社会ですから、そんなご一家に共感を抱く国民も多く、応援する声が大きいのだと思います。

平成の皇室は何かとバラバラ感が目立ちますが、もしや私たちの知らない所で、今でも皇太子ご一家を中心に常陸宮ご夫妻や三笠宮ご一家、そして高円宮ご一家が一体となって助け合って来たのかもしれません。実際に高円宮ご一家との親交は続いていますし、雅子さまも信子さまと連絡で互いを励ましておられるという話も聞いたことがあります。

もう三笠宮さまのお顔を拝することができなくなることは本当に悲しいです。改めて謹んでお悔やみを申し上げます。

百合子さまを支えて皆様仲良くお過ごしいただきたいです。

百合子さま、あまり目立たずいつも控えめになさっている方だという印象でしたが、本当の意味での芯の強さと慈愛を持たれた方なのだと目頭が熱くなりました。戦中戦後を通じて苦労が絶えなかったと思うのに優しく穏やかで、お年を召しても綺麗な方ですね。それなのに、手元に育ててきた3人の親王方を相次いで先に亡くされて、晩年まで心痛が続いて誠に痛ましい限りです。
信子さまと彬子さま瑶子さま、今後は是非百合子さまを支えて皆様で仲良く暮らしていただきたいです。三笠宮家の行方は今の段階ではわかりませんが、皆様が仲睦まじくお暮らしくだされば三笠宮様もきっとお喜びになるでしょう。

Re: No title

百合子妃殿下は厳しく苦しい中でも、矜持を失わず三笠宮家&崇仁殿下を支えられたのですね。自然と頭が下がる思いです。
お金の有無に関わらず、それなりの身分のある者には、多くの責任や義務がある事をきちんと知っておられるのでしょうね。この事を一部の宮家には肝に命じて欲しいです。
とても苦労なさった百合子妃殿下を信子妃殿下、彬子女王、瑶子女王が仲良く支えて下されば…と切に願うばかりです。

庶民以下の平成皇室

庶民だって外に向かってお金の話はしません。
お金の話をするのは下品だしはしたないことだと思っているから。
それをお抱え連中に声高に要求させるのが平成皇室です。
さもしいし浅ましい。

嫁と姑。

三笠宮さまのお母さま、貞明皇太后は大宮御所が空襲で全焼した際に、静かに、
「これで国民と同じになりました」
そうおっしゃいました。
そんな貞明皇太后のご様子を見て、百合子妃は皇族としての姿を学ばれたのでしょう。
私は昭和の皇族方の記憶が強いため、今の秋篠宮家の浅ましく卑しい様子にウンザリします。
貞明皇太后の凛としたご様子に「焼け残った自分の宮邸に火をつけて燃やしてしまおうかと思った」喜久子妃のことは、おやめください~とお止めいたしますが。

No title

百合子妃は子爵令嬢から宮妃となられた。
そして敗戦後は、皇族という身分のままではあったけれども、経済的には大変なままだった。
しかし不平も不満もおっしゃらなかった。



川嶋紀子は、一般庶民から宮妃になった。
3DKの職員住宅から宮邸に住み、今は職員住宅より更に広い宮邸に住んでいる。
秋篠宮家への手当収入は、川嶋辰彦の年収よりも遙かに多い。
しかし紀子妃は予算を増やせ、職員も増やせと言う。

秋篠宮妃紀子って究極のクレクレだよね。
●食みたい。

No title

百合子さまの場合。お育ちが良いからこそ、バイタリティーに長けていて、不平不満を漏らさない優しさや精神力の強さがあると思います。
一方のキコさんは「学者の家柄」とか偉そうに言ってますが、
父は学長にもなれなかった変わり者のサ○ク学者。
祖母や弟含め家族もアレレな人たちばかり。
そもそも現在の秋家の娘さん2人はすでに成年皇族です。「金がない!」っていうのなら学費の高い大学や大学院にズルで入れたり、
海外に留学させてないで就職させればいいでしょ。
三笠宮家の5人のお子様方は皆さん就職されたり、降嫁されました。

ニセモノと本物

平成皇室を見渡すとニセモノと本物がすぐに見分けられますね。
どんなに地位やお金、好待遇に恵まれていても
ニセモノの顔付きと姿勢の悪さ、不満を露わにする姿を見ていると
やはり心根、品位、心と頭のしなやかさと言うものが如何に大切かと
思い知らされます。

本物の皆様のご苦労があっても
それを感じさせない隠しようもない気品に豊かさを見ます。
私も遠く及ばずながらも
本物の皆様に少しでも近づけるような生き方をして行きたいです。

そう考えると本当に素晴らしいと思います。

苦労に苦労を重ねながらもそれを人前では見せなかった。
そして、文句も言わなかった三笠宮ご夫妻は本当に立派な人間性のお持ちだと思います。
一般人もそこは見習って欲しいですよね。

トモさん

百合子様のご実家からの支援が三笠宮家の支えだったのでしょうけど、戦後ですから、ご実家だって、余裕たっぷりでもなかったでしょう。トモさんは信子様の実家からの支援を期待し過ぎたところがあるのですかね。明仁&美智子夫婦が、嫁の実家ベッタリで豪遊しているのも、カチンと来たでしょうね。でもトモさんがもう少し落ち着いた言動されていたらとも思います。

Re: トモさん

> ご実家だって、余裕たっぷりでもなかったでしょう。トモさんは信子様の実家からの支援を期待し過ぎたところがあるのですかね。

百合子さまのお父上の高木子爵は昆虫学者でした。しかし空襲で蔵書や標本が全て焼けてしまった。空襲でみんな焼けてしまって財産が無くなった上に、インフレで蔵書や標本をまた集めることが出来なくなった。
絶望し、探さないでくださいという遺書を残して失踪。翌年の春、奥多摩の山中で白骨死体て発見。ご遺体の側にロープがあったことから首吊り自殺ということが判明。
百合子さまって、本当に激動の人生を歩まれたお方です。

No title

>皇室初の両親が直接子どもたちを育てたのって三笠宮ご夫妻なんですよね。

皇室について詳しくわからないんですが
当時は一緒に暮らしていただけで育ててはないんでしょうかね?


>長兄である昭和天皇とは14歳も離れていて、
>すぐ上のお兄様の高松宮さまとも10歳差
>三人の兄宮は皇孫御殿で両親と離れて暮らしましたが、
>澄宮さま(のちの三笠宮さま)はご両親陛下と一緒に御所で暮らし>ていました。

こんな記載がありましたので。

Re: No title

> >皇室初の両親が直接子どもたちを育てたのって三笠宮ご夫妻なんですよね。
>
> 皇室について詳しくわからないんですが
> 当時は一緒に暮らしていただけで育ててはないんでしょうかね?
>
>
> >長兄である昭和天皇とは14歳も離れていて、
> >すぐ上のお兄様の高松宮さまとも10歳差
> >三人の兄宮は皇孫御殿で両親と離れて暮らしましたが、
> >澄宮さま(のちの三笠宮さま)はご両親陛下と一緒に御所で暮らし>ていました。
>
> こんな記載がありましたので。

それはヘカテーの書き方が悪い。

申し訳ない。

三笠宮さまは大正天皇と貞明皇后と御所で生活されましたが、残念ながらご養育係に育てられました。

百合子さまの人生

ご自身の困窮もそうですし、お父上が困窮のなかで自殺された心労もかなりのものだったと思います。
そうした時代を生き抜いてこられ、ご子息に相次いで先立たれてしまった百合子さまは、本当にお気の毒です。
彬子さまと瑶子さまには、信子さまと和解して、百合子さまを安心させていただきたいと思います。
それにしてもアキシノさん家って、三笠宮家に比べたら、ずーっと恵まれていますよね。
そりゃ川島家からの仕送りはあり得ないでしょうけど、6000万円以上の皇族費があるのに金クレ金クレって‥‥
しかも情けないぐらいエレガンスとはほど遠いし。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR