2019.07/17 [Wed]
高円宮殿下のフィンランド公式訪問を見てみよう
職場がバタバタしてて更新できずにいる日が続いているヘカテーです。
家に帰ってから2,3時間横になってからじゃないと次の動作(夕食食べたり、入浴したり)が出来ないという状態です。
3日前はすごかったわ!
家に帰って「ちょっと横になって休んでからお風呂に入ろう」と思ってたらそのまま寝ちゃって目が覚めたら朝7時でした。
「え、あたし何時に寝たの!?」と目が点になった。
布団もちゃんと敷かず折りたたまれた上に布団もかけずにガーっと寝てたんですよ。
なんて三十路って恐ろしいのかしら!
数年前は一日に何本も新しい記事を更新出来たのに今じゃ一週間に一回の更新というスローペースです。
さて皇嗣詐欺の宮家がクラウンプリンスとしてポーランド&フィンランドを訪問しましたが、
実は1990年に高円宮殿下もフィンランドを公式訪問されてます。
その時の様子を書いた本を以前読者さまから教えてもらったのでご紹介します。
小池政行著『踊る日本大使館』講談社刊 2000年6月発行
小池さんはフィンランド等の北欧の担当官を勤めた元外交官です。
ちなみに小池さんの外務省入省試験の二次試験の口述試験の試験官は条約課長だった小和田恒さんです。
小池氏が在フィンランド日本大使館に勤務していた1990年7月に高円宮さまが1週間の予定でフィンランドを訪問されることが決まりました。
フィンランドを訪問する日本の皇族はこれで二人目
兄宮であるトモさんが私的訪問されたのが最初で、公式訪問は高円宮殿下が初めてです。
サボンリンナ国際オペラフェスティバルのプログラムが日本を中心に構成されることになり、東京都交響楽団と二期会が招聘されるのに合わせてオペラに造詣が深い高円宮殿下がフィンランドを公式訪問されることになったのです。
小池さんはこのように語っています
皇族方の来訪は、兄宮にあたる三笠宮寛仁殿下に続き二人目であったが、非公式訪問の兄宮と異なり、高円宮殿下は公式のご訪問であったから、政府の接遇ぶりもまったく違っていた。宿舎として用意されたのはフィンランド政府の迎賓館だし、
殿下と大統領一家の昼食会、大統領一家との日本オペラ鑑賞、オペラフェスティバル会場である中世の古城での大統領主催晩餐会と、国賓接遇にも近い厚遇をフィンランド政府から受ける日程が組みあがっていった。
あれれー?
皇嗣詐欺の宮家は「クラウンプリンス」としてフィンランドへ行ったけどここまで厚遇されてたっけー?
外務省と宮内庁に了承を得た日程案は、その後高円宮邸に送られて了承を得る必要がありました。
高円宮家からは
「休息などの時間を取る必要はまったくない。日程をできるだけ詰めておくように」
という回答が帰ってきました。
「えー、大丈夫かなー?すっごいハードスケジュールだよー?」と心配した小池さんでしたが、なぜ休息時間がないのか初日に分かりました。
フィンランドに到着された初日
時刻は現地時間で夕刻でしたが(日本時間では深夜)、時差ボケなどなく大使館員や在留邦人代表と会われた後、大使公邸で大使館員と内輪の夕食会にご出席され深夜12時まで談笑されました。
その後お休みになるのかというと全く違います。
公邸から迎賓館に到着された高円宮さまは
「これからサウナに入って汗を流し、その後で飲みませんか」
と随行員を誘ったのです。
宮内庁の式武官と警備担当者は「すんません。もう無理です。早く寝たいです」と断りましたが、
高円宮家の職員さんは「殿下、行きましょう」とノリノリ
この時小池さんは「休憩時間なんていりません」と東京からの電信文の意味が分かりました。
迎賓館のサウナで汗を流された高円宮さまは、午前3時まで暖炉の前でビールを飲みながら気さくに随行員と談笑されました。
なんてタフネス!!タフネスプリンスだわ!!
こんなにお元気なお方があれほど若く亡くなられた事が信じられません。
小池さんによるとフィンランドでも大々的に殿下のご訪問は報道されました。
殿下のフィンランド訪問は大いに関心を集め、連日地元紙の一面に写真が掲載された。北欧諸国で皇室を持たないのはフィンランドとアイスランドだけだからかもいしれないが、
共和国であるフィンランドの人々の、遠い日本からきたプリンスへの関心の寄せようには特別なものがあった。それには、高円宮殿下の人を引きつけてやまない、魅力的なお人柄も大いに影響したと思う。ご本人は「新聞に大きく写真入りで紹介されるなんて、結婚以来ですね」とユーモアたっぷりにお話になっていたが、通訳としてお側にいた印象では、殿下は
フィンランド人と歓談するのを心から楽しんでおられ、これなら相手方から好感をもたれるのももっともだ、と思ったものである。
いやー、皇嗣詐欺の宮家がフィンランドの地元紙から
「プリンスアキシノは姪っ子から皇位継承権を奪った」と嫌味たっぷりに紹介されたのと大違い!!
国際オペラフェスティバルが開催されたのはサボンリンナで行われました。
オペラ会場は中世の古城「オラヴィンリンナ」
殿下が宿泊されたのは民間のホテルではなく、かつてロシアの自治体公国だった時代にロシアの将軍の銀婚式を記念して建てられた別荘でした。
別荘と言っても三階建ての大きな建物で、凝ったロシア風の装飾や木工細工が施されており、高円宮さまがお泊りになった部屋からはサイマー湖が見渡せるというものです。
高円宮殿下がご覧になったオペラの演目は「マダムバタフライ」
(ちなみに小池さんは安倍晋太郎外務大臣がオーストリアに訪問した際も随行員の一人として「マダムバタフライ」を鑑賞しています。この時大臣以下一行のほとんどは鼾をかいて寝た為にオーストリア外務省の人達からものすごい目で見られたとのこと)
(安倍晋太郎外務相は安倍総理のパパです)
安倍パパと異なり、
高円宮殿下はオペラに熱中され、山場になるとフィンランド大統領やその夫人に見どころを説明されました。
殿下もフィンランド政府側も双方楽しく談笑しました。
オペラが終了したのは午前零時近くでしたが、大統領主催晩餐会はそれから古城の大ホールで開かれました。
疲れなど一切出されず、大統領が大ホール全体に響き渡る声でスピーチをすれば、殿下も朗々たる日本語で応じられました。
晩餐会が終わり宿舎に戻ったのは午前二時でしたが、殿下はその後も「一杯やりませんか?」と随行しているフィンランド人も誘って午前四時前まで談笑されました。
それでも朝八時の朝食の時間には爽やかな笑顔で挨拶されてお見えになるのですからスーパータフネスです。
フィンランド大統領もなかなか気の利いたもてなしをしてくれてます。
高円宮殿下が大統領の夏の官邸に招かれた昼餐では、官邸専用ハウスで栽培された野菜を用い、10名足らずのごくごく内輪のものでした。
大統領一家と殿下は食事の後にフランス式庭園を散策され、最後に官邸に備え付けられた大統領専用の桟橋から大統領旗がはためく大統領専用船に殿下一行を乗せ、大統領令嬢の案内で対岸のナンタリの町まで送るという見事な演出!
当時のフィンランド大統領は知恵者として世界的に有名だったコイヴィスト大統領
「国家元首にして外交を主導できる大統領」として謳われたコイヴィスト大統領に厚遇された高円宮殿下
在フィンランド大使館員も「殿下お見事でございます」と拍手喝采の公式訪問をされた高円宮殿下
妃殿下である久子さまが同行されたら、もっと休憩時間のあるスケジュールだったと思います。
それにしてもすごいスケジュールですよ!
というか本当に気さくで周囲の人に気を配られている事が実に日本国民として誇らしい
これほどのお方があの若さで薨去されたことが残念でならない。
30年近く前のことだけど覚えてる人は覚えてるよね?
どうして秋篠さんちがクラウンプリンスなのに軽い扱いだったのかが分かる。
そして高円宮殿下のスーパータフネスプリンスぶりを拝見して穴があったら隠れたい思いで一杯でございます。
週5の仕事で疲れた疲れた言って恥ずかしい
家に帰ってから2,3時間横になってからじゃないと次の動作(夕食食べたり、入浴したり)が出来ないという状態です。
3日前はすごかったわ!
家に帰って「ちょっと横になって休んでからお風呂に入ろう」と思ってたらそのまま寝ちゃって目が覚めたら朝7時でした。
「え、あたし何時に寝たの!?」と目が点になった。
布団もちゃんと敷かず折りたたまれた上に布団もかけずにガーっと寝てたんですよ。
なんて三十路って恐ろしいのかしら!
数年前は一日に何本も新しい記事を更新出来たのに今じゃ一週間に一回の更新というスローペースです。
さて皇嗣詐欺の宮家がクラウンプリンスとしてポーランド&フィンランドを訪問しましたが、
実は1990年に高円宮殿下もフィンランドを公式訪問されてます。
その時の様子を書いた本を以前読者さまから教えてもらったのでご紹介します。
小池政行著『踊る日本大使館』講談社刊 2000年6月発行
小池さんはフィンランド等の北欧の担当官を勤めた元外交官です。
ちなみに小池さんの外務省入省試験の二次試験の口述試験の試験官は条約課長だった小和田恒さんです。
小池氏が在フィンランド日本大使館に勤務していた1990年7月に高円宮さまが1週間の予定でフィンランドを訪問されることが決まりました。
フィンランドを訪問する日本の皇族はこれで二人目
兄宮であるトモさんが私的訪問されたのが最初で、公式訪問は高円宮殿下が初めてです。
サボンリンナ国際オペラフェスティバルのプログラムが日本を中心に構成されることになり、東京都交響楽団と二期会が招聘されるのに合わせてオペラに造詣が深い高円宮殿下がフィンランドを公式訪問されることになったのです。
小池さんはこのように語っています
皇族方の来訪は、兄宮にあたる三笠宮寛仁殿下に続き二人目であったが、非公式訪問の兄宮と異なり、高円宮殿下は公式のご訪問であったから、政府の接遇ぶりもまったく違っていた。宿舎として用意されたのはフィンランド政府の迎賓館だし、
殿下と大統領一家の昼食会、大統領一家との日本オペラ鑑賞、オペラフェスティバル会場である中世の古城での大統領主催晩餐会と、国賓接遇にも近い厚遇をフィンランド政府から受ける日程が組みあがっていった。
あれれー?
皇嗣詐欺の宮家は「クラウンプリンス」としてフィンランドへ行ったけどここまで厚遇されてたっけー?
外務省と宮内庁に了承を得た日程案は、その後高円宮邸に送られて了承を得る必要がありました。
高円宮家からは
「休息などの時間を取る必要はまったくない。日程をできるだけ詰めておくように」
という回答が帰ってきました。
「えー、大丈夫かなー?すっごいハードスケジュールだよー?」と心配した小池さんでしたが、なぜ休息時間がないのか初日に分かりました。
フィンランドに到着された初日
時刻は現地時間で夕刻でしたが(日本時間では深夜)、時差ボケなどなく大使館員や在留邦人代表と会われた後、大使公邸で大使館員と内輪の夕食会にご出席され深夜12時まで談笑されました。
その後お休みになるのかというと全く違います。
公邸から迎賓館に到着された高円宮さまは
「これからサウナに入って汗を流し、その後で飲みませんか」
と随行員を誘ったのです。
宮内庁の式武官と警備担当者は「すんません。もう無理です。早く寝たいです」と断りましたが、
高円宮家の職員さんは「殿下、行きましょう」とノリノリ
この時小池さんは「休憩時間なんていりません」と東京からの電信文の意味が分かりました。
迎賓館のサウナで汗を流された高円宮さまは、午前3時まで暖炉の前でビールを飲みながら気さくに随行員と談笑されました。
なんてタフネス!!タフネスプリンスだわ!!
こんなにお元気なお方があれほど若く亡くなられた事が信じられません。
小池さんによるとフィンランドでも大々的に殿下のご訪問は報道されました。
殿下のフィンランド訪問は大いに関心を集め、連日地元紙の一面に写真が掲載された。北欧諸国で皇室を持たないのはフィンランドとアイスランドだけだからかもいしれないが、
共和国であるフィンランドの人々の、遠い日本からきたプリンスへの関心の寄せようには特別なものがあった。それには、高円宮殿下の人を引きつけてやまない、魅力的なお人柄も大いに影響したと思う。ご本人は「新聞に大きく写真入りで紹介されるなんて、結婚以来ですね」とユーモアたっぷりにお話になっていたが、通訳としてお側にいた印象では、殿下は
フィンランド人と歓談するのを心から楽しんでおられ、これなら相手方から好感をもたれるのももっともだ、と思ったものである。
いやー、皇嗣詐欺の宮家がフィンランドの地元紙から
「プリンスアキシノは姪っ子から皇位継承権を奪った」と嫌味たっぷりに紹介されたのと大違い!!
国際オペラフェスティバルが開催されたのはサボンリンナで行われました。
オペラ会場は中世の古城「オラヴィンリンナ」
殿下が宿泊されたのは民間のホテルではなく、かつてロシアの自治体公国だった時代にロシアの将軍の銀婚式を記念して建てられた別荘でした。
別荘と言っても三階建ての大きな建物で、凝ったロシア風の装飾や木工細工が施されており、高円宮さまがお泊りになった部屋からはサイマー湖が見渡せるというものです。
高円宮殿下がご覧になったオペラの演目は「マダムバタフライ」
(ちなみに小池さんは安倍晋太郎外務大臣がオーストリアに訪問した際も随行員の一人として「マダムバタフライ」を鑑賞しています。この時大臣以下一行のほとんどは鼾をかいて寝た為にオーストリア外務省の人達からものすごい目で見られたとのこと)
(安倍晋太郎外務相は安倍総理のパパです)
安倍パパと異なり、
高円宮殿下はオペラに熱中され、山場になるとフィンランド大統領やその夫人に見どころを説明されました。
殿下もフィンランド政府側も双方楽しく談笑しました。
オペラが終了したのは午前零時近くでしたが、大統領主催晩餐会はそれから古城の大ホールで開かれました。
疲れなど一切出されず、大統領が大ホール全体に響き渡る声でスピーチをすれば、殿下も朗々たる日本語で応じられました。
晩餐会が終わり宿舎に戻ったのは午前二時でしたが、殿下はその後も「一杯やりませんか?」と随行しているフィンランド人も誘って午前四時前まで談笑されました。
それでも朝八時の朝食の時間には爽やかな笑顔で挨拶されてお見えになるのですからスーパータフネスです。
フィンランド大統領もなかなか気の利いたもてなしをしてくれてます。
高円宮殿下が大統領の夏の官邸に招かれた昼餐では、官邸専用ハウスで栽培された野菜を用い、10名足らずのごくごく内輪のものでした。
大統領一家と殿下は食事の後にフランス式庭園を散策され、最後に官邸に備え付けられた大統領専用の桟橋から大統領旗がはためく大統領専用船に殿下一行を乗せ、大統領令嬢の案内で対岸のナンタリの町まで送るという見事な演出!
当時のフィンランド大統領は知恵者として世界的に有名だったコイヴィスト大統領
「国家元首にして外交を主導できる大統領」として謳われたコイヴィスト大統領に厚遇された高円宮殿下
在フィンランド大使館員も「殿下お見事でございます」と拍手喝采の公式訪問をされた高円宮殿下
妃殿下である久子さまが同行されたら、もっと休憩時間のあるスケジュールだったと思います。
それにしてもすごいスケジュールですよ!
というか本当に気さくで周囲の人に気を配られている事が実に日本国民として誇らしい
これほどのお方があの若さで薨去されたことが残念でならない。
30年近く前のことだけど覚えてる人は覚えてるよね?
どうして秋篠さんちがクラウンプリンスなのに軽い扱いだったのかが分かる。
そして高円宮殿下のスーパータフネスプリンスぶりを拝見して穴があったら隠れたい思いで一杯でございます。
週5の仕事で疲れた疲れた言って恥ずかしい
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高円宮さまは当時の徳仁皇太子、雅子両殿下の良き相談相手でした
仕事でのご多忙な疲労の蓄積、ストレスはこのブログで幾らでも発散して下さい。
溜め込むことは何一つ良い事はありません。
回復されない疲労は万病の元になります。
私のようなお婆婆が気に留めて、ヘカテーさまのファンの一人として、あぁ!お忙しいんだなと更新を楽しみにしながら理解している人もいますから。
高円宮さまの突然の薨去はいまでも信じ難いものがあります。
スカッシュをしていての直後の事でしたから、久子さまやお子様方のショックは計り知れないものがあります。
皇室としても大きな損失となりました。
当時、色々情報が錯綜していて何よりも当時の徳仁皇太子、雅子妃の最も良き相談相手でしたから噂が飛び交っていましたね!
私も何か不穏なものを感じたのも事実でしたから。
その以前、皇太子、雅子両殿下になかなかお子さまが出来ない事への噂、ご成婚後の公務の日程を見れば分かりますが、かつての前天皇、前皇后が皇太子、皇太子妃時代とは比較にならないほど最悪な日程が組まれていたようです。
子作りどころか雅子さまがお倒れになったこともあったと聞いています。
また、忙しい忙しいを連発していた忙しくも無い秋篠宮夫婦にはたっぷり余裕がありましたね!
何故?そこまでして日程を組んだのか、超多忙な日程を組まれた中でも当時の心無い嫌らしい宮内庁長官からは「早くお子を、男子を産め」と囃し立てられ、前天皇からは女性に決して尋ねることでは無い「月のもの」まで聞かれたとあれば、恥ずかし目を受けてしまうほど普通は病んでしまいます。
その他、ある宮家 ( ここでは実名は挙げせんが ) からは子供が出来にくい飲み物をプレゼントされたとか、色々巷では噂になってましたよ!
これら全てを鵜呑みにしている訳ではありませんが、公務の最悪の日程だけは公表されていますから事実ですが、徳仁皇太子殿下のお誕生日会見でもお話されましたが ( あまり周りで騒ぎますとコウノトリのご機嫌を損ねてしまいます ) とユーモアを交えて発言されていました。
実際に子作りはゆったりした環境のもとが最も望ましいのです。
囃し立てられて出来るものではありません。
前天皇も、宮内庁も人権侵害もいいところでは無いでしょうか?
この様な暗黒の世界の中に身を投じた雅子皇太子妃殿下、「雅子の人格を否定する動きがあったのも事実です」と徳仁皇太子殿下のこの言葉は悲痛な叫びだったと思います。
この発言に対してアホ秋篠宮は非難してましたね!自分が過去にしてきたことはすべて棚に上げ、ここまでして兄宮を貶める要因は何なのかと、はっきり言って皇籍離脱して欲しい、国民の血税はこんな者に使われているのかと思うと、腹立たしさよりも憎しみに変わります。
このような時、高円宮さまが存命なら皇太子、雅子さまを擁護し、問題点を指摘されただろうと思います ( 高円宮さまが薨去された後の皇太子発言でしたか、その前後が間違いでしたらごめんなさい ) 。
高円宮さまは本当に皇族として、宮家の当主として比類なき凛とした筋の通ったお方でしたから、久子さまと共に世界の王室、諸外国からも信頼され厚遇されたのですね。
返す返すも残念でなりませんでした。