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列外派星くず日記

―令和の天皇ご一家を愛する者たちが集うブログ―

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皇女照宮成子内親王殿下のこと

本日12月6日は大正14年12月6日にお生まれになった昭和天皇と香淳皇后の第一子皇女照宮さまの誕生日です

存命であったならば94歳

国民から誕生を祝われ

皇女として我儘を言えない不自由な環境で育ち、

そしてよく知らない9歳年上の東久邇の若宮と結婚され、

戦後はタケノコ生活を送られながらも5人のお子さまを育てられ、

そして35歳の若さで幼い子ども達を残して亡くなられた。

「苦しい環境の中でも光り続けた小公女のようなプリンセスの中のプリンセス」

そうご学友だった酒井美意子さんは語っています。

照宮さまが両親から離されて暮らした呉竹寮を訪ねたことがあるご学友小堀臣子さんはこのように仰ってます

「日本間の畳の部屋で、先生あるいはおつきの方のご指導で予習、復習のお相手、そのあと、そのお部屋でおやつをいただくのであるが、その間、私共はもちろん、宮様もお座布団をおしきにならない。一般の者には非常に意外なことである。そのあと、お遊びのお相手をするのであるが、たいてい広い芝生の上でドッジボールとかフットベースボールなどをする。お庭のすみにはロクボク、平行棒等、学校にあるようなお道具はそろっているが、ふしぎな事に、我々一般家庭で女の子が最もほしがるお人形とかままごとなどが一つもないのである。こんなにたくさんのお部屋がずらりと並んでいるのだから、きっとどこかにいっぱいあるのだろうと、はじめのうちはそう考えていたが、何度参寮してもそのご様子がないのである。当然一般では女の子が一番ほしがるものがないとは、どういうことであろうか、これが宮中の伝統なのであろうか、結局、娯楽などもきまったものしか与えられないご様子でお座布団のことといい、皇室というものの、当時の非常なきびしさというか、特別のご訓育の仕方を感じる。」
(56・58ページ引用 『皇女照宮』昭和48年7月発行 秋元書房発行)

ロクボクとは肋木のことです

ちなみにその後祖母である貞明皇后からお人形が贈られています
(『主婦の友昭和26年8月号』より)

結婚相手の東久邇盛厚さんは同じ皇族で昭和天皇の従兄弟にあたる方ですが、皇女の嫁ぎ先として作られた宮家と内廷皇族の皇女である照宮さまとではあまりにも立場が違います。

しかも9歳年上。

ご結婚された時の照宮さまってまだ17歳だった。

はっきり言って26歳って17歳のJKから見たらおっさんですぞ?

男性皇族で、しかも宮家を継ぐことが出来る長男という条件で選ばれたのでしょう。
(明治時代と違って新しく嫁ぎ先として宮家を作る事が出来なかった)

なおお姑さんの東久邇宮妃は明治天皇の皇女ですが、后腹(きさきばら)の照宮さまの方が序列は上です。

時代が時代だったので新婚生活イコール戦時中でした。

昭和20年3月10日の東京大空襲の最中に防空壕で出産されました。

長男の東久邇信彦さんを出産した照宮さまの元にご学友の岩佐美代子さんと佐藤えみ子さんがお見舞いに行かれた際の事です。

岩佐さんと佐藤さんの家は空襲で全焼。

住む家を失ったご学友に照宮さまお見舞いに品として着物と下着を贈られました。

しかしその後5月25日の空襲で照宮さまのお住まいである鳥居坂御殿も焼失してしまいました。
(その時は伊香保へ疎開されていたので無事)

そして終戦の8月15日―。

玉音放送を聞きすすり泣く声が聞こえる東久邇宮家の中でただ一人照宮さまは「さあ、これからですよ」と仰った。

住む家がないので照宮さまご一家は葉山御用邸の離れに戦後しばらく御暮しになられていました。

葉山での生活も楽ではありません。

葉山で牛乳を50本だけ売る店があってそれを買い求める客で長ーい行列が朝早くから出来た時代です。

照宮さまもお子さまに飲ませてあげたいと暗いうちから早起きして列に並びましたが、自分の前で最後の一本が売り切れるという事もありました。

また逗子駅を降りた照宮さまが小さい文子ちゃん(長女)を抱っこして葉山御用邸の離れまで歩いていると、当時葉山で暮らしていた三笠宮さまが車で通られました。

照宮さまに気づいた三笠宮さまはバスに乗らない理由を聞かれると「バス代を倹約しました」と照宮さまは答えられたので三笠宮さまがお車でお送りしたということもありました。



昭和21年5月23日にGHQの指令により皇室財産は凍結、直宮家以外の伏見宮系の皇族は臣籍降下となった。

照宮さまも東久邇成子という一般人となられた。

東久邇盛厚さんは照宮さまの追悼文集『紅梅』でこのように書かれている。

「夫婦ともに御所のことしか知らず、頼るべきものも御所しかなかった。それが終戦と同時に皇籍を離脱することとなり、皇室財産の凍結、旧宮内官の更迭などにより、まったく御所から隔絶し、孤立の状態で混乱の中に放り出された」

ただし戦後の皇籍離脱、皇室財産の凍結をいち早く率先して主張したのは舅である東久邇稔彦首相です。

東京ではないと不便ということで鳥居坂御殿に戻られた照宮さまご一家

焼け残ったスペースを修理して住むことになりましたが、ワンルームしかありません。

つまり寝室も食堂も居間も兼ねたワンルームです。

昭和天皇の皇女がワンルーム住まい!
(眞子どん心配ない。君の大伯母様はワンルームにご一家で暮らされてたぞ)

女中を雇う余裕もないので家事から風呂のお湯焚きまで全部ひとりでされた為手にはアカギレでヒビができました。
(眞子どん、今ならボタンを押せば自動でやってくれるから大丈夫だ)

ちなみに東久邇稔彦王王は防空壕に、東久邇宮聰子妃は麻布にあった住友邸に間借りしてました。

昭和26年まで焼け跡で暮らされてました。

菜園を作って自給自足生活をし、プラスチック加工の内職やヌートリアと鶏を飼育して家計を助けた照宮さま
(眞子どん、君の大伯母様は家計を助けてたぞ)

子ども達の衣服は電車やバスに乗ってデパートの特売売り場で安い生地を買ってご自分で縫われていた。
(眞子どん、君の大伯母様はデパートのセールにも行かれたぞ)

そんな生活が少し良くなって昭和34年には欧州アメリカ旅行、昭和35年には香港・マラヤへご夫妻で旅行に行かれました。

照宮さまが発病されたのは香港旅行帰国直後昭和35年11月でした。

国立第一病院に入院された照宮さまでしたが、手術の結果は末期のガン

照宮さまには「胃潰瘍」と説明されましたが、照宮さまは薄々分かっていたのかもしれません。

東久邇盛厚さんは『婦人倶楽部1961年10月号に掲載された手記「悲しみはまだ消えない」にこのように書いています。

「二月にいったん退院しましたが、また再発の徴候がみえたので、宮内庁病院だと宮中からも便利ですし、手当も行きとどきますので入院させることになったのです。その入院をひかえた前の日。いままで、そんなことは嫌いだった成子が、身のまわりの整理をしながら、急にこの着物はだれにあげて、これはあの人に、といいだしたのは、虫がしらせたとでもいうのでしょうか」

4月4日に宮内庁病院へ入院された照宮さま

良子さまは毎日、昭和天皇も隔日で御見舞に行かれました。

出来るだけのことをしてあげたいという一心です。

東久邇盛厚さんは上記手記に気になることを書いてます。

「いつでしたか、お見舞いにこられた皇太子妃殿下に、妃殿下としての心構えを三時間ほど申し上げていたこともありました。やはりこれは第一皇女としての威厳と、姉らしい思いやりをあらわしていたのだったと思います。また皇太子殿下にも、「東宮さま、子供のことをよろしくお願いします」とお願いしたようで、成子が亡くなる前日、「お姉さまから頼まれているから、子供のことは心配せんでもいい」とおっしゃっていただきました。」

おい、滅茶苦茶優しくしてもらったんじゃねーか!!

それが亡くなられて一か月も経たない内に悲しみに打ちひしがれる昭和天皇と良子さまの静養先にわざわざ行って自分たちの不平不満を訴えるってあんまりだぞ!!!

『入江日記』に夜10時まで延々と自分たちの不平不満を訴えて昭和天皇は一言「よくわかった」と仰って良子さまは一言も仰らなかったって書いてあるぞ

昭和36年7月23日午前3時15分、皇女照宮成子内親王、戦後は東久邇成子さん逝去

照宮さまが亡くなれた時、お子さま達は「ママ、ママ」とご遺体に縋り付くこともされず静かに最期を看取られた。

病床に一通の知らせが届いていた。

高卒認定試験科目生物合格

照宮さまは大学入学を目指してお子さま達と一緒に勉強をされていたのです。

その努力の結果がこの合格通知でした。

亡くなれた後、宮内庁病院から出られた良子さまのお顔は青白くやつれて目は真っ赤になっていた。

そして昭和天皇のひげは看病されている間にすっかり伸びていた。


昭和天皇は車の中でただ一言「ああ、もう明るくなったね」と仰った。

東久邇邸が改築中の為にご遺体は23日午後5時に麹町三番町の宮内庁分室に移された。

同日午後7時半、ご遺体は鷹司平通氏、正田英三郎らの手で二階の一室に安置され、「御舟入りの儀」が行われた。

お子さま方は泣きながら自分たちで描いた絵を棺に入れられた。

御舟入りの儀の間昭和天皇と良子さまは無言で参列者に言葉を交わさなかった。
もう人と話をする気力も体力もなかったからです。

26日青山葬儀場で行われた葬儀では喪主を長男信彦さん、葬儀委員長を野村吉三郎参議院議員、司祭長を伊達巽明治神宮権宮司が務めた。

ヘカテーが驚いたのは夫である盛厚さんじゃなくてまだ16歳の高校生だった信彦さんが喪主だったということです。

どうして信彦さんが務めたんだろうかと不思議です。

宮中のしきたりだったら高円宮さまの御葬儀の喪主は承子さまが務められたから違う。

やっぱり妃腹の皇女が母で尚且つ昭和天皇の初孫だったからかしら?

葬儀の写真を見ると8歳だった三男眞彦さんと6歳だった次女優子ちゃんは不思議そうな顔をしてらしっしゃるが、喪主の信彦さんは悲しみに耐えてじっと前を見ていらっしゃるので本当に立派です。

青山葬儀場で行われた葬儀には親族、友人、国会議員、各国大使、そして一般市民ら7000人が参列した。

その中には照宮さまと同年代の主婦が普段着のままつっかけのサンダルを履いた者、子供を背負ったままの者が手を合わせた。

ちなみに東久邇盛厚さんですが・・・

3年後の昭和39年に再婚されてます。


遠縁にあたる幼馴染で元準ミス京都の寺尾佳子さんがそのお相手です。

寺尾家は元々御典医を務めた京都の名家で、東久邇家とは遠縁にあたる家です。

「皇室の世界では再婚なんてしない!ましてや今上陛下の皇女が前妻だったのに!」と反対する声もあって父親の東久邇稔彦元総理から承諾を得るまで2か月かかったとの事です。

昭和44年にガンを患って東久邇盛厚さんは亡くなられました。

ヘカテーがイラっときたのは先日男系男子カルトが

「お前ら直系長子派の言い分によれば東久邇信彦さんの方が今上陛下よりも天皇に相応しいってことだよな?ほらほらぐうの音も出ねーだろ」

とほざいてきやがったことです。

過去は変えられない。でも未来は変えられる。

昭和天皇の第一子として生まれながらも内親王だったが故に苦労苦労の人生を送られた照宮さまのような悲劇を繰り返さない為に我々は直系長子継承を望むのです。
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Comment

なぜそこで信彦さん 

「お前ら直系長子派の言い分によれば東久邇信彦さんの方が今上陛下よりも天皇に相応しいってことだよな?ほらほらぐうの音も出ねーだろ」

それをいうなら、

「お前ら直系長子派の言い分によれば照宮成子内親王の方が上皇陛下よりも天皇に相応しいってことだよな?ほらほらぐうの音も出ねーだろ」

ですよねえ。
それなら大声で「Oui」って答えますけど。
  • posted by まる 
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  • 2019.12/07 00:41分 
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継承権は人気投票じゃないとか言われていますが、
今、血筋として天皇陛下に一番近いのが敬宮さまだし、イギリスのアンドルー王子の例もあります。スキャンダルから公務に呼ばれなくなりましたね。いかに血筋があろうと、全うではない行為をしたなら民衆は許さないです。
しかも、アンドルー王子は若いときに物も分からず勢いでやった過ちではないし、この期に及んで自分の罪を隠蔽しようとしましたね。

秋篠宮や美智子さまも同じでしょう。


何か発言すると揚げ足を取る人は沢山いるし、自分の考えが整合性が無いのかな?と不安になることもあります。私もなるべく理屈の通ったきちんとした事を書きたいけど、皇族のファンとしての感情もあるので、いつも理想論寄りになっちゃうんですよね。

四時間もかけて書いてくださってありがとうございます。
  • posted by 初心者 
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  • 2019.12/07 12:21分 
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男系男子派はおかしいですよ。 

男系男子派って、帝王教育皇族教育には一切触れずに継承にばかり口を挟むんですよ。

小室さんの件だって、秋篠一家が眞子さんの皇族としての教育を怠った結果、税金だけが垂れ流しされているのに、小室さんに責任を負わせようとしている。
皇族教育出来ていない宮家を甘やかせて、小室さんを叩いて、自分たちには何も責任を負わない。
「男系男子がいるからといって、秋篠宮家を甘やかせた結果、小室さんの問題が起きました。これからは、秋篠宮家にもちゃんとした教育を求めます。」
と、何故言えぬ?
自分たちの保身が一番だからでしょう?

もう、男系男子派とは、話も出来ませんよ。
  • posted by H2 
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  • 2019.12/07 14:11分 
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照宮さま 

ヘカテー様、ブログの更新ありがとうございます。
照宮さまは、昭和天皇にお顔立ちがとても似ておられますね。河原敏明氏の著書によると、ご結婚される前は「私は結婚はしない。陛下の側でお手伝いする」と無邪気に仰り、昭和天皇のご研究に必要な標本作りのお手伝いをなさったりしておられたようです。昭和天皇も香淳皇后もきっと、この一の姫さまを愛おしく思われていたことでしょう。
お顔立ちと言えば、常陸宮さまも昭和天皇に似ておられます。先日お誕生日を迎えられましたが、華子さまとご一緒に末永く令和の御代を見守って頂きたいと思います。
  • posted by rose 
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  • 2019.12/07 15:11分 
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NoTitle 

昭和天皇の初孫東久邇信彦さんも今年3月20日、74歳でご逝去されましたね!
戦後まもない頃に多感な時期に大切な母上成子さまを亡くし、その3年後、父上の縁戚とはいえ再婚され残された子供さんたちは日々をどう過ごされていたのでしょうか?

成子さまはとても聡明な方で、男子ならと残念がられていたと言われています。
当時の美智子皇太子妃には目をかけられ、何かと皇室内のしきたり、作法を教わってたようですが、美智子皇太子妃は「馬耳東風」で、うるさい小姑ぐらいにしか思っていなかったのかも知れません。
そうで無ければ今の前皇后の姿はあり得ないからです。

何時も不思議に思うのは、私世代の人たちは明仁皇太子妃には北白川筆子さんがなるものとずっと思っていましたから、昭和期の経済学者、教育家である小泉信三氏が皇太子妃には正田美智子嬢を推し進めていたと、また血縁関係の婚姻は長く続くと、誕生する子供に何かしら障害があることを避けるためとも言われていました。

しかし、後々分かった事ですがその裏には企業による利権がらみが画策されていたこと、その内容も皇室自体を失墜させ、国民の手により自然消滅させる狙いであった事を、有名な元諜報部員(元日本人のスパイ活動家)の方がある雑誌の対談でお話しされていた事です。

前皇后の役割は戦後、アメリカの占領下GHQがもたらしたものとも言われ、正田美智子嬢を強力に推し進めていた小泉信三氏も加担していたのか、深層は未だ闇に包まれている。

いづれにしても、正田美智子さんが明仁皇太子妃として嫁いでこのかた、常人では考えられないこれまでの行動から妙に納得してしまうものがあります。
その上、川島紀子なる女性が恫喝婚など皇室に嫁ぐなど考えられないこともあり、昭和天皇が孫の浩宮徳仁親王を両親から引き離し、海外への親善旅行の回数の多さも、はなから明仁皇太子、美智子皇太子妃には帝王教育させるのは無理との判断であったと、昭和天皇はこの夫婦を信用していなかったかと思わざるを得ません。

ここに長女成子さまの聡明さが、弟明仁皇太子に少しでもあれば、美智子前皇后は少なくとも女帝化することもなかったかと。
  • posted by つばきちゃん 
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  • 2019.12/07 18:05分 
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一般の家庭において、妻が先立った場合の喪主は子供です。夫は葬儀に出ません。
というのも、旦那の葬式も出さずに先立った嫁は裏口からひっそりと出すものだったからです。
今はそういうことは少なくなりましたけど、田舎ではまだあります。なので未成年の長男が喪主ということもあるのです。
ちなみに、喪主と施主は別物です。
元皇族にこれが当てはまるかどうかはわかりません、神道式の作法もあるでしょうし。
先日、同窓会で恩師が話していましたが、お茶の水に通う知り合いのご家庭にひさひとくんが遊びに来るそうです。とある企業の重役のおうちで護衛つきで来るのだとか。同級生の女の子のおうちで、ひさひとくんは数学が得意でそのお嬢さんに教えてくださるとか。どうしてマスコミはこういう話を出さないのでしょうか?みてこさまは成績表の公開もなさったくらいですから、ひさひとくんのも出せばいいのに。
  • posted by もち 
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  • 2019.12/08 17:35分 
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天皇陛下の第一皇女様は別格です。 

男系男子派は、純粋な男系男子派ではありません。
なぜなら、一番正統な今上天皇陛下のバッシングをしているからです。
そこが矛盾。

そういう輩は、あ~やとヒサヒト君を持ち上げたいだけです。

純然たる男系男子派は、まずは今上天皇陛下の御代が長く続くことを願います。

今上天皇が崩御されたら、次代の天皇陛下が即位されます。
それを冷静に論じられるはずです。

つまり、秋篠宮家による、作為があります。
男系男子派と名乗り、今上天皇陛下を叩く。
おかしいですね。
秋篠宮家そのものか、秋篠宮家私設応援団(アルバイト)の仕業としか思えない所業。
優秀な兄宮への対抗心ですかね。


成子内親王殿下のことは、昔「天皇様御脈拝見」という本を読み、で存じておりました。
あの時の昭和天皇と香淳皇后のお悲しみは、どれほどのものでしょう。
とても優秀な、皇女様であられたことや、何と言いましても、最初のお子様です。
「女の子は優しくていいね」と、香淳皇后様へプレッシャーを与えないよう、そのようにおっしゃられた昭和天皇。

ここにまさに、雅子様と同じ苦しまれた方が、いらしたのです。

本当の姫は、逞しい。
お強くて、お優しく、ユーモアも持ち合わせていらっしゃる。
香淳皇后陛下、和子内親王殿下、厚子内親王殿下、貴子内親王殿下。

勢津子様、喜久子様、百合子様、華子様(ジョウコー夫妻は、引退して悠々自適な生活なのに、常陸宮様ご夫妻は、今も現役でご公務をされています。凄い違和感です、やはり皇族に引退はないですよね。
ご公務を必ずしも、しなくてはいけないということではなく、引退するという感覚がお有りではない、生涯宮様であられるという姿勢が素晴らしい。同じ兄弟ですのに)も、皆真っ直ぐで、おおらかです。
何でもお出来になるのに、それをひけらかさない。
なよなよとされず、気取らない。

まがい物のお嬢さんは、気が高く、クネクネ、ペチャペチャと変に気取って話すくせに、下の物に威圧感を与えて、恫喝をする。嫌われ者。

育ちの違いって、裕福であることとは、関係ありません。
お育ちになる過程で、どのような教育がなされたか!に尽きると思います。

キーコさんが、職員アパートに住んでいるから相応しく無い、ということではありません。
一言で言うなら、その人の生きざまに対しての嫌悪感です。
それに対して、何の反省も無い、厚かましさに対してです。

内廷皇族の姫宮の品格は、別格です。
キーコさんが、逆立ちしても、敵いませんよ。

*秋篠宮家の話題って、いつも品格がなくて、皇室のいいお話からかけ離れるのは、なぜ?
  • posted by CHI-BA 
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  • 2019.12/08 23:45分 
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次代も、精神性を受け継ぐ方が次代の天皇陛下 

続けてのコメントでごめんなさい。

私達が望んでいるのは、Y染色体の遺伝子の継承ではなく、天皇陛下としての品位、精神性の継承です。

明治天皇は、行幸の多い方では無かった、ご自分が動くことにより、どれほどの経費と、人が必要になるかをお考えてあられた。
大正天皇は、気さくに普通であろうとされた。人間らしい天皇であられました。
昭和天皇は、質素倹約。清貧。
神様から、人間宣言と二通りのお立場を経験されました。
ご自分のことは、質素であられましたが、対外的なことに対しての経費には、一切おっしゃられなかった。
大嘗祭が出来ない天皇ほど、惨めなものはないと、ジョウコーのために、資産を株式投資をされ、20億円を残しました。
しかし、そのお金は、別の物に使われ、酷評から捻出しています。

秋篠宮の大嘗祭身の丈発言は、ジョウコーに直接言うべきで、宮内庁のせいにするものではない。

もっとジョウコー夫妻が倹約するべきだったのか?

昭和天皇までの、天皇陛下としての精神性を受け継がれた方に、次代も天皇陛下におなりいただきたいと思います。

  • posted by CHI-BA 
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  • 2019.12/09 00:10分 
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プロ喪主。 

東久邇信彦氏は30才までに5回、喪主を務めた驚異の人物です。
やはり「昭和天皇の初孫」で、見るからに貴人なんですねー。
この方と弟さんの対談の言葉遣いは、かの入江相政侍従長の話し方と似ています。
入江侍従長は冷泉の流れを汲むお公家さん。
庶民とは違うとしみじみします。
照宮さまの忘れ形見を、昭和天皇と香淳皇后は、それはそれは慈しみました。
葉山御用邸の夏、育ち盛りの孫たちにはピラフのデミグラスソースかけを。
それでもって、ご自分たちは葉山の海でとれた鯵を焼いて、お食事なのね。
吹上御所に呼んだ時、香淳皇后は小学生だった眞彦さんに、
「この部屋の中にあるものなら、なんでもあげますよ」
香淳皇后のお胸のうちがせつないなあ。
眞彦さんはふざけて、わざと運べないような大きな置物かなにかを
「じゃあ、あれをちょうだい」
そうしたら、侍従たちが何人がかりで東久邇家に運んだそうです。

昭和天皇と言う方は、予知能力でもおありだったのかと思うことがあります。
東久邇の子供たちに、
「なにかありし時は半蔵門より入れ」
こう話されたのです。

  • posted by 射手座 
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  • 2019.12/09 16:49分 
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照宮成子内親王殿下 

私は、照宮成子内親王殿下は、今、敬宮様の中にいらっしゃるような気がします。

天皇家を、昭和天皇、香淳皇后、照宮成子内親王殿下がお守りしているようなそんな風に感じています。

>高卒認定試験科目生物合格
>照宮さまは大学入学を目指してお子さま達と一緒に勉強をされていたのです。
>その努力の結果がこの合格通知でした。

成子様は本当に強い御方です。
35年の人生を力の限りご自身を律して、駆け抜けるように生き抜かれたのだと思います。
それはどれ程の努力と精神力を要したことか・・尊い御人というのは、成子様のような方のこと。
もっともっと長生きして、天皇陛下のご即位をご覧になるくらい長生きしてほしかったです。常陸宮様がご即位を見届けてくださったように。常陸宮様は、皆様の分も見届けてくださったのでしょう。ご体調も優れない中、感謝しかありません。
  • posted by 蘭の花 
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  • 2019.12/10 01:42分 
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男系男子派はおかしいですよ2 

今上陛下は昭和天皇の肝いりで帝王教育を受けられましたが。東久邇信彦さんが、いつどんな帝王教育を受けられたのでしょう?

男系男子派の方、教えて頂けますか?

敬宮さまは体育会のリレーや、書道、遠泳にスキーにチェロ。イートン校に留学。今上陛下から歴史、皇后陛下から語学を学ばれましたが。

旧皇族の方が敬宮さまよりもっと帝王教育を受けられているなら、その内容を国民の前に明らかにして頂けますか?
  • posted by H2 
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  • 2019.12/13 12:14分 
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H2様。 

「帝王教育」と言う確たる教育法はありません。
ただ、天皇陛下の近くで「なすべきことを見ている」、
それが「天皇たる心構え」であり「皇族たる心構え」ですね。
きりりとした心構えがあれば、大嘗祭の大祓いを欠席するような皇嗣には、育ちあがりません。
東久邇と言うより照宮さまのお子さま方と昭和天皇、香淳皇后は頻繁に交流し、
御用邸でのご静養は本邸にて共に過ごし、
真面目な話から雑談まで、ずいぶんと骨身に染みたことでしょう。
東久邇信彦さんは幼少時、昭和天皇が幼い頃にお召しになった水兵服を着てました。

曾祖母の壬生家を継いだ次男さんを広報担当てして、沈黙を守る東久邇の人々。
しかし、長男さんと次男さんは仕事でイギリスに滞在した際、
昭和天皇より、
「日本と英国の親善に尽くすように」
帰国のご挨拶に吹上御所に上がると、
「おまえはどのように日英の親善に貢献したのか」

私は思いましたよ。
上皇や秋篠さんと違って、匙を投げられてない・・・。
なにかの折、
「天皇家のためとあらば、一身を投げ打つ覚悟」
と。
  • posted by 射手座 
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  • 2019.12/14 10:32分 
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プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
東宮応援派のハマコー改め新天皇応援派のハマコー
新天皇皇后両陛下並びに敬宮殿下を愛する鎌倉市民だにゃー
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@yahoo.co.jp

コメントする際には絶対にメールアドレスを記入しないで下さい!!

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