ひいおじいちゃんが大阪市長ということだけだね。

この記事では秋篠信者が絶対に触れないことを取り上げます。


166bb3dde350279840b387392cb026ae.jpg

WEB魚拓 http://megalodon.jp/2015-0217-0017-40/blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/97/166bb3dde350279840b387392cb026ae.jpg 

別の本では家系図が異なるのはなぜ?
『毎日グラフ臨時増刊 おめでとう礼宮・紀子さま』記載の家系図』
嘉助より上
川嶋家嘉助から↓



よくアンチが「マサコの家は3代前が不明」とか言っていますが、

大絶賛する筆頭宮妃さまも母方の杉本家は大したことないよ。

だって、キーコさんの母方のおじいちゃんは婚約当時無許可のあん摩だったし。

雅子さまの場合は「大したことない」とバカにされている小和田家の方に新潟県議の人がいたりと杉本家よりもはっきり言ってマシです。

アンチがよく言う

「小和田金吉から先がわからないニダ」も

『小和田家の歴史』という本で小和田金吉の父も祖父も曽祖父も判明しています。

家系図 http://seiyou.ehoh.net/seiyou/++shinzoku1-kakeizu.htm

週刊文春が皇太子妃内定報道時の記事
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1417482977353.jpg

で、アンチが大絶賛の川島家の方は
前述の『毎日グラフ臨時増刊 おめでとう礼宮・紀子さま』記載の家系図』によると
川嶋家イトコばあさんより上
川嶋家イトコばあさんより↓

そんなに威張れるものかい?

雅子さまの母方の江頭家の家系の方がすごいよ。

(以前紹介しているので見てね。)
雅子さまと鎌倉のご縁
山屋家は下級武士ですけど何か?本家は家老ですけど?
山屋他人を批判する奴は昭和天皇を批判する奴だ!
山屋他人海軍大将と盛岡つながり (岩手県民さまコメントより)
喜久子さまと雅子様のご先祖の縁(初秋様コメから)


≪追記≫
久しぶりにイトコばあちゃんの写真を見たらあの和服姿を思い出して笑ってしまった。
控えよ!筆頭宮妃殿下のおばばさまだぞ(上)
控えよ!筆頭宮妃殿下のおばばさまだぞ(中)
控えよ!筆頭宮妃殿下のおばばさまだぞ(下)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

でも、

だとすれば、皇太子ご夫妻ご結婚の際に、なぜ宮内庁が正式に発表しなかったのでしょうか?
いまひとつ、説得力に欠ける気がいたします。

Re: でも、

> だとすれば、皇太子ご夫妻ご結婚の際に、なぜ宮内庁が正式に発表しなかったのでしょうか?
> いまひとつ、説得力に欠ける気がいたします。

3代前まで発表すればよいという想定だったからです。

またですか

何度も何度も何度も何度も説明されても理解できないのは「馬鹿」なのか「日本語が理解できない」のかどっちなんでしょうね。
母親の生年月日すら不確定な昭和の皇太子妃はどうするんですか。

公表されたら嫌なくせに(-m-)

雅子様の御実家を三代までしか公表しなかったのは、
「家柄自慢は差別ニダ!」って部○開○同○から抗議が来たので、
公表を最小限に抑えたって聞いた(・ω・)

あばら家ばかりの紀子さんの親族

この家系図に書かれている肩書は、かなり実態と違うものもあるみたいよ。

紀子さん結婚の際、和歌山のルーツってことで、父方先祖の松浦家を訪ねた記事を当時の週刊誌で見たけど、山深いド田舎の掘っ立て小屋のような家で老人が写ってた。
まるで江戸時代みたいな感じ。

で、取材がたくさん来たものだから、この松浦さん一家、逃げていなくなったんだって、噂の真相に書いてあった。
あまりにみっともなくて恥ずかしかったんでしょう。
とにかく、凄いあばら家だった。
農家って書いてあるけど、相当貧しい感じ。
当時すでに平成だったのに。


それから嘉助さんも、満鉄って書いてあるけど、実際は良くわからないみたいだし、2ちゃんでは、戦前、静岡のミョウバン鉱山で働いてたっていうことが出典明記のうえで書かれてるね。
戦後は按摩だし。

この嘉助さんの家も、どうも偽装されてるみたいね。
私がリアルタイムでテレビで見た家と、後日週刊誌にのせられてた家が明らかに違う。

嘉助さんがインタビューに答えてた家は、工事現場なんかに一時的に建てられるようなプレハブみたいな粗末な建物で、そこにステテコ姿で出てきたから、本当に腰が抜けるほど驚いた。
マッサージの仕事場と自宅が一緒になってて、マッサージの機械の説明を熱心にしてたよ。

紀子さんとこについての情報は、肩書なんかは相当「お化粧」「偽装」されてると思う。
おそらく、ありのままでは公表できなかったはず。
リアルタイムで、嘉助さん夫婦と和歌山の山奥の松浦家の文字通りのあばら家を見ましたから断言できます。

図書館に行って調べれば、当時の週刊誌にちゃんと写真が掲載されているはずです。

それから雅子さまの父方祖母の小和田静さんの御実家はたしか県会議長ですよ。
地元の名士だったらしいですね。
このご実家の江戸時代の武家屋敷が市の文化財として保存されているんですよ。

















キコさんのその他の御親戚

「けい」さんって東宮アンチですか?アンチのくせにいの一番にコメントを書いていてちょっと引きました。よほどヘカテー様のこのブログと皆さんのコメントが気になって仕方ないんですねw
ところで、キコさんって家系図には表れていませんけど、大阪大正区で老舗のホルモン屋をやっている御親戚とか建築詐欺をやらかした御親戚などもいるようですね。ホルモン屋は新鮮な臓物を手に入れるルートがなければ商売は難しいと思われますし、こういうルートって特殊な身分にいる人々とのつながり、もしくはご自身がそういう身分に属していないとなかなか持てないと思いますが、キコさんってそういう出自なんでしょうか?そういう出自の人々を悪く言うつもりはありませんが、「皇室」に嫁いでくるにはふさわしくないと断言します。
あと、後者の建築詐欺をやらかした御親戚はちょうどキコさんが悠仁くんを妊娠中に雑誌にすっぱ抜かれましたが、宮内庁から抗議がいって結局後追い記事はどこも出せず、被害者がその後どうなったかも分からずじまいでした。
そういえば、キコさんの実弟である舟さんは、東日本大震災が起きた直後に「死んだ馬の慰霊碑を作ります」と告知して寄付金を募ったそうですがその後慰霊碑はできたんでしょうか?もしお金を集めるだけ集めて慰霊碑を作る気配がなかったら…これも犯罪では?

確かに威張れない(笑)

しかし、こんな立派な家系でもないのによく皇室に嫁ぐことが出来たな、とつくづく思わせますね。どうして認められたのか知りたいですね。

お祖母様の紀子さんの着物の着方もすごいですね(笑)あの年代の方でも着物をまともに着ることが出来ないなんて(;´д`)
何だか色々酷いな…………川島家。
秋篠宮信者はこれを見て何を思うのだろうか?

Re でも、

>2015-02-17(20:28) : けい  




皇太子妃となる小和田雅子さんの先祖について、より詳細な事実資料を発表しようとしたら、どこかの団体が


e-269 立派な御先祖様だと発表するなんて(わしらを)差別してるニダ 


と言い出して、小和田家、江頭家、山屋家、等々の詳細な発表を阻止したのです。



それよりも不思議なのは・・・

「昭和の皇太子妃」の生母と言われる正田富美は、どうして富美子と改名したのですか?

本家が群馬県にあるなら本籍は群馬県であるはずなのに、どうして本籍が東京になっているのですか?
(本籍地を変えるというのは、当時も今も、かなりイレギュラーです)

正田美智子さんは皇太子妃になるということで墓参りしていますが、どうして千葉県の墓だったのですか?
(本家が群馬県なら、先祖の墓は群馬県にあるはずでは?)



川島家だけでなく正田家も怪しく思えてなりません。

家具製造業の息子が、そこまで出世できるものなの?

魚類販売業 ・・・ 杉本吉三郎

その息子 家具製造業 ・・・ 杉本吉太郎

その息子 杉本嘉助 ・・・ 満鉄総局副参事


杉本嘉助の妻 栄子

栄子の父  服部俊太郎 ・・・ 満鉄機関区長

服部俊太郎の父 服部伝八 ・・・旅館業

服部俊太郎の義父 平野平左衛門 ・・・ 満鉄勤務



妻の実家勢力を利用したとしても、当時は身分制度つまり出自というものが今以上に重要視されているので、それらを考えると、異常なまでの出世ぶり、としか思えない。

まさかとは思うが、詐称している、ように見える。

見栄っ張り

>「昭和の皇太子妃」の生母と言われる正田富美は、どうして富美子と改名したのですか?

「子」がついたほうが高貴な感じがするからだと思います。

正田家というのは何か変な見栄を張るところで、英三郎、冨美子の葬儀は何故か神式です。
美智子皇后の祖父母も両親もクリスチャンですよね?
変なの。

副の参事?

杉本嘉助氏の肩書は「満鉄総局副参事」、「鉄道総局」、「元満鉄職員」と色々あります。

「毎日グラフ臨時増刊 1990年7月14日」の家系図記載と同じ紙面

(略)嘉助さんも横浜工業専門学校(現横浜国大)を卒業後、満鉄入りし旧満州にあった8つの鉄道工場を管理する鉄道総局工作局工場課に勤務した。敗戦後、せきつい矯正器械を開発した特許をとり昭和30年から一昨年まで静岡市内で指圧療院を営んでいた。(略)

そもそも「満鉄総局副参事」なるものが存在するのか、非常に疑義を感じます。
「南満州鉄道株式会社組織一覧」(ネット上で閲覧可能)をみると、「鉄道総局」の一部に「工作局」があり、更にその一部に「工場課」があるのは確認できます。これを見ると杉本嘉助氏の肩書として信憑性が高いのは「鉄道総局工作局工場課に勤務していた」。

満鉄最後の総裁「山崎元幹」の満鉄経歴の中に「参事」は登場しますが。
(「wikiより」1945年8月17日に竹田宮恒徳王が東京から長春に飛来し、関東軍に終戦の勅旨を伝え、大陸鉄道司令部は任務を停止した(略)。「絶対男子のみ」の主張をしている竹田氏祖先の名が出てくるのは興味深いです。)

ディープな大阪

「魚類販売業」→「魚屋」

「家具製造業」→「家具職人」
ってことでしょう。

桐たんすや家具全般をつくって販売する会社や問屋の経営者だったわけじゃありませんよ。

それから、杉本嘉助さんの満鉄の副参事っていうのも、当時の彼の年齢を考えるとちょっとおかしいそうですよ。
参事ってある程度の年齢の人がなるものですからね。
戦前はまだそんな年齢じゃないはずですし。

それから紀子さんの御親戚の焼肉屋さん、大正区に昭和40年代に開店して、いくつか店舗があるそうですね。
当時、まだ大阪でもそれほど焼肉屋さんはなかったと思います。
紀子さんの写真は今も飾ってあるのでしょうか?

それから、紀子さんご先祖の大阪市長にとても縁のある天王寺公園、今はどうか知りませんが、ここは何というか表現しにくいですが、相当シビアな所ですよ。
ちょっと前までは、ホームレスのたまり場でもありました。
いわゆる、あの辺はあいりん地区、ドヤ街なんですよね、大昔から。
この市長になった方も、元は単なるおまわりさんで、ドヤ街の浮浪者狩りでのし上がったそうですよ。

昔、父親の転勤で一時期関西に住んだことがありますが、紀子さんの親戚の「老舗」のホルモン屋さん、そして天王寺公園、なかなかディープな大阪が見てとれます。

関西に縁のない人にはなかなかわからないと思いますが・・・。







副参事

副参事というのは、そんなに偉い人では無さそうです。

奥田修さんという人の書いた「私と昭和」という本に、満鉄の従業員資格の階級についての記述があります。
https://books.google.co.jp/books?id=Ho_aTiEaQMQC&pg=PA135&lpg=PA135&dq=副参事+職級+満鉄&source=bl&ots=lHivlXFV9L&sig=-zIQmp3OeKq-RXDoTcMMnXV3VzI&hl=ja&sa=X&ei=1XrkVIXGFsPHmwX9gIHADQ&ved=0CCEQ6AEwAQ
↑該当部分を見ることが出来ます。

下から、傭人、雇員、職員、副参事、参事、理事、となっていて、職員以降が正社員(傭人、雇員は今で言う非正規雇用やアルバイト的な存在)で、職員が平社員、参事と理事は高級社員(部長級以上)なのだそうです。
ですから副参事は、さしずめ、現在の会社組織で言うところの、係長か課長代理、あたりのようです。

でも、この杉本嘉助なる人物は、西伊豆の強制連行に関わっていたという話もあるようですし・・。
アンチには都合が悪いことばかりなんじゃないかしら?

副参事は服部俊太郎さんです

満鉄の副参事は
○服部俊太郎さん(嘉助さんの義父、満鉄機関区長)
×杉本嘉助さん(元・満鉄職員、指圧治療院)

既に指摘されているように副参事とは
職員のランクの一つであり、役職や役員を意味するものではありません

杉本嘉助さんを満鉄副参事にしてあるのは毎日グラフのみで
他誌は服部俊太郎さんが副参事となっています

機関区長である服部俊太郎さんの副参事は妥当ですが、
嘉助さんの副参事はありえません
毎日グラフの校正ミスですね

ウィキペディアより

平野 平左衛門

1849年(嘉永2年)9月8日 - 1927年(昭和2年)8月5日)は、日本人で初めて鉄道機関士。
家は先祖代々加賀藩の刀剣商であったが明治になると商売が成り立たなくなっていたので、
生活のために満鉄に就職し満鉄機関士となった。



維新というのは、それまでの制度や価値が大転換した日本の分水嶺なので、生家の生業を継がずに全く違う仕事をするのは当時よくあった。





服部伝八

旅館業と書かれているがウィキに全く記載が見られないので、本陣ではなかったと考えられる。


そのような家の息子が満鉄機関区長。
今でいう鉄男だったのか? 
服部伝八が日本国内で旅館業を営んでいれば、当時の日本国内にも鉄道は存在していたのだから、国内の鉄道会社に就職しても良かったのではないか?
なのに何故に満鉄へ?

旅館業は日本国内ではなく、中国大陸(満州)での営業であれば、満鉄への就職は納得できる。



満州国・・・1932年(大同元年)3月1日の満洲国?告1により、国号は「滿洲國」と制定

満洲開拓政策基本要綱・・・1939年(昭和14年)12月に日本国政府と満州国両政府とが共同して発表した、満州移民政策に関する基本要項。

1932年(昭和7年)の満州国の建国から1945年(昭和20年)の日本の敗戦に至るまで、
満蒙開拓団に代表される満州への日本人農業移民事業の主導権は一貫して関東軍が握っていた。

満蒙開拓団・・・1931年(昭和6年)に起きた満州事変から1945年(昭和20年)の日本の太平洋戦争敗戦時に至るまで、
いわゆる旧「満州国」(中国東北部)・内モンゴル地区に、国策として送り込まれた入植者約27万人のこと


試験移民期 1932年~1936年 日本人農業移民が満州で定着しうるかをためす時期

本格的移民期 1936年~1941年 日本人農業移民が日本政府の国策として満州に大量に送出された時期

移民事業崩壊期 1942年~1945年 日本人農業移民の満州への送出が停滞し、ついには全面停止に至る時期



※ 満州への移住 ※

当時の日本は、跡取りである長男もしくは長女以外の子ども達には相続権が無く (そのかわりに本家が分家の面倒を見た)
「家業が傾いたから。」 「一発あててやろう。」 「自分だけの土地を、会社を持とう。」
そういう気持ちで満州へ渡った日本人が少なくなかった。


こういうことから総合的に判断すると、
川島和代(旧姓 杉本)の祖先は、そういう家系であると考えられよう。

ピンクのバケツ。

川島一家が先祖の墓参をしている写真。
辰彦さんは後ろで腕組みをし、キコさんピンクのバケツから柄杓で水をすくい、墓石に注いでました。
先祖の墓の前で腕組みする人、ピンクのバケツを使う人、どちらも珍しい。私は見たことない。昔は庄屋って触れ込みでしょ。それなら家紋の入った木桶が菩提寺にあるはずです。だいたい墓参りの際に腕組みなんてしていたら、年寄りに怒鳴られますよ。
ゴマカシ一族なんじゃない?

それはね

>>>「昭和の皇太子妃」の生母と言われる正田富美は、どうして富美子と改名したのですか?

>「子」がついたほうが高貴な感じがするからだと思います。

「子」をつけると日本人の名前らしくなりますd(・ω´・*)

こんな妃殿下いらしただろうか?

http://blog.livedoor.jp/s48917/archives/22799795.html

▲ご親戚が焼肉屋さんて、チョッとヤヴァくありません?
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR