2018.09/22 [Sat]
遂に小和田家家系図完成!!
新潟駅から移動して村上駅に着きました。
そのまま村上市中央図書館に行ってきました。
なんとこの次の日は蔵書点検で休刊日だったのでその前日に行くことが出来て本当にラッキーでした。
村上市中央図書館には小和田家の本籍地があるだけあって地元じゃなかったら絶対に手に入らない資料がありました。
えー、参考にした資料はこちらです。
『市報むらかみ 皇太子殿下・雅子さまご成婚記念特別号』村上市役所企画財政課編出版 1993年8月
『皇太子妃のふるさと村上』上村 吉蔵著 1993年
『お城山だより No.25』村上城跡保存育英会編出版 1993年
『お城山だより No.27 』 村上城跡保存育英会編出版 1995年
『鮭の子ものがたり 歴史に残る人々』 村上城跡保存育英会編出版 2006年6月
でヘカテーがこれらの資料を元に作った家系図がこちら

ここまで遡れたんだぜ!!
で、『お城山だより No.25』に収録されている斎藤光雄さんの「制剛流柔術と祖母と」が非常に役に立ちました。
この斎藤光雄さんの家系図がこちらです。

小和田家の女系の子孫にあたる方です。
斎藤光雄さんの祖母の口癖がこちら
「お前たちのご先祖様は武芸をもってお殿様に仕えた侍である。録は二人扶持と低かったが、武術の指南役であった。その誇りを失ってはならない」
そしてお城があった臥牛山に足を向けて寝る事さえ許さなかったという人でした。
小和田家は制剛流柔術という武芸を究めた家系でした。
斎藤さんはこの武術に注目しました。
『日本武芸体系第六巻』にはこのような記述があります。
制剛流の流祖は水早長左衛門信正である。このことは、奈良県の生駒山宝山寺に所蔵されている信正の高弟梶原道左衛門直景が記した先祖相伝の免状「俰五身伝」の奥書に、
水早長左衛門信正
梶原道左衛門直景
(花押)
寛永廿年癸未七月吉日
としていることで証せられる。
お免状がある宝山寺は奈良県生駒市と大阪市東大阪市の境目にあります。
村上藩というのは江戸幕府が始まってからコロコロと藩主が変わっていて1720年に内藤 弌信が村上藩主になってからやっと落ち着きました。内藤家が廃藩置県まで9代に渡って治めたのです。
内藤 弌信の前任地は現在の東大阪市です。
小和田という姓は奈良地方で生まれたという調査結果があります。
以上のことから
小和田家の先祖は地続きに居を構えた内藤侯に仕官して近くの生駒山で柔術を究め、藩主に従って村上に赴いた
ということが分かったのです。
小和田家のルーツは関西にあったんですね。
えー、ちなみに小和田家に残された制剛流柔術、心流三ツ道、強波流棒術を伝える巻物9巻が村上市に1993年4月16日に寄贈されています。
そのまま村上市中央図書館に行ってきました。
なんとこの次の日は蔵書点検で休刊日だったのでその前日に行くことが出来て本当にラッキーでした。
村上市中央図書館には小和田家の本籍地があるだけあって地元じゃなかったら絶対に手に入らない資料がありました。
えー、参考にした資料はこちらです。
『市報むらかみ 皇太子殿下・雅子さまご成婚記念特別号』村上市役所企画財政課編出版 1993年8月
『皇太子妃のふるさと村上』上村 吉蔵著 1993年
『お城山だより No.25』村上城跡保存育英会編出版 1993年
『お城山だより No.27 』 村上城跡保存育英会編出版 1995年
『鮭の子ものがたり 歴史に残る人々』 村上城跡保存育英会編出版 2006年6月
でヘカテーがこれらの資料を元に作った家系図がこちら

ここまで遡れたんだぜ!!
で、『お城山だより No.25』に収録されている斎藤光雄さんの「制剛流柔術と祖母と」が非常に役に立ちました。
この斎藤光雄さんの家系図がこちらです。

小和田家の女系の子孫にあたる方です。
斎藤光雄さんの祖母の口癖がこちら
「お前たちのご先祖様は武芸をもってお殿様に仕えた侍である。録は二人扶持と低かったが、武術の指南役であった。その誇りを失ってはならない」
そしてお城があった臥牛山に足を向けて寝る事さえ許さなかったという人でした。
小和田家は制剛流柔術という武芸を究めた家系でした。
斎藤さんはこの武術に注目しました。
『日本武芸体系第六巻』にはこのような記述があります。
制剛流の流祖は水早長左衛門信正である。このことは、奈良県の生駒山宝山寺に所蔵されている信正の高弟梶原道左衛門直景が記した先祖相伝の免状「俰五身伝」の奥書に、
水早長左衛門信正
梶原道左衛門直景
(花押)
寛永廿年癸未七月吉日
としていることで証せられる。
お免状がある宝山寺は奈良県生駒市と大阪市東大阪市の境目にあります。
村上藩というのは江戸幕府が始まってからコロコロと藩主が変わっていて1720年に内藤 弌信が村上藩主になってからやっと落ち着きました。内藤家が廃藩置県まで9代に渡って治めたのです。
内藤 弌信の前任地は現在の東大阪市です。
小和田という姓は奈良地方で生まれたという調査結果があります。
以上のことから
小和田家の先祖は地続きに居を構えた内藤侯に仕官して近くの生駒山で柔術を究め、藩主に従って村上に赴いた
ということが分かったのです。
小和田家のルーツは関西にあったんですね。
えー、ちなみに小和田家に残された制剛流柔術、心流三ツ道、強波流棒術を伝える巻物9巻が村上市に1993年4月16日に寄贈されています。
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