昭和が終わった日

田舎者 さまコメント

今日は昭和の終わった日

お若いヘカテーさまは、どのくらい当時のことを覚えてらっしゃいますか。
朝ラジオが自動的に点くので、アナウンサーの緊迫した声で目が覚めました。「とうとうその時が来た」と思いました。

そのたった9ヶ月後に、鯰とキコさんの婚約が発表されました。
当時も「なぜ喪中に、なぜまだ学生なのに」という声はありましたが、
長い自粛、連続幼女殺人事件などで暗く沈んだ世相を明るくするニュースとして歓迎されました。
私も「可愛い方だな」と思いました。
直後に友人から例の噂を聞き、「いつもSPに囲まれてるのに、そんな機会があるのか」と信じませんでした。馬鹿ですね。

まさかあのうら若い女子大生がここまで皇室を破壊することになるとは、当時は思いもよりませんでした。


はみさま、お気を悪くしないでくださいね。コメントはいつも深い共感を覚えながら読んでます。
ただそのHN、私の母の田舎であるものを指します。
キコさんが、まさにそのものです。
祖父がよく「はみに気をつけろ」と言ってました。
昭和帝の「川嶋某に気をつけろ」の言葉とダブります。


コメントありがとうございます。

実は昭和の記憶は平成元年に死んだ祖父の記憶が2つくらいです。

昭和天皇が崩御した時のことはまったく記憶にありません。

昭和を知らない平成っ子のヘカテ―が昭和64年1月7日のことを写真から学びたいと思います。







1988年(昭和63年)以降、各地に病気平癒を願う記帳所が設けられたが、どこの記帳所でも多数の国民が記帳を行った。病臥の報道から一週間で記帳を行った国民は235万人にも上り、最終的な記帳者の総数は900万人に達した。ウィキペディアより


昭和を知らない者は

どうしてここまで国民が悲しんだのか理解できません。

書籍や動画で調べ始めてから、昭和天皇の優しさそして戦争に対する責任と悲しみを知れば知るほど昭和天皇の国民の父としての姿に圧倒されます。

記帳では中高年だけではなく、

「病気で苦しんでいて可哀そう」という女子大生もいました。

殉死者も出ています。

昭和64年1月7日午後1時半、昭和天皇崩御を受けて、和歌山県海草郡野上町で87歳の昭和天皇と同年同月生まれの男性が殉死。
平成元年1月8日午前12時半には、前日の午後4時頃に殉死したと見られる76歳の元志願兵の海軍少尉の男性死体が茨城県勝田市の鉾香取神社近くの山林で発見された。
3月3日午後3時には文京区大塚の区立大塚公園で、元陸軍中尉の66歳の男性が殉死。
後日、警察でまとめたところでは、昭和天皇崩御に際して10人が殉死し、1人が殉死未遂、最年少の殉死者は1月22日に横浜市旭区のビルから、左手の人差し指に「天皇陛下万歳」と記して飛び降り自殺をした17歳の少年だった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421189154

愚かだと笑う人もいるでしょう。

自殺です。

私は笑うことはできません。

昭和天皇一人では不便であろうと昭和天皇について行った人たちでした。
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祖父が

ヘカテーさん
こんにちは。
今年も楽しくブログ拝見しております。

昭和天皇が崩御された時、私は高校一年でした(歳がバレますねw)
前年に母方の祖母を亡くしておりましたが、祖父はまだ健在でした。

祖父は元々軍人一家に育ちました。
しかし本人は学者肌でしたので、
京都大学を飛び級で入学し、
首席で卒業しました。将来を期待されておりましたが、戦争で頭に銃弾が入り(命は助かりましたが)、
終戦後は声を失いましたし、
働く事もあまりできなくなりました。

お嬢様育ちの祖母は苦労して管理栄養士になり、母を含め4人の子供を育てました。

さぞかし、そんな目にあった天皇制の時代に憤りを覚えているだろうと推測してましたが、
祖母は昭和天皇を尊敬しておりました。祖父は昭和が終わってから、
塞ぎこむことが多くなり、また認知症もひどくなり、平成2年に亡くなりました。

祖母が亡くなった事がショックではなく、昭和天皇が崩御された事が原因だと母が教えてくれました。

私は幼い頃から、祖母から先の大戦は天皇陛下が悪いのではないと教えられてきました。

今の時代とはあきらかに違う、
国民一人一人の心の中に天皇陛下という存在があったのだと思います。
今の天皇には残念ながら、
そんなものは感じません。

No title

ヘカテ―様、いつも楽しく読ませていただいてます!
昭和天皇、年配者から若者、子供にまで慕われ、尊敬されていたのですね・・・

あのとき、私は中学生で朝のラジオ英会話を聞いていました。
突然、ニュース速報が流れ、ああ・・・!と思ったのを覚えています。
なぜなら、全然、皇室なんて興味もなかったのに、なぜか私は昭和天皇に御病気快癒をお祈りするお手紙を書いてお送りしていたからです。
私の家族の中にも皇室に興味を持つ人はおらず、どちらかというと(どちらも何もないですが)両親は生活に必死だった人たちです。

あと、もう一人、カードを送らせていただいたのが雅子様です。

今、40代くらいの私の周りの女性は、結婚した先や子供のことで苦労したりする年代みたいで、みーんな雅子様のことを応援するようになっています。「雅子様のことを考えれば、私のことなんて。」「このくらい頑張らなくっちゃって思う」って。それが一般的な人たちの感覚なのではないでしょうか?

まだ3,4歳の頃のことですが、家の近くをお召し列車が通ると言うので、家族で見に行ったことがあります。子供ごころに「陛下が御乗りの珍しい車両だけでも拝見出来れば。」、とワクワク待って思っておりましたら、なんと陛下はこちらを向かれお立ちになっていらっしゃり、玉顔をはっきり拝見することが出来ました。ほんの一瞬の出来事でしたが、それでも十分なくらいなカリスマのようなものを感じました。忘れられぬ思い出です。
今思い返すと、そこは駅に近い場所だったのですが、駅、駅周辺で出迎えているであろう国民にご挨拶なさる為、駅に近付く度、列車のスピードを落とさせ、ご起立なさって、お手を降っていらしたのかと。もう七十歳を超えられた頃のこと。そしてそのようなお人柄が、戦中、戦前世代以外にも慕われた理由の一つでは。

「ザ・天皇」が亡くなられてしまった

ヘカテーさま、いつも鋭い記事ありがとうございます。

私の家は、特に尊皇心が強いわけでもなく、また自分が幼い時は、海外の王族や大統領などに比べて、小柄で猫背気味のお爺さんである昭和天皇が、見映えが悪いなんて感じていました。

しかし、自分が思春期すぎたくらいから、昭和天皇になんとも言えないオーラを感じるようになりました。普通の人とは比べようがないくらい「真面目な方」で、ぜったい小ずるい事なんかしない!、という感覚がヒシヒシと伝わってきて、なのに笑い顔がチャーミングなので、「日本の良心」というイメージでした。

天皇=「昭和天皇」であり、未来永劫続くような感覚でしたので、吐血された時はショックでした。「あんな良い方だから、奇跡が起きて持ち直すかも知れない」と友人と言い合いました。

しかし、長い闘病にお気の毒さを感じました。執筆されていた「皇居の植物」が刊行されると言う事を、ベットの中でうなずいてご覧になった・・・という頃、間に合って良かったと言う思いと、もう苦しみが続いて欲しくないという思いと、一方で、日本を守っていた守護神が消えていくような恐怖感でドキドキしました。

私にとって「天皇」とは裕仁天皇のことです。
そして、なんとなく「平成」という新元号が始まり、次の御代になりましたが馴染めませんでした。しかも平成になってすぐ、幼女連続殺害事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件と、陰惨な事件が続き、その中で明るい事件かと思われた「礼宮ご婚約」もまた、陰鬱な事件の始まりでした。そしてその後、称号だけの「天皇」「皇后」が、意地悪で、善悪の区別もつかない夫婦だったとわかって、もうもう最低です!

昭和天皇が消えた御代は、徳が消え去った末法思想の時代のようですし、陰陽師が消えて悪霊が跋扈する時代のようです。
なので、私にとって「平成」は無しです。存在しない御代です。

懐かしい昭和の両陛下

私は子供のころ、昭和の両陛下に一瞬だけ遭遇したことがあります。

家の近くを車でお通りになるというので数人で見に行ったのでした。交通規制がされ、向こうのほうから車列がしずしずと。車が近づいてきて2mほど先に両陛下のお顔がはっきりと見えました。周囲には私たち以外誰もいなかったのですが、「あそこに子供がいるよ」 とばかりにお二人ともとびきりの笑顔で手を振ってくださったのでした。

それはほんの一瞬でしたが、自然で暖かい雰囲気で、子供心に強く印象に残りました。テレビで拝見する陛下の印象は、失礼ながら、口をもぐもぐさせ変な抑揚でお言葉とやらを述べる背の低い老人、というものでしたが、それはたぶん緊張のせいでしょう、リラックスされたお姿は神々しいばかりで、一瞬の遭遇でまさに「感動した!」でしたよ。

私には、昭和の陛下が老若男女に慕われた、あるいは子供たちがなでなでしてほしがった、というのがよ~くわかります。
今の皇太子殿下と妃殿下には、昭和の両陛下と同じ雰囲気を感じます。

国民に向けるまなざしがやさしく、ご夫婦仲睦まじく、隠さなければならないことなど何もなく、知性と教養にあふれ、質実剛健で、作り物ではない自然な、誠実で気品あふれるお姿を拝見できるのがありがたい。

今の天皇と皇后、テレビで見(させられ)るだけですが、「ミチコでございます、ミチコがまいりました、みなさま、ありがとう、ミチコでございます。」 といったところでしょうか。

大葬の礼では皇居前でお見送りしました。
昭和天皇のすべてを肯定するつもりはありませんが、時代に翻弄され苦悩の中で、天皇としての務めを懸命に誠実に果たそうとされたのだと思っています。

平成の終わりは、そうですね、最近、JOMOすれば何をしてもいいと教えてもらいましたから(笑) 新しい御世のはじめには、たとえお姿が芥子粒ほどにしか見えなくてもいいから参賀に馳せ参じたいと思っています。待ち遠しいです。

ヘカテーさん、承子さま世代とか。
昭和を知らない若い方が、おかしい、と声をあげられるのをたのもしく思っています。おかしいものはおかしいですよね。でも、おかしい、と言うことが今の世ではどれほど大変なことか。無理のない範囲でこのブログを続けてくださいませ。応援しています。

忘れられないです

昭和天皇崩御の時、私も桂様と同じく高校1年でした。
当日、ショッピングセンターに母と出かけたのですが、昭和天皇を悼む雰囲気で街が包まれていたのが印象的でした。
今上が崩御したとしたら、あのしばらくの間続いた沈痛な気持ちになるのだろうか?いやいやムリムリw
さっさとJOMOしちゃって何事もなかったのように生活してやる(笑)
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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