信子さまお誕生日企画前編 96年7月の読売新聞の記事を振り返る

本日4月9日は寛仁親王妃信子さまのお誕生日です

↓3月31日に放送された『皇室アルバム』では4分15秒から信子さまのご公務が紹介されてます。


1955年東京でお生まれになりました。

というわけで今日は信子さまが1996年に読売新聞のインタビューを受けられた記事をご紹介します。

『読売新聞』では96年に「私のパートナー」という各方面で活躍する著名人に夫&妻についてインタビューするという記事を掲載してました。

7月22日の「私のパートナー」では信子さまが寛仁さまについてのインタビューに答えられています。

インタビュアーは猪熊律子氏

トモさんはこの前年95年秋に内視鏡検査の結果食道ガンと診断されました。

ガンが発見されるのはこれで6回目

最初にガンが見つかった時同様、

退院後の食事作りは全て信子さまが担当されました。

一遍に多くの量を召し上がれないトモさんの為に信子さまは一日6回食を作られました。

それも6回の食事全てが違うメニューです。

病院では一食を2回に分けて出してます。
(ヘカテーもそうするな。だって面倒くさいもん)

信子さまの趣味は料理。

A4の紙に表を作り一週間分42種類の献立を書き込み、メニューはトモさんの好みに加えて三食は当時小学校5年生の彬子さまと3年生だった瑤子さまと一緒に召し上がれるように工夫されました

信子さまはこのように話されています
「娘たちは入院前、宮様が直接『おとーまは癌で長い間、病院にいなければならない』と説明され、子供たちもそれなりに心配しておりましたから、退院後、宮様が自分たちと同じものを召し上がっているのを見ることで安心できるかなと思ったのです」

茶碗蒸しが余った際には次の日にあんをかけて器を変えて出すという細かい気配りをされました。

トモさんは最初は黙々と全部召し上がるだけでしたが、徐々に「君様、これとってもうまいじゃないか」と感想を仰るようになりました。

信子さまは祖母から受け継いだぬか床でぬか味噌を漬けられたり、ジャムを手作りするほどの料理好きです

寛仁親王邸には畳四畳ほどの小さな菜園がありました

キュウリ、ナス、ダイコンなどが植えられていたこの菜園を作るきっかけは幼稚園生だったお子様方が「トマトがなるのは冬」と仰ったからです。

「カチン!ときた」信子さまは教育の為に菜園を始められました。

またトモさんは障害者福祉に力を入れられており、「柏朋会」という福祉サークルを主宰されています。

信子さまも結婚後、会員から希望者を集めて宮邸で料理教室を開からその先生役を務められています。

トモさんと共に福祉にかかわるようになられた信子さま

「視察先の特別養護老人ホームで『すてきな色合いの編み物ね』と声をかけた人が目が不自由だったことも。わたくしの失敗に宮様は『最初から障害の種類を素直に聞いてしまえばいいんだよ」って」
「宮様ぐらい福祉を離乳食のようにやさしくかみ砕いてお話しなされる方はいらっしゃらないと思います」


二人だけの時は「ノンチ」「トモさん」と呼び合う間柄だったお二人。

この記事はこんな言葉で終わっています。

>四時間半の取材中。「宮様」「宮様」と言葉を重ねられた妃殿下が、最後に「実際に会ってごらんになったら?とてもいい方よ!」とサラリと言われたのが印象だった。

本当にアツアツカップルだった信子さまとトモさん

なんでこうなっちゃったんだろうとシミジミ思います

トモさんが薨去されるまで色々あった信子さまとトモさんですが、

今年の歌会始の儀で信子さまが詠まれた歌にはかつての仲が良かった頃の姿が浮かんできます。

我が君と夢で語りてなつかしきそのおもひでにほほぬれし
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ご無沙汰しております

最近、Twitterへの再デビューで、そちらに専念してしまい、こちらになかなかお邪魔できませんでした。

久しぶりにお邪魔したら、信子さまの話題立ったので嬉しかったです。料理を通じて被災地の復興にも力を尽くされているのは有名ですし、一時期は瑶子さまから「母の料理は私の自慢」と言われた程でした。

本当におしどり夫婦で親しまれていたのに、どうしてこんなことになっちゃったのか?今でも分かりません。

最近、思うことがあるのですが、もし寛仁親王が信子さまといつまでも夫婦円満でいらしたら、現在でもご健在だったのかもと思います。

信子さまが宮様、そしてお父様の入院を心配されるお子さま方のために健康面で料理を工夫され、それが寛仁親王を支えられた訳ですから、宮様も精神面で救われたと思います。だから、病を乗り越えられ、公務にも復帰できました。

信子さまが療養に入られ、家族がバラバラになり始めてから、寛仁親王の闘病生活は続きましたが、信子さまがいらっしゃる時と比べると、段々悪化する一方でしたし、とうとう6年前に薨去されました。そう思うと、本当に残念でしかない。最近、宮内庁HPの「三笠宮家のご活動」の欄に寛仁親王ご夫妻の笑顔のお写真が掲載されていたので、再び拝見できなかったことが悔やまれるばかりです。

それでも信子さまもこのまま家族がバラバラで良いとは思ってないと信じています。特に今年の歌会始の儀で信子さまが詠まれた歌から、きっとそうお考えなんだと信じたいです。

君様。

君様・・・懐かしい呼びかけですね。
むしろ三笠宮家に、皇室のかつての面影が伝わってます。

妃殿下のご出自が皇族である場合、お名前の〇子の子を呼ばず、
代わりに「宮」をつけて呼びます。
昭和天皇が香淳皇后をお呼びになる、「ながみや(良宮)ー」の大声は有名だったそうです。
公家や武家である場合は、お名前の下に「君」。
喜久君、勢津君、百合君。
もちろん妃殿下より上か同等の立場の方が口にする言葉です。
香淳皇后は、弟宮の妃殿下方とお語らいになる時、
「君さん達は~」

美智子皇后は商家の出ですから「美智子さま」とお呼びするしかありません。
ご出自を考えると、貞明皇后の遠縁を妃に迎えられた高円宮の女王さま方が最も高貴だと言えます。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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