2020.03/23 [Mon]
皇后陛下のハーバード大学卒論を読んだ経済研究者の声
なんか変な奴らがまーだ皇后陛下のハーバード大学卒業は父親のコネとかほざいているのよね
今回は皇后陛下の卒論を実際に読んだ人の感想を紹介しよう
『THIS IS 読売1993年4月号』に掲載された「雅子さんのハーバード卒業論文―石油危機と貿易黒字大国」という記事
(県立の図書館ならあると思うので市町村の図書館を通して読んでみてね)
著者は高浜賛氏と柴田靖彦氏
2人とも当時読売新聞調査研究本部主任研究員
はっきり言って経済を知り尽くしたプロよ
皇后陛下の卒論のタイトルは『External Adjsutment to Inport Price Shocks : Oil in Japanese Trade』(『輸入価格ショックに対する外的調節:日本の貿易における石油』)
この卒論は現在もハーバード大学の図書館に保管されてます。
(2つ作られてうち一つは皇后陛下がお持ち)
(引用始め)
テーマは七三年、日本を襲った第一次石油ショックを日本がどう克服し、さらに第二次ショックをも乗り越えて強力な貿易実績をあげたのかを、マクロ経済への影響という面から分析してものである。(中略)この論文で小和田さんが取り組んだのは、第一次石油ショック、第二次石油ショックを乗り越え、八〇年代いち早く石油危機を収束させ、米、英、西独を尻目に景気回復を軌道に乗せた日本の経済だった。石油危機が日本に与えた影響は、なんだったのか。そして、それをいかに克服したのか。その過程で、日本経済はどう変身したのか。
(引用終り)
この母国語である日本語でも難しい内容を英語で書かれたのだ。
それだけの実力があるお方なのです。
(引用はじめ)
このぶ厚い力作を熟読してみて、われわれは改めて、この女性のインテレクチャル・ストレングス(知力)を感じないわけにはいかない。と同時に大学を卒業するためにこれほどの論文を書かせるハーバード大学の凄さ、さらにとことん研究させるためには基金でもなんでも出す懐の深さに舌を巻いてしまうのだ。そこで磨いた小和田さんの知力が、燻銀のように輝くのはむしろ当然なのかもしれない。ハーバードがけっして名前だけでないことを小和田さんは、この論文で立証している。
(引用おわり)
経済を研究しているプロが見ても「すごい!」と驚くレベルの卒論なのだ。
皇后陛下の卒論では冒頭に謝辞があります。
論文作成に当たってハーバード大学国際問題センターと日本研究所から資金援助を得ていらっしゃいます。
どうして資金援助を得られたのかというとそれだけ優秀だったからです。
バカにタダで金をやるほど甘い世界じゃあない
さらに八四年に来日された皇后陛下は当時経団連の理財部長だった糠沢和夫氏、東京銀行の経済調査部長だった真野輝彦氏、国際金融情報センター総務部長だった榊原英資氏に会って直接アドバイスを受けていらっしゃった。
この事実を頭の悪い連中は
「偉い人に会ったからいい卒論が書けたんだ」
とほざいてますが、
『THIS IS 読売1993年4月号』にはアドバイスをした当の糠沢和夫氏の記事も載ってるのです。
「群を抜く論旨と展開と学問的素養」という記事を糠沢氏は書いてます。
皇后陛下と糠沢さんのつながりは皇后陛下のお父上小和田恒さんからの紹介でした。
(まあこういう事を知ったら父親のコネを使ったと下郎下女は言いそうだが)
経団連の食堂でお会いになった皇后陛下は糠沢氏と石油ショックに対するマクロ・ミクロの対策についてお話されました。
糠沢氏はこの卒論を読んでこのように評価してます
(引用始め)
これだけの学問素養と論旨の展開力は、今の日本のどこの一流大学の経済学部卒業生の水準をもはるかに抜いていると言っていいだろう。やがて米国が高関税政策を採用するようなことがあった時に、ファーストレディのヒラリーさんに晩餐会で館で含めるようにこうした政策の国際収支・雇用・成長率への含意を説明されるようになるのだろう。
(引用終わり)
単純に人の話を聞いただけではこのレベルの論文は書けません。
人から聞いた知識をただまとめて書くだけではなく、聞いた話を自分の中で整理して熟考して自分の論とする。
中々出来ることじゃあありませんぜ
あとこのこの号に指導教官を務めたジェフリー・サックス教授の記事も載ってるのでちょっと紹介しよう
タイトル「ひたむきな探求心で難題に挑戦―ハーバード指導教官が見た雅子さん」
(引用始め)
小和田雅子さんと初めてお会いしたのは、雅子さんが、私が教鞭をとっているハーバード大学の経済学部四年生の時に優等生・卒両論文を作成することを決意され、その指導教官になった時です。お会いしてまず感じたのは、雅子さんがいかに有能であり、エネルギーにみちあふれ、学問への関心や探求心で漲っている若い女性であるか、ということでした。
つまり、第一印象は、一にも二にも学業に励み、目的に向かってひたむきな学生ということに尽きました。なぜかといいますと、雅子さんが選んだテーマです。いかに優等を狙うとはいえ、四年生で扱うには、実に込み入った、難しいテーマを選択したからです。(中略)本来ならこの種の研究は大学院に行ってからやるものです。ですから学部の学生にとっては、これは極めて野心的な作業ですし、そのためには新しいテクニックをマスターし、コンピューター利用のモデル作成や理論構成をしなければなりません。雅子さんはこれに挑戦して、見事にやってのけました。
(引用終わり)
以前にも説明しましたが、ハーバード大学は卒論を書かなくても卒業できます。
しかしマグナ・クム・ラウデ(優等賞)を得る為には卒論提出が絶対なのです。
ジェフリー・サックス教授とエズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル教授はこの卒論に文句なしの「優等」の評価を出しました。
大学四年間の成績も加えた総合評価で「マグナ・クム・ラウデ」が皇后陛下に贈られました。
1985年の卒業生は、大学全体で1681人。このとき「マグナ・クム・ラウデ」を受賞した学生は、全学年を合わせて55人、雅子さまのいた経済学部ではわずか3名。
ただ卒業するだけでも大変なハーバード大学を優等賞を得て卒業した
英語を母国語としない学生がこれだけの事を成し遂げた。
物凄いことなのです。
我々日本人はこれだけすごい女性が日本で一番高貴な女性であることに誇りを持つべきです。
令和という時代で皇后陛下は大きな活躍をされる事間違いない!
そして皇后陛下をこれほどの知性を発揮させなかったヘーセーの皇室が如何に罪深いものだったのかを覚えておいて下さい。
*コメントされる際には絶対にメールアドレスをコメント欄に入れないで下さい!!全員に閲覧できるようになりますので絶対に入れないで下さい!!*
今回は皇后陛下の卒論を実際に読んだ人の感想を紹介しよう
『THIS IS 読売1993年4月号』に掲載された「雅子さんのハーバード卒業論文―石油危機と貿易黒字大国」という記事
(県立の図書館ならあると思うので市町村の図書館を通して読んでみてね)
著者は高浜賛氏と柴田靖彦氏
2人とも当時読売新聞調査研究本部主任研究員
はっきり言って経済を知り尽くしたプロよ
皇后陛下の卒論のタイトルは『External Adjsutment to Inport Price Shocks : Oil in Japanese Trade』(『輸入価格ショックに対する外的調節:日本の貿易における石油』)
この卒論は現在もハーバード大学の図書館に保管されてます。
(2つ作られてうち一つは皇后陛下がお持ち)
(引用始め)
テーマは七三年、日本を襲った第一次石油ショックを日本がどう克服し、さらに第二次ショックをも乗り越えて強力な貿易実績をあげたのかを、マクロ経済への影響という面から分析してものである。(中略)この論文で小和田さんが取り組んだのは、第一次石油ショック、第二次石油ショックを乗り越え、八〇年代いち早く石油危機を収束させ、米、英、西独を尻目に景気回復を軌道に乗せた日本の経済だった。石油危機が日本に与えた影響は、なんだったのか。そして、それをいかに克服したのか。その過程で、日本経済はどう変身したのか。
(引用終り)
この母国語である日本語でも難しい内容を英語で書かれたのだ。
それだけの実力があるお方なのです。
(引用はじめ)
このぶ厚い力作を熟読してみて、われわれは改めて、この女性のインテレクチャル・ストレングス(知力)を感じないわけにはいかない。と同時に大学を卒業するためにこれほどの論文を書かせるハーバード大学の凄さ、さらにとことん研究させるためには基金でもなんでも出す懐の深さに舌を巻いてしまうのだ。そこで磨いた小和田さんの知力が、燻銀のように輝くのはむしろ当然なのかもしれない。ハーバードがけっして名前だけでないことを小和田さんは、この論文で立証している。
(引用おわり)
経済を研究しているプロが見ても「すごい!」と驚くレベルの卒論なのだ。
皇后陛下の卒論では冒頭に謝辞があります。
論文作成に当たってハーバード大学国際問題センターと日本研究所から資金援助を得ていらっしゃいます。
どうして資金援助を得られたのかというとそれだけ優秀だったからです。
バカにタダで金をやるほど甘い世界じゃあない
さらに八四年に来日された皇后陛下は当時経団連の理財部長だった糠沢和夫氏、東京銀行の経済調査部長だった真野輝彦氏、国際金融情報センター総務部長だった榊原英資氏に会って直接アドバイスを受けていらっしゃった。
この事実を頭の悪い連中は
「偉い人に会ったからいい卒論が書けたんだ」
とほざいてますが、
『THIS IS 読売1993年4月号』にはアドバイスをした当の糠沢和夫氏の記事も載ってるのです。
「群を抜く論旨と展開と学問的素養」という記事を糠沢氏は書いてます。
皇后陛下と糠沢さんのつながりは皇后陛下のお父上小和田恒さんからの紹介でした。
(まあこういう事を知ったら父親のコネを使ったと下郎下女は言いそうだが)
経団連の食堂でお会いになった皇后陛下は糠沢氏と石油ショックに対するマクロ・ミクロの対策についてお話されました。
糠沢氏はこの卒論を読んでこのように評価してます
(引用始め)
これだけの学問素養と論旨の展開力は、今の日本のどこの一流大学の経済学部卒業生の水準をもはるかに抜いていると言っていいだろう。やがて米国が高関税政策を採用するようなことがあった時に、ファーストレディのヒラリーさんに晩餐会で館で含めるようにこうした政策の国際収支・雇用・成長率への含意を説明されるようになるのだろう。
(引用終わり)
単純に人の話を聞いただけではこのレベルの論文は書けません。
人から聞いた知識をただまとめて書くだけではなく、聞いた話を自分の中で整理して熟考して自分の論とする。
中々出来ることじゃあありませんぜ
あとこのこの号に指導教官を務めたジェフリー・サックス教授の記事も載ってるのでちょっと紹介しよう
タイトル「ひたむきな探求心で難題に挑戦―ハーバード指導教官が見た雅子さん」
(引用始め)
小和田雅子さんと初めてお会いしたのは、雅子さんが、私が教鞭をとっているハーバード大学の経済学部四年生の時に優等生・卒両論文を作成することを決意され、その指導教官になった時です。お会いしてまず感じたのは、雅子さんがいかに有能であり、エネルギーにみちあふれ、学問への関心や探求心で漲っている若い女性であるか、ということでした。
つまり、第一印象は、一にも二にも学業に励み、目的に向かってひたむきな学生ということに尽きました。なぜかといいますと、雅子さんが選んだテーマです。いかに優等を狙うとはいえ、四年生で扱うには、実に込み入った、難しいテーマを選択したからです。(中略)本来ならこの種の研究は大学院に行ってからやるものです。ですから学部の学生にとっては、これは極めて野心的な作業ですし、そのためには新しいテクニックをマスターし、コンピューター利用のモデル作成や理論構成をしなければなりません。雅子さんはこれに挑戦して、見事にやってのけました。
(引用終わり)
以前にも説明しましたが、ハーバード大学は卒論を書かなくても卒業できます。
しかしマグナ・クム・ラウデ(優等賞)を得る為には卒論提出が絶対なのです。
ジェフリー・サックス教授とエズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル教授はこの卒論に文句なしの「優等」の評価を出しました。
大学四年間の成績も加えた総合評価で「マグナ・クム・ラウデ」が皇后陛下に贈られました。
1985年の卒業生は、大学全体で1681人。このとき「マグナ・クム・ラウデ」を受賞した学生は、全学年を合わせて55人、雅子さまのいた経済学部ではわずか3名。
ただ卒業するだけでも大変なハーバード大学を優等賞を得て卒業した
英語を母国語としない学生がこれだけの事を成し遂げた。
物凄いことなのです。
我々日本人はこれだけすごい女性が日本で一番高貴な女性であることに誇りを持つべきです。
令和という時代で皇后陛下は大きな活躍をされる事間違いない!
そして皇后陛下をこれほどの知性を発揮させなかったヘーセーの皇室が如何に罪深いものだったのかを覚えておいて下さい。
*コメントされる際には絶対にメールアドレスをコメント欄に入れないで下さい!!全員に閲覧できるようになりますので絶対に入れないで下さい!!*
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私、これ持ってますよ。
この月刊誌の他の雑誌でも、皇后陛下の卒業論文を和訳しようとして断られた雑誌があったように記憶しています。