昭和天皇のちょっといい話―巡幸―

昭和天皇ファンさまからのコメント

「平成の玉音放送」と岩井克己が!
あのビデオレターを「平成の玉音放送」と書いた者がいます。週間朝日で、ライターは岩井克己です。
あまりの浅はかな例えに絶句しました。
災害の内容も規模もシュチエーションも、なにもかも違うのに。

一番違うのは、背後にある「重い決断」「責任感」「国民への強い想い」「悔恨」などだと思います。

止められなかった開戦、戦って散っていった人々に対し、敗戦を認めることの辛さ。「想を致せば五内為に裂く」という気持ちで語っていたのですよね。そして、それでも、日本の運命を変えるのだ、自分は連合軍に殺されても仕方がない、と言う考えで語りかけている。

比べて、震災時のビデオレターは、基本的に他人事なんだよね。「大変な災害が起きちゃったけど、みんな落ち着いてね。僕は心配しているんだから」と言うだけ。この地震も津波も「何故か起きちゃった事」で、祭祀の結果では?とも思っていないし、天皇が何かを変えるわけでも、背負うわけでもない。

「玉音放送」なんて例えに納得する国民がいるわけないよ。でも、書かれて喜んでいる人はいる。
そう、明仁天皇自身です。

偉大すぎた父に対し、理解しようとせずコンプレックスだけ抱いている今上天皇に、何を言えば「最大のヨイショ」になるのか、岩井克己はよく知っていたと思うな。
こんな低レベルの記者に、いいように転がされているのが「平成の両陛下」。

頻繁な被災地慰問の事も、岩井は「平成の巡幸」と書いていたと思う。「慰めてあげてる」平成と、「国民が心配で、お詫びの気持ちをこめて国民に会いに行った」昭和と、何もかも違うのに!



まったく岩井って奴はとんでもねえ奴だな

と思いました。


すると本日読んだ『昭和天皇巡幸』という本に同じ内容の文章が載っていました。

昭和天皇巡幸―戦後の復興と共に歩まれた軌跡昭和天皇巡幸―戦後の復興と共に歩まれた軌跡
(2012/04)
昭和天皇巡幸編纂委員会

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終戦後の巡幸が「昭和の巡幸」なら、東日本大震災に当たっての被災地への巡幸は「平成の巡幸」と呼ぶにふさわしい。
震災五日後の平成二十二年三月十六日、天皇陛下が、テレビを通じて国民をお励ましになるメッセージを発せられたのは、ポツダム宣言を告げる昭和二十年八月十五日の玉音放送を彷彿とさせるものだった。


これ書いたの誰だと思いますか?

正解は竹田恒泰

はああ、と大きいため息が出ました。

竹田君と言えば「男系絶対派」の人ですね。


そんな自分を奮い立たせるためにこの本にあった昭和天皇エピソードをご紹介します。

300万人もの人々が犠牲になった日本。
占領国アメリカの世論は天皇はヒトラーやムッソリーニと同様に戦争責任があると70%を超えていました。
アメリカ国民の三分の一が天皇処刑に賛成でした。
なんとか天皇制廃止を免れた昭和天皇は昭和21年人間宣言をし、日本各地を視察されました。

巡幸の始まる直前、当時の行幸主務官加藤進氏は昭和天皇から巡幸に対する思いを聞かされました。

今度の戦争で、国の領土を失い、国民のなかに多数の死傷者を出し、たいへんな災厄を受けた。この際、私としてはどうすればいいのかと考えたが、結局、広く地方を歩いて遺家族や引き揚げ者を慰め、励まし、元の姿に返すことが自分の任務であると思う。私の健康とか何とかは全然考えなくてもいい、その志を達するよう全力を挙げてこれを行ってほしい
(引用上記本)

平成と違うところは国民の感情も今と全然違うということです。

共産党も調子に乗っていた時ですから、暗殺される可能性だってあります。

国民に「あんたのせいでこんな風になったんだ」と怒鳴られたり、殴られたりする危険性もあります。

そんな人も昭和天皇は「それも国民だ」と受け入れる覚悟があります。

埼玉の農家を訪問した昭和天皇を21歳の若者はこう感じたそうです。

戦争になったということで責任を感じ、国民の被害状況をご視察や、謝罪のお気持ちがうかがわれ、恐れ多い、という気持ちでいっぱいでしたね。

埼玉にて
埼玉にて



千葉県を訪ねた時にはお召列車の中で車中泊もしました。
お風呂どころか寝台だってありません。

それを知った昭和天皇は不満に思うどころか

「戦災の国民のことを考えればなんでもない。十日くらい風呂に入らなくてもかまわぬ」

とお付きの者に言いました。

千葉県にて
千葉県にて


感動的な話

鹿児島から去るときのことです。

陛下をお見送りする時のことです。陛下がお車に乗られたとき、それまでおとなしく並んでいた子どもたちが、とび出して陛下をとりまいたんです。陛下はニッコリ笑われながら、子どもたちの頭をなでられました。そうすると、子どもたちは、「ぼくも、ぼくも」と言うんです。陛下は「よしよし」とおうなずきになり、しまいには、両手で子どもたちの頭をなでてくださいました。

鹿児島にて
鹿児島にて


こういう話を知ると平成の両陛下に心を震わせるものがないのかなんとなくわかります。

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占領された日本。トモダチ作戦された日本。

玉音放送。

日本の敗戦を認めた後、ヤンキーが占領するためにやって来た。

昭和天皇は「私はどうなってもいい。国民だけは助けてほしい。」とマッカーサーに言った。
その場で逮捕拘束されて早々に処刑されてもいい状況だった。昭和天皇の覚悟が伝わる。

ヤンキーは食糧をくれた。(小麦パン食の占領でもあった。これで儲けたのが小麦関連会社。ミッチーは粉屋の娘。)
非道な事もしてくれたけれど。


ビデオメッセージ。

今上天皇の覚悟なんて全く感じなかった。
ただ喋っているだけだった。
ヤンキーはトモダチ作戦をしてくれた。


今上の軽さが恐ろしい。


No title

昭和天皇は、風呂無しで車中泊された。

今の天皇皇后は「十数回も慰問したー! 数千人も慰問したー! 数千分も話したー!」と初期宣伝させていたけれど、実はたいした事なかった。

昭和天皇と比べるな!
今の天皇皇后なんか屁以下です!

記事上げありがとうございます

「昭和天皇巡幸」に、竹田君はこんな事を書いてしまったのか・・・。
しかし「男系絶対派」の竹田君は、お軽いが、悪知恵の回転が速いほうではありません。やっぱり、岩井の影響を受けているんでしょう。

平成の「玉音放送」
皇室の風(連載32) 岩井克己(朝日新聞編集委員) これがオリジナルでしょう。
http://www.sentaku.co.jp/series/post-1596.php

岩井克己は、些細な事でも、東宮家を悪くことへは情熱的であり、年の功でもっともらしいような事を書いたりする。
一方で、今上夫婦へのヨイショぶりも凄まじい。「天皇陛下は、天皇としての人間国宝レベルになってきた」なんて言ってみたり。

この破廉恥で悪巧みの好きな偏向記者「岩井克己」がいなかったら、東宮ご一家のご苦労ももう少し軽くなっていたように思います。

古い話で恐縮ですが。

昭和天皇は那須御用邸に毎年1~3ヶ月、お出でになりました。
戦争中は公式記録にはありませんが、お出ででした。お車での道すがらにある田代小学校の子供達の顔をご覧になることを楽しみにされ、子供達は校門に並んでいたそうです。
しかし、子供の最敬礼を非常に嫌がられ
「最敬礼せぬのは不敬!」地元名士の文句垂れとの折衷案「光速最敬礼」を考えつかれました。
先導の車が小さく見えると同時に「起立!」、陛下のお車が小さく見えると同時に「礼!」。そして、礼をしたと同時に「直れ!」
陛下は子供達の顔をご覧になるし、子供達も陛下の顔を凝視したそうです。
幼くて理由もわからないままペコペコする子供をご覧になりたくないし、本当に田舎の子供の表情を眺めたかったのかもしれません。
「それなら道の両側に子供を並ばせましょうか?」と地元名士。
「校門の前だけでよい。大袈裟にするな。行きは私が子供達を見る。帰りは良宮が子供達を見る。それでよい」
公式には戦前、皇后すら天皇の仕え人で同じ車に乗ることはできませんでした。でも、非公式のご静養です。ご一緒でしたよ。
それと、大人が仕事の手を止めて奉迎するのは「絶対に駄目」。だから、戦前、陛下のお車に道で出くわした農夫は、かぶりもの(手拭いとか笠)を取り、ちょっと頭を下げるだけ。
今でも駅前に奉迎で集まる人の数が少なめなのは、当時の名残です。
奉迎の強制執行の平成を、泉下でなんとご覧になっておられるか。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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