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列外派星くず日記

―令和の天皇ご一家を愛する者たちが集うブログ―

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江頭安太郎について

えー、秘密のコメントでこんなものがあった

雅子様の出自について、父親恆氏について代が辿れないや、半島から渡ってきたなど。優美子さんについては芸人江頭さんが親戚でインタビューで彼は自分は被差別部落の出身者だと語ったとか(江頭さん自身の出自が本当に被差別かということについても分かりませんインタビュアーが掲載できないとにおわせるに終始しているからです)。
あと10年以上前の週刊誌にて小和田家の出自についてあるジャーナリストが言及しているなど。
私がこれらを知ったのはBBblogでした。知った時は無知とはいえ、やはり衝撃というか驚きました。
お手すきの時でいいので、やはり教養のあるヘカテーさんに丁寧に反論記事を更新していただきたいです。


小和田家については村上市の郷土史家が調べて今では小和田金吉よりも遡った家系図が完成しています

村上市のおしゃぎり会館のHPに掲載されています。

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過去記事 村上市観光協会公式HPを見てみよう!

江藤淳の『一族再会』を手に入れました。

江藤淳氏の名作なのに絶版だから思ったよりも高かった。

名作を絶版にしてくだらない本を出しまくる現在の日本の出版業界を何とかしてほしいぜ。

戦後日本を代表する保守派の論客だった江藤淳氏は江頭安太郎の孫で雅子さまのお母上優美子さんの従兄弟に当たります。

本名は江頭淳夫です。

『一族再会』は江藤淳氏が自分のルーツをたどるという本です。

江藤淳氏が実際に佐賀県立図書館で調査した際に見つかったある本に江頭安太郎について書いてありました。

昭和5年11月に出版された肥前史談会編『先覚者小伝』という本です。

江頭安太郎
海軍中将従四位勲二等功三級。慶応三年を以て北川副村木原に生る。佐賀中学校を出て鍋島侯の貢進生として上京し攻玉舎に入り修行多年、明治十五年海軍兵学校に学び、十九年優等主席を以て卒業し次で少尉より漸次大尉に昇進し、廿四年海軍大学校に入り是亦成績一等にて卒業し双眼鏡を拝受す。日清戦役には軍務課員に抜擢されて軍務に従事し、三十六年大佐に進み教育本部第一部長に補せらる。又日露戦役には大本営参謀となり全軍の枢機に参画して功績あり、四十一年海軍少将に任じ、旅順佐世保両鎮守府参謀長、人事局長、軍務局長等に歴任し、大正二年一月中将に陞任、病気を以て特命仰付けらる。其の人と為るや、思慮周密にして事を処するに容易に鋒鋩を現はさず、而かも頭脳明晰にして判断力に富み、其の軍務局長の職に在るや
海軍諸規則の改正を断行して名声を博し、当時海軍唯一の生字引を以て称せらる。未来の海軍大臣として期待されたるが、大正二年一月二十二日遂に卒去す。享年四十七



江頭安太郎の父は佐賀藩士江頭嘉蔵です。

嘉蔵の妻キノは大正二年一月二十三日付の『東京朝日新聞』の江頭安太郎逝去を報じる記事で「賢夫人の誉高かりし母堂」と書かれ、青山墓地にある江頭家の墓には

「佐賀県士族江頭嘉蔵室喜能子之墓」と墓石に記されています。

嘉蔵は下級武士で江藤淳氏は「手明鑓(てあきやり)」と呼ばれるクラスの藩士だったと推測しています。

手明鑓は平時は無役だが、戦時には兵士となる者を指します。

江頭という苗字を「穢多の頭だから江頭」と下郎下女はネット上でばらまいているが、

真実は川口素生氏の著書『小和田家の歴史』という本にこのように書かれている

肥前佐嘉(佐賀)郡に江頭村があった。この地は現在の佐賀市鍋島町大字八戸溝字江頭にあたる。江頭の地名の由来は江(嘉瀬川)の流路が少しずつ東から西へ移動していった過程を示すことに起因すると言われる(『佐賀県の地名』平凡社)。江頭の最西部に江頭城跡があり、応仁元年(一四六七)に江頭城主・江頭摂津守が千葉教胤に攻められて討死を遂げたといわれる。

江頭安太郎は授業料の減免や教科書の貸与をしている佐賀中学校に進みます。

佐賀中学校では父嘉蔵氏は小使として働いています。

『一族再会』には「木原村出身の人で親切な小使さんだった」と佐賀中学校OBの代議士が江藤淳氏に話しています。

江頭安太郎は非常に優秀で通常は四年かかる中学校を飛び級して二年で主席卒業。

同時に旧藩主家鍋島侯爵の貢進生に選ばれています。

学資の心配が無くなった東京に行く余裕が出来たのです。

それでも貧しい家庭の江頭安太郎が学ぶには官費の学校に行くしかありません。

貧乏士族の子弟の唯一の立身の道が軍人になることでした。

上京した江頭安太郎が入学したのはまず近藤真琴の攻玉社。

攻玉社で二年学んだ江頭安太郎は明治15年に海軍兵学校に主席入学しています。

主席で海軍兵学校を卒業した江頭安太郎。

卒業式には明治天皇が臨席し、式後には江頭安太郎が卒業生を代表して遠洋航海の内容について御前講演をしました。

本当にどこの誰とも分からない人だったら御前講演なんて出来ねーぞ

雅子さまのご先祖さまの山屋他人は大正天皇と昭和天皇の御用掛をされて拝謁や御前講義をされたが、江頭安太郎の方が先なんですね。

江頭2:50と親戚というのはソースがないのでまったくのでたらめです

もし親戚だったらもっと大騒ぎになってますよ

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Comment

小和田金吉は明治政府の官吏に任命されている 

小 和 田 金 吉


ア ジ ア 歴 史 資 料 セ ン タ ー に 行 け ば、

小 和 田 金 吉 を 官 吏 と し て 記 名 さ れ て い る 公 文 書 が あ る ん じ ゃ な い か な。

本 当 に 出 自 の 怪 し い 人 間 が 官 吏 に な れ る は ず が な い。





  • posted by 大 吟 醸 
  • URL 
  • 2018.04/22 14:30分 
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  • [Res]

江頭とは 

江頭とは「江」の「頭」つまり「入江の先」に住んでいた人が名乗った姓です。九州に多いらしいですね。

エタ頭だから江頭というのは愚かな嘘ですね。

ちなみに江戸のエタ頭は代々「弾左衛門」を名乗りましたが、明治になり「弾 直樹」と名乗りました。
  • posted by 由基 
  • URL 
  • 2018.04/23 06:39分 
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家と家の婚姻。 

だいたい、小和田金吉さんの息子は、村上藩士の娘と結婚しているんでしょ。
それだけで、小和田家は村上藩士もしくは苗字帯刀レベルの豪農だったと断言できます。

幕末の水戸藩の下級藩士の生活を回想した「武家の女性」という、興味深い本があります。
著者は旧水戸藩士の娘で、女性解放運動家・山川菊栄。
山川菊栄の祖母きくの実家は、馬術指南役二百石の関口家。
生母は大きな菓子屋の娘(つまり商家の娘)であったため、
正式に結婚できず、あくまで主従関係を通したそうです。

これは、なにも水戸藩だけに限ったことではありません。
私の家で葬式が出まして、私は相続手続きをしました。
相続手続きには戸籍謄本が必要です。
ウチは、同じ土地に長く住んでいるだけの、
よくもまあ数百年にわたって凡人ばかり生まれてきたって、
そんな家です。

ただ、跡取りが娘の場合、
婿には会津藩や黒羽藩の下級藩士の次三男を迎えました。
戦前なら「豪農」と言うところ。
今は篤農家と呼ばれてます。

私の最年長の伯父は、妻の没後、
内縁関係だった水商売の女性と再婚したのです。
最初の妻との間には2男3女をもうけてます。
第一子の従兄が、現在の本家当主ですね。
前当主の伯父は、正式に再婚しているにもかかわらず、
戸籍謄本の「家族との続柄」の欄に、
最初の妻は「正妻」。
二番目の水商売の女性は「婦」です。
これ、昭和30年代の話です。

かつての日本の婚姻は「家」と「家」の結びつきで、
同格同士の家との婚姻しか許されなかったんですよ。
  • posted by 射手座 
  • URL 
  • 2018.04/23 15:36分 
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