戦前の行幸はマジで大変でした

高貴高齢者コンビが毎日のように出歩き公務を楽しむヘーセー

高貴高齢者コンビは好きで出歩いてるのに、「東宮がしっかりしないから私たちが出歩いてるんです」と皇太子ご一家を責める。

そしてその子分の筆頭宮妃とショーライノテンノーを乗せた車が山登りに行く途中で前の車にアタック

加害者なのに、「もっと警備を重くしろ!金寄越せー!」と懇意のマスコミと下郎下女を使って騒ぐ。





さてそれに対して昭和天皇と良子さまの行幸啓はめちゃくちゃ少なかったことは以前記事にしました。

昭和21年まで現人神だった昭和天皇

神様の行幸は本当に大変なものでした。

昭和9年(1934年)11月16日に発生した

「桐生市鹵簿誤導事件」
(ウィキペディア先生は「昭和天皇誤導事件」で記事にしてるぞ)

鹵簿(ろぼ)とは「行幸の行列」という意味です。

戦時体制に進む時代の前期に起きた事件です。

「鹵簿誤導事件」と書くとものすごく複雑そうな感じがしますが、

昭和天皇が陸軍特別大演習後に群馬県桐生市を視察する際、誘導係の本多重平警部が緊張のあまり交差点を左折する予定だったのに直進しちゃったという事件です。

これだけ天皇と皇后が日本中ウロウロしてるへーせーだと

「え、事件ってほどのことでもなくない?群馬県警ドジっ子だなーで済む話じゃん」

と思いますが大騒動になりました。

一年前から準備してたのですが、本多警部は大変気の毒な方で本来の誘導係が体調を崩した為急きょ誘導係に抜擢された人です。予行練習一切なし。ぶっつけ本番!

おまけに案内するのはただのお偉いさんではない。神様なのだ!

今だったら県警のトップから注意される程度ですが、

現人神だからね。

岡田啓介首相、後藤文夫内務大臣、群馬県知事が昭和天皇に平身低頭にして詫びた。

昭和天皇はこれに対して「寛大なお言葉」を与えた。

(昭和天皇らしいですね)

さらには本多警部は責任を一人で負うために、

昭和天皇を乗せた列車が桐生を出発したことを確認した後に、なんと喉を日本刀で突いて自殺を図った。

幸い一命を取り留めたものの重い障害が残りました。

(舌の筋肉が切断されたから会話に支障は出るし、食道と気道が癒着しちゃったから食事をするにも一苦労)

本多警部には全国から賞賛と激励の声が届きました。

その声を受けて警部は「もう一度、陛下のお役にたつこともあろう」と生きる決意をしました。

当時「武士道」を持つ警部の美談として、戦前の日本では広く知られた話となりました。

群馬といえば正田家発祥の地ですよね?

出歩き公務大好きなミテコさまも「あちらはよく我慢してる」と言った冨美さんも「結婚は二人が勝手に決めちゃったんだもん、ダメって言ってもきかないんだもん」と言った正田英三郎氏も知ってるはずなんだけどな。

さて、本多警部は戦後の昭和天皇をどう見ていたのか?

本多警部の娘さんの証言

二十一年三月、県下の戦災復興状況ご視察のため、陛下が再び群馬県をお訪ねになった。その後も地方巡幸で全国を回られた。軍服から背広姿に変わり、市民と気軽にお話しになる陛下のご様子をラジオなどで知って、父は次第に元気をなくした。「世の中、変わった。武士道は必要なくなった」「もう世を捨てた」などの言葉を、よく口にした。
(朝日新聞社社会部編 「父の事件」『それぞれの昭和』 朝日新聞社 1985年3月発行)

知られてるのは本多警部の事件だけですが、

宮崎俊弥さんの研究によると群馬行幸でほかにも3件事件が起こってます。

①群馬事件
大演習直前の10月に行幸予定地だった組合製糸群馬社で起こった同社の一部組合員と会社幹部の軋轢が生じて検察への告発騒ぎに発展して行幸が中止。大久保佐一社長が責任を取って自殺

②巡査割腹自殺未遂事件
大演習が行われた13日早朝、多野郡八幡村(現高崎市)の山名御立所の警護に遅れた同村の藤岡警察署渡部巡査がその責任を感じて佩刀で割腹自殺を図る。県警本部の現場への指示が遅れたことが遅参の原因。一命を取り止めたものの、誤導事件とともに県議会で問題化した。

③群馬県体育主事失踪未遂事件
15日に前橋中学校で天覧合同体操が行われた。前橋市内の小中学校の生徒4800人を県の体育主事が体操の指揮をしていたが、号令を間違えて生徒の所作がちぐはぐになってしまった。その責任を感じて失踪を図った。
(参考文献 宮崎俊弥「昭和天皇の桐生市行幸と誤導事件」『地方史研究』 地方史研究協議会 2003年10月発行)

こうやって見ると

「群馬県民ってドジっ子ばっかりだなー」と笑えるけど、

それだけ天皇陛下を迎えるって戦前戦中は大変ことだったのです。

昭和天皇があまり出歩かなかったことにはこういうことを経験されたからってこともあるんじゃないかな?
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昭和帝の時代は凄まじかった

ただ「凄まじい時代」の一言ですね…昭和帝のためには自らの命を賭ける人々が後を絶たなかったのですね。その後昭和帝は人間宣言を行いましたが、崩御された後も昭和帝の後を追って自ら命を絶ち「殉死」した人々も話題になりました。

一方で平成の今、今上さんのために迷わず命を賭ける人々は一体どれくらいいるでしょうね?今上さんは自我を通しすぎ、節目節目でワガママを言ったせいで周囲からどんどんまともな人が離れていきました。現在残っているイエスマン・取り巻き連中だって、今上さんのために命を賭けろ、殉死しろと言われたら逃げ出す人が多いんじゃないかと思います。
今上さんは今後もう何をやっても、お父上を超えることはなくなったと思います。それも自業自得ですがね。

いろいろありました。

東京大空襲で御所が焼けた時、消防士は炎の中に正座したまま焼死しました。
もちろん、御所を全焼させたお詫びです。
その際、貞明皇太后の大宮御所も全焼しました。
「これで国民と同じになりました」
皇太后は泰然としておられたそうです。
また、戦後の昭和天皇巡幸はまだ焼け跡をめぐる旅ですから、まともな宿もなく、昭和天皇は1週間お風呂に入らずにおられたそうです。
「国民の苦労を思えば、どうと言うこともない」

僕は礼宮だ!で、テニスの試合の勝ちまで譲らせようとしたり、
妊娠6週目で懐妊したと公表し.、生まれる前から男児用ベビーカーを準備して「将来の天皇様ですよ」と、皇族特権にばかりすがりつくようでは、いつまでたっても国民の信頼など得られませんよ。

有識者会議

ユーシキシャの思惑は色々あるようですが、生前退位特別法には否定的な意見が多いようですね。歳をとって公務が大変なら、公務を見直し、皇太子様を摂政に立てるのが正解。自治会の決まり事だって、ほい来たそれ!とは決まりません。明仁&美智子夫妻にはそれが解らない。今上夫妻は高齢者特有の病気になったので、宮内庁病院に隔離でいいですよ。仙洞御所なんざ要りません。

プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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