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列外派星くず日記

―令和の天皇ご一家を愛する者たちが集うブログ―

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外廷皇族(宮家の皇族)の懐事情に関する疑問にお答えします

海の王子登場以降皇室に興味を持った人やマスコミの報道を丸っと信じて秋篠宮家は公務に励んでいて偉いと思ってた人が実は宮家の皇族の外出公務にはお金が支給されると知って驚いていますね。

じゃあそこのところを説明したいと思います

その1 総裁職ってお給料出るの?

内廷皇族は日赤の総裁や副総裁しか総裁職がありません。

しかし宮家の皇族は沢山の団体の総裁職についています

だから外出公務が多いんですね。

森暢平氏の『天皇家の財布』という本にはこのように書いてあります。

宮内庁は公式には、「公務への対価はない」との立場をとり、お車代、記念品代以上の金銭受領はないとしている。「日当」や名誉総裁職への「報酬」はあり得ないのだという。けれども九七年十二月、桂宮さまが「大日本農会」「大日本山林会」の総裁についちることに対し、それぞれ五〇万円の役員報酬を受け取っていたことが判明した。宮さまは両団体の表彰式に出席しており、その対価と考えることもできたが、宮内庁は「返却してほしい」とアドバイスし、決着させた。
(182~183ページ)

大日本農会も大日本山林会も現在の総裁は秋篠さんですね。

ただ思うのは桂宮さまはお体が不自由だったからそれほど総裁としてのお仕事にそこまで関われなかったと思うんですよね。

たぶんもっとイベント等に出られる秋篠さんの方がもらってる可能性があるんだよなー

1995年には競輪と競艇における宮杯でひと悶着ありました。
上記本の180ページから181ページに書いてあります。

大津市営びわこ競輪の「高松宮杯」で主催者の大津市が高松宮家に現金を渡していたといたということが問題になりました。
額がなんと95年度だけで1000万円!それを長年渡していたのです。
1971年度以降合計1億円以上が高松宮家に現金で渡されていた
また大阪市の住之江競艇場で開かれる「高松宮記念特別競走」でも大阪市箕面市など17市が関係する「大阪競艇施工者協議会」から78年以降合計2000万円受け取っていました。
寛仁親王家も前橋市営競輪の「寛仁親王牌」で同市と関東自転車競技会から92年度以降合計2200万円受け取っていたことが判明
宮杯という名義貸しだけで多額の謝礼金を貰っていたということで問題になったんですね。
両宮家はびわこ競輪、住之江競艇、前橋競輪に絡んだ謝礼金を贈り主に返しています。
(それ以降どうなったのかは不明。もしかしたら金額を少なくして贈られている可能性は否定できません)

秋篠宮家はスポーツに限らず「秋篠宮杯」と名のつく物が一切ないのでご安心して下さい(笑)

その2 外廷皇族が出る式典にお金が出るって本当?

それを突っ込んでる記事が『新潮45+ 1982年10月号』に掲載されています。

上記雑誌の「天皇の下着は舶来か」という皇室特集記事です。

47ページに書いてありますので引用します。

Q 皇室経済法によれば「私的経済行為に係る場合」には、議会の議決を要しないとされております。天皇家はどんな私的経済行為をなさっていますか。株などおやりですか。

陛下は著作による印税を得ておられるが、これも「私的経済行為」の一つ。また、株や国債も買っておられ、その配当収入、利子なども私的経済行為に当る。ただし、株は陛下ご自身が銘柄を選択したり、ご自分の名義で買われるわけではない。宮内庁の経済主管の名前で買い、運用も経済顧問(現在は、森永貞一郎前日銀総裁)のアドバイスを受けつつ、経済主管が行う。所得税の申告も経済主管の名義。株の銘柄は明らかにされていないが、鉄鋼、重電機など安定株が中心だそう。天皇ご一家の場合はざっと以上だが、皇族方になると、テープカット、講演などさまざまである。ヒゲの殿下はひところよく講演をなさったが、その講演料の相場は一回五十万円などとささやかれた。


1981年度の国家公務員の初任給が10万6900円(上級甲)
2018年度の国家公務員(大卒)の初任給が18万3700円

当時の50万円というのは現在の価格にして約85万円位の価値がありますね

ただトモさんは三笠宮家という当時の一番格下の宮家の若様だった。

筆頭宮家で尚且つ独身時代から金に対する執着心が異常だったキーコさまが財務大臣の秋篠宮家だったらもっともらってるんじゃないかい?

だって1970年代にある団体が催し物を開くことになったが高松宮殿下を招くと60万円包まなければならないが、格下の三笠宮殿下ならその半額以下になるから三笠宮殿下を招いた」という話があるんだわ。

その3 でもでも本当にもらってるかは分からないじゃないか!!!

三笠宮家の若宮であるトモさんが生前書いたエッセイにこのような記述があります。

三笠宮寛仁著『皇族のひとりごと』昭和52年1月発行 二見書房

42ページ
三十歳にもなった長男に、「あなたは日ごろ原稿料や講演料の稼ぎが多いようだけど、悪いお金じゃないでしょうね!」などとブツブツいいつづけている。

(お母上の百合子さまのお人柄について触れられている箇所に書いてあります)

講演会や式典に出席するともらえるんですね。

その4 何でこんなにお金をもらえるの?

内廷費から祭祀に関する費用、掌典職と御養蚕所の職員のお給料、災害被災地へのお見舞金、団体に対する恩賜金が出ています。

一方、外廷皇族は祭祀に関する費用、掌典職のお給料は出す必要がなく、お見舞金や恩賜金も少なくて済みます。

水道光熱費、電話代、お子さま方の授業料も皇族費から出ます。
(敬宮さまは女の子なので内廷費から授業料を払っています)

国民としては「皇族費をもらってるのにどうしてこんなに内緒のお金を貰ってるの?」と思われるかもしれません。

実はこの裏には戦後の外廷皇族の環境が苦しかったことに原因があります。

戦後一気に経済的に貧しくなった皇室では生活費を稼ぐことが大変でした。

なぜ大変だったのかと言うとなんと当時は宮家の住まいが提供されていなかったのです!

高松宮家は港区高輪、三笠宮家は大崎の宮邸は共に私有だったので固定資産税が掛かっていたのです。

おまけに建物は私有でも土地は国と民間から借りていたので借地料も払わなければならなかったのです。

それにプラスして私的な使用人も雇う必要があったのです。

三笠宮家に関しては運転手が「こんな安月給じゃ暮らしていけない」と辞めてしまったほどです。

例外としては秩父宮妃勢津子さま御殿場の別邸に住まわれていた勢津子さまが東京に戻られた際に宮内庁が港区青山に宮邸を提供していました。

しかしそれすらもかなり古いもので外国の大使が勢津子さまに会いに宮邸に行ったところ「えー、こんな古い家にプリンセスが住んでるわけないじゃん。間違えてるんだよきっと」と引き返したというエピソードがあります。

生活がかなり苦しかったので高松宮家は葉山の別邸を人に貸して収入にしていました。

それで宮家の生活を改善しようと宮内庁は各宮家の収支を公開しました。

1958年に国会に提出された各宮家の収支状況はこちら

秩父宮家 収入247万円(皇族費190万円、その他57万円) 支出306万円 赤字59万円
高松宮家 収入394万円(皇族費285万円、その他109万円)、支出560万円、赤字166万円
三笠宮家 収入440万円(皇族費380万円、その他60万円)、支出474万円、赤字34万円


3つの宮家全て赤字でした。


宮内庁は1950年代から1960年代にかけて外廷皇族の待遇を良くしようと頑張りました。

宮家の使用人を国家公務員として皇族費の人件費を減らしました。

1968年にはついに宮邸を国が提供するという原則が決まりました。

三笠宮邸が70年、秩父宮邸72年、高松宮邸が73年に完成しました。

1964年に創設された常陸宮家も宮邸が76年に完成したのです。

このような戦後の外廷皇族の懐事情が現在も尾を引いていて公務に関してお金が支給されるようになったんですね。

これにより宮家の住宅に関する負担が大幅に減少しました。

内廷皇族には金銭のやり取りは宮内庁がチェックしますが、

外廷皇族は宮内庁に金銭を受け取る際に届け出なければノーチェックです


かなり不透明なんですね。

以上が皆様からのご質問への回答であります!
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