皇族程馬鹿ゲタ職業ハナイ

高松宮と海軍高松宮と海軍
(1996/03)
阿川 弘之

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阿川弘之先生の著書を読みました。

なかなか面白かったので紹介します。

無題


タイトルの言葉は大正12年(1905年)10月12日の日記に書かれた一人の若者の声です。

高松宮殿下が日記に残した言葉です。

高松宮、まだこの時はご結婚前でしたから

光宮(てるのみや) 宣仁親王殿下でした。

大正10年8月24日、宣仁親王は海軍兵学校本科に編入(52期)されました。

大正12年、宣仁親王は18歳でした。

どうしてこんな言葉を日記に書いたのか

とにかく自由がなかったからです。

皇族が軍隊に入ると、必ず御付武官と一緒に行動しなければなりません。

御付武官は護衛官は少佐中佐クラスの軍人がなります。

先生と護衛官を併せたような海軍のお偉い人がいつもいる。

友達と「あの先生さー」と愚痴ることも出来ません。

ただでさえ、自由のない寮生活なのにさらに憂鬱になります。

それに対してこんな風に記しています。

「要スルニ学校内デハ何処ヘデモ尾ケテアルクノダサウナ。私ガドウシテソンナニ一人デ歩クト信用ガ出来ナイノカシラ」
(大正10年5月21日)

皇族でもやっぱり10代の学生です。

今風の言葉なら「マジうぜえ。一人にさせろよ」というところでしょう。

ただでさえ天皇陛下のご子息というだけで遠巻きに見られるだけなのに、

いつも偉い軍人さんが一緒ならばなおのこと友達なんてできません。

大正10年11月28日の日記にこう残しています。

「私ハホントニ常ニ孤独デヰナケレバナラヌノダラウカ。寂シイ寂シイ寂シイ」

21世紀の現代には皇族を絶滅寸前の動物のように見る人間がいます。

戦前の皇族は神様でした。

海軍士官学校を卒業し、戦艦比叡に配属されても苦悩は続きます。

仕事をさせてもらえないのです。

せっかく一生懸命勉強したのにそれを活かすことを許されない。

そんな毎日をこう歌いました。

私は比叡の油虫

立派なお部屋に

納つて

たらふく食つたら

ちょろちょろと

ふざけ散らして

毎日を

遊んで暮す有様は

他人が見れば羨めど

我身となれば徒食の

辛さに苦労の益す許り

早く私も人並みに

比叡のために働いて

大きな顔して闊歩して

愉快な日々を送りたし


昭和天皇も孤独でしたが、その弟である高松宮さまも孤独でした。
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皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
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