三笠宮家が如何に大変だったかシリーズ―百合子さまの心の叫び―

今週発売の週刊新潮最新号でキーコさまが相変わらず

「うちには金がない。もっと金を寄越すべきだ」「うちは職員が少ない。もっと職員を増やせよ」

とブーブー文句を言い、

しかもパワハラしまくってる職員さん達に

「うちで働けて幸せでしょ?」とわざわざ質問した上に「ありがたいと思いなさいよ」と言ってるとさ。

正直に答える職員さんなんていないわ!

さらには皇后の位まで狙ってるとか!

定番の雅子さまバッシングを最初にした後にメインのキーコさまの暴露話

記事の発注元はミテコさまじゃないの(笑)

「あいつ最近調子に乗っ取るからここらで絞めなアカン」という感じにちょっと怒ってるんじゃないの。


さてさて、列外派では何度も何度も

三笠宮家は秋篠宮家なんかよりも遥かに大変だったが、それでも一度たりとも『うちには男が四人もいるんだから常陸宮家と秩父宮家と高松宮家の分の金寄越せー!!』なんて仰らなかった

と触れてきました。

今回は具体的なエピソードをご紹介します。

読売新聞社から発行された『高円宮憲仁親王』に書かれていたエピソードです。

三笠宮妃百合子さまは五人のお子様方の育児日記をそれぞれが成人するまで毎日書かれてました。

高円宮さまの育児日記の題名は『暁乃柊』

高円宮さまのお印である柊と生まれた時刻が暁だったことからこの名がつけられました。

昭和29年12月29日から成年式後の昭和50年1月14日まで綴られた日記にはこのようなことが書かれてます。

昭和30年2月25日
「久々百合子、あつ(山下敦子)と昼間、銀座に買い物に。憲仁のベビー服松屋で目星つけておいたのに、今日はもうそんなトリコットのは一つもなし。あとデシンのものは千八百円もするし、ネルのは品の悪い色だし、メリンスみたいな化繊らしいのもぱっとしない。(中略)又今度三越へでも行って探してみる事にする」

(引用は『高円宮憲仁親王』より)

「あつ」という名前が出てきてますが、この方は山下敦子さんという三笠宮家の老女(侍女のトップ)です。百合子さまよりも6歳上の女性で昭和18年から三笠宮家へ仕え、平成11年に引退するまで56年間宮家に仕えました。山下さんは宮家の職員として最初は「侍女」で昭和27年6月から「老女」になられました。昭和47年5月に国家公務員の「侍女長」に任ぜられました。

つまり山下さんのお給料も国家公務員になられるまで三笠宮家が出してたんですね。

高円宮さまは赤ちゃん時代結構手がかかるお子様でした。

腸粘膜過敏症でお乳がお腹に入ると腸が痛くなって大声で泣くので体重が中々増えない。

お乳を飲み終わるまで小一時間掛かる上に、母親が抱っこすると気配で「お腹が痛くなるから飲みたくない!」と大泣きしてしまう。

ただでさえ宮妃としての務めと、三笠宮さまと他の四人のお子様方のお世話もありますから睡眠不足気味でした。

『暁乃柊』で唯一百合子さまがご自分の感情を露わにした日が一日だけあります。

昭和30年4月24日
「夜中四時間おきに起きてしまう。(中略)左右と続けて(お乳を)一気に上がるのは、朝の第一回と夜最終回位のもの。今朝はまちがって二時、六時、十時と(これは失敗、あとに延びる)嫌な時間になった。午後二時前にやっと好調子に上り出し残念な所で宮様御出門と仰せなので、中止して大至急、着がえして二時二十分頃出門。東おどり見にゆく。『御乳があると全く駄目だね』と仕度のおそいのでいらいらしてらっしゃる宮様のお言葉に悲しくなる。」
「授乳は赤ちゃんにとって絶対的なもの重大なものと一生懸命しているが、(中略)周囲の理解あってこそ十分なことが出来るのだ。(中略)夜になると、全く自分の用事がまだしてない事に気付き、あと十分でも時計の止まっていてくれればいいなあと思うが公務、授乳、子供の勉強、学校参観―を始めとして細々としためんどうな家事―何しろ昔四十人からの職員を擁していた仕事が少しも減るどころか増える一方なのに、何と職員は十人足らず。交渉ごと、被下(下され物)、吉凶に関する事、それらをどんどん現金で右から左に片づけられるのなら又易いが、この経済状態では中々それがむずかしく、到来物をそれぞれにふりあてたり、何とか有合わせのもので間にあわせようとその苦心たるや凄いもの」
「誰も助けてくれないので、すべての事に亙って自分から思いつき、しなくてはならない。心身共に疲れたという感じ。あと四年もこの状態でがんばったら、上三人はもうかなりの年齢になる大分手もぬけて楽になるかとおもうが・・・・・・。」


三笠宮さまは多忙で戦後の父親型でしたから、育児には余り協力して下さらなかった。

だから百合子さまお一人で育児と家事と三笠宮家の職員の統制をする必要がありました。

宮家には皇族として恥ずかしくないような生活をすることを目的とした皇族費が支給されてます。

昭和29年当時の三笠宮家は以下の通り支給されてます。

三笠宮さま→190万円
百合子さま→95万円
五人のお子様→19万円×5=95万円

計380万円


これ以外に所得して
13社の株の配当が36万円
原稿料8万円

がありました。

皇族費380万円プラス雑収入44万円=合計424万円

424万円で一年間やりくりする必要がありました。

「当時の424万円がどのくらいの価値があるのか分からない」と思ったヘーセー育ちのヘカテーは調べてみた。

昭和29年の大卒の国家公務員の初任給が8700円でした。

平成27年で大卒の国家公務員総合職の初任給が18万1200円。

現在の価値にしたら昭和29年の424万円は平成27年の8480万円ですね。

(経済学を学んでる方からしたらすごく怒られそうな計算方法ですみません)

「結構貰ってるじゃん」と一瞬思うが、

当時の皇族はヘーセーよりも外出公務が少なかったから外出公務でお車代をゲットしたり、総裁職も今よりも少なかったから総裁職でジャンジャン稼ぐという方法も得られなかった。

目黒の三笠宮邸のローンも返さなければならない。

職員のお給料を始めとした、三笠宮家7人分の生活費、交際費、営繕費、三笠宮様の研究の費用、その他諸々を賄わなければならない。

三笠宮家には少ない時でも事務官、運転手、老女、侍女二人の5人の職員が働いてました。

三笠宮家の大変さは国会でも取り上げられて昭和33年2月13日の衆議院予算委員会で

「三笠宮家の運転手が月7千円の給料では食べていけないと辞めてしまい、宮さまは電車で大学に通勤されているというが」という質問が出るほどでした。

それに対して当時の宮内庁長官だった宇佐美氏は

「最低五名の職員の給与に(支出の)多くがかかっている」と答弁しました。

他の宮家を見ると

秩父宮家は昭和3年に設立されて終戦の昭和20年までの間に戦前戦中の豊かな皇室の中で経済的な基盤をしっかり立てられた。

また勢津子さまのご実家も裕福だったので援助してもらえた。

高松宮家は有栖川宮家を継承するという意味合いで設立された宮家なので有栖川宮家の財産をそのまま高松宮家にスライドされました。

だから裕福でした。

三笠宮家の不幸な点は設立が昭和16年と言う皇室にも余裕がなくなっていた時代での設立で経済的な基盤を立てられず、

しかも東京大空襲で宮邸が全焼してしまったので本当に裸一貫で生活しなければならなくなった。

(蔵は残りました)

皇室は基本的に古代から貧乏だったので、皇族妃はリッチな方が選ばれます。

なぜなら実家が助けてくれるからです。

しかし百合子さまのご実家高木子爵家は戦後の動乱で没落。

百合子さまのお父上は昆虫学者として有名な方でしたが、昆虫標本や貴重な蔵書が全部空襲で焼けてしまった上に、戦後のインフレで買い戻すことは困難で研究を諦めなければならなくなりました。

そして百合子さまのお父上は失踪。一年後に枝にロープが掛けられてる木の下で白骨遺体で発見されたという悲劇が起きたほどです。

これだけマイナス要素があったのに子沢山ですからそりゃ大変です。

育児日記を書いた理由について百合子さまは『高円宮憲仁親王』でこのように話されてます。

「この日誌はそもそも門外不出のもので、憲仁に読んでもらうためのものでございました。私の死後に一人ひとりに渡すつもりで一冊ずつ書いておりました。他人さまがお読みになれば、親馬鹿としか思えない内容でして。高円宮の幼いころの記録がないと久子が言うもので、ではご参考までにと渡したものです」

他人には見せないつもりのものだったから「こんなに辛い」と感情を表せることが出来た

キーコさまよ、「金がない」「人手が足りない」と騒ぐ前に三笠宮家の歴史を振り返りなさい。

坊や誕生以降、宮邸もドンドン広くなってるし、職員の数も尋常じゃない位増えている。

「うちにはショーライノテンニョ―がー!!」と喚くが、

三笠宮家には3人も男の子がいたけど三人ともちゃんと育てられた。

(ただしトモさんは微妙だが)

二人の内親王さまも一人は近衛家(ご結婚された時は細川家の方だったが近衛家が途絶えたので御夫君が近衛家の跡取りになられた)、もう一人は茶道で一番のお弟子さんを抱える裏千家の跡取りとご結婚された。

予算も上げたし、坊やの為に育児棟を作ってあげたし、職員の数も増やしてあげた。

じゃあどうなったのかというと、

坊やはズルして入った学校に行ってないし、

眞子丼は海の王子を連れて来た。

結局は両親、特に母親がどういう心持ちで生活してるかだな。
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百合子様の壮絶な人生

ヘカテー様、良い記事をありがとうございました。改めて百合子様の人生を振り返るとあまりにも壮絶で不運で、言葉が出なくなりました。特にお父様の自害はトラウマにもなったと思うのです。
これだけの苦悩を抱えて激動の時代を生きてこられたのに、三人の息子たちはご両親よりも先に亡くなるという悲劇も起きました。それでも毅然と、気高くお振舞いになってきた百合子様に敬意を表します。

今年の新年一般参賀での百合子様の眞子さんに対するお振舞いが話題になっていましたが、百合子様から見れば秋篠宮家の人達は本当に汚らわしいとしか思わないでしょうね。母親が多額の借金を抱えている海の王子と婚約し、女性宮家創設を待っているかのような態度をとり、もし降嫁してもまだ実家(秋篠家)に頼って仕事をあっせんしてもらう気が見えるような眞子さんなど、まともに顔も見たくないかもしれません。

紀子は恥を恥とも感じない女ですから


紀子は女としての恥じらいどころか人間としての恥じらいすら持っていませんよ。

人の皮を被ったケモノです。

あの人には、どれだけ煮え湯を飲まされたか!

口を開けば、お金が足りない人が足りないと言う。

あちら出身の方としか思えないほど無心する。

紀子を皇后にしても無心は無くなりませんよ。

もっと増やせ、まだ足りない、と言い続けますよ。




物乞い宮妃

 母親の手袋代を宮内庁に請求するような有様のうえに、自身はフェイクパールを持参して皇族入りしたキコ妃。

 どこぞの国の大統領に呆れられた、どこぞの国の国民と同じメンタリティだこと。

3dkへ帰れ

私は紀子さんの、あの笑顔が嫌いなんです。
紀子さんを好きな人って、あの笑顔見て本当に平気なんですか?

現在の待遇に不満なら、何時でも3dkにお帰りなさい。

紀子妃の方こそ皇族失格

あくまで週刊誌の記事なので何とも言えませんが、それにしても紀子さんの裏の顔が一つの週刊誌だけではなく、複数の週刊誌で報じられているのと、宮内庁が無反応なのを見ると、ほぼ事実と受け止めて良いんでしょうね。

私も正直、この方の笑顔は大嫌い。わざとらしく見えるし、微笑みという仮面で本性を隠していらっしゃいますからね。私の周りでも「紀子さま好き」なんて人、見たことないし…やっぱり不器用だけれども、正直で控えめでいらっしゃる雅子さまの方がとても好感を持てます。

それにしても、アンチたちはこれまで雅子さまのことを「皇太子妃失格」なんて言ってたけど、一連の言動を見たら、紀子さんの方こそ「親王妃どころか、人間失格」なんじゃないですか?

宮家職員たちに対して、「うちで働けて幸せでしょ?」とか「ありがたいと思いなさいよ」とか、仕舞いには「カネとヒトを寄越せ」だもんね…どうみても、公務が多忙こととか、秋篠宮家へのお金が足りないことが原因ではなく、紀子さんの性格に問題があるとしか思えません。

まあ、皇后さまの真似事をすること以外に芸のない紀子さんに激動の時代を乗り越えられてきた三笠宮家を見習えと言っても無駄ですね。紀子さんこそ、皇后は愚か、皇族としても相応しくない方なんですからね。良家のご令嬢として生まれた雅子さまとそもそも釣り合う訳もないです。

紀子さんがダメな分、今後も皇后陛下となられる雅子さまを寛仁親王妃信子さまや高円宮妃久子さまがかつての秩父宮妃殿下、高松宮妃殿下のように支えて頂きたいです。

ところでそんな高円宮家で新たな動きがあったようですね。


高円宮妃久子さま、2団体の名誉総裁職をご退任 承子さま、絢子さまがご就任
http://www.sankei.com/smp/life/news/180116/lif1801160021-s1.html)産経新聞、2018.01.16


高円宮さま薨去後、妃殿下が引き継がれた公益社団法人全日本アーチェリー連盟、日加協会の名誉総裁を長女の承子さま、三女の絢子さまがそれぞれ引き継がれるようです。三笠宮家でも彬子さまがお父様の寛仁親王が研究に携わってきた縁で、三笠宮記念財団の初代総裁に就任されたそうです。

特に絢子さまはカナダへのご留学経験もあり、昨年は公務でカナダをご旅行されたこともあるので、この度の日加協会名誉総裁へのご就任は嬉しかったです。早速、今週同協会の新年会へのご出席も予定されていましたし…きっとお父様のご遺志も引き継がれ、日本とカナダの友好関係に寄与してくださると思います。

女性皇族の方々の役割はますます重要なものになっていますね。雅子さまの講書始の儀ご参列に続いて、個人的には嬉しいニュースでした。

百合子妃のお姑さま。

百合子妃のお姑さまは、
「他人に厚く、自分に薄く」
と言う方でしたから、百合子妃はこのお姑さまを見習い、
必死に耐えておられたのだと思います。

百合子妃のお姑さま。貞明皇后。
貞明皇后が皇太子妃として上がった時、たいそう厳しい女官がいて、
箸の上げ下ろしから何でも、古いしきたりを注意申し上げた。
貞明皇后は後年、
「あの人(厳しい女官)のおかげで今がある」
そうおっしゃったそうです。
貞明皇后は、ご自分の身の回りはひどく質素で、
つけるアクセサリーはメノウのブローチくらい。
ご誕辰のお祝いに金の指輪ひとつ。
そんなお姑さまが精神的に百合子妃を支えた。

もちろん、百合子妃の素晴らしい資質もおありでしょうが、
徹底的に味方してくれる身内がいると言うのは、
ありがたいことです。

毅然とした貞明皇后、慈愛深い香淳皇后、
「私達って、みんな逆賊よね」と話し合う勢津子妃、喜久子妃、
それに比べて、キコさんの浅ましいこと卑しいこと。
寛仁親王薨去の際、
皇太子・徳仁親王を見た百合子妃が涙をこぼし泣きかけた瞬間、
私は見逃しませんでしたよ。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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