明治の皇女さまと雅子さまのご先祖さまがお会いしてたことが判明!

『鎌倉市史』を読んでて一番感動したのがこちら

明治42年1月に富美宮と泰宮が鎌倉の御用邸にご静養にお成りの際の出来事

両殿下はいづれもご洋装にて、姉君富美宮殿下は蝦茶の上衣に御頭髪は下げ髪に白のリボンを附したる御帽子と白き襟巻を召され、妹君泰宮殿下は極薄鼠色の上衣、御頭髪は同じく下げ髪に鳥の羽根リボンを附したる御帽子、矢張り白の襟巻を召され、両殿下共に黒の靴を召されて御機嫌いと麗しく拝されたり 
ホームには丹羽宮司・犬山鎌倉町長・島森郵便局長・町会議員・有志者等数十人整列して奉迎申し上げたるが、両殿下には暫し御休息の上人力車に召され御用邸に入られたるが、前記の奉迎者は御用邸へ伺候して御機嫌を伺ひたるに野村御養育主任より鄭重なる挨拶あり、本社員荻原も其列に加はりたり

(『横浜貿易新報』明治四十二年一月十七日)

この丹羽宮司は丹羽与三郎房忠です

丹羽与三郎房忠は尾張藩士で愛知県士族

鎌倉宮宮司、鶴岡八幡宮宮司、気多大社宮司、寒川神社宮司を歴任されています。

当時鶴岡八幡宮の宮司をされてました。

山屋他人海軍大将の奥様貞子夫人のお父上です。

つまり雅子さまのご先祖さまですね

これを知った時超感動したわー

新聞に奉迎者が誰か詳しく書かれたのはこの時だけだが

丹羽宮司は皇女さまや嘉仁皇太子(後の大正天皇)が鎌倉に行啓した際にも駅のホームで奉迎してるのだ

他に丹羽宮司の名前が『鎌倉市史』に出てるのはこれ↓

大船駅の雑踏
御霊柩御召列車の大船駅通御は十四日午前三時五十八分なるを以て、鉄道院にては奉送者の便を計り横須賀発二時三十分、鎌倉発二時五十六分、大船着三時五分の臨時列車を運転したるを以て、横須賀・三浦・鎌倉地方の人々は多く此列車にて到着せり、其重もなるは
横須賀・鎌倉在住の陸海軍将校・有位帯勲者、三浦郡長、菅原建長寺管長、広田円覚寺管長以下の僧侶、笠原鎌倉宮々司、丹羽鶴ケ岡八幡宮々司以下神職、及び三浦・鎌倉両郡町村長、在郷軍人、神奈川県師範学校職員生徒、町村会議員、小学校教員、赤十字社々員、愛国婦人会員
等三千五百名なりしが、駅内に於て奉送する者は自ら資格あるを以て、其他は構外又は附近の道路等を是れに充て一時非常に雑沓せるも、山口鎌倉署長は野中警部補、石橋・吉田両部長以下巡査三十余名を随へ出張、駅の内外は勿論各踏切に至るまで警戒行き届きたるを以て些の事故なきを得たり

(『横浜貿易新報』大正元年九月十四日)

ちゃんとした身分の人だから駅のホームに上がれたのだ。

丹羽宮司もまさか自分の子孫が将来皇后陛下になられるとは思ってもみなかっただろうなー。

あと『鎌倉市史』を見てると大正四年に御大礼につき80歳以上の高齢者に天盃と酒肴料が高齢者に配られれたんだわ。

鎌倉市史にはずらーっとその高齢者のリストが載ってる

それを読むと


「鎌倉町浄妙寺    平民戸主豊吉ノ母  斉藤ツル 天保三年八月十八日」
「鎌倉町乱橋材木座 士族戸主正成ノ母  勝美コウ 天保四年六月一日」
「鎌倉町長谷      華族戸主幸介ノ母  伊地知スミ 天保四年六月三日」



とどういう身分の人なのかというのもちゃんと書いてある。

最近下郎下女どもがまーた小和田家の出自がおかしいと言ってるらしいが、

当時の記録を調べれば氏族かどうかがすぐに分かるのだ。

正式にお妃候補として挙げられた雅子さまの出自はちゃんと調べられてるわ!!
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凄い凄い!凄いことが判明しましたね!!!ビックリです。感慨深いですね。
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ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
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