2015.01/13 [Tue]
秩父宮ご夫妻の愛情物語
秩父宮さまが御殿場で療養中の時
落語がお好きでよくラジオで聞いていました。
その話を聞いた落語家たちが宮様を励ますために御殿場までかわるがわるやってきました。
三遊亭金馬師匠、春風亭柳橋師匠、桂文楽師匠、柳家金吾楼師匠など。
後世、伝説となる名噺家ばかりですね。
宮さまはお腹の底からお笑いになるためメガネが曇ります。
それを拭き拭き笑いながら、後ろをチラチラと見ていました。
勢津子さまや職員が笑っているのかを確かめるためです。
ある日、金馬師匠とお茶を飲んでいた時のことです。
金馬師匠が「宮さま、お加減はいかがですか」と尋ねると
秩父宮さまはこう答えられました。
「もう大丈夫だね。私の体はこの人でもっているんですよ」と勢津子さまを指さしながら言いました。
そう仰っていた秩父宮さまでしたが、1953年1月に藤沢市で薨去されました。
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落語がお好きでよくラジオで聞いていました。
その話を聞いた落語家たちが宮様を励ますために御殿場までかわるがわるやってきました。
三遊亭金馬師匠、春風亭柳橋師匠、桂文楽師匠、柳家金吾楼師匠など。
後世、伝説となる名噺家ばかりですね。
宮さまはお腹の底からお笑いになるためメガネが曇ります。
それを拭き拭き笑いながら、後ろをチラチラと見ていました。
勢津子さまや職員が笑っているのかを確かめるためです。
ある日、金馬師匠とお茶を飲んでいた時のことです。
金馬師匠が「宮さま、お加減はいかがですか」と尋ねると
秩父宮さまはこう答えられました。
「もう大丈夫だね。私の体はこの人でもっているんですよ」と勢津子さまを指さしながら言いました。
そう仰っていた秩父宮さまでしたが、1953年1月に藤沢市で薨去されました。
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○万人にひとりの笑い手
秩父宮様のことを「○万人にひとりの笑い手」と評したのは。(○の中に入る数字忘れた。)
落語を聞いてお笑いになり、
周囲の者が楽しんでいるか見回し確認されて再び笑い、
ご自分の息で眼鏡が曇ると眼鏡を外しレンズを静かに拭いて、
また眼鏡をかけ直してお笑いになる。
ユーモアと言えば、礼宮。
展示物の説明係に宮内庁職員が言った。
「宮様に冗談を言ってはなりません。理解することがおできになりませんから」