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三笠宮家のご長女甯子さまは新婚時代お姑さんとマンションで同居されてました

秋篠信者が

「眞子さまが小室圭の母親とマンションに同居することになる!!場合によっては祖父も同居になる」

と海の王子バッシングが始まってからずっと騒いでいます。

「いいじゃん、別に。眞子丼の母ちゃんだって3DKの狭い団地から皇室に嫁いできたんだからさ」

とヘカテーは思っている。

さて、また国立国会図書館から資料を大量に取り寄せました。

その中で「これは!!」と思う資料があったのでご紹介します。

『婦人倶楽部1966年5月号』に掲載された近衛正子さんの手記
「納采の儀を終って忠煇の母として甯子さまへ」


近衛忠輝さんは近衛家当主の近衛文隆氏の夫人正子さんの養子に入られました。

つまり甯子さまのお姑さんになったのが近衛正子さんなのです。
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近衛正子さん(上記記事より引用)

近衛甯子さんのお姑さんになる近衛正子さんの手記です。

えー、実はちょっとややこしいので解説します。

近衛忠輝さんは肥後熊本藩主家細川家の細川護貞と温子夫人の間に次男として誕生されました。

最初のお名前は細川護煇でした。

五摂家の一つで摂家筆頭の近衛家の当主近衛文隆氏がシベリア抑留で悲劇的な死を遂げられた為近衛家には当主がいなくなりました。

近衛文隆氏の庶子(俳優や著述業やNPO代表と色んな事をしてる東隆明)はいたのですが、嫡出子はいません。

近衛家が途絶えてしまいます。

そこで細川護煇さんが選ばれました。

細川護煇さんの母上温子夫人は近衛文麿の娘です。

女系で近衛家に繋がっています。

つまり近衛忠輝さんと近衛正子さんは血の繋がりがありません。

しかし近衛甯子さんとはあります。

というのも近衛正子さんのお母さま大谷紝子さんは九条道孝の七女です

つまり正子さんは貞明皇后の姪にあたるので、甯子さんのお父様の三笠宮さまの従姉妹なのです

納采の儀の様子をこのように書かれています。

納采の儀が行われた三月七日には、午前十時、近衛家の使者として、私の姉の主人三宅実胖が三笠宮家へうかがいました。同じ時刻、宮家からのご使者である飯村事務官を荻久保の萩外荘(注・近衛家の本邸で文麿氏在世中は朝野の貴顕
の出入りが絶えず、後継内閣の大命降下のたびに各新聞社のテントが張られたりした。現在はその邸宅に次男の通隆氏が住んでいる)におむかえしたのですが、いまこの瞬間に、宮家では「結婚の約をするために納采を行います」と使者が申申し上げ、
それに対して甯子さまがお答えのことばをのべられているのだと思うと、胸がいっぱいになり、みるみる目の前がかすんでしまいました。
昔の面影もなく荒れ朽ちていた萩外荘に、この日ばかりは春のひかりの明るさがたちかえっているようでした。文隆の死後、当主がいないままに歳月がすぎてゆくことは、湯河原に侘び住まいする近衛の母(文麿氏夫人千代子さま)はいうまでもなく、
私にとっても、長い間の心がかりでした。まだ独身で、東大付属史料編纂所で研究している弟の通隆が結婚していて、子供でもあればべつですが、近衛家の嫁として、後継ぎを決めて近衛家の将来がちゃんと立つようにしておかないうちは、死ぬにも死ねないと思いました。
けれどもこうして後継ぎの納采の儀もとどこおりなく終わったいま、私としては、お役目というか、義務のようなものを果たせたようで、肩の荷が半分おろしたような気持ちです。


使者を務めた三宅実胖って誰?と思って調べてみると

肥前小城藩主家鍋島直庸の次男として生まれて子爵の三宅忠強の養子になって三河田原藩主家の三宅子爵家を継がれました。

いやー、戦前の皇室の風がこの頃はまだ吹いていたんだなーとこういうところで思う。

忠輝さんが細川家から近衛家に養子に入られたのがこの前年1965年3月16日のことです。

三笠宮妃百合子さまが日赤で紹介された近衛忠輝さんを非常に気に入り、高松宮妃喜久子さまが橋渡しをされたことは以前記事にしました。

過去記事 http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2245.html

甯子さまとの縁談を私が聞いたのは、昨年の五月はじめのことですが、縁談がおこったのは、三月十六日に忠輝が近衛家の養子として戸籍にはいったのとほとんど同時だったということです。はじめてお会いしたあとで、忠輝は甯子さまにとても好意を抱いているように見受けられました。学校へも電車でお通いになるし、デパートのお買い物もご自分でなさる甯子さまは、普通のサラリーマンの家庭にも、ごく自然にはいっておいきになれるようなお方なのでした。私としては本人の意思次第で、どちらになっても異存はないということを伝えておき、静観することにしました。その後、二人だけで自由に会ったり、ドライブしたりして理解しあってから当事者同士の意思で決めたのです。
周囲から押し付けることなく、当人同士の意思にまかせるということは、宮家のご方針でもあったとうかがっています。婚約発表後、三笠宮さまがテレビのインタビューで、「今後は近衛さんからのあずかりものという意味で、健康にも気をつけてやりたい」とおっしゃっているのを聞きまして、思わず涙ぐんでしまいました。


当人同士の意思に任せると言うのはどっかの宮家と同じだけどこの差は何だろうねー(笑)

トモさんが著書で書いてるけど、甯子さまというのは本当に安心して見ていられるお方でした。
(常磐会の会長をされてることがその証拠ですね)

三笠宮さまが一番溺愛したお子様は文武両道、才色兼備、性格も素晴らしい甯子さまです。

甯子さまの結婚披露宴の写真を見ると三笠宮さまは“これぞ花嫁の父”と言う感じに実に寂しそうにされてました。

息子が出来たと思ったら嫁まで決まったという近衛正子さん

実は忠輝さんのことは幼少期からご存知でした。

主人は妹(注・細川温子さま。忠輝氏が二歳のとき病死)の遺児である幼い忠輝をたいへんかわいがっていたということですが、結婚してまもないころ、「子供がなかったら輝ちゃんをもらおうじゃないか」といったことがあります。昭和十九年のそのころ私たちは満州の下城子で新婚生活を送っていました。主人は下城子の駐屯軍の中隊長で、当時、軍部は青年将校が在隊のまま結婚することをすすめ、
内地から妻を呼びよせることを奨励していました。私もその一人として、近衛の母にともなわれて、はるばる海を渡ったのでした。「輝ちゃんをもらおうじゃないか」といった主人の気持ちには、戦場へ出勤すれば、いつどうなるかわからないという漠然とした不安があって、後継ぎを早く決めておきたかったのでしょう。


近衛正子さんがご主人と過ごされたのはたった8か月間。
その後、正子さんは日本へ引き揚げられましたが、文隆さんはソ連へ送られ行方不明。
昭和27年に手紙が届きましたが、結局日本に帰国できず病死されました。
同じ収容所にいた日本人に文隆さんは
「自分が死んだら、輝をもらうように伝えてください」
と言づけました。
近衛文麿夫人の千代子さんと正子さんが正式に「いただきたい」と依頼されたのが1965年1月。
文隆さんの遺志を知っていた細川家も近衛家に養子に出すことを賛成しました。

と言っても正子さんとしてはこの手記で書かれていますが、いまいち息子という実感が湧いてません。

しかし忠輝さんは非常に正子さん思いの方でなんと一緒に住みたいと提案されたのです

結婚後のことについて、細かいことまではまだ忠輝とも話しあっていませんが、鳥居坂のマンションにいっしょに住み、お手伝いさんなしで三人で協力してやっていこうということは、早くから決めています。一緒に住みたいといい出したのは忠輝のほうからで、私も喜んで賛成しました。
でもいずれ子供でも生まれましたら、私は別になります。私が使うことになっている部屋が、子供部屋の予定ですし、やはり私などには木造家屋のほうが落ち着けるように思います。将来、家でも建てれば、またいっしょに住むことになるかもしれません。
新婚の若夫婦と同居ということになりますと、どうしても嫁と姑の問題をもち出されそうですが、私自身はもともと忠輝に対しても、親というよりは友だちか姉弟の感じのほうが多いので、あまり堅苦しく考えず、お仲間がふえたという気持ちでやっていきたいと思います。
先日、島津久子さまにお会いしましたとき、「人間対人間でつきあうことですよ」とおっしゃっていました。私も全く同感で、人間同士のおつきあいで、素直に、のんびりやっていくつもりです。


島津久子さんとはおスタちゃんと呼ばれた昭和天皇の第五皇女島津貴子さんのお姑さんです。

この手記を書いていらっしゃった3月の時点では正子さんは千駄木町で暮らされていて、忠輝さんは細川家で生活をされていました。

マンションは改造工事中でした。

この鳥居坂のマンションは1964年に建てられたマンションですが、何と現存してます!

不動産サイトで調べたら1Rで30万円ですって!
(1964年の建物ですよ!50年も前のマンションの1Rが30万円!!さすが港区の高級住宅地だ!)
麻布十番駅から徒歩3分のところにあります。

このマンションに住んで3人で新婚生活を始められたのです。

えー、ちなみにこれが新居予定図です。
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マンションだけどトイレが二つもあるんですよね

見た感じ5DKか5LDKですね。
(合ってる?)

えー、ヘカテーの死んだ母方の祖父が生前言ってた言葉をちょっと引用します。

「嫁姑同居がうまくいくのには条件がある。家族全員健康であること、そこそこお金があること、十分な広さがある家であること。この三つの内一つでも欠けたらうまくいかない」

うん、ばっちり当てはまってます。

甯子内親王殿下は宮家の内親王ですが、マンションでお姑さんと同居されていらっしゃいました

秋篠信者は海の王子叩きが始まってからずっと「眞子さまが姑と暮らすことになったらどうする!」と怒ってるが、

近衛甯子さんだってマンションで同居されてたんだぜ?

眞子丼だって海の王子ママと祖父と同居しちゃいなよ!!

眞子丼の母だって3DKの狭い団地から宮妃になったんだからさ!

近衛正子さんみたいに上品じゃないけど、

眞子丼の母方の祖母和代さんとイトコばあちゃんを考えたら海の王子ママの方がまだマシだよ
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お顔を見てビックリ。

庸子内親王のお生みになった近衛忠大さん。
細川護熙氏(元総理大臣)にお顔がソックリですよ。
ヘカテー様、驚きませんでしたか?
上流階級の血縁関係はややこしいのですが、あの容貌を見ると、思わず納得しててしまいます。

近衛文隆さん。
シベリア拘留の果てに亡くなりました。
その様子は劇団四季のミュージカル「異国の丘」に描かれております。
主人公は近衛文隆さん(愛称ボチ)です。

キコさん、あなたの娘が上流階級の令息と縁組するなんて、もう無理無理無理。
あなたのような方が、この緊密なネットワークの中に入ってゆけるわけはないでしょう。
皇女の紀宮さんですら、学習院出身で東京都の職員さんとの結婚がやっとだったのですよ。
今上天皇の子供3人の結婚相手のうち、自宅のある家の出身が雅子妃のみって、これも凄いよね。美智子皇后の親戚づきあいのまずさがうかがえます。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@yahoo.co.jp

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