渦中の女ですからね

auxilia さまから頂いたコメント

女性自身  1989年 9月6日号
■ 反対だらけだった礼宮の結婚


週刊新潮  1989年 9月7日号
■ 礼宮の「ご婚約発表」のあと
平民化に拍車がかかる「新皇室像」
皇籍「離脱」で抵抗した成果


週刊ポスト 1990年 7月13日号
■ 礼宮結婚フィーバー 日本はこれでいいのか!
「奉祝押しつけ」の大騒ぎ報道を排す
沸騰皇室核心論議
右と左と知識人のミカドの症状




昭和58年すでに「開かれた皇室は失敗」と言われ、昭和天皇の喪中にもかかわらず婚約を許した今上と、婚約発表をした文仁と川島紀子によって、平成皇室は庶民以下となり完全に凋落したと言ってよいのではないでしょうか。



ありがとうございます。

そりゃFOCUSにこんな風に取り上げられた人ですから。

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記事全文http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20070313184029.jpg


ヘカテ―は平成育ちです。

一番古い皇室の記憶は皇太子ご夫妻のご成婚パレードです。

そんな私にとって秋篠宮家は「最初からいた人たち」です。

秋篠宮家しか宮家を知らなかったこともあります。

まあ、はっきり言って「あ、秋篠宮さがテレビに出てる。へー」という存在でした。

それが変わったのがあの6週間妊娠リークでした。

うわあ、そこまでするのか

不潔なものを見てしまった時のような気分でいた。

あれから皇太子ご一家バッシングは悪化しました。

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ありくいちゃんさま

申し訳ありませんが、ストレートすぎる表現だったため削除させていただきました。
中には不快に感じる方もいらっしゃる可能性がありますので。
ご理解ください。

間違いの始まり

この結婚から日本の不幸が始まったんですよね。

あの坊やが生まれるまで存在を忘れていた人も多かったけど、
あそこから異常な持ち上げが始まって国民の嫌悪感を増していった。


初めて見たときは化粧の濃いおばさんだと思っていましたが、まさか20代だったとは。60代と間違えた子供達、君の感性は正しかったよ。
なんか将軍様の喜び組にいそうな人だと思ってましたが、間違いではなかったと思います。
この画像見ても、若い時から下品さが滲み出てて全然美人じゃなかったですね。
アーヤはこんな女にしか相手にされない、皇族以外に魅力の無い程度の低い男だったんですね。

良い印象がないですねぇ

私は紀子さんと同年代です。
この上記の写真はまだ全然いい方です。

私がとても印象に残っているのは、学習院近くの礼宮と紀子さんの行きつけのスナックで、二人でべったりひっついて座って寛いでいる(いちゃついている?)様子を店内で隠し撮りされたものです。
当時まだ大学生だった二人の関係がうかがえる雰囲気のものでした。
交際当時か、婚約発表直後ぐらいの雑誌か写真週刊誌に掲載されたと思います。

このスナックは結構入りびたりだったらしく、同じ場所での似たような写真はありますが、わたしが当時見た印象的なものは、なかなか見つかりません(ぜひ、探してみてください)。

この飲み屋では、カウンターの中に紀子さんが入って、礼宮やその腰ぎんちゃくどもに、水割りを作って出してやってる写真も、婚約当時の週刊誌などでよく紹介されてました。

学生時代に、行きつけのスナックがあり、そこで彼氏に水割りを作って出すなんて、ちょっとどうかな、と思いましたよ。
記事は、庶民的でほほえましいエピソードとして書いてましたけど。
(宮内庁担当記者の煙草に火をつけてやった美智子さんに通じるところがありますね。)

紀子さんの大学時代の写真は、他にも、礼宮とスキー旅行に行って、仲良く二人でリフトに乗ってるものや、件の「自然文化研究会」というお泊り旅行口実サークルで、宿で多くの男子の中、紀子さんだけ紅一点の丹前姿の写真も有名です。

婚約が決まった後、二人の交際ぶりがテレビ等で紹介されましたが、一体どれだけ泊りがけの旅行をしているのかと、うちの母なんかは憮然としてました。

当時、景気がよく、学生もサークルなどで旅行する機会が増えたと思いますが、親が泊まりの旅行は認めないという女子学生は多かったですし、ゼミでの研究旅行すら、先生が一緒でないとダメ、と言うのは割と常識でした(男女共学の大学の場合です)。

だから、このサークル活動と称しての遊びっぷりには、本当に驚きました。
「さわやか交際」と報道されてましたが、むしろ我々同世代は、「こうやって関係ができていったんだな、当たり前だな、これだけ一緒に旅行してれば」と思いましたよ。

あと、今にして思えば、この頻繁な国内旅行、スキー旅行、紀子さんの費用を誰が出してたんでしょうね?あの親が出すとは思えないんですけどね。全部、税金でしょうか?

ただ、礼宮の恋人としてちらっと書かれ始めたころは、記事中の文章にも、皇室関係者の発言として「結婚はあり得ない」「住む世界が違い過ぎる」などとはっきり書いてあり、若いころの一時の恋人、遊び相手であって、現実の結婚相手とは記者も見てなかったと思います。
当時はまだ、昭和天皇が主の皇室でしたしね。

実際、全く同時期に、浩宮様(今の皇太子殿下)のお妃候補として、雅子様や名門の御令嬢などが頻繁に雑誌、テレビで取りざたされてましたから、そのあまりの落差に、このどこにでもいるような普通の女子大生が皇室入りするなんて、誰も想像もしなかったでしょう。

だから、朝日の岩井記者にいろいろ交際ぶりを書いてもらって、既成事実を積み重ねて外堀を埋めて行ったのかな?
婚約発表後、紀子さんが朝日新聞社に岩井を訪ねて、お礼の花束を渡したんだそうですね。呆れました。

いずれにしても、紀子さんの交際当時の写真、いろいろ見てみると面白いと思いますよ。今の若い人は知らないでしょうから。
あと、当時紀子さんがサークル旅行先の和歌山に出した手紙の珍妙な敬語の使い方と、ド下手な字にも驚きました(この手紙画像は有名ですよね)。
ま、他にもいろいろあると思いますけど・・・。


ところで、この礼宮の結婚のわずか5年前の1984年、高円宮様と久子さまのご結婚がありました。
当時、高校生だった私は、海外生活が長い上にケンブリッジ大学を卒業しているなんていう女性が現実にいるんだな、凄いな、と尊敬と憧れをもって婚約記者会見を見ていました。

今にして思えば、たった5年なんですね、次の紀子さんの嫁入りまで。
随分変わってしまったものです。

いろいろ思い出して長文になってしまいました。すみません。

プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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