プリンセス華子の幼いころのお写真

海外のサイトから見つけた華子さまご幼少のころのお写真

華子さまは1940年7月19日にお生まれです。

華子さま1歳のころ
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華子さま5歳のころ
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かわいいですね。
華子さま5歳と言うと1945年(昭和20)年
お召の着物もモノクロでも分かるように子ども用のものです。
大人の着物を無理やり着せたものではありません。

(過去記事での松風さまのコメント)
良子さまのご幼少のころは家では裾を長くして、外ではしごきで短くしていたのです。
その名残りは七五三のしごき、花嫁の抱え帯です。
そのころでも庶民は今のようにお端よりや腰上げをしていました。
あの宮妃の7歳の着物は子供らしくない柄、普通は四つ身の着物なのに本身(大人のサイズ)を肩上げ腰上げしたもののようです。
普通は(少女まで着させるには)本裁ち四つ身に縫うべきなのですが(大人のサイズに切断して子供用のサイズに縫う)
13歳ころからは洗い張りをして七九寸に縫い直すのです。
こんなに手間をかけるのですから良い生地でないとだめでしょうね。
このお写真は七九寸のお着物ですね。




<参考>平成の筆頭宮妃さま
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(過去記事 日本一かわいそうな七五三

学習院くらいの頃の華子さま
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<参考>平成の筆頭宮妃さま
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(卒アルの苗字が川嶋じゃないのはなぜですか)

いつまでもチャーミングな華子さまが大好きです。



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常陸宮様も。

「子供の頃、小児麻痺にかかり足をいためました。若いうちは何ともなかったのですが、最近、(足の痛みで)長い距離を歩けなくなりました。華子が私の傍にいてくれるので、頼ってしまいます」
「私は幼い頃からさまざまな病気をしました。母宮の香淳皇后が小児麻痺に気づいてくださいました」
細かいところは違っているかもしれないけれど、常陸宮様のお言葉です。
心の温かい方ですね。最初に出るのが妻と母への感謝。
寛仁親王の葬儀では「筆頭宮家」の役割をされ、車椅子でフランスの芸術関連公務に赴かれました。本物の筆頭宮家はアタマ使うことできないんで。
それでいながら喜寿のお祝いは、今上より大震災自粛を強制されました。自粛はまだ続いてます。
両陛下、何回傘寿を祝った?
「よし坊、可哀想に」昭和の両陛下は泉下で思っておられるでしょう。
常陸宮様のニッコリ笑顔は、敬宮さんにそっくりです。

川島なのに川嶋を名乗る不思議

私は学生時代、教師から「卒業アルバムには戸籍に書かれている漢字と同じ漢字を印刷するので、戸籍と同じ漢字を書きなさい。」と言われた。

高なのか髙なのか。
桜なのか櫻なのか。
渡辺なのか渡邊、渡邉なのか。
国なのか國なのか。
島 な の か 嶋 な の か 。

他の学校ではどうだったんだろう。ましてや学習院なのだから、そこは厳格だと思うのだが。

川島が、いつのまにか川嶋を名乗っている。
非常に不思議なことであると考えるのは、不思議な事ではあるまい。

射手座 さま、宛名シール さま

コメントありがとうございます。

>それでいながら喜寿のお祝いは、今上より大震災自粛を強制されました。自粛はまだ続いてます。

小っちゃい頃から華子さまファンという射手座様、喜んでいただけたでしょうか(笑)?もう喜寿のお祝い分、米寿は盛大に宴会を開いていただいてOKです。倍返しだ!

>川島が、いつのまにか川嶋を名乗っている。
非常に不思議なことであると考えるのは、不思議な事ではあるまい。

礼宮と書けばいいのに禮宮と手紙に書いた娘の実家ですもの。不思議じゃありません。
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ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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