日本国中が祝った継宮誕生

誕生日は大変な思いをして産んでくれた母親に感謝する日でもあります。


昭和天皇と香淳皇后との間に生まれた継宮

やっと生まれた皇太子となる男の宮さま誕生に日本中が喜びました。

こんな歌まで作られました。

作詞はなんと北原白秋



こんな動画もありました


良子さまにとって人生で一番嬉しかったことは皇太子を生んだことと仰っていました。

そりゃそうです。

5人目でやっと生まれた男の子でしたから。

第一子の照宮さまが女の子だった時

良子さまのお母様までががっかりしました。

「なんだ、男じゃないのか」

そんな中一番喜んでくれたのが夫である昭和天皇

「女の子は優しいからいいね」

そして怒涛の4人連続女の子

「皇后さまは女腹」と噂されるまでになりました。

ついには側室を迎えようという声まで出て、

実際にその候補者の写真を昭和天皇に見せるということまで起きました。

それでも昭和天皇は「良宮(ながみや)がいい」と良子皇后ひとりを大事にしました。

やっとやっと生まれた皇太子となる男の子

良子さまがどれほど喜んだことか

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けれど時代が時代でしたから、

良子さまの手元から継宮はいなくなりました。

継宮が3歳の時に東宮家が創設され、別居されることになりました。

戦争中は疎開した継宮と会えず、再開した時は戦後になっていたこともありました。

1年半もの間あっていないことになります。

こういうことを「俺は親に会えなかった。」と嫁さんになる人に愚痴った

時代のことを考えれば、我儘を言ってはいけないことくらいわかるはずです。

こうして昭和の皇太子夫妻は平成の世の天皇皇后になっても

マスコミに「良子皇后は意地悪な姑だった。まさに鬼姑」

と書かせて喜んでいるのです。


器が小っちぇえ男だぜ
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No title

継宮は日本国民から祝われた、しかし今では、見て子の添え物

あのωくんは何となく腫れ物に触るような扱い、誰も心から祝っていなかったような・・・
行く末が心配だね。

No title

いつかの園遊会で、招待された森光子が、今上ヘーカの前で歌っていました。「皇太子さまお生まれなった」を。

あの時のヘーカ、実に嬉しそうでした。

御誕生の時からこうした歌が作られ、お世話する女官達に傅かれ、長じてはご自分より優れた存在を(それがご自分のご長男であっても)疎ましく思うようになられた・・・。

いち国民として、何だか悲しいです。

今日は何の日♪

「皇太子さまお生まれなった」
亡くなった父(大正生まれ)が、尋常小学校で歌ったそうです。

生まれた合図の大砲が二発ドーンドーンと鳴って、村中大騒ぎだったとか。(女の子は一発)

我が家では、天皇誕生日は4月29日です。
12月23日は、クリスマスイブイブです。

ミチマのお歌もございます。

昭和天皇(迪宮)ご誕生の歌もありますよ。
「今日のこの日は 大君の 生まれたもうた この佳き日」
歌った身内も子供だったから、断片的にしか覚えてないけど。

関係ないかもだけど

12月25日は、今上のおじじ様、大正天皇の崩御された日です。
天皇という忙しい責務の合間に、昭和天皇をはじめとする4人の
お子様方と鬼ごっこなどして遊ぶ子煩悩な方だったとか。
そんな今上のおじじ様は、今上の孫差別をどのように思っていらっしゃるのでしょう。
なんの思想にかぶれられたのか分かりませんが、公平とけじめのなさというのは全くの別物なんですけどね。
大体、公平だとか平等だとか声高にいう人間こそ実人生では真逆。そういう人達こそ、特権意識半端ないですからね。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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