天皇の料理番の献立カードが寄贈されました

宮中献立カード1200枚公開へ 「天皇の料理番」が収集
「天皇の料理番」として知られ、旧宮内省や宮内庁で主厨長を務めた秋山徳蔵(1888~1974年)が収集した宮中晩さん会などの料理メニューカード約1200枚を、遺族が「味の素食の文化センター」(東京都港区)に寄贈したことが、16日までに関係者への取材で分かった。同センターは学術研究目的での閲覧や公開に応じ、今秋には一般公開も計画している。
一部は書籍などに紹介されていたが、全容が明らかになるのは初めて。明治初期から昭和30年代まで宮中で開かれた公式の席における献立の大半を網羅しており、専門家は、近代日本の食文化をひもとく貴重な資料と指摘している。
2015/03/16 08:39 【共同通信】


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秋山さんはこのブログで紹介した渡辺誠さんが神様のような人と尊敬している人です。

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ちなみにこの動画で若い頃のエピソードが再現されています。
秋山徳蔵

今度連佐藤健さんが主演でドラマ化されます。

渡辺誠さんの著書を読むと秋山さんはもめちゃくちゃ厳しい人でした。

でも、それは料理人としての誇りがあったから。


秋山徳蔵 投稿者 Tokiomate
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トゥルヌルド

「上着をぬいだ天皇」 角川文庫6959 岩上隆 p125より

午餐は盛会のうちに終り、やがて、聖上の御膳もさげられてきたが、苦心してつくったトゥルヌルドはそのまま手つかずに残されていた。主膳係がその皿を手にしてきて、
「お気に召さなかったのでしょうかね」
と言う。秋山は、こんなに美味しいものをといったような不審な眼つきでのぞき込んでいたが、さあっと血の気がひいて、ひきつった顔に変わった。
―――なにかあったな。
こういうときの秋山徳蔵はこわいので、みんなそばに近寄らない。秋山は声も発しなかった。ひとことだけ、
「こりゃ、えらいことしちまった」
と呟いて、さっさと主厨長室に引っ込んだ。出てきたときには辞表を手にしていて、侍従のところに行ってくると一同に告げた。

ではなくトゥルヌド

(続き)

トゥルヌドという料理は、形をくずさぬようにタコ糸で縛ってソテーする。天皇の御膳にさし上げたトゥルヌドにはナイフは入れてあるが、そこで食べるのを躊躇された気配があった。たった一皿だけ、こともあろうに天皇のトゥルヌドだけ、縛ったタコ糸をとりのぞくのを忘れて差し出したのである。幾人も確かめたのに、上にソースがかけられたために、見逃してしまった。
秋山は辞表を侍従にあずけ、侍従を通じてお詫びを申し上げたという。しかし陛下はお気になさる様子もなく、
「ほかの人たちのお皿はどうだったの」
とおたずねになり、他の客の料理は異常がなかったと聞いて、
「それはよかった」
と言われた。
辞表はもちろん、受理されない。一同は、胸をなでおろしたそうだ。

No title

この前、歴史秘話ヒストリアでこの人の特集をしてました。
厳しい方なのは確かですが、それだけプロ意識が高かったことがよく伝わりました。
それと、昭和帝の素晴らしさも。

戦争中、食糧事情が厳しくなる中で必死に秋山さんは食糧を調達しようとした中で、昭和帝は国民と同じものでいいとおっしゃり、芋など質素な食事にされていたそうです。
こんな方だからそこ、秋山さんは進駐軍から屈辱的な扱い受けてもお守りしようと捨て身になり、退職の際は涙したのだと思います。

その一方で長男は戦争中もいいもの食べて国民の苦労も知らず、昭和40年に秋山さんにも目の前で握った寿司が食べたいとリクエストするなど慎みを知らなかった。
たった一週間で修業してマスターした秋山さんには驚かされますが、今上の贅沢好きで遠慮の無さには呆れるばかりです。

今上には捨て身で尽くしてくれる人なんていないんでしょうね。

今上とジアイ様、自分達で所望したいと申し出るかも

なんでも、自分達が一番先に見ないと気が済まない今上とジアイ様です。


だから、自分達に一番先に見せて欲しい、よければ宮内庁に譲って欲しい、と強く望むでしょうね。
プロフィール

ヘカテー

Author:ヘカテー
皇太子ご一家大好きの神奈川生まれの神奈川育ちの神奈川県民。昭和生まれの平成育ち。真っ当な日本が好きなだけだにゃ~
↑悪いナマズを踏みつけている招き猫
メールアドレス retsugaiha@excite.co.jp

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