昭和63年の大みそかに「よっしゃ!いよいよ俺が天皇になるぜ!」と同級生と酒を飲んだ明仁皇太子

http://vpoint.jp/imperialhousehold/46695.html

>明石さんは時代が平成に代わる直前の88年大みそかの夜、同級生らと3人で当時のお住まいの東宮御所に招かれた。昭和天皇の病状は深刻だったが、「(今の陛下は)結構お元気で、既に覚悟を決められていると感じた」と振り返る。

「やった!いよいよ親父がヤバいんだよ。俺がやっと皇太子から天皇になれるよ!」

と喜んでたんですね。

昭和天皇の侍医だった方が残してますが

昭和63年に昭和天皇が倒れた時に

お見舞いにいらっしゃった高松宮妃の喜久子さまは侍医に

「昭和64年はありえるのでしょうか?」

と仰ったという。

侍医の方は答えられなかったという。

その位みんなが緊張したんですよ。

国民も自粛ムードで

記帳も長蛇の列だった。

次の天皇になる皇太子が

「イエーイ!親父が死んだら俺が天皇!」

と同級生と酒を飲んでいた。

ドン引きだよ!

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類は友を呼ぶ

この明石某、最近やたら登場しますが、やはり人間って、同レベルの相手としか付き合えないんだなと思います。

官房副長官に直談判に行ったと得々として話しましたからね。
天皇の政治介入です。
憲法違反です。

もうね、本当に情けないです。

こそっとな。

戦前、私の身内がまだ小さな少年で、那須の御用邸の雑用係をしていた頃のお話です。
昭和天皇は鮎がお好きで、那珂川にてその鮎を釣ることも楽しみにされておられました。
釣りにゆかれる途中、萬水橋と言う小さな橋がありまして、その一部に鉄が使われていました。その鉄を兵器にするため軍部に供出する、つまり橋を壊す作業です。
(あ、こりゃ敗ける)
傍らには田舎の幼童しかいないので、ごくごく小さなお声で呟かれたそうですよ。田舎の、小さな橋の金具すら剥がして供出しなければならない。それでは、勝てるわけがない。
戦争中、那須の御用邸でのご静養はなかったことになってますが、それはタテマエで、ほんの数日ではあってもおいでになったそうですよ。
那須郡那須町は昔はほんとうに純日本のド田舎でした。
つい最近まで土葬だし、男も女もあんまり気にしないで第一子相続だし、極端に無口だし、東京者は警戒される。
代々の県知事の、東宮ご一家をお迎えする時の口下手な挨拶。
あれは身悶えするほど嬉しいあまりに、なんと言ってよいのかわからない、とどのつまりなのです。
今上は、昭和天皇のお子さまですから、表立っては何も。
秋篠宮はいない人。
こんなところですか。

劣化コピー

秋篠親子は長崎へ慰霊の旅だそうで…明仁&美智子夫妻の真似っこ遊びですね。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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