2023.02/01 [Wed]
ギリシャ王室について調べてみた也
1月10日 元ギリシャ国王コンスタンティノス2世逝去
先月の1月10日にギリシャ王国のラストキングが亡くなりました。
崩御ではなく逝去なのが寂しい。
ギリシャ王室について調べると「ギリシャ悲劇というよりも『ドリフの大爆笑』並みのドタバタコメディだな」と思うくらいにドタバタしてます。
ギリシャ王国の始まりは長い間オスマン帝国に支配されていたギリシャが1821年に始まった独立戦争を経て、1828年に一部独立した事に始まります。
“一部”独立というのは、欧州の英仏露の列強諸国は「東地中海の均衡を乱したくないからオスマン帝国内の自治国程度でよくね?」と考えていたからです。
この時はギリシャ“共和国”で、王様はいません。
独立は果たしたものの国土は狭く(現在のギリシャ共和国の半分もない)、しかも貧しい地域ばかり、なのに国内のいざこざが絶えない。
列強諸国は過去の栄光はいずこにという位に寂れていたアテネを「ギリシャと言ったらやっぱりアテネだよな!」と首都にするという位に現地の現状を考慮しない。
ギリシャ共和国は初代大統領が建国後すぐに暗殺されるというその後の前途多難な歴史を暗示するスタートでした。
同年ロシアとオスマン帝国で戦争が起こった事で英国とフランスが「やっべ、オスマン帝国にロシアが勝ったわ。ロシアがギリシャに口出し出来るじゃん。ギリシャを完全に独立させた方が、東地中海の均衡を維持出来るから無駄な戦争を回避できるわ」と方向転換します。
1830年2月、ロンドン議定書によってギリシャは完全独立を果たしました。
元々独立戦争当時から外国から君主を迎えるつもりでしたし、共和国制でいきなり大統領が暗殺されるという超不安定な政治を立て直す為に王制を取り入れギリシャは共和国からギリシャ王国になりました。
(19世紀に独立したベルギー、ルーマニア、ブルガリアも独立後に外国から君主を迎えています)
英仏露の話し合いでザクセン=コーブルク=ゴータ家のレオポルドが選出しました。
レオポルドは英国王ジョージ4世の唯一の子であるシャーロット王女の元夫で英国王室との繋がりもあります(シャーロット王女は若くして亡くなっている)。
国民も「強国のイギリスと縁がある王様なら国も発展するだろう」と歓迎し、最初はレオポルド本人も国王になる気でした。
しかし国土が狭く、しかも経済的基盤のない貧しい地域ばかり、その上莫大な債務も抱えていると知って辞退してしまった(のちに初代ベルギー国王レオポルド1世となる)。
他の候補者も「そんな狭くて貧乏なのに国内の争いも多い国の王様なんて嫌だ」と拒否。
難航している間に、フランス七月革命とベルギー革命が起こって列強諸国はギリシャの国王選びを放置してしまう。
1832年に「もうこいつでいいや」と国民が望んでいないのに列強諸国によって王様になったのが、バイエルン国王の次男オットー王子(当時17歳)。
ギリシャ風にオソンと名を変えてオソン1世として即位。
残念ながらオソン1世には面倒な国を統治できる才能がなかった。
約30年間ギリシャ国王を務めた後に、国民の不満を抑えきれず軍事クーデターが発生して退位。
オソン1世には子どもがいなかったので、新しい王様を探すことになった。
それで選ばれたのが、欧州で一番古い歴史を持つデンマーク王室の国王クリスチャン9世の次男であるクリスチャン・ヴィルヘルム王子。
オソン1世同様にギリシャ風に名前を変えてゲオルギオス1世として即位した。
(といっても前国王が国民から不人気でクビにされたからデンマークにしばらく住んで様子を見ていた)
1864年に民主化された新憲法が施行され、ゲオルギオス1世は英国から与えられたイオニア諸島と一緒にギリシャ入りしたので大いに国民から喜ばれた。
即位式で「我が力を国民を愛することに注ぐ。この国を東ヨーロッパの模範国としよう」と誓った国王はオソン1世よりも人気があった。
ゲオルギオス1世の時代に社会改革や道路鉄道などのインフラも整備され、1881年にトルコからテッサリアとアルタを委譲されて国土も広がった。
ゲオルギオス1世は政治に関して自分の目で確認したいという性格で、従者も伴わず一人でインフラ整備の工事現場に現れることもあった。
ロシア皇室から嫁いだオリガ王妃も私財を投じて看護婦養成所を作り、国民へ「大きな病院を作る資金をどうぞ皆さん募金してください」と呼び掛けて1874年にそれまでのギリシャにはなかった大病院を完成させた(大きな病院を作るだけの私財がギリシャ王室には無かったので国民に協力を乞うた)。
しかし経済的な発展の為には当然ながらお金がかかる。経済発展の裏では莫大な外債が重なっていった。
さらには1897年にクレタ島の所有権を争った希土戦争で敗北した事で、莫大な賠償金を払う羽目になった。
それでも有能なヴェニゼロスが首相になってことで国力は復帰。
ヴェニゼロスの外交力が発揮された事でイピロス、マケドニア、西スゥラキ、エーゲ海諸島、クレタ島をバルカン戦争を通じて手に入れました。
そんな中で起こったのがゲオルギオス1世の暗殺事件。
死因が暗殺という所がギリシャ王室らしいところです。
コンスタンティノス1世
長男のコンスタンティノス1世が即位しましたが、第一次世界大戦でギリシャがどういう立場であるべきかをめぐってヴェニゼロスと対立。
解任されて怒ったヴェニゼロスが独自に政府を樹立、英国とフランスの支持を得ていたヴェニゼロスに負けてコンスタンティノス1世は退位し、外国へ移住。
そして即位したのが次男のアレクサンドロス1世。
アレクサンドロス1世
(長男のゲオルギオス王太子は父王と同行したので、国王にこの時なっていません)
アレクサンドロス1世の時代でもヴェニゼロスの活躍は変わらず、スゥラキ全域、ドデカネス諸島、テネドス島、イムブロス島、イズミール及び後背地を獲得。
しかし1920年の総選挙でヴェニゼロスが敗北し、同年にアレクサンドロス1世が跡取りを残さずに急死した事でまた雲行きが怪しくなる。
1919年のベルサイユ会議で連合国はトルコへ軍事侵攻することをギリシャに認めた。
コンスタンティノス1世復位
貴賤結婚だったアレクサンドロス1世は跡取りを残さずに急逝した為、復位したコンスタンティノス1世は1922年に「イエーイお墨付きもらったぜ!どうせ蛮族の国だから楽勝だろ」と舐めてトルコに攻め入ったが、トルコ軍は英明なムスタファ・ケマル・アタテュルク元帥によって軍隊組織を近代化させていた。
旧式な装備しかなく、腐敗政治が軍隊にも及んでいたギリシャ軍が勝てるわけがなく、大敗。
軍人による革命委員会がクーデターを起こして、戦争責任を取る形でコンスタンティノス1世は退位させられイタリアへ亡命。
ゲオルギオス王太子がゲオルギオス2世として即位しました。
ゲオルギオス2世
ゲオルギオス2世が即位した翌年の1923年、ローザンヌ条約によりトラキアのほとんどをトラキアと北エペイロスを失う羽目になる。
さらには戦勝国となったトルコからの強い要求でギリシャは100万人以上のキリスト教徒をトルコから受け入れなければならなくなり、経済的にも社会的にも大損害となった。
(当時のギリシャ王国の人口は500万人位。同時にイスラム教徒がトルコへ移住したので単一民族になったので民族問題から解放されたという利点もあった)
あやしげな国民投票の結果王制は廃止となり、共和制の国となった。
しかし共和制になっても混乱が続くので、やっぱり「王制に戻そうぜ」となった。
ゲオルギオス2世は再び国王になった。
1939年に始まった第二次世界大戦に巻き込まれ、1941年にドイツ・イタリア・ブルガリアに占領されてしまう。占領後、ゲオルギオス2世はまたも亡命。
1945年に第二次世界大戦は終わったが、翌年の1946年から今度は共産主義者と右翼政権との間で内戦が勃発。
1946年、内戦中のギリシャに国王は帰国する。
ゲオルギオス2世が心臓発作で崩御すると子どもがいなかったので、弟のパウロス王子がパウロス1世として即位。
パウロス1世
1949年にようやく内戦が終了。
1962年に右翼のカラマンリスが再選した際に、不正な選挙のシナリオを書いたのは国王夫妻なのではないかと疑われる(国王はあまり人気がなく、露骨なファシスト的思想の王妃はもっと人気がなかった)。
1963年には王妃と仲が悪くなったカラマンリスは辞任し、それに伴って行われた選挙でもカラマンリスは大敗。
カラマンリスはパリへ亡命する事となった。
選挙により右翼ではないパパンドレウ率いる中道左派の中道連盟党が勝利した。
これが気に食わなかったのが王室とギリシャ軍だった。
そんな中でパウロス1世は崩御。これを受けて1964年に即位したのがギリシャのラストキングとなるコンスタンティノス2世
コンスタンティノス2世
右派左派の政争に軍の陰謀と問題山積みだったギリシャ。
パパレンドウは自身が国防大臣を兼務すること軍を抑えようとしたが、国王が許さない。
1965年にパパンレドウは辞任したが、事態は全く落ち着かない。
国王が首相を立てては直ぐに解任というのを繰り返すからだった(1か月で辞任しちゃうほどコロコロ変わる)。
1967年4月、陸軍の若手将校によるクーデターにより軍事政権となったギリシャ。
当然国民は大反対したが、国王はクーデターを認めてしまう。これによって国民からの支持率は下がってしまった。
ポップ音楽禁止・男性の長髪禁止・女性のミニスカート禁止、古代ギリシャ劇禁止等の時代錯誤な政策に、反対デモを行う学生を弾圧して多くの死者を出す軍事政権を見て「さすがにやり過ぎやで」と思った国王は同年12月に国王派の軍人達と反クーデターを起こしたが失敗。イタリアへ亡命する羽目になる。
国王不在のまま一応君主制は続いていたが、1973年に軍事政権により「君主制廃止」と宣言され、その翌年1974年に実施された国民投票で正式に王室は廃止となった。
王制廃止後、ロンドンにギリシャ語の学校を作ったり、国際セーリング連盟の名誉会長に就任しています(同じくセーリング選手だったノルウェー国王も名誉会長です)。
1981年に崩御したフレデリキ王太后を埋葬する為に一時帰国し、2004年のアテネオリンピックで国際オリンピック委員会の名誉会員としてギリシャに帰国しています。
1999年にはギリシャ国内にある王宮や離宮はギリシャ政府に不法に占有されていると欧州人権裁判所に提訴しています(2000年に国王の提訴は認められ、ギリシャ政府に王室物件を元国王に返還するようにという判決が出ています)
2013年からはギリシャに永住しています。
以下が歴代のギリシャ国王一覧表です。
≪ギリシャ国王一覧≫
オソン1世
在位:1833年2月6日 - 1862年10月23日
クーデターで廃位
ゲオルギオス1世
在位:1863年3月30日 - 1913年3月18日
暗殺
コンスタンティノス1世
在位:1913年3月18日 - 1917年6月11日
生前退位
アレクサンドロス1世
在位:1917年6月11日 - 1920年10月25日
病死(ペットの猿に噛まれた事が原因で破傷風にかかり崩御)
コンスタンティノス1世(息子が跡取りを残さずに急死した為復位)
在位:1920年12月19日 - 1922年9月27日
クーデターで廃位
ゲオルギオス2世
在位:1922年9月27日 - 1924年3月25日
共和制の国になったので王室廃止
ゲオルギオス2世(君主制に戻ったので再び国王に)
在位:1935年11月3日 - 1947年4月1日
心臓発作で崩御
パウロス1世
在位:1947年4月1日 - 1964年3月6日
胃がんで崩御
コンスタンティノス2世
在位:1964年 - 1973年
選挙で王制廃止
ちゃちゃちゃっと書いてみましたが、ご覧の通り本当にドタバタしてます。
ドタバタしているギリシャ王室ですが、その家系図を見るとかつての欧州の王室らしさを感じられます。
初代ギリシャ国王 オソン1世
バイエルン国王の次男。元の名前はオットー
オソン1世=結婚=アマリア大公女(オルデンブルク大公の娘)
↓
子どもなし
============================
クリスチャン9世(デンマーク王)
↓
・フレゼリク8世(デンマーク王)
・アレクサンドラ(英国王妃)
・クリスチャン・ヴィルヘルム王子(後のギリシャ国王ゲオルギオス1世)
・マリア(ロシア皇后)
・テューラ王女(ハノーファー王国元王太子の妻)
・ヴァルデマー王子(フランスの元王太子フェルディナン・フィリップの次男シャルトル公の娘と結婚)
2代目ギリシャ国王 ゲオルギオス1世
ゲオルギオス1世 =結婚=オリガ大公女(ロシア皇帝ニコライ1世の孫)
↓
・コンスタンティノス1世
・ゲオルギオス王子
・アレクサンドラ王女(ロシア皇帝の第六皇子の妃)
・ニコラオス王子(夭折)
・マリア王女(ニコライ1世の孫であるゲオルギー・ミハイロヴィチ大公の妃)
・オリガ王女(夭折)
・アンドレアス王子(エディンバラ公フィリップ王配の父)
・クリストフォロス王子(一度目は平民の大富豪と結婚、後にフランスの王位請求者ジャン・ドルレアンの娘と再婚)
3代目ギリシャ国王 コンスタンティノス1世
コンスタンティノス1世=結婚=ソフィア皇女(ドイツ皇帝フリードリヒ3世の娘。母はヴィクトリア女王の娘)
↓
・ゲオルギオス2世
・アレクサンドロス1世
・エレーニ王女(ルーマニア王太子妃で、ルーマニアのラストキングミハイ1世の母)
・パウロス1世
・イリニ王女(クロアチア国王トミスラヴ2世の妃)
・エカテリニ王女(英国将校と結婚)
4代目ギリシャ国王 アレクサンドロス1世
アレクサンドロス1世=貴賤結婚=アスパシア・マノス(平民)
↓
アレクサンドラ王女(ユーゴスラビア王妃)
貴賤結婚により誕生した為、母アスパシアはギリシャ王妃ではない
5代目ギリシャ国王 コンスタンティノス1世(復位)
6代目ギリシャ国王 ゲオルギオス2世
ゲオルギオス2世=結婚=エリサヴェト王女(ルーマニア国王フェルディナンド1世の娘。母はヴィクトリア女王の孫)
↓
子どもなし。後に国王夫妻は離婚。
7代目ギリシャ国王 パウロス1世
パウロス1世=結婚=フレデリキ公女
(フレデリキ公女は最後のブラウンシュヴァイク公でハノーファー王家家長エルンスト・アウグストの娘。↑に出てきたテューラ王女はエルンスト・アウグストの母です。母はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の娘)
↓
・ソフィア王女(スペイン王妃。現スペイン国王フェリペ6世の母)
・コンスタンティノス2世
・イリニ王女(未婚)
8代目ギリシャ国王 コンスタンティノス2世(最後のギリシャ国王)
コンスタンティノス2世=結婚=アンヌ・マリー王女(フレゼリク9世の三女。姉はマルグレーテ2世女王)
↓
・アレクシア王女(スペイン人の建築家と結婚)
・パウロス王太子
・ニコラオス王子(イベントプランナーと結婚)
・セオドラ王女(美貌を活かして女優となる。弁護士と結婚)
・フィリッポス王子(スイス人実業家と結婚)
現在のギリシャ王家家長
パウロス元王太子=結婚=マリー・シャンタル(アメリカの大富豪の娘)
↓
・マリア=オリンピア王女
・コンスタンティノス=アレクシオス王子
・アキレアス=アンドレアス王子
・オディッセアス=キモン王子
・アリステイデ=スタウロス王子
(ギリシャ王室の王位継承はスペイン王室同様に男子優先なので第一子のマリア=オリンピア王女が一番下の弟のアリステイデ王子よりも継承順位が下です。なおパウロス元王太子の子ども達はギリシャとデンマークのプリンス&プリンセスです)
≪アンヌ・マリー王妃の実家 デンマーク王室≫
フレゼリク8世(デンマーク王)=結婚=ロヴィーサ王女(スウェーデン国王カール15世の娘)
↓
・クリスチャン10世
・カール王子(後のノルウェー国王ホーコン7世)
・ルイーセ王女(シャウムブルク=リッペ侯子の妃)
・ハーラル王子(グリュックスブルク公女ヘレーネと結婚)
・インゲボー王女(スウェーデンの王族と結婚。次女はノルウェー国王オーラヴ5世の妃で、三女はベルギー国王レオポルト3世の妃)
・テューラ王女(未婚)
・ゴスタウ王子(未婚)
・ダウマー王女(貴族と結婚)
クリスチャン10世=結婚=アレクサンドリーネ大公女
(アレクサンドリーネ大公女はメクレンブルク=シュヴェリーン大公の長女。父の異母弟はオランダのウィルヘルミナ女王の王配。母はニコライ1世の孫。妹はドイツ帝国最後の皇太子妃)
↓
・フレゼリク9世
・クヌーズ王子
フレゼリク9世=結婚=イングリッド王女(スウェーデン国王グスタフ6世アドルフの娘。母はヴィクトリア女王の孫)
↓
・マルグレーテ2世
・ベネディクテ(ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯家家長と結婚)
・アンヌ=マリー王妃
≪アンヌ・マリー王妃の母イングリッド王妃の実家の家系≫
スウェーデン王室
オスカル2世=結婚=ソフィア・アヴ・ナッサウ(ナッサウ公ヴィルヘルムの娘。初代ルクセンブルク大公の異母妹)
↓
・グスタフ5世
・ゴドランド公オスカル王子
・ヴェステルイェートランド公オスカル王子(デンマーク国王フレゼリク8世の娘インゲボー王女と結婚。次女がノルウェー王妃、三女がベルギー王妃となる)
・ネルケ公エウシェン王子
グスタフ5世=結婚=ヴィクトリア・フォン・バーデン(バーデン大公の娘。母はドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の娘)
↓
・グスタフ6世アドルフ
・セーデルマンランド公ヴィルヘルム王子(妃はロシア皇帝アレクサンドル2世の第6皇子の娘)
・ヴェストマンランド公エーリク王子
グスタフ6世アドルフ=結婚=マーガレット(ヴィクトリア女王の三男コノート公アーサー王子の娘)
↓
・ヴェステルボッテン公爵グスタフ・アドルフ王子(現在の国王の父)
・シグヴァルド・ベルナドッテ(貴賤結婚で臣籍降下)
・イングリッド(デンマーク王妃)
・ハッランド公爵ベルティル王子
・ダーラナ公爵カール・ヨハン王子
グスタフ・アドルフ王子=シビラ(最後のザクセン=コーブルク=ゴータ公の娘。ちなみに夫とは又従兄妹の関係)
↓
・マルガレータ王女(貴賤結婚で殿下の称号を失う)
・ビルギッタ王女(ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵家家長の三男と結婚)
・デジレ王女(貴賤結婚で殿下の称号を失う)
・クリスティーナ王女(貴賤結婚で殿下の称号を失う)
・カール16世グスタフ(現国王)
ご覧の通り、現存する王室とも廃止された王室とも親戚関係なので当然ながら葬儀にも各国の王族がギリシャ入りしました。
葬儀が行われたアテネ大聖堂はコンスタンティノス2世とアンヌ・マリー王妃の結婚式が行われた場所で、アンヌ・マリー王妃が葬儀で身につけている十字架のジュエリーは結婚式に身に付けていたものです。
ギリシャ政府は選挙で国民からクビにされたような元国王の葬儀なので関与してません。
当初は文科大臣が参列する予定でしたが、葬儀に参列する各国の王族が国王クラスなので「大臣じゃ失礼だわ」と副首相が参列することになりました。
≪参列した王族&元王族≫
【王室のトップクラスが参列した国々】
スペイン王室
国王夫妻、前国王夫妻、スペイン国王の姉王女二人とそのお子様方
デンマーク王室
マルグレーテ女王、フレゼリク王太子、ヨアキム王子
ベネディクテ王女(アンヌマリー王妃の次姉)とその娘アレクサンドラ王女
スウェーデン王室
国王夫妻、クリスティーナ王女(王妹)
オランダ王室
国王夫妻、前女王で現在のベアトリクス王女
ベルギー王室
国王夫妻
ルクセンブルク大公国
アンリ大公
モナコ公室
アルベール2世
【現存する王室の王族】
ノルウェー王室
王太子夫妻、マッタ・ルイーセ王女
ヨルダン王室
ヌール前王妃、ヌール前王妃の子ラーイヤ・ビント・アル=フセイン王女、サルバス・アル・ハッサン王女
英国
アン王女夫妻(国王の代理)、レディ・ガブリエラ・ウィンザー(エリザベス女王の従兄弟マイケル・オブ・ケント王子の長女)
リヒテンシュタイン侯国
ニコラウス侯子妃マルガレータ(アンリ大公の妹)
【滅んだ王室の王族】
ブルガリア王室
シメオン2世
イラン帝室
ファラ元皇后
ユーゴスラビア王室
ユーゴ最後の王太子アレクサンダル2世夫妻
ロシア帝室
マリア大公女(現在のロマノフ家家長)
ハノーファー王室
エルンスト王子夫妻(ハノーファー王家現家長の長男)、クリスティアン王子夫妻(ハノーファー王家現家長の次男)
ルーマニア王室
ラドゥ王子(現家長マルガレータの夫)
バーデン大公家
ベルンハルト大公世子
うん、確かにこの弔問客に対して大臣クラスじゃ失礼だわ
コンスタンティノス2世はチャールズ新国王とは又従兄弟の関係で、ウィリアム王太子のゴッドファーザーでした。
現在の当主でパウロス元王太子の奥様が爵位のない大富豪の娘なのは300億円以上の持参金目当てもあったんだろうな
王室は無くなっても親戚付き合いがありますからお金は必要ですから。
さて、このように滅んだ王室を見ると日本の皇室も安穏としてはいられない
日本はますます国力が無くなっていく。
20人いない皇族の為に200億円近くの税金が掛かっている。
宮内庁HP https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/r05-01.pdf
若い人ほど皇室に興味がない人が多い。
ただ男だからと直系でもなく、皇族として問題ばかりの傍系を天皇にしたら滅びると私は考えるよ
そういえば投資誘致を目的として来日したギリシャの首相と面会してウキウキでしたね
相変わらず両陛下への対抗心メラメラで「通訳なし」と報道させてますが、どのマスコミも「首相から地球温暖化の問題やギリシャの遺跡保存の課題、両国の地域交流などについて話があり、ご夫妻は耳を傾けていた」と「それ懇談じゃなくて説明を聞いてただけじゃないのかね?」という報道です。
≪参考文献一覧≫
村田奈々子著『物語 近現代ギリシャの歴史』 2012年2月発行 中央公論社
テランス・ディックス著/尾崎寔監訳『とびきり陽気なヨーロッパ史 文庫版』1999年12月発行 筑摩書房
ピエール・ミケル著/加藤雅彦監訳『ヨーロッパ最後の王たち』 1997年10月発行 創元社
マール社編集部編『100年前の世界の王室』 1996年4月発行 マール社
西村太良監修『ギリシア 読んで旅する世界の歴史と文化』 1995年10月 新潮社
雑誌記事
倉田保雄著「欧州は「影の王族たち」が脚光を浴びる“ロイヤル・リサイクリング”の時代に入った」『SAPIO 2001年12月26日・2002年1月9日号』
インターネット記事
「Greece to Become Royal Hub for Former King Constantine’s Funeral」『GREEK REPORTER』
https://greekreporter.com/2023/01/13/greece-royal-hub-former-king-constantine-funeral/
「Farewell to the last king of Greece. The funeral of Constantine II gathered the royal houses of Athens – The Observer」『BRYTFMONLINE』
https://www.brytfmonline.com/farewell-to-the-last-king-of-greece-the-funeral-of-constantine-ii-gathered-the-royal-houses-of-athens-the-observer/
ギリシャ王室公式HP王族紹介ページ
https://www.greekroyalfamily.gr/en/royal-family.html
「ギリシャ最後の国王コンスタンティノス2世の葬儀が行われる」『ELLE』
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a42525714/queen-anne-marie-greece-king-constantine-funeral-diamond-cross-necklace-23-0117/
「ギリシャ“最後の王”、コンスタンティノス2世の葬儀に参列した世界のロイヤルたち」『25ans』
https://www.25ans.jp/princess/royal-family/g42545052/king-constantine-greece-funeral-photos-230118-hns/
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先月の1月10日にギリシャ王国のラストキングが亡くなりました。
崩御ではなく逝去なのが寂しい。
ギリシャ王室について調べると「ギリシャ悲劇というよりも『ドリフの大爆笑』並みのドタバタコメディだな」と思うくらいにドタバタしてます。
ギリシャ王国の始まりは長い間オスマン帝国に支配されていたギリシャが1821年に始まった独立戦争を経て、1828年に一部独立した事に始まります。
“一部”独立というのは、欧州の英仏露の列強諸国は「東地中海の均衡を乱したくないからオスマン帝国内の自治国程度でよくね?」と考えていたからです。
この時はギリシャ“共和国”で、王様はいません。
独立は果たしたものの国土は狭く(現在のギリシャ共和国の半分もない)、しかも貧しい地域ばかり、なのに国内のいざこざが絶えない。
列強諸国は過去の栄光はいずこにという位に寂れていたアテネを「ギリシャと言ったらやっぱりアテネだよな!」と首都にするという位に現地の現状を考慮しない。
ギリシャ共和国は初代大統領が建国後すぐに暗殺されるというその後の前途多難な歴史を暗示するスタートでした。
同年ロシアとオスマン帝国で戦争が起こった事で英国とフランスが「やっべ、オスマン帝国にロシアが勝ったわ。ロシアがギリシャに口出し出来るじゃん。ギリシャを完全に独立させた方が、東地中海の均衡を維持出来るから無駄な戦争を回避できるわ」と方向転換します。
1830年2月、ロンドン議定書によってギリシャは完全独立を果たしました。
元々独立戦争当時から外国から君主を迎えるつもりでしたし、共和国制でいきなり大統領が暗殺されるという超不安定な政治を立て直す為に王制を取り入れギリシャは共和国からギリシャ王国になりました。
(19世紀に独立したベルギー、ルーマニア、ブルガリアも独立後に外国から君主を迎えています)
英仏露の話し合いでザクセン=コーブルク=ゴータ家のレオポルドが選出しました。
レオポルドは英国王ジョージ4世の唯一の子であるシャーロット王女の元夫で英国王室との繋がりもあります(シャーロット王女は若くして亡くなっている)。
国民も「強国のイギリスと縁がある王様なら国も発展するだろう」と歓迎し、最初はレオポルド本人も国王になる気でした。
しかし国土が狭く、しかも経済的基盤のない貧しい地域ばかり、その上莫大な債務も抱えていると知って辞退してしまった(のちに初代ベルギー国王レオポルド1世となる)。
他の候補者も「そんな狭くて貧乏なのに国内の争いも多い国の王様なんて嫌だ」と拒否。
難航している間に、フランス七月革命とベルギー革命が起こって列強諸国はギリシャの国王選びを放置してしまう。
1832年に「もうこいつでいいや」と国民が望んでいないのに列強諸国によって王様になったのが、バイエルン国王の次男オットー王子(当時17歳)。
ギリシャ風にオソンと名を変えてオソン1世として即位。
残念ながらオソン1世には面倒な国を統治できる才能がなかった。
約30年間ギリシャ国王を務めた後に、国民の不満を抑えきれず軍事クーデターが発生して退位。
オソン1世には子どもがいなかったので、新しい王様を探すことになった。
それで選ばれたのが、欧州で一番古い歴史を持つデンマーク王室の国王クリスチャン9世の次男であるクリスチャン・ヴィルヘルム王子。
オソン1世同様にギリシャ風に名前を変えてゲオルギオス1世として即位した。
(といっても前国王が国民から不人気でクビにされたからデンマークにしばらく住んで様子を見ていた)
1864年に民主化された新憲法が施行され、ゲオルギオス1世は英国から与えられたイオニア諸島と一緒にギリシャ入りしたので大いに国民から喜ばれた。
即位式で「我が力を国民を愛することに注ぐ。この国を東ヨーロッパの模範国としよう」と誓った国王はオソン1世よりも人気があった。
ゲオルギオス1世の時代に社会改革や道路鉄道などのインフラも整備され、1881年にトルコからテッサリアとアルタを委譲されて国土も広がった。
ゲオルギオス1世は政治に関して自分の目で確認したいという性格で、従者も伴わず一人でインフラ整備の工事現場に現れることもあった。
ロシア皇室から嫁いだオリガ王妃も私財を投じて看護婦養成所を作り、国民へ「大きな病院を作る資金をどうぞ皆さん募金してください」と呼び掛けて1874年にそれまでのギリシャにはなかった大病院を完成させた(大きな病院を作るだけの私財がギリシャ王室には無かったので国民に協力を乞うた)。
しかし経済的な発展の為には当然ながらお金がかかる。経済発展の裏では莫大な外債が重なっていった。
さらには1897年にクレタ島の所有権を争った希土戦争で敗北した事で、莫大な賠償金を払う羽目になった。
それでも有能なヴェニゼロスが首相になってことで国力は復帰。
ヴェニゼロスの外交力が発揮された事でイピロス、マケドニア、西スゥラキ、エーゲ海諸島、クレタ島をバルカン戦争を通じて手に入れました。
そんな中で起こったのがゲオルギオス1世の暗殺事件。
死因が暗殺という所がギリシャ王室らしいところです。
コンスタンティノス1世
長男のコンスタンティノス1世が即位しましたが、第一次世界大戦でギリシャがどういう立場であるべきかをめぐってヴェニゼロスと対立。
解任されて怒ったヴェニゼロスが独自に政府を樹立、英国とフランスの支持を得ていたヴェニゼロスに負けてコンスタンティノス1世は退位し、外国へ移住。
そして即位したのが次男のアレクサンドロス1世。
アレクサンドロス1世
(長男のゲオルギオス王太子は父王と同行したので、国王にこの時なっていません)
アレクサンドロス1世の時代でもヴェニゼロスの活躍は変わらず、スゥラキ全域、ドデカネス諸島、テネドス島、イムブロス島、イズミール及び後背地を獲得。
しかし1920年の総選挙でヴェニゼロスが敗北し、同年にアレクサンドロス1世が跡取りを残さずに急死した事でまた雲行きが怪しくなる。
1919年のベルサイユ会議で連合国はトルコへ軍事侵攻することをギリシャに認めた。
コンスタンティノス1世復位
貴賤結婚だったアレクサンドロス1世は跡取りを残さずに急逝した為、復位したコンスタンティノス1世は1922年に「イエーイお墨付きもらったぜ!どうせ蛮族の国だから楽勝だろ」と舐めてトルコに攻め入ったが、トルコ軍は英明なムスタファ・ケマル・アタテュルク元帥によって軍隊組織を近代化させていた。
旧式な装備しかなく、腐敗政治が軍隊にも及んでいたギリシャ軍が勝てるわけがなく、大敗。
軍人による革命委員会がクーデターを起こして、戦争責任を取る形でコンスタンティノス1世は退位させられイタリアへ亡命。
ゲオルギオス王太子がゲオルギオス2世として即位しました。
ゲオルギオス2世
ゲオルギオス2世が即位した翌年の1923年、ローザンヌ条約によりトラキアのほとんどをトラキアと北エペイロスを失う羽目になる。
さらには戦勝国となったトルコからの強い要求でギリシャは100万人以上のキリスト教徒をトルコから受け入れなければならなくなり、経済的にも社会的にも大損害となった。
(当時のギリシャ王国の人口は500万人位。同時にイスラム教徒がトルコへ移住したので単一民族になったので民族問題から解放されたという利点もあった)
あやしげな国民投票の結果王制は廃止となり、共和制の国となった。
しかし共和制になっても混乱が続くので、やっぱり「王制に戻そうぜ」となった。
ゲオルギオス2世は再び国王になった。
1939年に始まった第二次世界大戦に巻き込まれ、1941年にドイツ・イタリア・ブルガリアに占領されてしまう。占領後、ゲオルギオス2世はまたも亡命。
1945年に第二次世界大戦は終わったが、翌年の1946年から今度は共産主義者と右翼政権との間で内戦が勃発。
1946年、内戦中のギリシャに国王は帰国する。
ゲオルギオス2世が心臓発作で崩御すると子どもがいなかったので、弟のパウロス王子がパウロス1世として即位。
パウロス1世
1949年にようやく内戦が終了。
1962年に右翼のカラマンリスが再選した際に、不正な選挙のシナリオを書いたのは国王夫妻なのではないかと疑われる(国王はあまり人気がなく、露骨なファシスト的思想の王妃はもっと人気がなかった)。
1963年には王妃と仲が悪くなったカラマンリスは辞任し、それに伴って行われた選挙でもカラマンリスは大敗。
カラマンリスはパリへ亡命する事となった。
選挙により右翼ではないパパンドレウ率いる中道左派の中道連盟党が勝利した。
これが気に食わなかったのが王室とギリシャ軍だった。
そんな中でパウロス1世は崩御。これを受けて1964年に即位したのがギリシャのラストキングとなるコンスタンティノス2世
コンスタンティノス2世
右派左派の政争に軍の陰謀と問題山積みだったギリシャ。
パパレンドウは自身が国防大臣を兼務すること軍を抑えようとしたが、国王が許さない。
1965年にパパンレドウは辞任したが、事態は全く落ち着かない。
国王が首相を立てては直ぐに解任というのを繰り返すからだった(1か月で辞任しちゃうほどコロコロ変わる)。
1967年4月、陸軍の若手将校によるクーデターにより軍事政権となったギリシャ。
当然国民は大反対したが、国王はクーデターを認めてしまう。これによって国民からの支持率は下がってしまった。
ポップ音楽禁止・男性の長髪禁止・女性のミニスカート禁止、古代ギリシャ劇禁止等の時代錯誤な政策に、反対デモを行う学生を弾圧して多くの死者を出す軍事政権を見て「さすがにやり過ぎやで」と思った国王は同年12月に国王派の軍人達と反クーデターを起こしたが失敗。イタリアへ亡命する羽目になる。
国王不在のまま一応君主制は続いていたが、1973年に軍事政権により「君主制廃止」と宣言され、その翌年1974年に実施された国民投票で正式に王室は廃止となった。
王制廃止後、ロンドンにギリシャ語の学校を作ったり、国際セーリング連盟の名誉会長に就任しています(同じくセーリング選手だったノルウェー国王も名誉会長です)。
1981年に崩御したフレデリキ王太后を埋葬する為に一時帰国し、2004年のアテネオリンピックで国際オリンピック委員会の名誉会員としてギリシャに帰国しています。
1999年にはギリシャ国内にある王宮や離宮はギリシャ政府に不法に占有されていると欧州人権裁判所に提訴しています(2000年に国王の提訴は認められ、ギリシャ政府に王室物件を元国王に返還するようにという判決が出ています)
2013年からはギリシャに永住しています。
以下が歴代のギリシャ国王一覧表です。
≪ギリシャ国王一覧≫
オソン1世
在位:1833年2月6日 - 1862年10月23日
クーデターで廃位
ゲオルギオス1世
在位:1863年3月30日 - 1913年3月18日
暗殺
コンスタンティノス1世
在位:1913年3月18日 - 1917年6月11日
生前退位
アレクサンドロス1世
在位:1917年6月11日 - 1920年10月25日
病死(ペットの猿に噛まれた事が原因で破傷風にかかり崩御)
コンスタンティノス1世(息子が跡取りを残さずに急死した為復位)
在位:1920年12月19日 - 1922年9月27日
クーデターで廃位
ゲオルギオス2世
在位:1922年9月27日 - 1924年3月25日
共和制の国になったので王室廃止
ゲオルギオス2世(君主制に戻ったので再び国王に)
在位:1935年11月3日 - 1947年4月1日
心臓発作で崩御
パウロス1世
在位:1947年4月1日 - 1964年3月6日
胃がんで崩御
コンスタンティノス2世
在位:1964年 - 1973年
選挙で王制廃止
ちゃちゃちゃっと書いてみましたが、ご覧の通り本当にドタバタしてます。
ドタバタしているギリシャ王室ですが、その家系図を見るとかつての欧州の王室らしさを感じられます。
初代ギリシャ国王 オソン1世
バイエルン国王の次男。元の名前はオットー
オソン1世=結婚=アマリア大公女(オルデンブルク大公の娘)
↓
子どもなし
============================
クリスチャン9世(デンマーク王)
↓
・フレゼリク8世(デンマーク王)
・アレクサンドラ(英国王妃)
・クリスチャン・ヴィルヘルム王子(後のギリシャ国王ゲオルギオス1世)
・マリア(ロシア皇后)
・テューラ王女(ハノーファー王国元王太子の妻)
・ヴァルデマー王子(フランスの元王太子フェルディナン・フィリップの次男シャルトル公の娘と結婚)
2代目ギリシャ国王 ゲオルギオス1世
ゲオルギオス1世 =結婚=オリガ大公女(ロシア皇帝ニコライ1世の孫)
↓
・コンスタンティノス1世
・ゲオルギオス王子
・アレクサンドラ王女(ロシア皇帝の第六皇子の妃)
・ニコラオス王子(夭折)
・マリア王女(ニコライ1世の孫であるゲオルギー・ミハイロヴィチ大公の妃)
・オリガ王女(夭折)
・アンドレアス王子(エディンバラ公フィリップ王配の父)
・クリストフォロス王子(一度目は平民の大富豪と結婚、後にフランスの王位請求者ジャン・ドルレアンの娘と再婚)
3代目ギリシャ国王 コンスタンティノス1世
コンスタンティノス1世=結婚=ソフィア皇女(ドイツ皇帝フリードリヒ3世の娘。母はヴィクトリア女王の娘)
↓
・ゲオルギオス2世
・アレクサンドロス1世
・エレーニ王女(ルーマニア王太子妃で、ルーマニアのラストキングミハイ1世の母)
・パウロス1世
・イリニ王女(クロアチア国王トミスラヴ2世の妃)
・エカテリニ王女(英国将校と結婚)
4代目ギリシャ国王 アレクサンドロス1世
アレクサンドロス1世=貴賤結婚=アスパシア・マノス(平民)
↓
アレクサンドラ王女(ユーゴスラビア王妃)
貴賤結婚により誕生した為、母アスパシアはギリシャ王妃ではない
5代目ギリシャ国王 コンスタンティノス1世(復位)
6代目ギリシャ国王 ゲオルギオス2世
ゲオルギオス2世=結婚=エリサヴェト王女(ルーマニア国王フェルディナンド1世の娘。母はヴィクトリア女王の孫)
↓
子どもなし。後に国王夫妻は離婚。
7代目ギリシャ国王 パウロス1世
パウロス1世=結婚=フレデリキ公女
(フレデリキ公女は最後のブラウンシュヴァイク公でハノーファー王家家長エルンスト・アウグストの娘。↑に出てきたテューラ王女はエルンスト・アウグストの母です。母はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の娘)
↓
・ソフィア王女(スペイン王妃。現スペイン国王フェリペ6世の母)
・コンスタンティノス2世
・イリニ王女(未婚)
8代目ギリシャ国王 コンスタンティノス2世(最後のギリシャ国王)
コンスタンティノス2世=結婚=アンヌ・マリー王女(フレゼリク9世の三女。姉はマルグレーテ2世女王)
↓
・アレクシア王女(スペイン人の建築家と結婚)
・パウロス王太子
・ニコラオス王子(イベントプランナーと結婚)
・セオドラ王女(美貌を活かして女優となる。弁護士と結婚)
・フィリッポス王子(スイス人実業家と結婚)
現在のギリシャ王家家長
パウロス元王太子=結婚=マリー・シャンタル(アメリカの大富豪の娘)
↓
・マリア=オリンピア王女
・コンスタンティノス=アレクシオス王子
・アキレアス=アンドレアス王子
・オディッセアス=キモン王子
・アリステイデ=スタウロス王子
(ギリシャ王室の王位継承はスペイン王室同様に男子優先なので第一子のマリア=オリンピア王女が一番下の弟のアリステイデ王子よりも継承順位が下です。なおパウロス元王太子の子ども達はギリシャとデンマークのプリンス&プリンセスです)
≪アンヌ・マリー王妃の実家 デンマーク王室≫
フレゼリク8世(デンマーク王)=結婚=ロヴィーサ王女(スウェーデン国王カール15世の娘)
↓
・クリスチャン10世
・カール王子(後のノルウェー国王ホーコン7世)
・ルイーセ王女(シャウムブルク=リッペ侯子の妃)
・ハーラル王子(グリュックスブルク公女ヘレーネと結婚)
・インゲボー王女(スウェーデンの王族と結婚。次女はノルウェー国王オーラヴ5世の妃で、三女はベルギー国王レオポルト3世の妃)
・テューラ王女(未婚)
・ゴスタウ王子(未婚)
・ダウマー王女(貴族と結婚)
クリスチャン10世=結婚=アレクサンドリーネ大公女
(アレクサンドリーネ大公女はメクレンブルク=シュヴェリーン大公の長女。父の異母弟はオランダのウィルヘルミナ女王の王配。母はニコライ1世の孫。妹はドイツ帝国最後の皇太子妃)
↓
・フレゼリク9世
・クヌーズ王子
フレゼリク9世=結婚=イングリッド王女(スウェーデン国王グスタフ6世アドルフの娘。母はヴィクトリア女王の孫)
↓
・マルグレーテ2世
・ベネディクテ(ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯家家長と結婚)
・アンヌ=マリー王妃
≪アンヌ・マリー王妃の母イングリッド王妃の実家の家系≫
スウェーデン王室
オスカル2世=結婚=ソフィア・アヴ・ナッサウ(ナッサウ公ヴィルヘルムの娘。初代ルクセンブルク大公の異母妹)
↓
・グスタフ5世
・ゴドランド公オスカル王子
・ヴェステルイェートランド公オスカル王子(デンマーク国王フレゼリク8世の娘インゲボー王女と結婚。次女がノルウェー王妃、三女がベルギー王妃となる)
・ネルケ公エウシェン王子
グスタフ5世=結婚=ヴィクトリア・フォン・バーデン(バーデン大公の娘。母はドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の娘)
↓
・グスタフ6世アドルフ
・セーデルマンランド公ヴィルヘルム王子(妃はロシア皇帝アレクサンドル2世の第6皇子の娘)
・ヴェストマンランド公エーリク王子
グスタフ6世アドルフ=結婚=マーガレット(ヴィクトリア女王の三男コノート公アーサー王子の娘)
↓
・ヴェステルボッテン公爵グスタフ・アドルフ王子(現在の国王の父)
・シグヴァルド・ベルナドッテ(貴賤結婚で臣籍降下)
・イングリッド(デンマーク王妃)
・ハッランド公爵ベルティル王子
・ダーラナ公爵カール・ヨハン王子
グスタフ・アドルフ王子=シビラ(最後のザクセン=コーブルク=ゴータ公の娘。ちなみに夫とは又従兄妹の関係)
↓
・マルガレータ王女(貴賤結婚で殿下の称号を失う)
・ビルギッタ王女(ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵家家長の三男と結婚)
・デジレ王女(貴賤結婚で殿下の称号を失う)
・クリスティーナ王女(貴賤結婚で殿下の称号を失う)
・カール16世グスタフ(現国王)
ご覧の通り、現存する王室とも廃止された王室とも親戚関係なので当然ながら葬儀にも各国の王族がギリシャ入りしました。
葬儀が行われたアテネ大聖堂はコンスタンティノス2世とアンヌ・マリー王妃の結婚式が行われた場所で、アンヌ・マリー王妃が葬儀で身につけている十字架のジュエリーは結婚式に身に付けていたものです。
ギリシャ政府は選挙で国民からクビにされたような元国王の葬儀なので関与してません。
当初は文科大臣が参列する予定でしたが、葬儀に参列する各国の王族が国王クラスなので「大臣じゃ失礼だわ」と副首相が参列することになりました。
≪参列した王族&元王族≫
【王室のトップクラスが参列した国々】
スペイン王室
国王夫妻、前国王夫妻、スペイン国王の姉王女二人とそのお子様方
デンマーク王室
マルグレーテ女王、フレゼリク王太子、ヨアキム王子
ベネディクテ王女(アンヌマリー王妃の次姉)とその娘アレクサンドラ王女
スウェーデン王室
国王夫妻、クリスティーナ王女(王妹)
オランダ王室
国王夫妻、前女王で現在のベアトリクス王女
ベルギー王室
国王夫妻
ルクセンブルク大公国
アンリ大公
モナコ公室
アルベール2世
【現存する王室の王族】
ノルウェー王室
王太子夫妻、マッタ・ルイーセ王女
ヨルダン王室
ヌール前王妃、ヌール前王妃の子ラーイヤ・ビント・アル=フセイン王女、サルバス・アル・ハッサン王女
英国
アン王女夫妻(国王の代理)、レディ・ガブリエラ・ウィンザー(エリザベス女王の従兄弟マイケル・オブ・ケント王子の長女)
リヒテンシュタイン侯国
ニコラウス侯子妃マルガレータ(アンリ大公の妹)
【滅んだ王室の王族】
ブルガリア王室
シメオン2世
イラン帝室
ファラ元皇后
ユーゴスラビア王室
ユーゴ最後の王太子アレクサンダル2世夫妻
ロシア帝室
マリア大公女(現在のロマノフ家家長)
ハノーファー王室
エルンスト王子夫妻(ハノーファー王家現家長の長男)、クリスティアン王子夫妻(ハノーファー王家現家長の次男)
ルーマニア王室
ラドゥ王子(現家長マルガレータの夫)
バーデン大公家
ベルンハルト大公世子
うん、確かにこの弔問客に対して大臣クラスじゃ失礼だわ
コンスタンティノス2世はチャールズ新国王とは又従兄弟の関係で、ウィリアム王太子のゴッドファーザーでした。
現在の当主でパウロス元王太子の奥様が爵位のない大富豪の娘なのは300億円以上の持参金目当てもあったんだろうな
王室は無くなっても親戚付き合いがありますからお金は必要ですから。
さて、このように滅んだ王室を見ると日本の皇室も安穏としてはいられない
日本はますます国力が無くなっていく。
20人いない皇族の為に200億円近くの税金が掛かっている。
宮内庁HP https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/r05-01.pdf
若い人ほど皇室に興味がない人が多い。
ただ男だからと直系でもなく、皇族として問題ばかりの傍系を天皇にしたら滅びると私は考えるよ
そういえば投資誘致を目的として来日したギリシャの首相と面会してウキウキでしたね
Κ. Μητσοτάκης: Συνάντηση με τον Διάδοχο του Θρόνου της Ιαπωνίας, Πρίγκιπα Aκισίνο https://t.co/kJ3meqtAnq
— Greece-Japan 🇬🇷🇯🇵 (@greecejapan) January 30, 2023
相変わらず両陛下への対抗心メラメラで「通訳なし」と報道させてますが、どのマスコミも「首相から地球温暖化の問題やギリシャの遺跡保存の課題、両国の地域交流などについて話があり、ご夫妻は耳を傾けていた」と「それ懇談じゃなくて説明を聞いてただけじゃないのかね?」という報道です。
≪参考文献一覧≫
村田奈々子著『物語 近現代ギリシャの歴史』 2012年2月発行 中央公論社
テランス・ディックス著/尾崎寔監訳『とびきり陽気なヨーロッパ史 文庫版』1999年12月発行 筑摩書房
ピエール・ミケル著/加藤雅彦監訳『ヨーロッパ最後の王たち』 1997年10月発行 創元社
マール社編集部編『100年前の世界の王室』 1996年4月発行 マール社
西村太良監修『ギリシア 読んで旅する世界の歴史と文化』 1995年10月 新潮社
雑誌記事
倉田保雄著「欧州は「影の王族たち」が脚光を浴びる“ロイヤル・リサイクリング”の時代に入った」『SAPIO 2001年12月26日・2002年1月9日号』
インターネット記事
「Greece to Become Royal Hub for Former King Constantine’s Funeral」『GREEK REPORTER』
https://greekreporter.com/2023/01/13/greece-royal-hub-former-king-constantine-funeral/
「Farewell to the last king of Greece. The funeral of Constantine II gathered the royal houses of Athens – The Observer」『BRYTFMONLINE』
https://www.brytfmonline.com/farewell-to-the-last-king-of-greece-the-funeral-of-constantine-ii-gathered-the-royal-houses-of-athens-the-observer/
ギリシャ王室公式HP王族紹介ページ
https://www.greekroyalfamily.gr/en/royal-family.html
「ギリシャ最後の国王コンスタンティノス2世の葬儀が行われる」『ELLE』
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a42525714/queen-anne-marie-greece-king-constantine-funeral-diamond-cross-necklace-23-0117/
「ギリシャ“最後の王”、コンスタンティノス2世の葬儀に参列した世界のロイヤルたち」『25ans』
https://www.25ans.jp/princess/royal-family/g42545052/king-constantine-greece-funeral-photos-230118-hns/
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