松平信子さんのお孫さんが敬宮さまの鳴弦役だった件

松平信子さん

Nobuko_Matsudaira_01.jpg
ウィキペディアより

佐賀藩鍋島侯爵家の四女としてご誕生され、会津藩主松平容保の六男恒雄氏とご結婚されたお方です。
お姉さまは皇族一の美人と謳われた梨本宮妃伊都子さま、娘は秩父宮妃勢津子さまというすごい方なのだ。
貞明皇后に仕えて信頼を得て、また常磐会会長として明仁皇太子のお妃選考メンバーの一員でした。
バカで性格の悪い明仁皇太子のお妃選びは大変でしたが、旧皇族でお妃として欠点のない北白川肇子さんに内々に決まってほっとしてたら、小泉参与達が正田美智子を皇太子妃にしようとコソコソと陰で動き、皇室会議の3日前になって初めて「正田美智子が皇太子妃になりますからよろしく」と教えられたという悲劇の人です。
常磐会会長としての面目丸つぶれだし、平民に負けたことになった旧皇族の北白川肇子さんには何と言って詫びたらいいか分からないしと本当に気の毒でした。

まあここまではこのブログを開設して以来ずーーーーっと触れてきたから皆様にとっては
「耳にタコができるわ」と思われるでしょう。

ヘカテーが知らなかったこと。

松平信子さんの長男は松平一郎さんという方です。

東京銀行会長、カルフォルニア・ファーストバンク会長、日本フィンランド協会会長を勤められた方でもあります。

松平一郎さんは徳川宗家17代目当主徳川家正の長女豊子さんと結婚されました。

徳川家正には長男がいましたが、早世し、お家断絶の危機になりました。

そこで養子として選ばれたのが徳川家正の長女の子である松平 恒孝さんでした。

松平一郎さん豊子さん夫婦の次男に当たる方です。

ここでも女系ですね。

徳川宗家も今では女系なのです。

昭和38年に外祖父17代目家正死去により家督を継ぎ、徳川宗家第18代当主になられました。

そして平成13年(2001年)12月7日に読書鳴弦の儀で武家末裔の代表として加賀前田家18代目当主前田 利祐氏と共に鳴弦役を務められました。

前田 利祐氏の叔母さんが照宮成子さまのご学友で戦後マナー・皇室評論家として活躍された酒井美意子さんです。

正田美智子が皇太子妃に決まったことをあれほどお怒りになられた方の孫が、正田美智子の直系の孫の鳴弦役に選ばれる。

皇室ってすごいなー。

えー、ちなみにですね。
徳川 恒孝の奥さんは寺島伯爵家の方です。

徳川 恒孝の長男で徳川宗家19代目当主となられる翻訳家の徳川家広さんはご両親の猛反対を押しのけてベトナム人の女性と結婚されてます。

お子様はいらっしゃらないとのことです。
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今思えば反対した気持ちが判る

昭和の時代、美智子さまは素晴らしいヒロインで、たまたま平民に生まれたために他の皇族や使用人にまで虐められたというストーリーが作られ、毎年の特番で繰り返されました。
急速なお窶れよう、時に声を失われ、満身創痍でも健気に役目を果たされたと。
特に香淳皇后は虐めの筆頭とされ、空港で美智子さまを飛ばしたシーンはスローにされてまで強調されました。
国民の殆どがそのストーリーを信じていました。今なお信じている人は少なくありません。

今振り返ると、美智子さま入内に反発した人の気持ちがよく判ります。
肇子さまであればキコさんの結婚などありえなかったでしょう。
その娘は海の王子と…。破談にしてもそれ以上の縁談が来るか。
皇族が庶民以下になろうとしている。
こういう人に崇敬の念を持ち、最敬礼しろたって無理です。

スローにして強調するなら、チャブも雅子妃の紹介をすっ飛ばした、サーヤの結婚式で隣の雅子妃を無視した、誕生日のあいさつに来るのを知ってて外出した、愛子様に対する冷たい視線、わんさとあります。
一つの現実からどんなストーリーを紡ぎ出すか、そんなのはマスコミの手でどうにでもできるということです。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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