2023.02/01 [Wed]
ガチでご学友だったミス日本が語る敬宮さま
敬宮さまのご学友がミス日本「海の日」になりました。
稲川夏希さんです
12年間敬宮さまと一緒に学習院で過ごした稲川さんは現在慶応義塾大学法学部で学ぶ学生さんで弁護士&国際弁護士を目指している女性です。
『女性自身』の取材を受けて敬宮さまとの友情エピソードを話しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee7a909d1e692613937d193cf94d8381fea1b9d0?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee7a909d1e692613937d193cf94d8381fea1b9d0?page=2
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee7a909d1e692613937d193cf94d8381fea1b9d0?page=3
『女性自身 2023年2月14日号』に掲載された記事「愛子さま ミス日本受賞の12年同級生が明かすお人柄「心が真っ白な方」」から引用します。
【引用始め】
稲川さんが初めて愛子さまをお見かけしたのは15年前、学習院初等科の入学式だったという。
「入学式の日は雨模様だったのですが、昇降口で『あっ愛子さまだ』と……。強く印象に残っているのは、運動会でのお姿。リレーの選手として、(ほかの子よりも)大きく手を振って速く走っていらしたからです」
愛子さまは初等科4年生から管弦楽部、5年生からバスケットボールクラブにも在籍されていたが、両方に稲川さんも所属していた。
「管弦楽部では、愛子さまはチェロ、私はフルートを演奏していました。演奏会などには雅子さまもお見えになっていて、私もお話しさせていただいたことがあります。とてもお優しい方で、私たちが興味を持っていること、得意なことをお聞きになるのです。
私は初等科1年のときからピアノを習っていましたので、雅子さまは『どんな曲を弾いているのですか』『好きな作曲家は誰ですか』などと尋ねてくださいました。ショパンですとお答えしました。私の祖母がショパンを好きで、祖母のためにショパンの曲を弾きたいとピアノを習い始めたのです」
バスケットボールクラブではこんな出来事もあった。
「1年に2回、慶應幼稚舎との定期戦が行われているのですが、台風が近づいてきて……。私たちにとって、数少ない大事な試合でしたし、何とか定期戦を開催できないですかと、愛子さまといっしょに電話で先生にご相談もしたのですが、結局、天候には勝てませんでした」
12年の間には、そんな悔しいこともあったが、“楽しい思い出”の代表といえば、文化祭で並んでダンスをしたことだった。
女子高等科時代、愛子さまは稲川さんら親しい友人たちといっしょにダンスチームを結成されていた。高等科2年生のときの文化祭「八重桜祭」では“愛子さまも踊られる”という情報が知れわたり、“開演が遅れるほどのパニック”になってしまったことを’18年に本誌は報じている。
「愛子さまは人格的に素晴らしく、お心が真っ白な方だと思います。ダンスも東宮御所でしっかりと準備されてきて、チーム練習で踊る際には、すでに完璧になっていました。踊る姿はとてもかわいらしくてお上手で、本番でも大変な評判だったのです。
翌年の3年生のときには、愛子さまはMCを担当されました。20人のメンバーについて、愛子さまが紹介されたのです。一人ひとりに『どういうことを言ってほしい?』と、聞いて回って、ご自分でみんなの紹介コメントを作っていらしたのです。
ダンス練習は早朝に行っていたのですが、踊らない愛子さまも毎回いらっしゃいました。練習ではMCとして“このタイミングでは、こう言えばいいね!”などと声をかけてくださったので、それもダンサーたちの励みになっていたのです」
≪中略≫
稲川さんは「愛子さまとは、一緒に頑張ったという思い出が多いです」と話すが、それも心の支えとなるだろう。
1月18日の歌会始の儀では、《もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔友との家路》という愛子さまのお歌が披露された。
「私のことではないですが、女子中高等科からの帰り道のことだと思います。“友人たちとの日々”を覚えていて和歌に詠んでくださったことを本当にうれしく思いました。コロナ禍が始まって以降、友人たちも愛子さまにお会いできない日々が続いていますから……」
愛子さまは学習院大学文学部、稲川さんは慶大法学部と進学先は異なったが、いまも交流は続いている。ハロウィン、クリスマス、誕生日などにはプレゼントを贈りあっているという。
――昨年8月の稲川さんのお誕生日にもお祝いの品をいただいたそうですが、昨年12月1日の愛子さま21歳のお誕生日には、どんなものを贈りましたか?
「上皇后さまが石垣島を訪れた際(’12年)に、石垣焼のペンダントをお求めになったことを報道で知りました。そこで私も石垣焼のペンダントなどを愛子さまにお贈りしました」
≪中略≫
「弁護士としての経験を積み、最終的には政治家になることを目標にしています。かなうならば総理大臣になって、社会的に弱い立場の人を救いたいと思っています。
日本にはまだ女性の首相はいません。私は“初の女性首相になりたい”と話していますが、できれば私より先に誕生してほしいとも願っています。愛子さまはこれからご公務を担われますが、恵まれない人たちを救う活動などで、ご一緒することができれば、これ以上の幸せはありません」
【引用終わり】
おばあさまがショパンが好きで聞かせてあげたいからピアノを習っていると話してますので、おそらくこの映像は初等科時代の彼女でしょう
第33回ピティナ・ピアノコン ペティション入賞者記念コンサート A1級[金賞]
いい話だなー
敬宮さまが悪く言われている時はご学友も「どうして頑張っているトッシーが悪く言われなきゃならないの?」と傷ついたと聞いております。
こうして話せるようになったのは、敬宮さまの誠実なエピソードを話しても問題にならない時代になったからですね(ヘーセーの東宮バッシングの時代だと良いエピソードはマスコミは取り上げなかったし、仮に報道されるものならどんなひどい目に遭わされるのかと思ったら怖くて話せない)
あの東宮バッシングとヘーセー五人組(父方祖父母叔父叔母)からの仕打ちを考えればひねくれて育ってもおかしくなかった。
それでも真っすぐに育ったのは両陛下の愛情とご学友との友情があったからです。
ガチで令和の天皇ご一家を知っている人で悪く言う人はヘーセー四人組の関係者以外にはいません。
「愛子さまを利用して」と思う人もいるかもしれませんが、彼女が弁護士を志した理由が中等科で子どもの貧困問題を、高等科で女性の労働環境問題を知り、弁護士として弱い立場の人の味方になりたいという実に立派な考えからです。
(「パラリーガルだからバカにするんだろ!NY州の弁護士になって見返してやる」という輩とは違うのだ)
ミス日本に出た理由は「いまの大学生という立場だけでは、社会問題の解決に貢献するといっても限界があります。コンテストを通じて、広く問題について発信していきたい」からといういわゆる「女子アナを目指しているから」という理由とは違うのです。
(眞子どんのダーリンが海の王子コンテストに出たのは当時はアナウンサーになりたいという夢があったからです)
それにしても立派な志の弁護士志望の女性が受賞したのがミス日本「海の日」
眞子どんのダーリンが受賞したのが「海の王子」
うーむ、神様のいたずらかしらと思うわ
初の女性首相を目指しているとスピーチした稲川さんが首相になり、敬宮さまが天皇となったら最強の日本になりそうです。
*コメントされる際には絶対にメールアドレスをコメントの「宛。」もしくは「メールアドレス」」に入れないで下さい!!全員に閲覧できるようになりますので絶対に入れないで下さい!!入れた場合コメントは削除します*
稲川夏希さんです
12年間敬宮さまと一緒に学習院で過ごした稲川さんは現在慶応義塾大学法学部で学ぶ学生さんで弁護士&国際弁護士を目指している女性です。
『女性自身』の取材を受けて敬宮さまとの友情エピソードを話しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee7a909d1e692613937d193cf94d8381fea1b9d0?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee7a909d1e692613937d193cf94d8381fea1b9d0?page=2
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee7a909d1e692613937d193cf94d8381fea1b9d0?page=3
『女性自身 2023年2月14日号』に掲載された記事「愛子さま ミス日本受賞の12年同級生が明かすお人柄「心が真っ白な方」」から引用します。
【引用始め】
稲川さんが初めて愛子さまをお見かけしたのは15年前、学習院初等科の入学式だったという。
「入学式の日は雨模様だったのですが、昇降口で『あっ愛子さまだ』と……。強く印象に残っているのは、運動会でのお姿。リレーの選手として、(ほかの子よりも)大きく手を振って速く走っていらしたからです」
愛子さまは初等科4年生から管弦楽部、5年生からバスケットボールクラブにも在籍されていたが、両方に稲川さんも所属していた。
「管弦楽部では、愛子さまはチェロ、私はフルートを演奏していました。演奏会などには雅子さまもお見えになっていて、私もお話しさせていただいたことがあります。とてもお優しい方で、私たちが興味を持っていること、得意なことをお聞きになるのです。
私は初等科1年のときからピアノを習っていましたので、雅子さまは『どんな曲を弾いているのですか』『好きな作曲家は誰ですか』などと尋ねてくださいました。ショパンですとお答えしました。私の祖母がショパンを好きで、祖母のためにショパンの曲を弾きたいとピアノを習い始めたのです」
バスケットボールクラブではこんな出来事もあった。
「1年に2回、慶應幼稚舎との定期戦が行われているのですが、台風が近づいてきて……。私たちにとって、数少ない大事な試合でしたし、何とか定期戦を開催できないですかと、愛子さまといっしょに電話で先生にご相談もしたのですが、結局、天候には勝てませんでした」
12年の間には、そんな悔しいこともあったが、“楽しい思い出”の代表といえば、文化祭で並んでダンスをしたことだった。
女子高等科時代、愛子さまは稲川さんら親しい友人たちといっしょにダンスチームを結成されていた。高等科2年生のときの文化祭「八重桜祭」では“愛子さまも踊られる”という情報が知れわたり、“開演が遅れるほどのパニック”になってしまったことを’18年に本誌は報じている。
「愛子さまは人格的に素晴らしく、お心が真っ白な方だと思います。ダンスも東宮御所でしっかりと準備されてきて、チーム練習で踊る際には、すでに完璧になっていました。踊る姿はとてもかわいらしくてお上手で、本番でも大変な評判だったのです。
翌年の3年生のときには、愛子さまはMCを担当されました。20人のメンバーについて、愛子さまが紹介されたのです。一人ひとりに『どういうことを言ってほしい?』と、聞いて回って、ご自分でみんなの紹介コメントを作っていらしたのです。
ダンス練習は早朝に行っていたのですが、踊らない愛子さまも毎回いらっしゃいました。練習ではMCとして“このタイミングでは、こう言えばいいね!”などと声をかけてくださったので、それもダンサーたちの励みになっていたのです」
≪中略≫
稲川さんは「愛子さまとは、一緒に頑張ったという思い出が多いです」と話すが、それも心の支えとなるだろう。
1月18日の歌会始の儀では、《もみぢ葉の散り敷く道を歩みきて浮かぶ横顔友との家路》という愛子さまのお歌が披露された。
「私のことではないですが、女子中高等科からの帰り道のことだと思います。“友人たちとの日々”を覚えていて和歌に詠んでくださったことを本当にうれしく思いました。コロナ禍が始まって以降、友人たちも愛子さまにお会いできない日々が続いていますから……」
愛子さまは学習院大学文学部、稲川さんは慶大法学部と進学先は異なったが、いまも交流は続いている。ハロウィン、クリスマス、誕生日などにはプレゼントを贈りあっているという。
――昨年8月の稲川さんのお誕生日にもお祝いの品をいただいたそうですが、昨年12月1日の愛子さま21歳のお誕生日には、どんなものを贈りましたか?
「上皇后さまが石垣島を訪れた際(’12年)に、石垣焼のペンダントをお求めになったことを報道で知りました。そこで私も石垣焼のペンダントなどを愛子さまにお贈りしました」
≪中略≫
「弁護士としての経験を積み、最終的には政治家になることを目標にしています。かなうならば総理大臣になって、社会的に弱い立場の人を救いたいと思っています。
日本にはまだ女性の首相はいません。私は“初の女性首相になりたい”と話していますが、できれば私より先に誕生してほしいとも願っています。愛子さまはこれからご公務を担われますが、恵まれない人たちを救う活動などで、ご一緒することができれば、これ以上の幸せはありません」
【引用終わり】
おばあさまがショパンが好きで聞かせてあげたいからピアノを習っていると話してますので、おそらくこの映像は初等科時代の彼女でしょう
第33回ピティナ・ピアノコン ペティション入賞者記念コンサート A1級[金賞]
いい話だなー
敬宮さまが悪く言われている時はご学友も「どうして頑張っているトッシーが悪く言われなきゃならないの?」と傷ついたと聞いております。
こうして話せるようになったのは、敬宮さまの誠実なエピソードを話しても問題にならない時代になったからですね(ヘーセーの東宮バッシングの時代だと良いエピソードはマスコミは取り上げなかったし、仮に報道されるものならどんなひどい目に遭わされるのかと思ったら怖くて話せない)
あの東宮バッシングとヘーセー五人組(父方祖父母叔父叔母)からの仕打ちを考えればひねくれて育ってもおかしくなかった。
それでも真っすぐに育ったのは両陛下の愛情とご学友との友情があったからです。
ガチで令和の天皇ご一家を知っている人で悪く言う人はヘーセー四人組の関係者以外にはいません。
「愛子さまを利用して」と思う人もいるかもしれませんが、彼女が弁護士を志した理由が中等科で子どもの貧困問題を、高等科で女性の労働環境問題を知り、弁護士として弱い立場の人の味方になりたいという実に立派な考えからです。
(「パラリーガルだからバカにするんだろ!NY州の弁護士になって見返してやる」という輩とは違うのだ)
ミス日本に出た理由は「いまの大学生という立場だけでは、社会問題の解決に貢献するといっても限界があります。コンテストを通じて、広く問題について発信していきたい」からといういわゆる「女子アナを目指しているから」という理由とは違うのです。
(眞子どんのダーリンが海の王子コンテストに出たのは当時はアナウンサーになりたいという夢があったからです)
それにしても立派な志の弁護士志望の女性が受賞したのがミス日本「海の日」
眞子どんのダーリンが受賞したのが「海の王子」
うーむ、神様のいたずらかしらと思うわ
初の女性首相を目指しているとスピーチした稲川さんが首相になり、敬宮さまが天皇となったら最強の日本になりそうです。
*コメントされる際には絶対にメールアドレスをコメントの「宛。」もしくは「メールアドレス」」に入れないで下さい!!全員に閲覧できるようになりますので絶対に入れないで下さい!!入れた場合コメントは削除します*
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