2018.05/11 [Fri]
丹羽宮司が昭和天皇とも会っていたことが判明した件
ツィッターでお世話になっているmitsuki さまからコメントを戴きました。
雅子様の高祖父である丹羽 与三郎(與三郎) 房忠 は、迪宮、後の 昭和天皇 ともお会いしている筈です。鶴岡八幡宮で。
「鶴岡八幡宮年表」に記述があるようです。
迪宮 鶴岡八幡宮 でググれば触りだけでも見れます。
一番上に出てきました。
当たり前ですが沢山の皇族方とお会いしています。
1908年
明治41年
戌申
8月17日
迪宮・淳宮・光宮三殿下、参拝せらる。
とありました。澄宮、三笠宮様はまだ生まれてないです。
ちなみに以前ツイートした丹羽与三郎の資料は、アジア歴史資料センターで「丹羽与三郎」で検索すると出てきます。
「房忠」ですと出てこなかったと思います。
私がツイートしているものは、全て公表されている、誰でも見られる資料です。
教えてくださって本当にありがとうございます。
私もググって見たら本当にありました↓
https://books.google.co.jp/books?id=2NmdrPZwD-MC&pg=PA1909&lpg=PA1909&dq=%E8%BF%AA%E5%AE%AE%E3%83%BB%E6%B7%B3%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%85%89%E5%AE%AE%E4%B8%89%E6%AE%BF%E4%B8%8B%E3%80%81%E5%8F%82%E6%8B%9D%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8B&source=bl&ots=XkGlfZSLzm&sig=z_QytBWLve__vwgDFzYEk7_bz3E&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiFiq7FtPvaAhUH5rwKHT8gCosQ6AEIJjAA#v=onepage&q=%E8%BF%AA%E5%AE%AE%E3%83%BB%E6%B7%B3%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%85%89%E5%AE%AE%E4%B8%89%E6%AE%BF%E4%B8%8B%E3%80%81%E5%8F%82%E6%8B%9D%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8B&f=false
明治四十一年八月十七日に迪宮(昭和天皇)、淳宮(秩父宮さま)、光宮(高松宮)の三兄弟が参拝してますね。
昭和天皇がまだ7歳ですね。
丹羽宮司は明治35年7月から鶴岡八幡宮の宮司に就任されてますね。
で、その間に他の皇族方にも会っている。
明治36年
3月25日富美宮、泰宮両内親王が参拝
4月3日久邇宮若宮が参拝
(久邇宮邦彦王が明治24年に継承してますので、その息子である久邇宮朝融王ですね。明治34年生まれですからまだ1,2歳です)
明治36年
4月26日、久邇宮(良子さまのお父上)が参拝
11月21日、伏見宮貞愛親王妃利子(有栖川宮家ご出身)
明治37年
2月11日 久邇宮、若宮が参拝
3月21日 富美宮、泰宮参拝
明治38年
5月11日、富美宮、泰宮参拝
7月5日 梨本宮安子女王参拝
7月17日 華頂宮若宮参拝
7月25日 閑院宮若宮四殿下参拝
8月13日 閑院宮若宮参拝
8月24日 久邇宮若宮四殿下参拝
10月9日 光宮参拝
明治39年
8月5日 常宮、周宮参拝
8月7日 華頂宮女王参拝
9月7日 迪宮、淳宮参拝
明治40年
8月2日 久邇宮妃参拝
明治41年
1月14日 富美宮、泰宮参拝
2月13日 常宮、周宮、富美宮、泰宮参拝
8月7日 久邇宮妃、若宮二殿下参拝
8月17日 迪宮、淳宮、光宮参拝
明治43年
10月16日 閑院宮若宮参拝
明治44年
2月26日 泰宮参拝
大正2年
8月5日 淳宮、高松宮参拝
そんでもって丹羽宮司は大正5年5月に正五位勲六等が贈られた際の書類がアジア資料センターにちゃんと保管されてるのだ。

国幣中社鶴岡八幡宮宮司丹羽与三郎特旨叙位ノ件より
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
で、江頭安太郎と山屋他人の叙位叙勲の書類もちゃーんと残っているのだ
江頭安太郎


海軍中将江頭安太郎特旨叙位ノ件より
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
そしてこれが江頭安太郎の直筆

副臨3068 10月21日海軍副官通牒列席者へ通知の件 陸軍副官より
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
山屋他人がこちら

海軍大将山屋他人外八十六名特旨叙位ノ件より
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
古賀喜三郎もあった

陸軍一等監督間宮四郎外十五名特旨進階ノ件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
こうやって記録が残っているのだ
皆様エリートでございます
それでも雅子さまのご先祖様方は自分の子孫が皇后陛下になられるとは思ってもみなかっただろうなー
あと海軍が出してる海軍の軍人向けの広報誌に
「どこそこに紋章が落ちてたから心当たりがある人は取りに来なさい」
と書いてあった。
紋章を無くしちゃったドジっ子がいたんだなーと
雅子様の高祖父である丹羽 与三郎(與三郎) 房忠 は、迪宮、後の 昭和天皇 ともお会いしている筈です。鶴岡八幡宮で。
「鶴岡八幡宮年表」に記述があるようです。
迪宮 鶴岡八幡宮 でググれば触りだけでも見れます。
一番上に出てきました。
当たり前ですが沢山の皇族方とお会いしています。
1908年
明治41年
戌申
8月17日
迪宮・淳宮・光宮三殿下、参拝せらる。
とありました。澄宮、三笠宮様はまだ生まれてないです。
ちなみに以前ツイートした丹羽与三郎の資料は、アジア歴史資料センターで「丹羽与三郎」で検索すると出てきます。
「房忠」ですと出てこなかったと思います。
私がツイートしているものは、全て公表されている、誰でも見られる資料です。
教えてくださって本当にありがとうございます。
私もググって見たら本当にありました↓
https://books.google.co.jp/books?id=2NmdrPZwD-MC&pg=PA1909&lpg=PA1909&dq=%E8%BF%AA%E5%AE%AE%E3%83%BB%E6%B7%B3%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%85%89%E5%AE%AE%E4%B8%89%E6%AE%BF%E4%B8%8B%E3%80%81%E5%8F%82%E6%8B%9D%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8B&source=bl&ots=XkGlfZSLzm&sig=z_QytBWLve__vwgDFzYEk7_bz3E&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiFiq7FtPvaAhUH5rwKHT8gCosQ6AEIJjAA#v=onepage&q=%E8%BF%AA%E5%AE%AE%E3%83%BB%E6%B7%B3%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%85%89%E5%AE%AE%E4%B8%89%E6%AE%BF%E4%B8%8B%E3%80%81%E5%8F%82%E6%8B%9D%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8B&f=false
明治四十一年八月十七日に迪宮(昭和天皇)、淳宮(秩父宮さま)、光宮(高松宮)の三兄弟が参拝してますね。
昭和天皇がまだ7歳ですね。
丹羽宮司は明治35年7月から鶴岡八幡宮の宮司に就任されてますね。
で、その間に他の皇族方にも会っている。
明治36年
3月25日富美宮、泰宮両内親王が参拝
4月3日久邇宮若宮が参拝
(久邇宮邦彦王が明治24年に継承してますので、その息子である久邇宮朝融王ですね。明治34年生まれですからまだ1,2歳です)
明治36年
4月26日、久邇宮(良子さまのお父上)が参拝
11月21日、伏見宮貞愛親王妃利子(有栖川宮家ご出身)
明治37年
2月11日 久邇宮、若宮が参拝
3月21日 富美宮、泰宮参拝
明治38年
5月11日、富美宮、泰宮参拝
7月5日 梨本宮安子女王参拝
7月17日 華頂宮若宮参拝
7月25日 閑院宮若宮四殿下参拝
8月13日 閑院宮若宮参拝
8月24日 久邇宮若宮四殿下参拝
10月9日 光宮参拝
明治39年
8月5日 常宮、周宮参拝
8月7日 華頂宮女王参拝
9月7日 迪宮、淳宮参拝
明治40年
8月2日 久邇宮妃参拝
明治41年
1月14日 富美宮、泰宮参拝
2月13日 常宮、周宮、富美宮、泰宮参拝
8月7日 久邇宮妃、若宮二殿下参拝
8月17日 迪宮、淳宮、光宮参拝
明治43年
10月16日 閑院宮若宮参拝
明治44年
2月26日 泰宮参拝
大正2年
8月5日 淳宮、高松宮参拝
そんでもって丹羽宮司は大正5年5月に正五位勲六等が贈られた際の書類がアジア資料センターにちゃんと保管されてるのだ。

国幣中社鶴岡八幡宮宮司丹羽与三郎特旨叙位ノ件より
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
で、江頭安太郎と山屋他人の叙位叙勲の書類もちゃーんと残っているのだ
江頭安太郎


海軍中将江頭安太郎特旨叙位ノ件より
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
そしてこれが江頭安太郎の直筆

副臨3068 10月21日海軍副官通牒列席者へ通知の件 陸軍副官より
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
山屋他人がこちら

海軍大将山屋他人外八十六名特旨叙位ノ件より
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
古賀喜三郎もあった

陸軍一等監督間宮四郎外十五名特旨進階ノ件
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/MetSearch.cgi
こうやって記録が残っているのだ
皆様エリートでございます
それでも雅子さまのご先祖様方は自分の子孫が皇后陛下になられるとは思ってもみなかっただろうなー
あと海軍が出してる海軍の軍人向けの広報誌に
「どこそこに紋章が落ちてたから心当たりがある人は取りに来なさい」
と書いてあった。
紋章を無くしちゃったドジっ子がいたんだなーと
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養蚕のニュースから
「雅子様、美智子様から養蚕を引き継ぐ」
のニュースへの反応が
「あまりにも、ひどい・・・」
と思いまして、こちらに失礼します。
ネットのニュースのコメント欄には、
「どさくさにまぎれて、雅子様を攻撃し、秋篠宮家を もちあげる」
ものが大量に書かれていて、嫌な気分になってしまいました。
こんなに攻撃ばかりされていたら、ご病気、回復するものも回復できないでしょう・・・。
私は むしろ、今回の批判意見から、
「本来 雅子様がなさることを、秋篠宮家の方々がなさっていた」
ことへの違和感を感じました。
雅子様を批判し・この養蚕を重要視する方々の意見からは、
「皇后になる人は、ちゃんと養蚕をやらなきゃあ駄目だ!!」
と考えているように感じました。
しかしこれは逆に言うと、
「養蚕は、皇后陛下がなさるべきもの!!
であり、それ以外の人が行うものではない!!」
との考えにつながると思います。
なら尚更「部外者が手伝うこと」に、何も思わないのは何故なんでしょう??
秋篠宮家の方々が手伝わずとも、「人手」という点なら、職員の方々がおいででしょうし。
美智子様が秋篠宮家の方々に手伝ってもらっていたのなら、雅子様だって誰かに手伝ってもらっていいですよね??
そもそも秋篠宮家の方々は、美智子様を見習うのではなく、他の宮家の方々を見習ってゆくのが、まっとうな本来あるべきものですよね??
その越権行為?を行うことについて誰もコメントしないのが不思議でなりません。
皇后にならない人が、皇后がなさることを親子ぐるみで手伝うというのは、なぜなんでしょうか??
個人的には、
「伝統」といっても明治時代に始めたものなんだから時代に合わせて形を変えてもいいし・病を押してまで無理に行わなくてもいいし・誰かに手伝ってもらってもいいと思う。それを「やります」と行動開始したことを批判する意味がわからない。養蚕ができるかできないかで人格を否定するなんて、世の常識で行うでしょうか?!
・・・という感じなんですが・・・。