信子さまお誕生日企画後編 トモさんの著書から見る信子さまのエピソード

じゃあ後編行くぞー!!

1999年に主婦の友社から発売されたトモさんの著書『癌を語る』に出ていた素敵なエピソード

この本はトモさんが主に書いて、補足で当時の主治医団だったドクターたちがコメントを書くというスタイルを取ってます。

トモさんの主治医団の一人だった国立がんセンターの山口健医師の話です。


「ご家族の努力」 山口健
妃殿下のお父上は食道癌で亡くなられています。確かお嫁入された直後と伺いました。父上がそうだったのに、今度はまた、夫たる殿下が同じ癌になられた。妃殿下は食道癌が難しい癌であることをよくご存じのはずですから、普通のご家族に比べればはるかにプレッシャーが大きかったと思います。悪い体験、強烈にネガティブな体験だったと思います。妃殿下、大丈夫かなと心配しました。
ところが、妃殿下は非常にファイティング・スピリットがおありになる。いつも自然に明るく振る舞われ、逆にこちらが励まされるほどでした。それから、お食事の問題。いろいろと工夫なさっていらっしゃいました。あのあと、妃殿下のお料理のご本が刊行されたのですが、殿下は、「君様が大層頑張った。従って、本にすることを許した」とおっしゃってられました。あのときの殿下は本当にうれしそうでした。
お子様方へのご配慮も見事でした。新聞発表の当日、お子様方は、お父様が癌だということをお友達に言われ、悲しげに学校から帰って来られたそうです(殿下注・癌と判明し、入院手術が決まったとき、私は娘二人を散歩に連れ出し、分かってくれるのかどうか不明でしたが、きちんと説明をしています。妻も、その補足説明を十分してありました。その上での出来事です)。
そのお二人を、ある日、妃殿下はお見舞いの帰りに銀座のマクドナルドショップにお連れになり、初めてハンバーガーを買っておあげになったのです。お二人は、それまでマクドナルドにいらしたことがなかったそうで、大変喜ばれたと伺いました。これなどは、ご入院中のエピソードのほんの一つにすぎません。妃殿下は、ほかにもいろいろなことをなされたと思います。
殿下の病室にも毎日お見えになりました。殿下に代わってのご公務もおありで、あるときは、お一人で、オーストラリアへ、一泊二日の厳しい日程でのお出かけになられたこともありました。当然、かなりお疲れだったと思います。殿下の病室の向かい側に警備のための部屋が一つあるのですが、そこでちょっと横になったりもしておられましたから・・・。

(『癌を語る』132ー133ページからの引用)

マックへ連れて行くという所がちょっと我々とは違う。

生まれて初めてのマックは二人の幼い女王さまにとって楽しかったのでしょう。

上記本にはこんなことも書いてあります。

トモさんが書いた文章です
退院するにあたって、その六回食が、今度はカミさんの担当になるわけです。入院中に、彼女は、がんセンターの栄養士や、消化器の医長先生、あるいは厨房の板さんたちからあらゆる情報をとって、どういうものを作って食べさせればいいのか真剣に研究していたようです。
退院した日の十時から彼女の奮闘が始まりました。「天下のがんセンでも六回食と言いながら三食×二の六にしていたのだから無理しなさんな。我が家でも(がんセンターと)同じで俺は平気だよ。ご承知の通り山屋だから」と言いましたが、答えは「とにかく一週間やってみるわ」でした。そして驚いたことに、それから四週間にわたり六回食、五回食が一か月、四回食が四か月と続いて、半年を経て三回食に戻るまで見事に違うメニューでやり遠しました。
カミさんには、もし自分が同じ状態になったとき、同じメニューだったらたまらないという思いがあったのだと思います。
このことは、正直なところ私も仰天しました。彼女は、プロであるべきがんセンターの厨房よりも凄いことを成したわけですから、以後、専門家として認めようと思いました。丁度その年、私が主宰する柏朋会という福祉団体の料理教室(妃がチーフを務めている)が十年目を迎えました。それまでも降るように様々な出版社から料理の本を出したいという希望があっても許可を出しませんでしたが、二つの事実を認めて初めてOKを出しました(『四季の家庭料理』という本です)。


ちなみにトモさんは平成3年に食道癌の手術を行ってから『癌を語る』が出版される平成11年までの間6回も癌の手術をされてます。

その後もアルコール依存症や癌で入退院を繰り返されました。

平成3年1月から薨去された平成24年(2012年)までの21年間で合計16回も手術や治療を受けてます。

彬子さまは成年を迎えての記者会見にてこのようにお母さまについて話していらっしゃいます

私がお料理が好きになったのは,多分母の影響が随分強いと思うのですけれども,母が料理をいたしますので,私はどちらかといえばデザート担当と申しますか,誕生日のケーキを作ったりですとかいろいろいたしましたし,やはり母は礼儀作法ですとか言葉遣いですとか,やはり皇族としての古き良き伝統を守るというようなことに関してはよく申しますので,自然に随分身についたかなと思っております。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/05/press06-h13.html

瑤子さまは成人を迎えての記者会見でこのように話されてます

私は余り料理とかができませんので,母のように料理がすごくうまいというのはとても自慢でございますし,とても母は洋服のセンスというものが良いと思いますので,やはりどこかに行く時には私も一応考えるのですけれども,最終的に「これで良いと思う。」と聞いて母に判断をしていただいてからいろいろな旅行先に着ていく洋服などを決定したりしております。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/05/press06-h15.html

信子さまと彬子さま瑤子さま姉妹が昔のように仲が良い家族になれますように



≪ヘカテー注≫
前記事とこの記事では非常に誤変換が多くお見苦しい文章になって申し訳ありません。
数名の読者さまより「ここ間違ってるよ」とご指摘されましたので訂正させていただきました。
あとトモさんが「俺は山屋だから」と仰っている箇所をとある読者さまが「これは“山屋”じゃなくて“山師”じゃないか」というご指摘がありました。
これは「山屋」で合ってます。
登山用語で「山が好きな人」「登山家」という意味です。
トモさんは大学時代スキー部に在籍していたこともあり、「山小屋の粗末な食事に慣れてるから料理の味には気にしない」という意味で「俺は山屋だから」と仰ってます。
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本当に仲良くなって欲しい…。

信子様、彬子様、瑶子様が、百合子さまを中心にして、再び一つになります様に…。

宮様スキー大会。

15日早朝の皇室番組で、札幌にて開催された宮様スキー大会の
閉会式に、信子妃と彬子女王が並んでご臨席でした。
高円宮家の末っ子さんの絢子女王もご臨席、
彬子女王と絢子女王は何やら楽しそうにお話になっておられました。

信子妃と彬子女王の不仲はいろいろ伝えられておりましたので、
そんな場合じゃないでしょう、
女性皇族の身分がどう変わるかわからない時に、
数ならぬ身ながら心配してました。
一時は同じ場所に、母娘、時間をずらせて訪問されてました。
閉会式に並んでのお二人の柔らかな表情。もう大丈夫でしょう。
ああ、よかった、とホッとしました。

寛仁親王の葬儀に、まだ60にもなられぬ信子妃がやせ細り、
杖をついてこられたのには、もう、言葉もありませんでした。

それと信子妃。閉会式にお召しの紺色のレースをあしらったスーツ。
素敵でしたよ。和服のセンスも「わーすてき」ですものね。
信子妃はファッションセンス抜群です。
雅子妃のセンスのすばらしさは、実にオーソドックス。
信子妃は少し刺激をプラス。
(まあ、お兄様ほどではありません。)
雅子妃や信子妃のような、どこから見ても貴婦人な方にこそ、
毎年、外国訪問していただきたいものです。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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